05-12 選んで欲しいと頼んだ訳では有りません

 宗主猊下は『それなり』に回復した。

 食事制限して、利尿をかけたら、大量に排尿が有り、それで魔力産生が復活したらしく、意識レベルはかなり良くなった。

 良くなったら良くなったで、要求が酷くなったが。

 もっと食事を、もっとスペシャルドリンクを、そして、もっと女を。

 食事と飲み物に関しては厳重な制限をかけ続けたが、女はダメだった。

 女性たちに『奉仕させるだけ』ならよいのでは、とのエディゲ宰相の擁護もあり、シャイフはしぶしぶ許可した。

 口と指で奉仕だけって、子づくりと関係ないというか、単なる女好きとしか思えないが、・・・一日でも早く子づくりを再開するための準備だそうで、・・・物は言い様だ。


 ただ、過度な興奮は心臓に負担との論理を掲げ、一般的でないプレイは全て禁止した。

 困ったことに宗主猊下は『一般的』では全然満足できないようで、・・・だから、興奮したらダメだって言っただろ!

 で、どこまでが一般的で、どこからが一般的でないか延々と論議する羽目に。


「この鞭は、叩けば音は派手ですが、実際の痛みはそうでもないのです。

 これなら使用してもよろしいのでは有りませんか?」


「そもそも、興奮する状況になるのが医学的に良くない訳でして、・・・」


 宗主乳母の条件闘争にシャイフが一つ一つ反論していく。

 シャイフが死んだ魚の目になっているのが哀れだった。


 そんな医師団の奮闘もあって、この日、遂に宗主猊下は外出となった。

 外出と言っても、宗主の居住区から本堂前広場まで。

 移動は輿、宗主の威厳を保つとの名目で歩行は止めさせた。

 一応、立ち上がる事は出来るようになったが、大事を取った。

 極めて近距離の外出だが、万全を尽くして損はない。

 医師団の一人としてオレも当然のように招集された。

 ハトンを連れてシャイフの後ろに陣取る。

 割合に聞き分けの良い赤毛のブローニングは、ナディア姫の側近業務に送り出し、八九式は・・・体で説得した。

 一回、失神させれば三~四時間は動けなくなるし、家に放置しても文句は出ない。

 至極便利、・・・ジャニベグの罠に嵌まっている気もしないではないが、宗主の前にアレを連れていく危険を考えると致し方ないだろう。




 本山前の広場で宗主と対面したのは一人の痩身の青年だった。

 名をアーガー・ピールハンマドという。

 カゲシン貴族に典型的な茶色の肌と紫色の髪、茶色の瞳、年齢は二十四歳と聞く。

 彼は『千日行』達成者であった。


 カゲシンの三大行で最高、そして最難関の修行が『千日行』である。

 カゲシンのお山の頂上に『奥の院』と呼ばれる建物が有る。

 その奥の院に寝泊まりし、毎日、そこから中腹にあるカゲシン『本堂』に下り、本山で発行された日付入りのお札を奥の院に持ち帰り奉納する、というのを千日間続ける修行である。

 カゲシンのお山だが、三千メートルを遥かに超え、四千メートルに近いという。

 富士山を超えて新高山ぐらいあるわけだ。

 カゲシン本堂は四~五合目らしいが、ここから奥の院までは夏場の登りで七~八時間、下りで四時間程度かかる。

 建前では、経を唱えながら往復することになっている。

 一回の往復だけでも大変だが、これを連続千日である。

 当然ながら『冬』がある。

 中腹の本堂でも結構な積雪量が有るのだ。

 補助の人間は認められているが、厳冬期の登山は地獄だろう。

 一応、どうしてもという時は休みも認められているが、一日休むと修行期間が十日間延びるという規定。

 簡単に休むという訳にもいかない。


 初めて内容を聞いた時には絶句した。

 吹雪の日に前近代的な装備で四千メートル近い山に登る・・・自殺願望でもあるのだろうか?

