05-15 厳しい現実を見つめることも大切です

 カゲシンにレストランは幾つかある。

 逆に言えば幾つかしかない。

 宿屋はたくさんあるし、宿屋兼酒場もたくさんあるし、宿屋兼酒場兼食堂もたくさんあるし、宿屋兼酒場兼食堂兼売春宿もたくさんあるが、どれも食事は劣悪だ。

 オレの基準では、だが。


 それでも、まあ食べられるレストランが幾つかあって、オレはその一つを贔屓にしている。

 薬術便覧作成時に打ち合わせや取引のため色々と教えて貰ったのだ。

 そのレストランの奥の一室でオレはザイヌル・アービディーンと食事を共にしていた。

 それぞれ、従者は一人。

 ザイヌルの従者は第三正夫人だという。

 食事はザイヌル夫妻の希望、と思われる牛肉である。

 牛肉、一応、ステーキといって良いのかもしれない、・・・量は五キロだが。

 四人で合計二〇キロ。


 接待の食事だが、まず肉を出すことが求められる。

 肉は、一般的には牛肉が最高で、豚、羊、鳥の順番になる。

 次に量が大切だ。

 接待となると、最低でも一人二キロは出さないと格好がつかない。

 接待する側も同等以上の量にするのが礼儀である。

 あとは、パンと飲み物。

 パンは白パンが最高で、飲み物はその店で一番高いのを出せばよい。

 市井のレストランではそう高い酒はおいていないから焦らなくても大丈夫だ。

 野菜はいらない。

 というか、出してはいけない。

 安物で量を誤魔化そうとしていると見做される。


「算用所は薄給だから、うれしいよ。

 そもそも、接待されることも無いからな」


 算用所は予算編成をするところだ。

 財務省とか大蔵省という感じだと思っていたが、そうではないという。


「我々は計算だけなんだ。

 算用所の生え抜きは出世しても僧都止まり。

 算用所の上は宗教系名門貴族によって占められている」


 接待を受ける立場には永遠にならないのだという。

 ザイヌル・アービディーンは現在二十二歳で少僧都。

 少僧都は男爵相当と言われ、カゲシンの世襲貴族としては一番下の位階になる。

 オレが権僧都だから、それよりも下だ。


「これでも出世頭でね。

 少僧都でも算用所ではやっかみを受ける立場なんだ。

 私は商家の出だから、少僧都になった時は親戚一同で騒ぎになったさ。

 しかし、カンナギ殿の十六歳で権僧都というのは異常だ。

 施薬院の常任講師、普通は四〇歳前後と聞く。

 それだけの才能、素晴らしいが、これからが大変だろう。

 多方面から、潰しが入るから、覚悟しておくことだ」


 忠告に礼を言う。

 まあ、こーゆーのって、地球でもそうだけどね。


「それで、どうかな、その資料は?」


「とても興味深いですね。

 すごく良くまとまっている。

 これ、部外秘じゃないんですか?」


「勿論、そうさ」


 算用所の若手ホープはニカっと笑った。




 ピールハンマドから解放されたオレはハトンと共に、カゲシトの町をブラついていた。

 いやー、何となくね、・・・家には、ほぼ全裸のジャニベグが待ち構えている、・・・八月は暑いから、この方がすぐヤレるから、この方がすぐオナれるから、だそうで・・・新婚ならば当たり前だそうで、・・・分かるかなー、このプレッシャー。

