04-11 努力しても報われるとは限らない
我が特別大隊はレトコウ市から再度乗船してゴルダナ河を遡り、翌日、ようやっと現地に到着した。
西側に向かっていたゴルダナ河が北へと流れを転じる辺り、レトコウから五〇キロほど上流地点である。
今回、初めてこの世界の船旅を体験したが、・・・正直、キツイ。
ヴァイキング船って、見るのも乗るのも初めてだったが、甲板が無い船って大変なんだよ。
船室らしい船室も無いから、ほぼ一日中、戸外に居ることになる。
戸外、人が密集した船の上で、排泄行為どころか、女の相手までしなければならない。
オレ、小隊長だから船では一番偉いんだけど、それでも簡単な仕切りがあるだけ。
ヴァイキングってこれで大西洋を渡っていたらしいが尊敬するわ。
上陸して、なんかほっとした。
ちなみに、オレ以上に喜んでいたのがハナだ。
月の民は水を恐れる。
水の中では吸血鬼でも死んじゃうからね。
ハナは水泳を習っている変わり種なのだが、それでも嫌なようだ。
我々を運んできた船だが、このままゴルダナ河を遡ってゴルデッジまで行き、適当な物資を積んでカゲシンに戻る予定という。
大隊の滞在期間は数か月の予定。
船を遊ばせておくのは無駄なのだ。
個人的には、帰路は陸路が希望なので歓迎だが。
現場だが、白龍川が山脈から平野部に流れ出る場所、つまり旧川床の北に行くか南に行くかの分岐点、そのやや下流側らしい。
現在のところ、白龍川の分岐点とその周辺、そして下流側の旧川床は龍神教によって占拠されている。
特に川の分岐点前面には野戦築城が施され、厳重だ。
こちら側は、西側、上流側にレトコウ伯など現地諸侯軍、東の下流側にベーグム師団という形で陣している。
龍神教側が高地で、こちらは全体的に低地に布陣。
これって、不利だよな?
我が特別大隊が割り当てられた場所は、レトコウとベーグムの中間地点。
つーか、レトコウ軍とベーグム師団、かなり離れている。
見晴らしは良いから視認はできるが、優に五キロは離れている。
しかも、うちの大隊の正面は白龍川の旧川床が崩れている場所だ。
旧川床は南北両側より二〇メートル以上高くなっているのだが、それが 四~五〇〇メートルの幅で崩れていて、妙に見晴らしが良い。
何と言うか、谷間の真正面?
龍神教は旧川床の上に陣取っていて、谷間というか真正面にはいないけどね。
この谷間を抜ければ白龍川の旧川床の線を抜けられるけど、・・・実際に進んだら両側の高地から一方的に狙われるよね。
逆に、龍神教側から攻める場合は、ここを簡単に抜けられるわけで、・・・その正面にうちの大隊。
オイ、・・・。
谷間の正面に主力を配置しないのは、敵がきたら両側から挟み撃ちってことかな?
でも、ちょっと離れすぎじゃね?
こちらの軍事常識は分からんが、大砲も機関銃も無い世界だよ。
自護院の座学をもっと聞いておけば良かった。
しかし、うちの大隊がここって、連絡係?
それとも人身御供?
戦いになったら不味い気がするが、部隊配置に意見を言える立場じゃないからなぁ。
とりあえずで、全員で野戦陣地構築に励む。
魔導中隊がやることは、穴掘りと土壁の構築、・・・ではなくて、レンガ造り。
土を木枠に入れて、それに魔法をかけて圧縮する。
圧縮度合いは野戦陣地用の低級レンガだと、縦横厚さそれぞれ八割程度。
それでも密度は倍ぐらいになる。
穴掘りと壁づくりは歩兵の仕事で、魔導士の作った圧縮レンガでそれを強化という流れになる。
魔法で穴を掘るとか土壁を作るとかいうのは使用マナ量が多いので低級の魔導士には酷だ。
正魔導士以上になれば可能だが、陣地工作にマナを使い切っては奇襲された時に戦えない。
何より、魔導士が居なければ陣地工作が出来ないというのは問題。
そんな理由で、陣地工作での魔導士の役割は圧縮レンガ造りなのだ。
やって見ると圧縮レンガ造りは結構簡単。
専用の呪文があって魔導士なら誰でもできる。
まあ、どれぐらいできるのかは人によるけどね。
見習い魔導士だとこれぐらいでも結構きついらしい。
ああ、タイジ君、全部自分でやっちゃうのはダメだよ。
遅くても下にやらせないと、下が育たない。
え、自分も新人だから?
