05-19 やっぱり祝賀会とは相性が悪い
「何故、其方が、そこに立っている?」
エディゲ・アドッラティーフ宰相は壇上に現れたアーガー・シャーフダグを見て、露骨に顔を顰めた。
その横では、アーガー・ピールハンマドが今にも従弟を噛みつきそうな顔で睨んでいる。
ムバーリズッディーンが静かに歩み寄り、ピールハンマドの肩に手を置いた。
「何故、と言われましても、宰相閣下に呼ばれたので参上したまでですが」
シャーフダグが涼しい顔で返答する。
「サイウッディーン殿、どういうことかな?」
ムバーリズッディーンが、やや離れた場所に立っていたシャーフダグの父親に向かって叫ぶ。
「ムバーリズッディーン殿、簡単な事です。
宰相閣下がアーガー家の当主を呼ばれたから、私がここに来たのです。
先日、ピールハンマドが千日行を達成する以前に、私は父から家督を譲られていました。
ですので、現在は私がアーガー家当主です」
「・・・そんな話は聞いておらぬ」
ピールハンマドがゆでタコのような顔で吐き捨てる。
「その話、父も私も聞いておらぬ。
正式なものだと言い張るつもりか?」
ピールハンマドを抑えつつ、片目片足の補佐役が前に出る。
苛立っているのだろう。
一本棒の義足が壇上で擦れ、耳障りな音を響かせる。
「特に聞かれてはいませんでしたからな。
父も言う必要は感じなかったのでしょう。
貴族家の当主交代は当主権限で可能です。
必要な書類は既に提出しています。
父親から嫡子への継承はごく普通の話。
取り立てて騒ぐ必要も無いでしょう」
ムバーリズッディーンはしばし、シャーフダグを睨みつけていたが、視線を再度、シャーフダグの父親に戻した。
「サイウッディーン、其方、宗主猊下との約束を反故にするつもりか!」
片目片足からの怒声に、アーガー家の『前当主』は怯えた表情を見せたが、息子の『現当主』は平然としている。
こいつ、変な所で度胸は有るんだよな。
「焦らないで頂けますか。
アーガー家は宗主猊下との約束を反故にする気は毛頭有りません」
シャーフダグはエディゲ宰相親子に馬鹿丁寧に礼をする。
「アーガー家は分家のピールハンマドをアーガー本家の継嗣として迎え、家督を譲ります。
つまり、私、アーガー・シャーフダグが、ピールハンマドを養子として迎え、家督を譲るという事です」
エディゲ宰相親子が、ピールハンマドが、そして、会場の貴族の大半が呆気に取られているが、喋っている本人は悦に入っているらしく、得意満面である。
「私も、元からその心算でここに参りました。
正装に身を包み、この様に、アーガー家の家宝である伝来の剣もここに用意しております」
シャーフダグは腰に佩いているゴテゴテとした飾り付きの剣を示す。
「この剣は、アーガー家の初代がニフナニクス様から直接下賜された物と伝わります。
アーガー家当主の権威の象徴であり、この剣の譲渡を以って家督の相続が行われる代物です」
「良く分からないんだが」
オレはアシックネールに小声で尋ねた。
「シャーフダグってピールハンマドより年下だよな。
それで義父ってーのも変だが、仮に一時的にアーガー家当主になっても、直ぐにピールハンマドに家督を譲るのなら、意味が無いと思うんだが?」
「微妙に違うのです」
赤毛の女も少し首を傾げながら答える。
「まず、年齢の件は、法律上は、問題なかったはずです。
当主が若年で死んで、年上の叔父が家督相続という例は結構あります。
五歳の子供の養子に五〇歳なんて例も有るのです。
一時的な家督継承ですけど、これも、それなりの意味があります」
「ひょっとして、シャーフダグがピールハンマドの義父になるってーのがミソか?」
赤毛が頷く。
「元の話では、アーガー・サイウッディーンがピールハンマドを養子にして家督を譲る話でした。