 ちなみに最初は靴だけだった。

 アシックネールが「垂れますよ」と言ったのでブラジャーを付けるようになった。

 ・・・大して変わらんけど。

 そんなんでブラブラしていたら、街角ででかい鞄を持ったまま佇むザイヌル・アービディーンを見つけ、声をかけた訳である。

 聞けば、算用所の一部有志からは常々、帝国とカゲシンの現状を憂う声が出ていたのだという。

 ザイヌルはエディゲ宰相から声を掛けられ、今回の会議に参加を許されたが、仲間と相談した結果、資料をまとめて将来の帝国中枢に話を聞いてもらおうと企てたようだ。

 だが、本会議前にピールハンマドとムバーリズッディーンの二人に説明したら、「会議では要旨だけ」と言われ、更に本番では時間が無いからと説明自体が中止になったらしい。

 鞄の中には十数名の仲間とまとめた資料が、会議参加者分入っているという。

 使われないどころか、参加者に配布することすら許可されなかったのだ。

 オレが見せて欲しいとお願いすると、喜んで許可してくれた。

 それで、こちらがお願いするからと、レストランで食事を提供したわけである。


 ザイヌルの資料だが、まあ、ピールハンマド達に拒否されたのも良く分かる内容だった。

 数字ばかりなのである。

 実は、カゲシン貴族の数学レベルは低い。

 上級貴族でも足し算、引き算だけという人は少なくない。

 学問所初等科でそれしか教えないからだ。

 中等科で初めて掛け算・割り算以上を教えるが、履修義務のない特別科目扱い。

 算用所修養科や施薬院、自護院を目指す者、あるいは商家出身者が取る科目とされている。

 施薬院では薬の調剤で掛け算・割り算は必須だし、自護院でも高級将校になれば補給関係の話があるから必要になる。

 だが、他の貴族は習わない。

 足し算・引き算しか分からない人に、数字の羅列は厳しい。

 上昇率、下降率、とか言われても、そもそもパーセントが理解できていないのだから。


「馬鹿、・・・素人でも理解できるように作ったつもりなんだが」


「数字ばっかりという時点でダメなんですよ」


「だが、カンナギ殿は理解できると。

 流石は最年少施薬院講師。

 そう言えば、キミ、算用所修養科の入講試験、通っていたね?」


 そう言えば、試験受けてたな。

 ハトンが当初、算用所修養科進学を希望していたから一緒に試験を受けて合格した覚えが有る。


「施薬院と自護院で忙しくなって通えていませんけどね」


「それもそうか。

 だが、数字には強そうだ。

 この資料を理解可能な人材が算用所の外に一人でも居たことを精霊に感謝すべきなのだろう」


 肉をほおばり、悪態をつきながら、しかし、ザイヌルは上機嫌だ。


「しかし、ざっと見るだけでも、凄い内容ですね」


 ザイヌルの資料だが、各地からの税収と歳入・支出の内訳が基本である。

 特徴的なのは、昨年、一昨年、五年前、十年前、二〇年前、五〇年前の六期間の対比が成されている事だろう。

 これにより、帝国の過去と現在の比較が可能となっている。


 まず目につくのは、カゲシンに納入される税金、名目上はお布施、の減少だろう。

 カゲシンの収入は、基本的には二つ。

 一つは帝国内諸侯からの『布施』、通称『十分の一税』。

 もう一つはカゲシン直轄領からの年貢。

 これには、カゲシトなど都市からの住民税も含まれる。

 まずは、『十分の一税』。

 これは諸侯の領地にあるマリセア正教寺院が領主を介さずに直接住民から取り立てて、カゲシンに納付する。

 これがかなり低下している。

 帝国全体の税収も低下傾向だが、カゲシンに納入される金額はそれ以上のペースで低下している。

 国庫に入る金額は五〇年前に比べれば半分以下、四割程度しかない。


「カゲシンへの納入率の低下は、ピールハンマド様が言っていた、各地の諸侯が僧正等になったからという話ですか?」


「そう、その点については、それが大きい」


 算用所のホープが肉を飲み込む。


「各地の末端寺院の住持は、地域の男爵や騎士の身内、あるいは当主本人だ。

 在地領主と寺院が別というのは建前さ。

 末端寺院の税金は一旦、上位の寺院、あるいはその分院に集められて、そこからカゲシン本山に送られる。

 この五〇年、カゲシン本山に所属する僧正家は衰え、管轄する寺院も減少した。

 エディゲ僧正家だけは以前よりも繁栄しているが、他の僧正家は没落しているから、全体では半減だ。