 これ、下手しなくても死者が出るのではと聞いたら、過去何人も死んでいるらしい。

 吹雪で道を見失って凍死とか、滑落してあっさりとか、・・・止めろよ、こんな修行。

 だがしかし、恐ろしいことに現在も継続されていて、いまだ挑む者もいるらしい。

 当然ながら達成者は少ない。

 今回のアーガー・ピールハンマドは、実に三十年振りの達成者だという。

 ちなみに、一〇〇〇日どころか、一三〇〇日以上かかったらしい。


 確かに、すさまじい偉業である。

 ただ、・・・宗主が自ら出迎えねばならない程なんだろうか?

 宗主だけではない。

 宗主の成人している息子二人、帝国宰相、その他、政府のお偉方が大挙してきている。

 まあ、宗教系が多いが。

 クロスハウゼン家などの自護院系列は来ていない。

 シノさんたちセンフルール勢もなしだ。

 基準は、良く分からん。




 ピールハンマド氏は広場に到着すると、宗主の前で膝をつき、修行達成を報告。

 これに対し、宗主が自ら『正赤』のストアをその首にかけて祝福した。

 周囲から盛大な拍手と歓声、マリセアの正しき教えへの賛美が繰り返される。


「ふぉ、ふぉ、アドッラティーフよ。

 其方の跡継ぎが、ふぉっ、出来てうれしいの」


 歓声が一しきり収まったところで宗主が宰相に声をかけた。

 宗主は、体重が減り、心不全は改善傾向だが、未だに息切れが続く。


「不肖の身が修行を終えてから三十六年、もはや老害と言われてもおかしくない年となりました。

 生きて千日行達成者を見ることは無いままに朽ち果てていくのかと諦めておりました。

 それが、名門アーガー家から達成者が出るとは。

 本日は誠に良き日にございます」


「うむ、ふぉっ、余も、其方も、ふぉ、年を取った物よのう」


 えーと、宰相も千日行達成者ってことかな。


「猊下、猊下はこの身よりもずんとお若い。

 先日はネディーアール殿下も『正緑』を取られました。

 まだまだ、これからでございます」


「いや、此度の病はいささか堪えた。

 ふぉ、ふっふっ、だが、ピールハンマドよ、其方を得たのは大きな収穫であった」


 ピールハンマドが無言で頭を下げる。


「ふぉ、アドッラティーフよ。

 老体に悪いが、ふっ、其方にはまだ仕事が残っておる。

 はぁ、はぁ、ピールハンマドを我が息子を先導する者として鍛えるのだ。

 五年、いや、二年で仕上げよ」


「ははっ、謹んで」


「ふぅお、ピールハンマドよ、我が息子を頼むぞ」


「はは、全身全霊を以ってお仕えいたします」


 宗主の言葉に二人がかしこまる。

 良く分からないが、これって、ピールハンマドが次の宰相ってことだろうか?