この場合は、シャーフダグは廃嫡された息子になり、アーガー本家を出て分家を創設する形になります。
シャーフダグでは、せいぜい少僧都でしょうから、惨めな生活になるでしょう。
ですが、アーガー本家の先代当主であれば、息子になるピールハンマドは、父親にそれなりの生活を保障する義務が生じます。
シャーフダグは引き続き、アーガー家本家で贅沢な生活が出来るということでしょう」
少し、考える。
「その計画、なんか、穴だらけという気がするんだが?」
「ですよねー。
シャーフダグって考えが浅い人って評判ですもんねー。
ピールハンマドが今すぐの家督相続に拘らないなら、宗主経由でシャーフダグの当主廃嫡を命じればいいんです。
シャーフダグには瑕疵がいっぱいですし、顔に泥を塗られた宗主猊下も直ぐに応じるでしょうしー」
「もっと、酷い方法もあるだろ」
「ですねぇ」
オレがブローニングと語り合っている間も、シャーフダグはノリノリだった。
「そういう事だから、ピールハンマド、今後は私の事は『父上』と呼ぶように」
ピールハンマドは人工着色料で染め上げたウインナーソーセージみたいになっている。
「キッ、キッ、キッ、・・・」
興奮しすぎで言葉も出ない。
血圧二〇〇以上になってそうだ。
「シャーフダグよ、其方、浅はかな考えでいい気になるのは止めておくのだな。
其方の、家督相続、撤回させる方法などいくらでもあるのだぞ」
過度の興奮で言葉が出ない若者の代わりに義足の男が怒声を放つ。
「圧力をかけるお積りですかな?
構いませんよ。
ならば、私もゆっくりと対処いたしましょう。
ああ、そう言えば私は持病がありましてな。
一年ぐらい、重要な判断ができないかもしれませんから、よろしくお願いいたします」
「ほう、病気か。ならば、早死にすることもあるな」
余裕を見せていたシャーフダグの動きが止まった。
「ピールハンマドよ。
この場は取りあえず、この痴れ者を父上と呼んでやれ。
どうせ、そう長くはない」
貴族勢揃いの祝賀会で、スゲー発言だ。
だが、誰も咎めない。
片目片足の補佐役の言葉に、ピールハンマドは笑みを浮かべ、シャーフダグは露骨に狼狽した表情を見せる。
「まさか、私を害するとでも言うのか?
私はアーガー家の嫡流だぞ!」
シャーフダグの言葉に応える者はいない。
エディゲ宰相親子も周囲の貴族もニヤニヤと笑っているだけだ。
まあ、そうなんだよな。
修行中の内公女殿下の食事に、平気で致死性の毒を仕込んでくる社会なのだ。
評判の悪い名門当主なんて、あっという間に殺されるだろう。
「では、家督相続の儀をお願いできますかな、義父上」
つい先程まで、てっぺんから噴火しそうだったピールハンマドが余裕の表情で、問いかける。
シャーフダグは、救いを求めるように辺りを見回すが、二千人を超える聴衆は冷たい目を向けているだけだ。
ピールハンマドも敵は多そうだが、敵だとしても、シャーフダグの味方になりたい奴もいないだろう。
落ち着かない目付きで、しばらく辺りを見渡したのち、シャーフダグは天を仰ぎ、そして、意を決したのだろう。
いきなり怒鳴り始めた。
「ならば、跪け!
私を父と認めるのであろう。
ならば跪いて、額を床にこすりつけろ!
その上で、マリセアの精霊に誓うのだ。
私、ピールハンマドはアーガー・シャーフダグを父として認め、その意に逆らわず、一生孝養を尽くし、命を懸けて守ると!
僧正家の嫡流に相応しい生活を生涯にわたって保障すると!」
余裕だったピールハンマドの顔が、一瞬で燃え上がった。
「精霊に誓えだと!
侮辱する気か!
マリセアの偉大なる精霊を愚弄する権利は貴様には無い!」
激昂する『養子』に『年下の義父』が更に感情を爆発させる。
「父に逆らうつもりか!