 一方で在地領主が高位の僧侶位階を獲得する例が増え、その系統の寺院が増加した。

 制度上、権少僧正以上なら自分の寺院を立てることが出来る。

 地域領主は競って自派の寺院を増やした」


 大量の肉を豪快に頬張りながらザイヌルは話を続ける。


「地域の上位寺院が増えるにつれ、彼らの意見が強くなり、権限も強化された。

 現在では各地の上位寺院は限定的ながら予算の執行権まで獲得している」


「つまり、中抜きし放題と」


「当然だが末端の領主も自分たちに都合の良い所に納入する」


「地域で納入先を固定できないんですか?」


「一応、規制は有る。

 だが、長年の慣習で例外事項だらけに成っている。

 制度の穴が大きくなり過ぎているんだ」


 フロンクハイトのウィルヘルミナも言っていたけど、具体的な数字で見るとすごいな。


「こちらの支出も変ですね。

 カゲシン直属寺院の数が減っているのに、彼らに対する分配金の総額はほとんど減っていない。

 つまり、一寺院に対する金額が増えている」


「じょのちょおり。

 表のみきゃたが分かっている。

 説明の手間が省けてうれしいよ」


 ザイヌルは口をモゴモコさせながら答える。

 肉は既に半分が消えた。

 五キロの半分だ。


「それも大きな問題だ。

 五〇年前に比べると一寺院の予算が倍増している。

 更に、増加傾向にある」


「これ、原因は何ですか?

 寺院の機能が増えて、とかなら納得できますが」


「単純に寺院が肥大している。

 従来の役所としての機能、学問所や施薬院を補完する機能はさして変わっていない。

 時代と共に儀式が増えているのが原因だ。

 儀式が増加し、一つ一つの儀式が派手になり、人員も増加している」


「歯止めをかけないとまずいんじゃあ」


「私もそう思う。

 ピールハンマド様に説明したら、『総額は増えていない』と全くご理解頂けなかったが」


 ピールハンマド的には儀式費用は減らしたくないのもあるだろうな。




 直轄領に目を移す。

 カゲシン直轄領の税収も徐々に低下している。

 内訳をみると、商業系の税収入は五〇年前からはそれなりに増加していたが、ここ十年は横ばいだ。

 大幅に落ち込んでいるのが農産物系の収入、農民の年貢である。

 商業系の増加を食いつぶして総額まで低下させている。

 そして、オレは変な事に気が付いた。


「あの、ですね、農産物からの税収を見ると、諸侯の領土からの税収よりも、直轄領からの税収がより大きく落ち込んでいますよね?

 そもそも、直轄領の農産物からの税収が落ちるって、変ですよね?

 直轄領の税金がカゲシン以外の寺院に行っているのでしょうか?

 逆に諸侯からの税収は、納入先は兎も角として、税収総額はそんなに落ちていないですが?」


「凄いな、私が説明する前に気付くとは」


 ザイヌルはナイフを動かすのを止めてオレを見つめる。


「後ろに各地の農業生産高が載っている。

 正確な収穫量は不明だが、各地の主要都市での農産物取扱量と売買相場から我々が推定した物だ」


 ページをめくると、帝国の主要百都市での各月の主要農産物の取扱量と価格の推移が纏められていた。

 年代は不定期で、最も古いのは帝国歴一〇二三年、続いて一〇三九年、一〇五六年、一〇七六年となる。

 現在が帝国歴一〇七九年だから五〇年ちょっと前からの推定値ということになる。


「これは、すごい記録ですね」


「歴代の算用所の有志が独自に集計していた物だ。勿論、部外秘になる」


「各地の農産物からの税収が適切かどうか調べるためですか?」


「それだけではない。

 各地の経済状況や諸侯の財政状況を知るための物でもある。

 各地の行政が適切かどうかの目安にもなる」


 ザイヌルは褒められて鼻高々だ。

 まあ、誇るだけの内容だとは思う。

 そして、・・・内容は更に衝撃的だった。

 各地の農産物取引量の総量が次第に低下しているのだ。


「五〇年前に比べて七割程度しかないじゃないですか。

 帝国全体で農業生産が低下しているって事ですか?」


 驚いたなんてもんじゃない。


「その通りだ。帝国の生産力は着実に低下している」


 算用所のホープは薄い笑みを唇に浮べていた。




 オレはしばらく無言で、資料を読み込んだ。

 とにかく農業生産の低下が酷すぎる。

 なんでここまで低下したのだろう?

 これだけ低下して食糧危機にならないのだろうか?