 確かにすごい修行をしたと思うが、それでいきなり宰相って、・・・流石に、・・・ああ、宗主息子の補佐役になるってことかな。


「はぁ、これで、余も少しは安心という物よ」


「猊下、その前に一つ、区切りが」


 宰相の言葉に宗主が、思い出したという顔をする。


「おお、そうだのう。ふぉ、サイウッディーンは?」


 宗主が言葉を発するが反応が無い。


「アーガー・サイウッディーン殿、猊下の前に!」


 宗主の脇に控えていたエディゲ乳母が金切り声で叫ぶと、観念したように一人の中年男が宗主の前に進み出た。


「ふぅ、サイウッディーンよ、アーガー家も良い若者を得たの」


「はは」


 中年男はかしこまるが、その後の言葉が無い。


「はぁ、サイウッディーンよ、其方も良い年であろう。

 ふぅ、そろそろ、ふぅ、隠居を考えても良いのではないか?」


「まだ、五〇前でございます。

 まだまだ、猊下のお役に立ちたいと、こいねがっておる次第でございます」


 男の返答に宗主が苛立った表情を見せる。


「ふぅ、サイウッディーンよ、其方、ふぉ、今の位階は?」


「は、権少僧正にございます」


「それで良いのか!」


 宗主が奇声に近い大声を上げる。


「必ずや近いうちに少僧正、僧正と登るべく鋭意努力しております」


 周囲がざわめく。


「サイウッディーンよ、猊下は、アーガー家はピールハンマドという良い跡継ぎを得たのであるから、早めに家督を譲ってはどうかと仰せになっておるのだ」


 エディゲ宰相が割って入る。


「ピールハンマドならば、直ぐにでも少僧正、権僧正と登るであろう」


 中年男は動かない。

 額から滝のように汗が流れ、紫色の髪がべったりと張り付いている。


「サイウッディーンよ、其方では僧正どころか、少僧正も無理だ。

 このままでは名門アーガー家は朽ち果てる」


 宰相がサイウッディーンの肩に手をかける。


「だが、ピールハンマドに家督を譲れば全てはうまくゆく。

 猊下は良き家臣を得られるし、其方は権大僧正の父として安泰な余生を送ることが出来よう。

 考えるまでも無い。

 違うか?」


 紫色の髪から汗が頬に伝い、顎先からしたたり落ちる。




「先生、あの男は?」


 隣のシャイフに小声で尋ねる。


「アーガー家の現在の当主だ。

 だが、能力に乏しく人柄にも魅力は無い」


「でも権少僧正なのですよね?」


 権少僧正と言えば侯爵に準じる。

 貴族としてはかなり高い位階である。


「アーガー家は僧正家の一つで、エディゲ家と同様に帝国宰相を出す家だ。

 その当主が四〇過ぎなら普通は僧正だろう。

 権僧正どころか、権少僧正では話にならぬ。

 猊下やエディゲ宰相からすれば、ピールハンマドという俊英が現れたのだから、とっとと家督を譲れということであろう」


「逆に言えば、家督を譲らせる必要が有るという事ですか?」


「ピールハンマドはサイウッディーンの甥、異母弟の息子になる。

 現在のピールハンマドはアーガー家の分家、僧都家の当主に過ぎぬ。

 僧都ではいくら千日行達成者でも帝国宰相にするのは無理がある」


 僧正は確か公爵と同格で少僧正は侯爵。

 対して僧都は子爵と同格だ。


「サイウッディーン殿は、渋っているようですが」


「サイウッディーンには息子がいる。

 ピールハンマド殿を養子に迎えて家督を継がせると、息子は廃嫡になる」


「ひょっとして、息子も出来が悪いと?」


「父親に輪をかけて酷い。

 シャーフダグ、其方も良く知っているであろう」


