04-15 会議が好きな人っているよね

 クテン市からキニーネの第一陣が届いたのは会議から五日後の事だった。

 ものすごく早い。

 レトコウ伯爵は当日中に手紙を書いて早馬を送り、翌日にはクテンに届けたという。

 更にその翌日には伯爵の実母がクテン市に赴き、侯爵に薬を『懇願』したらしい。

 この伯爵さま、意外と有能だ。

 高額の薬代を支払ったようで、クテン侯爵はこれだけでも結構な儲けだろうとバフラヴィーは言っていた。


 清潔な水が手に入った事、湿地を埋め立てた事で新規感染者が激減。

 マラリアの流行も沈静化した。

 数百人死んだけど。

 患者数が千人を超えていたのだから、オレだって出来ることは限られる。

 トリアージはきっちりやった。

 下手に全員助けるなんてお花畑をやると助かる者も助からなくなる。

 更に言えばトリアージ基準は一律ではない。

 平民にはきつく、貴族には甘い。

 現実問題として、十以上の家族や家来を養っている貴族と、それに養われている使用人では前者を優先するしかないのだ。

 騎士爵家の当主が死んで家が取り潰しになれば、使用人の多くが路頭に迷う。

 この世界において命は平等では無い。

 具体的には、男性士官は全員助けた。

 結果としてレトコウ伯爵たちからは異様なほど感謝された。

 伯爵は勿論、あちこちの子爵とか、男爵とか、準男爵とか、騎士とかから個人的に感謝され、褒美の金を貰った。

 褒賞金は貰ったその場で、共同代表であるウルスト医師に半分渡し、タイジやハナにも一部を渡している。

 治療の主体はキニーネだが、二次性肺炎などキニーネだけで対処できない所も多く、抗生剤や解熱鎮痛剤などを使用したが、その辺で頑張ってくれたのがタイジたちである。

 ちなみにウルストの部下が自分にも分け前をよこせと言ってきたので、ウルストに半分入れてるからそっちから貰えとオブラートに包んで言ってやったら、何故か騒動になった。

 ウルストは貰っていないと白を切ったらしい。

 部下は再び、のこのことオレの所にやって来た。

 だが、オレは褒美を受けたその場で分けている。

 目撃者多数な訳で、・・・こいつら馬鹿じゃなかろうか?

 ウルストもそうだが、ろくに働いていなかった部下も。

 あと、自分たちに婚姻の話が来ないのはおかしいと言われてもね。

 オレ自身は迷惑してんだよ。

 いきなり田舎の騎士の婿になれとか、子爵の娘を娶れとか言われても戸惑うしかない。

 大半が筋肉系で、残りは栄養不良のガリガリ。

 魔力ゼロで、マッチ棒スタイルでは、小指すら動かん。

 個別に断るのが困難になり、若旦那と姉御に泣きつく羽目に陥っている。

 またこれでいらぬ借りが増えてしまった。

 タージョッの件と合わせて憂鬱の二乗だ。

 しかし、騎士爵家の婿の話を譲れとか言われても、・・・これって譲る話なのかね?




 ところで、こちらの牛乳だが、・・・やたらと薄い。

 こちらの牛は文字通り『草』しか食べていない。

 濃厚配合飼料なんて無いから乳脂肪分が極めて低い。

 何でこんな話をしているのかと言えば、患者の体力回復のために『麦粥』を作ったからだ。

 軍用のガチガチに硬い黒パンは高熱で衰弱した患者には酷だ。

 千人単位の患者に与えられる、経済的で消化の良い食事をと考えて『麦粥』を作ったが、試作品に驚愕した。

 カナンに来て牛乳を飲んだことが無かった訳じゃないよ。

 オレが飲んでいた牛乳は貴族用の高級品だっただけの話で。

 え、何で突然、『麦粥』の話なのかって?