君、副長だからね。
技量も魔力量もかなり多い方だから。
多分、大隊で三~四番目だよ、君。
何、下がかわいそうだ?
いいんだよ、歩兵の穴掘りより楽なんだから。
今回に関して言えば、昨年の陣地跡を使えるから、かなーり楽なんだと思うよ。
タイジって、下っ端属性強すぎだな。
そんなんで、タラタラと監督していたら呼び出しが来た。
呼び出された先は、ベーグム師団の司令部?
なんで?
それも医療小隊として来いって?
まあ、呼び出されれば行くしかない。
ベーグム師団長はアリレザーという名前らしい。
少僧正で、カゲシンに三人しかいない都督補の一人。
四〇歳を超えているというが緑色の髪の毛に白いものは無い。
体格もかなり良いが太っている感じもしない。
筋肉隆々の前線型指揮官という見た目である。
横には二〇歳ぐらいの、これまた筋肉質で髪の色以外はそっくりな男が立っている。
多分、息子だろう。
副師団長だと聞いている。
更に周囲に控える師団幹部たちも筋肉隆々だ。
男なのか、女なのか、すら分からないが、みんな筋肉。
みんな首が太い。
猪首ばかりの猪集団だ。
その中で目立つのは、師団長の従者の一人。
異様にケバイ。
立ち居振る舞いと見た目からすると、師団長の第一正夫人なのだと思うが、化粧が厚いだけでなくヒラッヒラのドレス姿である。
ここ、戦場だよね?
他の従者は皆、鎧を着ている。
お色気担当の妙に若い女性もいて、かなり露出度が高い、・・・なるほど、直ぐにできるように色々と工夫されている、・・・のもいるけど、一応は鎧を着ている。
クロスハウゼンの姉御も簡易型の鎧は着けている。
ベーグム夫人はヒラッヒラ、というか、フリッフリの、露出度は低いが場にも年齢にもそぐわないドレス姿で、ワイングラス片手に優雅に寛いでいる。
旦那も含めて周りを無視している感じだ。
ちなみに、この世界でのワイングラスは高級品だ。
「これが、其方の言う医者か」
「はい、カンナギ・キョウスケという者です」
ベーグム師団長の問いにクロスハウゼン孫のバフラヴィーがオレを紹介する。
「施薬院全金徽章の常任講師という話であったが、妙に若いではないか。
本当に講師なのか?」
まあ、疑うよねー。
十六歳の医学部講師なんてオレが聞いても異常だもん。
「閣下、私は施薬院の講師の顔は全員記憶しておりますが、このような者は見覚えが有りません」
口をはさんだのは小柄で目つきの鋭い男性だ。
施薬院徽章を付けている所からすると医者なのだろう。
施薬院徽章は施術科と薬術科の二つは金だが、施薬科は銀だ。
ひょっとして、師団の主席医療魔導士なのかな?