父に従わぬ者に家督を相続させることなどできぬぞ!」
「貴様のような、精霊を騙る痴れ者を父と呼ぶことなどできん!
マリセアの精霊に誓って、私が貴様の言いなりになる事は未来永劫、有り得ぬ!」
「貴様、父に逆らうつもりか!」
シャーフダグが腰の剣に手をかける。
その瞬間だった。
横にいたムバーリズッディーンがピールハンマドの襟首を掴んで引いた。
入れ替わる形でムバーリズッディーンが前に出て、ピールハンマドはその背に守られる形となる。
そして、前に出たムバーリズッディーンの前には剣を振りかぶったシャーフダグがいた。
「どうやら、お前を侮っていたようだ。
まさか、無礼討ちを狙うとはな」
片目片足の補佐役は感心したように呟いた。
中世の領主は、自領内において一定の裁判権を有している。
これは、中世ヨーロッパでも、中国でもさして変わらない。
領域内での裁判権を持たなければ統治などできないからだ。
特に、領主に対する反逆は第一等の重罪。
日本でも、前田又左衛門みたいに、『俺が死んだら××は扱いが面倒になるから早めに殺しとけ』なんて物騒な遺言を残した人もいる。
細川三斎は、妻と目線があったというだけで庭師を切り殺した。
カナンでも、地域領主は領域内での裁判権を保有している。
そして、カゲシン宗教貴族も、その一族内では裁判権を有している。
貴族家当主に逆らった者は、特にその貴族家内部の者であれば当主権限で処罰可能だ。
当主本人に対して面と向かって歯向かったのであれば、死罪にしても問題はない。
この辺りは教導院学問所で習う。
これが、こちらの常識であった。
「ピールハンマドを侮辱して激昂させて、無礼討ちにしてしまう作戦ですか。
確かに、これで殺してもシャーフダグを罪に問うのは困難でしょう。
正当な権利です」
シノさんが感心している。
確かに、すごい。
良く考えた物だ。
そして、それを察知したムバーリズッディーン。
正直、オレはシャーフダグが剣を抜いたのは発作的行動と思った。
「アーガー家は宗主と宰相から冷遇されそうだけど、今更だものね。
最終手段だろうけど、最初から考えていたんでしょうね」
シマが補足する。
「意外と頭が回る、・・・いや、誰かに吹き込まれたか?」
「どっちにしろ、もう無理でしょー。
ムバーリズッディーン殿は流石です」
ジャニベグの言葉にアシックネールが続ける。
「そこを、どけ!」
シャーフダグが叫ぶ。
「退くわけが無かろう!」
ムバーリズッディーンが叫び返す。
「退かなければ、お前ごと切るぞ!」
「諦めろ!もはや、お前の計画は終わりだ!」
会場の端から大量の衛兵が走って来るのが見える。
「くそっ、死ね、ピールハンマド!」
自棄になったのかどうかは分からない。
集まって来る衛兵に焦ったのは有るだろう。
シャーフダグは振りかぶっていた剣を振り下ろした。
後日、シャーフダグは、剣を振り下ろせばムバーリズッディーンは避けると思った、あくまでも狙ったのはピールハンマド、と主張したらしい。
本当かどうかは分からないが、剣の先にピールハンマドがいたのは事実である。
だが、その間にはムバーリズッディーンがいた。
ムバーリズッディーンが何を考えていたのかは分からない。
ただ言えるのは、彼の左足は義足だった。
剣は、ムバーリズッディーンに突き刺さった。
鮮血がラスベガスホテルの噴水ショーのように吹き上がった。
「医者だ、通してくれ!」
数百、数千の悲鳴が巻き起こる中、周りを突き飛ばして、ムバーリズッディーンに駆け寄る。
左頸部から袈裟懸けに切り下された剣は、鎖骨を割り、左頚動脈から大動脈弓まで切り裂き、胸骨の半ばで止まっていた。
剣は既に抜けており、現場は大量の血液で満たされている。
右頸部に手を当てるが、拍動は無い。
「瞳孔が開いてきています」
オレと共に駆けつけていたシノさんが言った。
「どうだ?」
後ろから声をかけてきたのはシャイフだ。