 オレたちがここに到着してから十日余り。

 帝国軍というか、こちら側の状況は大幅に改善した。

 俺が掘削した溜め池から水路を開設し、新鮮な水をレトコウ市と自軍に確保することができた。

 近隣の高地を崩して湿地を埋め立て、蚊の発生が減少しマラリアの新規発生も低下、それにより軍の状況が改善しただけでなく、作戦を阻害する地形的制約も消失していた。

 ついでに、マラリアが沈静化し、新たな水源が発見されたという報告に、出兵を躊躇していた近隣諸侯が反応。

 兵を送って来た結果、兵力も増加していたのである。


「ならば、後顧の憂いなく攻勢に出ることが可能であろう」


 ベーグム師団長は至極当然といった風情で幹部を召集し宣言した。


「閣下、我らは、レトコウ伯爵たち地域諸侯と龍神教徒の諍いを仲裁する目的でここに来ていると考えますが」


 バフラヴィーが渋い顔で提言する。


「異教徒の野蛮人に理詰めで話など無駄であろう。

 誰が主人か力で分からせてやるのが一番だ」


 マザコン猪が父親に呼応して吠える。


「ベーグム閣下」


 レトコウ伯爵も渋い顔だ。


「私は先日、クテン侯爵に頭を下げて薬を分けて貰ったばかりだ。

 その際に侯爵からは、今回の件は穏便に解決するよう要請され、受け入れている。

 ここで、攻勢に出れば我が家とクテン侯爵家は完全に断絶するだろう。

 とても賛成はできん」


「それは、問題ない」


 ロリコン猪がニヤっと笑う。


「龍神教側から攻撃を仕掛けてきた事にすれば良い。

 我らはそれに反撃するだけだ。

 それであればクテン侯爵も文句は言えぬであろう」


 あーその手か。

 地球の歴史でも良く有ったな。

 敵が攻撃してきたから『やむなく反撃』して、何故か全軍準備万端で敵国全土を蹂躙とか。

 でも、大体ばれるんだよね。

 露見しないと考える方がどうかしている。

 案の定、レトコウ伯爵も渋い顔だ。

 バフラヴィー夫妻は、呆れてポカンとしている。


「あー、ベーグム閣下」


 伯爵が苦り切った表情で発言を求める。


「すまないが、我が軍は戦える状況ではない。

 兵士はマラリアから脱却していないのだ」


「そんなはずは無かろう。

 兵士たちの命は問題無いと報告を受けている。

 そうだな、ウルスト」


「はい、大半の兵士のマラリアは治癒しております」


 伯爵の抗弁にベーグム・ロリコン閣下が激高し、それにベーグム師団主席医療魔導士が答える。

 で、またオレが『専門家』として説明する羽目に陥った。


「えー、確かに、マラリアの蔓延は沈静化しつつあり、特に士官の患者についてはほぼ全員、生命の危機からは脱したと言って良いでしょう。

 ですが、命の問題が無くなったということと、軍人として戦えるのかというのは全くの別問題です」


 バフラヴィーと伯爵が目で頷くのを確認して言葉を続ける。


「マラリアで高熱を発した兵士の体力は著しく低下しております。

 彼らが体力を回復し、戦える体になるにはかなりの日数が必要でしょう」


「別に、兵士の全員が病に感染していたわけではあるまい。

 重症患者は千人かそこらだと聞いている。

 体力の低下した兵士は後方勤務に回せばよい。

 大半の兵士は戦えるはずだ」


「はい、マラリア患者は全部で二千人程、そのうち重症者は千人程です。

 ただ患者の八割がレトコウ伯爵軍です。

 更に、キニーネの問題があります」


 猪親子に加えてウルスト医師までが怪訝な顔をしている。


「キニーネは大変に有用な薬であり、マラリアの治療だけでなく、予防薬としても使用できます。

 レトコウ伯爵軍の大半は何日もの間、蚊が大量発生した湿地帯の近くで野営していました。

 つまり、ほぼ全員にマラリア感染の疑いがあります。

 よって、レトコウ軍の大半に現在、キニーネの予防投薬を行っております」


 報告しといたんだけどな。

 どうやら理解していない、・・・多分、報告を任せたウルストが理解していなかったのだろう。