「カンナギは金色徽章を獲得した医者なのは事実です」
「カンナギと申します。
先月、金色徽章を頂き、常任講師に昇格いたしました。
講師として若輩ではありますがクロスハウゼン家の方々から御評価頂き、懸命に務めさせて頂いております」
先月というのを強調しつつ、殊勝に挨拶しておく。
どーゆー理由で呼ばれたかは知らないし、ベーグム師団長に媚びを売りたいとも思わないが、バフラヴィーの顔を潰すのは宜しくない。
「ウルストよりも経験豊富な医者が来ると期待していたのだがな。
講師と言っても、こんな若造では頼りにならぬではないか」
ベーグム師団長は太い首をかしげながら不満げに呟いている。
全身、猪みたいな体型の所為か肺活量が多いようで呟いているようでもはっきり聞こえる。
「確かにカンナギは若いですが、先の性病騒ぎでは病棟で治療の指揮を執った優秀な男です。
医師団の一人に加えるのに問題は無いと思いますが」
「ウルスト、其方はどう考える」
バフラヴィーがオレを推したがベーグム師団長は不安、・・・と言うか面白くなさそうだ。
部下に話を振った。
「は、我らが治療を開始してまだ十日ほどに過ぎません。
診断は確定していますし、治療も始まっております。
数日後にはかなりの成果がある物と考えます。
我らだけで治療は十分でしょう」
まあ、途中から入ってきたら怒るよね。
治せるってんならそのままお願いしてもいいと思う。
「ウルストはこう言っているが」
「閣下、私は先程、閣下より、レトコウ伯軍に疫病が蔓延し沈静化せずに死者も増えているので良い医者がいれば紹介して欲しいと言われ、カンナギを呼びました。
カンナギの名誉のために言いますが、彼は歴とした施薬院の講師です。
彼が必要ないのであれば、それはそれで構いません。
ただ、私としては他に協力する術はございません」
師団長にバフラヴィーが反論する。
そうか、蔓延して死者も出ているのか。
「ウルスト、疫病は本当に鎮まるのだな?」
師団長の再度の確認にウルストとかいう医者はしどろもどろになった。
チラチラとオレの方を見ながらブツブツと微妙な反論を続ける。
あー、面倒になってきた。
帰ってもいいんだろうか?
「あら、貴方、あの時の」
微妙な顔になっていたら、いきなり声をかけられた。
誰かと思えば、ヒラッヒラの師団長夫人だ。
オレか?
オレに声をかけてるのか?
・・・何が起こってんの?
「チュルパマリク様、お久しぶりです。手術の痕は支障ありませんか?」
と、タージョッが声を出した。
え、なんで、と思っていたら、脛を蹴られた。
「あの脂肪腫のご婦人ですよ」
戸惑っていたらハトンが小声で教えてくれた。
あーそうか、ナディア姫の教材にした人だ。
「ああ、貴方は、シャイフ施薬院主席医療魔導士殿の姪御さんだったわね。
傷は全然問題ないわ。
むしろ、手術していない方よりもすべすべしているぐらいよ。
もう、本当に感謝しているの。
こうやって外に出たのは何年振りかしら、・・・」
チュルパマリクとかいうご夫人は怒涛の如く喋り始めた。
そう言えばあの時もそうだった。
話し始めたら止まらない人だな。
「うん、其方、知り合いなのか?」
「そうよ、あなた。
この子が私の顎をきれいにしてくれた男の子なの。
まだ若くて、かわいい顔してるのに手術までうまいのよ。
侍女たちに聞いたら、指の動きが芸術的だったって。
ああ、そうそう、あなただったら夜の技術も高いんじゃないかしら。
きっとそうね。
そういえば、私、あなたに直接お礼をしていなかったわ。
あら、いやだ、私としたことが。
そうだわ、あなた、今夜、私の所に来なさい。
お礼に色々と可愛がってあげるから、・・・」
ちょっと、待て。
何、言い出してんだ、このおばさん。
今のって、露骨な夜のお誘い、・・・横にいる息子の目つきがキツイ。
子猪、メチャ睨んでいる。
すんごい目つきで、母親、・・・じゃなくて、オレを睨んでる。
おい、・・・オレのせいじゃないよ。
大体、オレ、こんなおばちゃん、ノーサンキューです。
昔は美人だったのだと思うが、多分、四〇過ぎで、ウエストがふくよかになり過ぎている。
まいったな、・・・旦那も、・・・アレ?
怒ってない、・・・つーか、オレの方を見ていない。
「そうか、其方は、施薬院主席の姪か」
「はい、モローク・タージョッと申します。
こちらのカンナギの補佐で今回、参加させて頂きました」
「彼女はモローク大僧都家の娘でシャイフ主席医療魔導士の姪になります。
彼女自身、施薬院全金徽章を確実視されている才媛です」
師団長が、何故かタージョッに話しかけ、バフラヴィーがフォローしている。
この流れは何だろう?