 直轄領の農業税収が低下するのも当たり前だろう。

 逆に言えば諸侯の領土での農業税収がそれほど低下していないのが不思議だ。


「まず、食糧危機だが、これは少なくとも当座は問題ない。

 帝国の農業生産量は往時には域内消費量の二倍を超えていたんだ。

 生産量が減った結果、輸出量が低下し、帝国内外の商取引が低下し、商工業発展の足を引っ張っているのは否めないが、取りあえず、帝国内で食料不足は起きていない」


 ザイヌルがオレの質問に答える。


「農業生産の低下は、帝国内の騒乱が一番の原因だろう。

 細々とした原因は掃いて捨てるほどあるが、大本の原因はこれに帰結する。

 定期的に大規模な紛争や外国勢力の侵入が繰り返され、軍事活動の結果として、経済インフラが破壊された。

 その復旧が追い付かない」


 堤防とか用水路とか、畑その物とかが破壊されてそのままって事だろう。


「直轄領と諸侯領地の差だが、根本的な話としてカゲシン直轄領の統治は劣悪だ」


「あの、それ、・・・」


「この際だから話してしまうが、直轄領にはカゲシンから住持、事実上の代官が派遣される。

 彼らの本職は僧侶、宗教貴族だ。

 民衆にマリセアの正しき教えを説くことはできるが、領地経営はほぼ素人だ」


 この人、肉だけでなくワインも結構飲んでいる。

 まあ、酔っぱらって本音を言って貰うのは好都合だが。


「直轄領代官に認められる経費は定額だ。

 税金の中抜きはできないよう二重三重に対策されているが、経費は余れば代官の物になる。

 代官地が繁栄すれば出世できるが、代官の一か所での任期は長くて五年。

 代官の地域領主化を防ぐためだが、結果として短期利益にしか目が向かない。

 長期的なインフラ投資なんてするわけが無い。

 素人が手持ちの資金を投入しても効果が上がる可能性は低いし、効果が出たとしても数年後だ。

 だったら、現状維持で可も無く不可もない結果を受け入れるのが賢明だ」


 頑張って農業投資を行い成果が出ても、次の代官の功績になるんじゃ、やる気は出ないよな。

 だったら、経費を節約して自分のポケットてことになるのは普通だ。


「一方で、大半の諸侯は自領の統治に熱心だ。

 そうでない領主も稀にいるが、没落するだけだからな」


「それで、直轄領と違って、生産が比較的保たれていると?」


「それはその通りだが、実はもっと根本的な問題がある。

 カンナギ殿はカゲシンが諸侯に課す『十分の一税』の詳細はご存知かね?」


「諸侯の税収の十分の一をマリセアの精霊に捧げる、と学問所で習いましたが」


「名目上は、その通りだ。問題は、これが、定額ということだ」


「定額って、固定って事ですか?」


「『十分の一税』は、諸侯の耕地面積と住民数から割り出される。

 その年のその畑の実際の収穫量とは関係ない。

 理論的に期待される農業収穫量による推定税額、その十分の一という意味だ」


 ちょっと、待てよ。

 すんごい話だ。


「ひょっとして、その税額、ずっと昔に定められたまま変わっていないとか?」


「その通りだ。

 税額調査は費用も手間もかかる。

 昔は、十年おきに調査し直していたらしい。

 だが、近年は経費削減の名のもとに、五〇年ほど行われていない」


「あの、それ、戦乱で生産量が低下しているとしたら、諸侯にとってはものすごい増税って事になりませんか?」


「その通り」


「まさか、ですけど、税収が低下することを恐れて再調査しないとか?」


 ザイヌルの顔が歪む。


「もう、誰も言い出すことが出来なくなってしまっている。

 多額の経費をかけた調査で税収が減るという話だ。

 カゲシンの誰も行おうとはしない。

 誰も責任を取りたくないからだ。

 昔は税収が増えるか、悪くても横ばいだったから再調査が行われていた。

 状況が悪化し、税収減を恐れて放置していたわけだ。

 いつか、状況が改善したら再調査を行う、そう言い続けて現在に至っている」


「このままではどうにもならないから、ピールハンマド様に、って事ですか?」


「そう、若く意志の強い宗主と宰相が、トップダウンで改革するしかない」


 確かにそうかもしれないが、・・・いや、ちょっと待て。


「今の話からすると諸侯が税の納入先を変更するって話、信仰心の欠如と決めつけられないですよね?