「キニーネには、残念ながら大きな副作用があります。

 主だった物としては視力症状と消化器症状です」


「何がどうなるというのだ?」


 マザコン子猪がイラついた声でがなり立てる。


「目が霞んで物が良く見えず、吐き気が強くて食事が喉を通らない、そういう状態です」


「それでは戦えぬではないか!」


 ロリコン猪閣下もがなり立てる。


「はい、戦えません」


「何人がそのような状況なのだ?」


「レトコウ軍の大半が薬を内服しています」


「そんな害のある薬をわざわざ飲ませる必要などあるのか?」


「はい、あります。

 キニーネの副作用は強烈ですが、マラリアを発症するよりはマシだからです。

 命の問題になるより、強烈でも副作用を受け入れるしか有りません。

 薬の手配の問題で、予防投薬は段階的に行っています。

 全ての兵士の予防投薬が終わり、彼らが薬の副作用から脱却して体力を回復するには少なくとも十日、恐らくは二〇日以上、可能であれば一か月は欲しい所です」


 正直な事を言えば、全ての患者に副作用が出るわけでは無い。

 ただ、こーゆーのは大げさに言っとくのが基本だ。

 治癒完了予定は長めに伝える。

 患者家族は、予定より早く治る場合は文句を言わないが、長引く場合は怒り狂うのだ。


「今現在、兵士たちの健康改善、体力回復のために医師団一同、尽力しております。

 先日、ベーグム閣下に牛乳の調達をお願いしたのもその一環です。

 麦を牛乳で煮込むことにより、消化の良い麦粥が出来ます。

 黒パンを受けつけない兵士でも麦粥なら食べることが出来、体力回復が早くなるのです。

 閣下のお慈悲には大変感謝しております」


 きつい事を言っといて、多少、持ち上げておく。

 ある程度のご機嫌取りは必要経費だ。


「しかし、それでは、現状、レトコウ軍の兵士は何の役にも立たない、ということではないか!」


 今度はマザコン猪だ。


「そんなことは有りません。

 体力が無くても兵士の頭数は有るのですから並んで陣を敷いて敵を牽制するには充分でしょう」


 ベーグム司令部での会議はなし崩しに終了した。

 マザコン猪は最後まで攻勢を主張してがなり立てていたが、再び母親に慰められ、泣きながら抱き合っていた。

 ・・・大丈夫か、コイツ。


 ところで、奥様、旦那の目の前で、息子と抱き合ったままの状態で「今夜、私の所に来なさい。良いお酒を用意しましたから」などとオレを誘うのは止めて欲しい。

 どーゆーシチュなんだよ。

 こっちの常識が分からんというか、・・・オレ、やっぱ、カゲシン貴族として生きて行くのは無理だな。

 姉御がやんわりではなく、断ってくれたが、帰り道では「私に感謝してもいいのよ」とか言われるし。




 自分の部隊まで戻って一息つく。

 レトコウ軍の治療は軌道に乗ったので大半は伯爵家の医師たちに任せている。

 彼らの活躍の場をこれ以上奪うのは拙いからね。

 レトコウ伯以下のお見合い攻勢を避ける意味もあるが。

 まあ、ともかく、自分のテントでまったりする。


「で、キョウスケ、これ、なんなの?」


「これか?これは『蚊取り線香』、それの試作品だな」


 陣地には結構な数の商人が来ている。

 部隊には輜重部隊、つまり補給部隊が付属しているが、長期遠征で全てを自前で用意するのは不可能だ。

 それを補うのが商人であり、彼らから見れば商売のチャンスだから、公式・非公式合わせて膨大な数が来ている。

 その中にはタイジの出身部族であるガウレト族のキャラバンや、ハトンの実家であるダウラト商会も含まれていたわけである。

 オレは彼らに声をかけて線香職人を紹介してもらい、蚊取り線香の試作に取り組んでいた。

 ちなみに不足していた『蚊遣り薬』はキニーネと同時にクテンからもたらされている。


「この渦巻き型の形は何なの?」


「長時間持たせるためだな。

 真っ直ぐだとすごく長くなるだろ。

 八時間ぐらいもつのを目指している」


「えーと、線香が燃えて、その煙に蚊遣り薬が含まれているって事?