「モローク家の娘で、シャイフ殿の姪、・・・うむうむ、タージョッと言ったな。
其方の母親は知っておるぞ。
一度接待を受けた。
いや、なかなか良い体であったな」
タージョッの顔が引きつった。
ピキーンと効果音が入りそうだ。
辺りを見回せば、クロスハウゼン孫夫妻も、ベーグムの部下も、みんな動きが止まっている。
ベーグム夫人は、・・・素知らぬ顔だ。
何だろ、この夫妻。
こちらの世界には高貴な男性客には夜の接待として女性を差し出す風習がある。
一般的には夫人に数えられない『高級使用人』がその任に当たることが多い。
特に高貴な相手に対してはその家の未婚の娘が接待という場合もあるが、これは娘を上位者に押し付ける意味もあるので、ちょっと別の話になる。
その家の夫人が『接待』に入るのはかなり稀と聞く。
バフシュ・アフルーズ家のような常設スワッピング会場では、夫人がノリノリという説もあるが、あくまでも例外だ、・・・多分。
また、仮に接待を受けたとしても、公式の席では触れないのがマナーと聞く。
「そうか、施薬院で金色徽章確実と。
うむ、ならば、其方を私の側夫人にしてやろう。
勿論、正式には金色徽章を取ってからになるから、それまでは愛人扱いだが、悪い話では無かろう」
タージョッが固まったまま動かなくなった。
えーと、・・・地球なら社会的に抹殺される発言だが、こちらでは、・・・名誉な事、なのか?
あれ、オレにとってはラッキー?
タージョッを合法的に押し付けられるわけだよね。
横目でBカップを見ると、・・・固まったままだ。
嬉しそうではない。
有難うございますって返事しない所からすると、本人的にはNOなんだろう。
でも、立場的に断り辛いんだろうな。
流石にオレとしてもこのロリコン猪にタージョッをお願いする気にはなれん。
オレから断る?
いや、平民出のオレが下手に断ったら話がもっと拗れる可能性が高い。
すーっと反対側を見る。
目が合ったら、バフラヴィーが無表情のまま口を開いた。
「閣下、実はそこのカンナギとモロークは婚約しております。
カンナギは若年にして施薬院金色徽章を獲得した逸材ですので、シャイフ殿は姪であるタージョッと結婚させて一族扱いにする考えのようです。
勿論、今回のお話は、彼女にとっても大変ありがたいと考えますが、そのような状況ですので一存では返答できないでしょう。
カゲシンに戻ってから正式にお話し頂ければと考えます」
ロリコン猪は面白くなさそうだったが、施薬院、そしてクロスハウゼン家と喧嘩する気は無いのだろう。
「そうか」と一言だけで口をつぐむ。
しかし、肛門メイスの孫、強いな。
オレとタージョッの婚約が確定みたいな言い分はちょっと問題だけど、おおむね及第点だろう。
なるほど、こうやって下を守り、派閥を維持するんだな。
祖父に似ず立派、・・・あー、いや、おじいちゃんも昼間は立派な人だったけど。
最後は微妙な雰囲気になったが、疫病対策班へのオレの参加は承認された。
師団長夫人によりオレが一流の医者だと認定されたから、らしい。
まー、どーでもいいけどね。
ベーグム師団のウルスト医師に案内されたのは、師団の野戦病院、ではなくて、レトコウ伯爵軍陣地だった。
んで、・・・ムチャクチャ蚊が多い。
公平に言えば、この土地に来てから蚊は多かったのだが、レトコウ伯陣地の蚊の多さは異常だ。
オレは、・・・多分この体は蚊に刺されないし、刺されたとしても病気にはならないだろう。
だが、周りはそうではない。
一時停止して、防虫薬を取り出した。
肌に塗って虫刺されを防ぐタイプで、今回出征前に調達した薬の一つである。
「はあ、ここは蚊が多いのです。
薬など毎日塗っていたら直ぐに無くなります。
ある程度慣れて頂かないと」
ウルストは呆れたように言うが、・・・コイツは無視しよう。
蚊の大量発生の原因は直ぐに分かった。
レトコウ軍陣地のすぐ前が湿地帯だ。
何でこんな所に陣を敷いてんだ?