 重くなりすぎた税負担を軽減する方策でもあるんですから」


「それも、含めて、宗主猊下と宰相閣下の決断が必要だろう」


 ザイヌルは肉の塊をまた一つ飲み下す。


「在地領主は納入額を少しでも割り引いてくれる寺院に税金を入れる。

 最近の相場だと七割から八割だそうだ。

 在地領主寺院は更に経費を引いてカゲシンに入れる。

 カゲシンに入る額は半分以下になる」


「ピールハンマド様が言うようにカゲシン本山への直接納入を強制したら暴動が起きるんじゃないですか?」


「十割納付を強制したら帝国内諸侯の大半が敵に回るだろう。

 少なくとも、税額調査を並行して『適切』な税額にしてから行う必要がある」


「それは、ピールハンマド様には?」


「ピールハンマド様もムバーリズッディーン様も理解されたとは言い難い。

 お二人ともマリセアの正しき教えが復活し、諸侯の信仰心が復活すれば、皆、喜んでカゲシンにお布施すると考えている。

 まあ、私が税額再調査をしたら税額は現在の七割、悪くすれば六割を切ると話したのも大きかったようだが。

 カゲシン直接納入になっても税額は増えない話になるからな」


「ピールハンマド改革の意味が無くなりますものね」


 二人でワインを飲み干す。


「根本的な問題として帝国全土での農業生産の回復、農村の復興という話は、・・・全然できていないようですね」


 新たなワインを店に注文して話を再開する。


「一応、話はした。

 マリセアの正しき教えが復活すれば自然に改善するという結論になったが」


 自嘲気味にザイヌルが笑う。


「私はこれでも『譲緑』だ。

 並よりは信仰心が有る方だと自負している。

 だが、信仰と経済政策は別だろう。

 信仰は労働する民の心を癒すが、畑を癒すには用水路の水が必要だ」


 この人、マリセア正教の信徒だけどそれ以上に数字を信じているんだろうな。


「私の上司に言わせれば、カゲシン財政が慢性的な赤字と認めて、改革を志すようになっただけでも進歩だそうだ。

 以前は、当座は黒字だから、改革など必要ない、という意見ばかりだったらしい」


 確かに、それはそうなのだ。

 単年度で見れば大幅に赤字なのだが、巨大な繰越金のおかげで取りあえずは黒字になっている。


「不思議だったんですが、この巨額の繰越金って何ですか?」


「ああ、それか?」


 算用所のホープは再び肉に立ち向かいながら答えた。


「シュマリナ侯爵の遺産だよ」


 また、分からん話が出てきたな。




「十二年、いやもう十三年前になるか。

 シュマリナ侯爵家が潰された。

 話は聞いているだろう?」


「はい。じゃあ、この繰越金はシュマリナ侯爵家の資産を没収したってことですか?」


「一部はそれだ」


「一部って」


「シュマリナ侯爵家を潰した際に、その係累、縁戚関係の貴族を大量に潰した。

 小規模ながら伯爵家もあった。

 子爵家、男爵家は両手を超える。

 準男爵、騎士爵は無数に潰された」


「では、それらの家の資産ですか」


「一部それも有る」


「・・・まだ、一部、ですか?」


「シュマリナ侯爵家の後には、現宗主弟のクチュクンジ殿下が太守として入った。

 数年後には新たなシュマリナ侯爵になるだろう。

 それで、・・・残りの貴族家はどうなったと思う?」


「・・・ひょっとして、売官ですか?」


「その通り」


 すごい話だな。

 末期的な政策だ。


「正確には売爵位になる。

 帝国国内の貴族の数、特に男爵以上の貴族は新たな皇帝が即位するまで増減しない決まりだ。

 よって、新たに貴族になることは、特に領主貴族になるのは、普通は、不可能だ」


「限定品だから高く売れたってことですか?」


「勿論、名目上はカゲシンに対するお布施だ。

 コネとお布施が多い順に貴族の位が売られた。

 この金額が大きかった。

 現在の繰越金の大半がそれだ」