 八時間も持つのなら便利かもしれないね」


「タイジ、これは、かなり有力な商品になるぞ」


 タイジの疑問にガウレト族の男が答える。

 結構偉そうな男だ。

 見た目は例によって貧弱だが。


「普通の蚊遣り薬は粉だから、直ぐに湿気って使えなくなる。

 乾燥した原材料のまま運べば粉よりは湿気り難いが嵩が増す」


「でも、線香も湿気るでしょ?」


「そうだが、粉よりはマシだ。

 持ち運びもしやすい。

 効果が有って長時間持つなら売れるだろう。

 行商には最適だ」


 興奮した様子でまくしたてる。


「これは、現時点で既に十分な感じですよ。

 蚊がバタバタ落ちてます。

 まだ、改良が必要ですか?」


 ダウラト商会の男はダウラト・ホージャの弟で、つまりハトンの叔父らしい。


「材料費が嵩まない程度で臭いを改良しようと思う。

 室内で使うには臭いだろ。

 あと、このままだと臭いから有効成分が推察できてしまう。

 簡単に真似されないようにしないとな」


「成る程、それは大事かもしれませんね」


 この世界には特許権なんて無いから、新製品は簡単に真似されてしまう。

『秘伝』の製法が必要なんだよね。


「カゲシトで作るよりラト村で作らせて運んだ方がいいか?」


「いや、需要と入市税を考えるとカゲシト市内で作った方が良い。

 ラト村の製品はゴルダナ向けにすべきだ」


 商人たちが色々と相談している。

 販売が軌道に乗ったらオレには多少の金が入ることになっている。

 ロイヤリティーとか無い世界だから、完全に商人たちの善意に頼るが。

 多少でも儲けになれば御の字だろう。

 蚊取り線香が普及してくれればマラリアその他の病気が減るから、個人的にはそれで満足、・・・するしかないんだろうな。

 ちょっとしたアイデアをギルドに提供したらガッポガッポなんて話にはならないんだよ、残念ながら。




 そんなんで、ハトン達と、線香の材料をコネコネしつつ、金型とか作りながら、その日は終わったのだが、・・・。

 翌日、また、呼び出された。

 また、ベーグム司令部だ。


「部隊の配置転換を行う」


 マザコン猪が『決定事項』としてオレ達に命令する。

 戦闘できないレトコウ伯爵軍はそのまま。

 ベーグム師団は大幅に西側に移動。

 丁度、うちの大隊がいる所、白龍川の旧川床の分断点の前面に移動する。

 ここの隘路から攻撃って事らしい。

 また、増加した諸侯軍をレトコウ伯爵指揮下から外して、彼らだけで一軍を編成。

 最右翼、西側の山裾に移動させる。

 白龍川の南北分岐点を窺う位置だ。

 で、その諸侯軍の指揮官として、クロスハウゼン・バフラヴィーが指名された。

 軍人、貴族の格からするとそれが妥当という理由だ。

 まあ、確かに、諸侯軍は最高でも子爵だし、その子爵は複数いるから彼らの中から選定したら揉めそうという話はある。


「攻撃の主体は我らカゲシンから派遣された部隊が一体となって担う。

 白龍川旧川床の分断点はこの近辺では三か所あるが、最も西側の物が最も広い。

 故にここを主攻勢路として設定する」


 白龍川の旧川床は天井川になっていた名残で周囲より二〇メートルは高い。

 南北の交通の妨げになっているためか、何か所か崩されて交通路が出来ている。

 現在オレ達が配置されている所の正面の隘路が最も広く、幅は四〇〇メートルほど。

 他の二つは、ここの半分程度になる。


「まずは敵軍にこちらを攻めさせる。

 情報では敵側もかなり逸っているとの事だ。

 敵をおびき出してこちらを攻めさせ、それに反撃する形で旧川床の線を超える。

 隘路の南側に進出し、そこで前進陣地を設営し、敵主力を引き付ける。

 クロスハウゼン殿旗下の諸侯軍は敵前衛の減少を見計らって敵陣地線を突破し、白龍川分岐点を制圧する。

 レトコウ伯爵の軍は積極的な行動が出来ないとのことであるから、現在の戦線を維持しつつ緩やかに前進して敵軍を牽制するとともに、カゲシン派遣軍と諸侯軍の間をつなぐ役割を担うものとする。

 最終的に可能であればカゲシン派遣軍と諸侯軍で敵軍を東西から挟み撃ちにする。

 敵の殲滅までできれば最高だろう」


 マザコン猪が得意げに説明するが、レトコウ伯爵は呆然としている。


「お待ちを」


 流石にバフラヴィーが発言を求める。


「いつの間にこんな話になったのでしょうか?