 あいつか。

 施薬院の元学生で、美人局だけ頑張っていた、オレの元生徒だ。




「サイウッディーンよ、先日、其方に『相談』した際には良い返事が聞けたと思っていたが、あれは、わしの聞き間違いだったのかな?」


 エディゲ宰相は跪いているアーガー家当主の肩に載せた手を緩やかに動かしながら、低い声で問いかける。


「其方の息子、女向けの売春宿に出入りしていたとの噂があるのう」


 サイウッディーンの顔が引きつる。


「客の女の相手をして小銭を稼いでいたとか。

 自ら、女向けの売春宿に入り、怪しげな薬を使い、快楽に耽っていたとの話をする者までいた。

 あくまでも噂、わしは信じてはおらぬよ。

 だが、もし、仮に、だ。

 それが真実であれば、そのような不埒な男はカゲシンから所払いに処する必要があるであろうな」




「あの、シャーフダグは、家督を外されたと聞いていましたが?」


 再び小声でシャイフに尋ねる。


「売春宿騒ぎの後、施薬院を退所し、位階は大律師に下げられた。

 もはや、貴族としての出世は絶望的であろう。

 アーガー家の家督など論外だから、直ぐに廃嫡と世情では噂されていた。

 だが、父親は諦めず、何とか復帰させようと、周囲にとりなしていたらしい。

 性病騒ぎの頃に私の所にも挨拶に来ていた」


 馬鹿な子ほどかわいいってヤツかな。

 そうまでして守って来た息子を廃嫡にするのは、確かに辛いだろう。

 サイウッディーンは、それでもしばらくの間、躊躇していたが、やがて、観念したらしく、下を向いたまま、声を絞り出した。


「猊下のご意向に沿うべく、アーガー家の継嗣にピールハンマドを迎えるよう手配いたします」


「継嗣に迎えたのち、速やかに家督を譲る、・・・そうだな、少なくとも十日以内としよう」


 宰相の追撃にサイウッディーンは力なく同意した。

 宗主が機嫌よく頷き、用が済んだとばかりにサイウッディーンは退出させられる。

 哀れだが、事前に打診されていたのなら、この場では儀式に徹するべきだったと思う。

 今更、抵抗しても無駄だよね。


 宗主と宰相の挨拶が終わると、続いて、二人の公子がピールハンマドに声をかける。

 更に、政府重鎮らしき顔ぶれが次々に祝いの言葉を述べていく。

 ・・・良く分からんが、すさまじいな。

 なんで、こんなにとは思うが、プロ・スポーツで殿堂入りの選手に政治家やマスコミがちやほやするのと似ているかも知れない。

 一通りの賞賛と儀式が終わり、宗主がまた、輿に乗せられる。

 色々とあったが、時間的には三〇分とかかっていない。

 宗主の健康に留意したのだろう。




 儀式が終わり、宗主が帰るので当然オレも、と思っていたら、何故か引き止められてしまった。

 引き止めたのはエディゲ宰相の部下だ。

 シャイフも行けというので、ハトンと二人、案内人に従う。

 行ってみれば、近場の建物で、エディゲ宰相がピールハンマドに人を引き合わせていた。

 横には十名余りの男が列を作っている。

 何故か、オレもその列に並ばされた。

 見知った顔は全くない。

 年齢は、二〇台前半と思しきものが多い。

 所属組織は様々。

 数名は、横に上司らしき人物がいて激励している。

 宰相たちが話しているのは衝立の向こうで、距離もそれなりにある。

 魔法で、音を増幅してみると、・・・どうやら、宰相が選抜した各方面の『前途有望な若手』をピールハンマドに紹介しているらしい。

 えーと、・・・逃げていいかな?

 目立ちたくない、・・・紹介されるだけならいいかね?