「つまり、たまたま、シュマリナ侯爵が問題を起こしてくれたから、カゲシンの財政が助かったってことですか」


「たまたま、じゃない」


 肉を口に入れながらザイヌルはまた、爆弾を落とした。


「たまたまじゃないって、まさか、財政問題解消のために無理やり侯爵家を潰したってことですか?」


 五キロの肉の八割を食べ終え、流石にペースが落ちたザイヌルは、一息ついてワインを飲む。


「古い順に言えば、ゴルデッジ侯爵家、コーシュカール伯爵家、レトコウ伯爵家、タルフォート伯爵家、そしてシュマリナ侯爵家。

 カゲシンは主だった物だけでも五つの諸侯を潰している。

 当初の目的は、カゲシンの意に沿わない貴族家を潰し、他の諸侯に対する見せしめにすること、後釜に宗家の者を入れてカゲシンに忠実な諸侯家を作ること、だった」


 その、目的も諸侯からすれば大概だよね。


「二〇年ほど前、カゲシンの国庫は極めて大きな負債を抱え、四苦八苦だった。

 そこに、タルフォート伯爵家の問題が起き、結果として、帝国の財政は大幅に改善した」


「それで味を占めたと?」


「タルフォート伯爵家が潰れてからシュマリナ侯爵家が潰れるまでわずかに五年だ。

 シュマリナ侯爵家、仮にその罪が事実だとしても、カゲシン首脳部が極めて組織的に爵位の売買を行い、莫大な収益を上げたのも事実だ。

 帝国は一気に負債を返済し、尚且つ、莫大な貯金、繰越金を得た」


「シュマリナ騒動は、現在の宗主猊下が即位された直後の話ですよね」


「厳密には先代末期からになる。

 だが、取り仕切ったのは現宗主とエディゲ宰相だ。

 騒動直後はカゲシン内での評判は上々だったらしい。

 諸侯を抑え付け、財政も再建した名君だと」


「外では、悪かったって事ですね」


「当然だ。

 当初は反発を軽視していた宗主だが、次第に拙いと思ったらしい。

 諸侯を懐柔する方向に舵を切った」


「その結果がピールハンマド様に非難される現状という事ですか?」


「そうだな。

 エディゲ宰相は諸侯融和路線には反対だったようだ。

 融和路線が本格化したのはエディゲ宰相の病気からなんだ」


「宰相が病気になって宗主も弱気になったと」


「それもあるし、反対していた宰相の勢力が低下したことも大きい。

 ただ、諸侯融和に反対する宰相も、また、どこかの貴族を潰して財政再建という話はしない。

 流石に、これ以上は拙いという事だろう」


「諸侯が一致して反旗を翻しかねないって事ですか?」


「だから財政再建策を出して来たのだろうな」


「でも、ザイヌル殿はダメだと考えている」


「正直に言ってしまうが、ピールハンマド様の宗教強化によるカゲシン集権化にしろ、クテンゲカイ侯爵なんかが言っている宗教貴族を大幅削減して諸侯の代表に政治を任せるにしろ、弥縫策なんだよ。

 根本的な話として、帝国全体の生産性を改善しないといけない。

 小さくなっていく肉の切り分け方法を変えるだけではだめだ。

 切り分けられる肉を大きくする必要が有る」


 正論だな。

 どのように実行するかが欠けているけど。


「シュマリナ侯爵の遺産は、あと五年ほどで使い切るだろう。

 それまでに抜本的な方策が必要になる」


 ザイヌル夫の肉は完全になくなっていた。

 この世界の貴族の胃袋ってどうなってるんだろう?

 ザイヌル第三正夫人、十三歳ぐらいの娘は、半分以上の肉を持って帰った。

 なんか、ほっとした。






 今回の話で出てきた諸侯の位置については、

 MAP03-01 帝国とその周辺 帝国歴一〇七八年八月

 を参照してください。


 Khoshkar Hex.4120

 Goldege Hex.1817

 Retcowe Hex.2021

 Tarfort Hex.2621

 Shumarina Hex.3721

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