 昨日、攻勢に出るのは無理だという結論になったと思いましたが」


「全面攻勢が無理だという話だったから、出来る範囲での攻勢をと考えて、幕僚たちと検討した結果だ」


「私は聞いておりません。

 レトコウ伯爵はお聞きになっていましたか?」


 伯爵が大きく首を振る。


「レトコウ伯の軍はろくに攻勢をとれないという話であった。

 伯爵と相談する必要は無かろう」


 マザコン猪が勝ち誇ったようにバフラヴィーに宣言する。


「諸侯軍を別にするとのお話でしたが、彼らの寄り親はレトコウ伯爵ですよ」


「これは、バフラヴィー殿ともあろう方がまた異なことを。

 参陣されている諸侯は帝国に所属する者達だ。

 レトコウ伯爵に所属しているわけでは無い。

 依って彼らの指揮権はカゲシンに、すなわち宗主代理として指揮を執るベーグム・アリレザー都督補にあることは明確だ」


「それは、・・・確かに名目上はその通りですが」


 バフラヴィーが絶句する。


「ベーグム閣下」


 レトコウ伯爵はむっとした顔を隠そうともしていない。


「閣下は、我が旗下の諸侯を勝手に使役すると言われるのか?」


「伯爵、私は貴兄に逃げ場を差し上げたのですよ」


 ロリコン猪はニヤケ面だ。


「貴兄は、クテン侯爵とのしがらみで龍神教とは穏便に対応しなければならない。

 これは貴兄にとっては大変な重荷でしょうな。

 武力が使えぬのでは足元を見られるのは必定。

 ですから、我らが代わって異教徒の躾をして差し上げましょう、ということです」


「しかし、カゲシン宗主様も穏便な解決をお望みであった。

 私の祖父の代のような騒乱を繰り返してはならないのですぞ」


「勿論、穏便にしますとも」


 ベーグム師団長は上機嫌らしい。


「昔の戦いでは龍神教を徹底的に叩いて山に追い込んだ。

 結果として全てを無くした龍神教徒は自滅的な戦いを展開した。

 今回はそこまでは追い込まないつもりです。

 我々は旧川床の線を超えて白龍川の分岐点を確保する。

 そこで止まる。

 龍神教の畑はほとんど荒らさない。

 戦いで敵わないことを悟った異教徒は大人しくなるでしょう。

 畑を守るためにはそれしか無いのですから」


「お待ちを」


 バフラヴィーが再び発言する。


「四〇年前の戦いでは確かに帝国軍が一方的に勝利したと聞きますが、合計で十万を超える軍勢が投入されたと聞きます。

 我らは今回、二万しかありません。

 簡単に勝てるとは限りません」


「龍神教の軍は一万程しか確認されていませんよ」


 マザコン子猪が余裕綽々に答える。


「バフラヴィー殿は敵が部隊を隠している可能性があると言いたいのかもしれません。

 また、レトコウ軍五千が使用できないともね。

 ですが、部隊の質では我が方が圧倒的に優れている。

 敵に魔導大隊は存在しない。

 つまり、同数であれば我らが負けることは有り得ない。

 それとも、何でしょう?