 貴族社会でコネができる事は悪くない。

 でも、何となく危ない感じもするし、・・・。

 迷っているうちに、順番になってしまった。

 決断力低いな、オレ。


 アーガー・ピールハンマドは近くで見ると、如何にも修行者といった外見だった。

 瘦身の体に贅肉は全くなく、落ちくぼんだ眼窩には強い光を宿した瞳が埋まっている。

 ある意味、宗主と真逆だ。

 あちらは、贅肉だらけの体にどんよりとした眼だからな。

 ただ、どちらも瞳に強い意志、と言うか、欲望を宿している点で共通していると思えるのは何故だろう。


「これは、カンナギ・キョウスケという。

 自護院と施薬院に所属し、どちらでも目覚ましい実績を上げている十六歳だ」


 紹介され、良く分からないままに前の人間を真似て跪いて挨拶する。


「アーガー・ピールハンマドという。

 良しなに頼む。

 しかし、そのストア、まさか、百日行達成者か?」


「その通りだ」


 エディゲ宰相がオレの肩を叩く。


「まさか、十六歳で達成とは!」


「うむ、それだけでも大したものだが、カンナギは前代未聞なのだ。

 其方も、先日、ネディーアール内公女殿下が百日行を達成された話は聞いたであろう」


「はい、宗主一族から久方ぶりの百日行達成、大変に目出度い事です」


「その、ネディーアール殿下の補助をしていたのがこの者だ」


 ピールハンマドが戸惑う。


「仰せになる意味が分かりませんが。

 何故、補助をしていた者が正緑のストアを?」


「簡単な事だ。

 内公女殿下の補助として修行堂に入り、殿下と共に百日間修行を全うしたのだ」


 痩身の若者の目が見開かれる。


「何ですと、まさか、そんな馬鹿な!」


「その、まさかよ。

 カゲシンの歴史は二百年を超えるが、百日行で補助として入った者がそのまま百日間全うした例は皆無だ。

 今回、ネディーアール殿下には恒例によって二人の補助者が付いたが、最初の三人がそのまま百日間を全うした。

 前代未聞の快挙だ」


 すいません、いやに褒められている気がするのですが、帰っていいですか?


「もう一人の補助者、モローク大僧都家の娘も、なかなかであったが、三人が三人ともに修行を全うできた最大の功績者はカンナギであったと皆が認めている。

 修行を厭い、さめざめと泣いていた内公女殿下を宥め、抱きかかえて修行堂に入ったのがカンナギなのだ」


 えーと、亜空間ボックスを最大限活用して、目一杯ズルしてたんですが。

 あと、内公女殿下はさめざめと泣いていたことは一度も有りません。

 野生のマントヒヒより酷かったです。

 抱き心地は良かったですが。


「なんと、自分の修行を継続するだけでなく、内公女殿下の補助を百日間継続していたのですか?」


「ネディーアール殿下は当初、渋っておられたが、カンナギが補助に付くのであれば修行に入ると申された。

 そうでなければ、しないと。

 殿下の乳母もそれに同意し、カンナギを出先から急遽、呼び戻した。

 報告を受けた時は理解に苦しんだのであるが、蓋を開けてみれば納得よ。

 内公女殿下が補助者二人と共に三人揃って三〇日を突破したと聞いた時は、監視役に何度も確かめたほどだ」


「なんと、・・・」


 ピールハンマドが絶句する。


「では、まさか、其方は内公女殿下と共に百日間、経を唱え続けたというのか!」


「それだけではない!」


 帝国宰相が言葉を被せる。


「勿論、カンナギは内公女殿下と共に経を唱えていたであろう。

 だが、経を計測する魔道具には信じられない事実が残されていた。

 ネディーアール殿下、並びに、もう一人の補助であるモローク家の娘の経を唱えた回数は一日平均で二七〇から八〇だ。

 修行中はどうしても何時間かは力尽きて、意識が落ちる。

 この程度の数字になるのは致し方ない。

 百日間持続できただけで立派なのだからな」


 ピールハンマドも大きく頷く。


「私も三〇〇を超えたぐらいでした」


「歴代の達成者を見ても一日平均で三〇〇を超えた者は数人。

 だが、カンナギは三〇〇を下回ったことがほとんど無い。

 驚くべきことに四〇〇を超えている日が何日もある。

 平均は三五二回だ」


「三五二回!」


 ピールハンマドだけでなく、彼の後ろに控えていた従者までもが驚愕した表情になる。


「勿論、歴代最高だ。

 カンナギは内公女殿下たちが意識を無くしていた間も、経を唱え続けていたのだ」


「凄まじい記録ですな。本当ならば、歴代で最も熱心に修行したことになる」


 誰だよ、何、記録なんか作ってんだよ!

 三五二って、そんなオマハで待ち構えてそうな数字、達成してどーすんだよ!