「大動脈まで行っています。ほぼ即死です」
シャイフは傷口を見ると、その場で首を振った。
周囲は真っ赤な血の海である。
横ではピールハンマドが両目を見開いたまま、へたり込んでいる。
少し先では、シャーフダグが衛兵に取り押さえられていた。
シャーフダグ自身も返り血で真っ赤だ。
と、後ろで、音がした。
見ればエディゲ宰相が倒れ込んでいる。
「宰相閣下を施薬院に、急げ!」
シャイフの指示に、運び込まれた担架が、ムバーリズッディーンではなく、その父親を運んでいく。
シャイフがそれに付き添い、オレはシャイフの指示でムバーリズッディーンの横に残った。
現場は、混乱どころの話ではない。
会場から逃げ出そうとする参加者と、それを押し止める衛兵たち。
一通りの事情聴取が終わるまで、帰ることは許されないだろう。
つまり、今日中に家に帰るのは不可能という話になる。
「今日、ここに来る予定は無かったのだがな」
しばらくして、衛兵の増援と共にライデクラート隊長が到着した。
事件が事件なので、カゲシン三個師団からそれぞれ代表が出て捜査に当たるらしい。
ナーディル師団からは、初老の坊官、大佐級の階級章を付けた男が、そしてベーグム師団からは、あの、ひょろひょろの弟、ベーグム・レザーワーリが来ている。
そして、オレは現場にいた施薬院常任講師として、彼らの前で状況説明、医学的説明を行う事になってしまった。
それにしても警察系の人って何度も同じ話をさせるよね。
理屈は分からないでもないが、五回も六回も同じ話をさせられるのは苦痛だ。
本日、この会場内にいた唯一の外国勢力で、客観的な話ができると見込まれたシノ・シマ・コンビも、オレと同様に何度も質問され、うんざりした顔をしていた。
勿論、事件の際に近くにいた従者などの関係者は、繰り返し尋問を受けている。
ムバーリズッディーンの傷は、軍人であれば一目で致命傷と分かる大きさだったから、救命措置について聞かれなかったのは、幸いだったというべきか。
アーガー・シャーフダグは単独犯なのか?
何度も同じ説明を強いられながら、オレはぼんやりと考えていた。
周囲の話を聞くと、単独犯でなかったとしても、黒幕の関与は証明できないだろう、との事だった。
この世界には『威圧』という技術がある。
アーガー・シャーフダグは従魔導士程度の魔力量しかない。
これだと、上位クラス、肛門メイス・カラカーニー閣下のような者に威圧されれば簡単に全てを吐いてしまう。
であるから、露骨な裏工作はリスクが大きい。
するとしても、対象者が威圧される前提で工作する必要がある。
不可能ではないが、かなり困難なのも確かだ。
ただ、ピールハンマドを意図的に挑発し、無礼討ちに持ち込む、という作戦をシャーフダグ本人が考え付いたかと言われれば疑問である。
その意味では、シャーフダグにアイデアを吹き込んだ者がいた可能性は少なくない。
では、誰がという話になるが、・・・第一候補はピールハンマドが排除されて得をする勢力ないし個人、・・・対象者多すぎだよね。
現場検証が終わり、エディゲ・ムバーリズッディーンの遺体が搬出されていく。
片目片足の補佐役、エディゲ僧正家の継嗣。
目立つ容姿だから、以前から記憶はあるが、現実に関わり合いになったのは昨日が初めてだ。
いろいろと濃いキャラだったのに、もう、死んでしまった。
この人の死は、ある意味、ピールハンマドが死ぬよりも影響が大かもしれない。
何となく、習慣で手を合わせてしまった。
遺体には多数の遺族が取り縋っている。
何とも痛ましい話だ。
十代になったばかりと見える娘も数人いる。
これから、美人になりそうな思春期真っ盛り。
いきなり父親を失うのはきついだろう、・・・・・・・・・違った。
旦那様とか、ご主人様とか、言っている。
そー言えば、ロリコン派だった。
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