 バフラヴィー殿が指揮する諸侯軍は戦力にならぬということですか?」


 マザコンは何かバフラヴィーに含む所でもあるのだろうか。

 さっきから、やたらと挑発的だ。

 バフラヴィーはそれでも反論を続けようとしたが、ロリコン親猪が手を振って発言を封じる。


「議論が割れた場合は、その場の最高指揮官が断を下すのが通例だ。

 私とレトコウ伯爵は同じ少僧正だが、私が先任になる。

 よってこの場では小官が宗主様の代理人だ」


 ベーグム師団長の視線がバフラヴィーに向けられる。


「バフラヴィー殿には諸侯軍の指揮を執ってもらう。

 これは決定だ。

 繰り返すが我が方から戦端を開く事はしないと約束しよう。

 あくまでも、敵が攻めてきた場合の対処だ」


 昨日、敵から攻めてきた事にすれば良いとか堂々と言っていたような気がするが。

 こちらは呆気に取られているがロリコン猪はあえて無視しているようだ。

 今度はレトコウ伯爵に声をかける。


「心配はいりませんよ、伯爵。

 十日もすればあなたは私の手を取って感謝することになるでしょうな」


 言われた方は表情が無くなっている。


「では、今回の案で最終決定としたい。異議ある者は?」


 誰も手を上げない。

 まあ、異議を唱えても無駄だろうしな。

 こうして、軍の配置転換は承認された。


「分かりました。

 私は部隊と共に諸侯軍に合流し、軍の配置を変更します。

 具体的な場所については一任して頂けると考えてよろしいでしょうか?」


 バフラヴィーが諦めた口調で問いかける。


「ああ、その事だがな、ニフナレザー」


 ロリコン猪の言葉をマザコン猪が引き取る。


「クロスハウゼン殿の大隊はこちらで使用する。

 クロスハウゼン代僧将は最低限の幕僚のみ率いて諸侯軍に合流されたい」


 バフラヴィーが、ついでに姉御を含むその取り巻きの目が吊り上がった。


「お待ちを、私が率いてきた部隊は、私の指揮下で使用します。

 それは当然のことだと考えますが?」


 激昂を抑えてバフラヴィーが言葉を吐く。


「ですから、先程から了承を取っていた筈です。

 攻撃の主体は『カゲシンから派遣された部隊』が一体となって担うと。

 私はベーグム師団とクロスハウゼン大隊をまとめた言葉として『カゲシンから派遣された部隊』という言葉を使用していました。

 カゲシンから派遣された部隊にクロスハウゼン大隊が含まれるのは自明の事です。

 ベーグム師団だけであれば、わざわざそのような言い方はしません」


 マザコン猪がしてやったりという顔になっている。


「確かに、私は了承しましたが、そのような意味だとは認識していませんでした」


「それは、貴方の落ち度でありましょう。

 この決定は軍事的な合理主義により導かれた物です。

 クロスハウゼン大隊には魔導中隊が含まれていますが、貴重な魔導部隊は集中して運用すべき存在です。

 クロスハウゼン大隊の医療小隊がマラリア医療の中核という事実もありますが、これも総司令官の直轄に置くべきでしょう。

 また、カゲシンで複数の師団が合同で戦う場合は連絡のための部隊を互いに派遣するのが慣例です。

 その任務のためにも必要です」


 マザコン猪がとうとうと説明する。

 何か、腹立つな。


「ベーグム閣下」


 バフラヴィーが師団長に冷ややかな目つきを向ける。


「どのようなおつもりかは分かりかねますが、各師団長は他の師団に所属する部隊の指揮には関与しないのが慣例の筈。

 今回の件を強要されるのであれば、今後は、軍の位が上であれば他の師団の部隊に指揮することが可能という話になります。

 我がクロスハウゼン師団長は現在『権僧正』の位を持ちます。

 お分かりですか?」


 ロリコン猪はわざとらしく首をかしげる。


「はて、今回の貴兄の部隊は正式なクロスハウゼン師団の所属では無いと聞いていたのだがな」


「全員、私や私の縁者の部下です。

 それに準じる扱いでしょう」


「ふむ、権僧正殿の機嫌を損ねるのは良い話ではないか。

 分かった、大隊をこちらで使用するのは諦めよう。

 だが、連絡部隊は残してもらいたい。

 貴官も四個大隊、連隊規模以上の軍を率いるのだ。

 こちらからも派遣する」


 バフラヴィーはほっとしたようだ。


「分かりました。

 連絡用の将校と部隊は残しましょう。

 ただ、今回の私の大隊には将校が不足しています。

 中隊長ですら欠員が多いのです。

 せいぜい小隊長クラスしか出せません」


「分かった、それで良い」


 ベーグム師団長が頷く。


「こちらからは坊官補を一人と歩兵一個小隊を派遣する。それで良いか?」


「了解しました」


 坊官補と言えば中佐ぐらい、こちらでは大隊指揮官クラスだ。

 それなりの士官を出すということだろう。


「そちらからの派遣士官だが、小隊長クラスと言えば坊尉か上級坊尉という所であろう。

 派遣士官としては経験不足と思うが、それなりに気の利く者であれば何とかなるであろう。

 その人員については私の指名で良いか?」


「・・・分かりました」


 ややあって、バフラヴィーが頷く。

 同時にオレの方をチラっと見た。

 まあ、流石に抵抗できんかね。

 で、オレか。

 まあ、ベーグム師団長が名前を知っているこちらの小隊長と言えばオレぐらいだろうし。

 えーと、ひょっとして、オレ、ロリコン猪夫人の生贄?

 どうやって逃れよう?

 でも、バフラヴィーがロリコン猪に逆らい辛いようにオレもバフラヴィーには抵抗し辛い。

 何か、変に借りを作っているからな、タージョッ問題とか。

 ホント、あのBカップは疫病神だ。


「確か、クロスハウゼンの一族の、ガイラン大僧都家の後継者が小隊長として参加していたな。

 その者にしよう」


 ヘっ、オレじゃないの?


「お待ちください。

 トゥルーミシュは成人したてで、まだ十四歳です。

 連絡将校の任務が務まるとは思えません」


「だが、なかなか気の利く者だと聞いている」


 明らかに焦ったバフラヴィーにロリコン猪が答える。


「それに、貴官の親族だ。連絡は密にできよう」


 満面の笑みを浮かべる師団長閣下。

 うん、どうやらしてやられたらしい。

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