「計測の魔道具は入念に照合されている。

 間違いはない。

 恐らく、修行堂で最もマリセアの真なる正しき精霊に近づいたと言えるであろう」


 すいません、本当にすいません。

 夜の間、本を書きながら、時計のベルに合わせて『マリセア』と半ば自動的に叫んでいただけです。

 マリセアの精霊に近づいてなんていません。

 そもそも、近づきたいとも思ってません。

 まさかこんなことになるとは、・・・滅茶苦茶、拙くないか?

 驚愕に満ちていた痩身の若者の目が、警戒を帯びた色に変わる。


「カンナギと言ったな。其方、聞かない名字だが、どこの諸侯の身内か?」


 エディゲ宰相が笑う。


「聞かないのも道理、カンナギは平民出身だ。

 カンナギという名字自体が、ネディーアール殿下により与えられた物と聞く」


「平民出身ですか?」


「そうだ」


 エディゲ宰相がピールハンマドに向き直る。


「カンナギは平民の出で、ネディーアール殿下の系列であるクロスハウゼン家によって拾われた者だ。

 今後、千日行を達成したとしても帝国宰相には成れぬ。

 つまり、ピールハンマドよ、其方のライバルにはならぬ」


 ピールハンマドが、安心したような表情になる。

 えーと、ひょっとして、オレ、ライバル視されてたの?


「カンナギは現在、自護院と施薬院に所属し、それぞれで優秀な成績を修めている」


「百日行を優秀な成績で達成できた者であれば不思議でも何でも有りませぬな」


「カンナギは平民出身故に、このままではそう出世は望めぬが、其方が後見して千日行まで達成させれば大僧都程度は軽い。

 うまくやれば少僧正まで行けるかもしれぬ」


 あの、すいません。

 オレ、そんなに出世したくないんですが。

 健康で文化的な最低限度の生活ができればいい訳でして。


「現状、千日行が達成できそうな若者はカンナギだけであろう。

 カンナギが千日行を達成すれば、其方の腹心、代理人として重用しても文句は出ない筈だ」


「なるほど、千日行達成者であれば、政治的にも思想的にも信頼できます」


 あのさ、同じ修行したってだけで信頼していいの?

 最澄と空海は喧嘩別れしたって聞いたし、日蓮の六老僧も分裂してるよ。

 中世のカトリック枢機卿なんて毒殺者送り合ってたらしいし。


「幸い、カンナギは性根も良い。特に女の趣味が良い」


 はい?

 何か勘違いされてないか。

 慌てて、声を上げる。


「宰相閣下、自分は、その、必ずしも好みの女性と婚約したわけではないのですが」


 露出狂が好みとか言われたら死ぬぞ。


「ああ、政治的なしがらみで押し付けられた女に関しては致し方ない。

 わしが言っておるのは、其方が自ら選んだ女についてだ」


 えーと?

 宰相がハトンに向き直る。


「其方、商家の娘だそうだな。今は何歳になる?」


「十二になりました」


「婚約したのは何時だ?」


「昨年の十二月です。十一歳でした」


「もう、手は付いているのか?」


「まだ、です」


 ハトンが顔を赤らめる。


「ですが、毎日、ご奉仕させて頂いていますし、口で飲ませてもらっています」


 すいません、オレの方も顔真っ赤です。

 こちらって、この辺りの表現が生々し過ぎるんだよ。


「其方、わかっているな!」


 と、突然、ピールハンマドがオレの手をつかんできた。

 両手でオレの手をつかみ、ぶんぶんと振り回す。


「素晴らしい、素晴らしいぞ!

 純真無垢の娘を引き取り、徐々に仕込んでいくのだな!」


 いや、誰がそんな鬼畜なことするって言ったんだよ!


「こちらの娘は宰相閣下の嫡孫になる者でな、十二歳から私に仕えてくれている」


 ピールハンマドがいきなり自分の従者の紹介を始める。


「こちらは、宰相閣下の側夫人の娘だが十一歳の時から仕えてくれている」


 十一歳と十二歳って、・・・宰相閣下の娘と孫って、・・・。


「ここにいるわしの従者二人も、それぞれ十一の時に譲り受けた娘だ」


 宰相がドヤ顔で自分の従者を紹介する、って、アンタもか!


「カンナギ、其方は本当に分かっているな。

 私がこの真理を知ったのは十七の時、先の宰相閣下に教わってであった」


 宰相のドヤ顔がうざい。

 いや、分かりません、分かっていません、分かりたくも有りません。


「私も閣下にご教授頂いて知りましたからな。

 教わることなく、自ら真理にたどり着くとは」


 ピールハンマドが頻りに頷く。

 真理ってなに?

 ロリコンの真理?

 宗教国家の宰相と、その後継者がロリコンっていいのかよ。

 ロリコン正教って改名した方がいいんじゃね?


「うむ、確かにカンナギは信頼できる男ですな」


 ひょっとして、オレって修行仲間兼ロリコン仲間ってことで信頼されてんの?

 正直、心外なんだが、・・・。


「ピールハンマドよ、わしが統治上、最も苦労したのが自護院だ。

 クロスハウゼンとナーディルは、修行には参加するが、布教には積極的ではない。

 ベーグムはニクスズ派に所属したが、修行は碌にしない。

 マリセアの正しき教えを広めるうえで頼りにならぬ」


「ベーグム師団は先だって龍神教を討滅すると出陣し、果たせず帰還したと聞きました」


「建前では勝利だが、内実は痛み分けだ。論外だな」


 ロリコン宰相が吐き捨てる。


「自護院の者は現世利益に目が行き過ぎている。

 そこでだ。

 カンナギを引き立て、自護院に其方の、マリセアの正しき教えに忠実な部隊を作ることが出来れば、統治に大きな助けになるであろう」


「なるほど、千日行達成者に自護院を統率させるわけですな!」


「現実問題として自護院の全てをカンナギに指揮させることは無理だろう。

 だが、一個連隊程度であれば何とかなる。

 うまく行けばどこかの師団長に押し込めるかもしれぬ」


「一個連隊あるだけでも随分と楽になるでありましょう」


 ロリコン後継者がキラキラした目でオレを見つめる。


「カンナギ、マリセアの正しき教えに殉じる者として、期待しておるぞ!」


 ちょっと待て、オレが部下になる前提なの?

 ロリコン認定の後は、下僕認定でしょうか?

 オレ、あんたらに世話になった記憶はないんだが。

 高貴な俺様の下僕になれてうれしいだろ、ってことですか?

 あのさー、世の中、ある程度ギブ・アンド・テークだよ。

 武士の言葉で言えば御恩と奉公だ。

 施薬院のシャイフ、自護院のクロスハウゼン、それぞれ働いた分だけ報酬はくれるよ。

 それなりに地位を与えられてもいる。

 あの我儘ネディーアール姫様だって、それなりに気遣ってくれている。

 何よりカワイイ。

 センフルール勢に至っては、客観的に見て世話になっている方が多い。

 ちょっと血を吸わせるだけで、あの食事が当たるのはかなりお得だ、何より美人だし。

 対して、こいつらは美人でもなければ可愛くも無い。

 左半身不全片麻痺のジジイと、思い込みが激しい狂信的若造のロリコン・コンビだ。

 勝手に人を下僕扱いしといて、何様のつもりだろう。

 だから、オレはきっぱりと宣言してやった。


「不肖の身ではありますがご期待に沿えるよう誠心誠意、努める所存です」


 ・・・うん、考えてみれば、帝国宰相様と、その有力後継者様なんだよな。

 この世界の権力者って平気で首チョンパするからな。

 むやみに怒らせていい存在じゃない。


 さて、これから、どうやって疎遠になろう?

 オレ、宗教的熱狂からは一番遠いと思うし、壇上に立って説教なんてしたくない。




 オレは百日行を達成してしまった事を心底後悔しながら、露出狂が待ち構える家に帰った。

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