やむなく、虫よけの魔法を使う。
魔法で蚊などが嫌う超音波を発生する奴だ。
超音波の発生源はオレになるので、みんなに出来るだけ離れないように注意する。
何故かオレの横をハトンとタージョッが取り合って、また喧嘩になった。
いい加減にして欲しい。
そんなで、たどり着いたら、大型テントの中に大量の患者が寝かされていた。
テントの中にも蚊がいっぱい。
かつ、極めて不衛生。
何と言うか、すんごく臭う。
そんな環境の中に大量の兵士が寝かされていた。
地べたに毛布一枚で。
うん、これは治らんな。
治療薬とか以前の問題だ。
「それで、病気は何か分かっているのですか?」
「ペストかコレラだ」
ウルストの答えに息を吐いた。
誰だよ、診断ついてるとか言ってたの。
「患者はここに隔離しているが、現在も増え続けている。
ベーグム師団は、レトコウ伯爵の軍とは交流させていないから今のところ、感染者は少ない」
「診断根拠はどのような?」
「発熱している」
「それから?」
「下痢をしている」
「どの程度の割合で?」
「ひどく下痢をしている者もいる」
「・・・あー、いや、発熱者や下痢をした者の割合はどの程度でしょうか?」
結論から言えば、発熱している者もいるし、下痢をしている者もいる。
咳をしている者もいれば、吐いている者もいる。
それぞれパーセンテージはさっぱり分からない。
そもそも調べられていない。
「我々は全ての感染症に効くという最新式の高級医薬品の抗生物質をカゲシンから持ってきている。
それを使用した患者は着実に快方に向かっている」
何でその程度で勝ち誇るのかなぁ。
「それで、完全に治癒したのですか?」
又も沈黙に、・・・答えられない、答えたくないようで。
結局、うちの配下に手分けして、問診に当たらせた。
で、・・・。
「マラリアですね」
オレの診断にウルストたちはせせら笑った。
ウルストの部下たちも勝ち誇る。
「それは違う」
「我々の一部も最初はそう考えた。学の少ない者はそう考えやすい」
「試しにマラリアの薬を投与して見たが全く効果が無かったのだ。
従ってマラリアではない」
さて、こいつらのプライドを傷つけないように話さねばならない、・・・無傷は無理だな。
「多くの患者が四日おきに高熱を認めています。
これは四日熱マラリアの特徴的な所見であり他の感染症では認められない症状です」
「しかし、毎日、発熱している者もいるのだぞ!」
「それは恐らく二次性の細菌感染です。
マラリアで衰弱して肺炎などを併発したのでしょう。
二次性の細菌感染には抗生剤が効果を発揮します。
それで、症状が緩和したのでしょう。
ですが、マラリアそのものには抗生剤は効果が有りません。
逆に言えば抗生剤を投与しても症状が残存していることからして、ペストやコレラの可能性は低い」
「だが、マラリアの特効薬であるキニーネを使用したが全く効果が無かった。
九日前から昨日までキニーネを投与して、全く効果が無く死亡しているのだぞ」
「それですが」
ゲレト・タイジが発見した木の束を示して説明する。
「皆様が使用していたこの木の皮はキナの木ではありません。
いわゆる、『ニセキナ』です」
『薬術便覧』にもキニーネは載っている。
タイジはキニーネの項を担当していたらしく、『ニセキナ』についても覚えていた。
うん、タイジ君、偉い。
ウルストはオレの手元にある『ニセキナ』をじろっと睨むと、機嫌が悪そうな顔を更に歪ませた。
「間違ってはいない。
『ニセキナ』は『キナ』に比べて効力は落ちるが薬効はある。
その分、投与量を多くしているから問題は無い」
「いえ、こちらのシャイフ主席医療魔導士監修の『シャイフ薬術便覧』には『ニセキナ』は全く薬効が無いと記載されています。
先生はどのような資料を参照されたのでしょうか?」
はっきり言えば『ニセキナ』は詐欺師が未熟な医師を騙すためのアイテムだ。
ウルストたちが真っ青な顔で『シャイフ薬術便覧』を確認する。
うん、権威って大事だね。
ウルストたちもシャイフに喧嘩を売る気は無いらしい。
「最後に、患者赤血球中にマラリア原虫を確認しました。
鏡検魔法は使用できますよね?」
悲しい事にこの世界の顕微鏡検査に相当する『鏡検魔法』を使用できたのはウルストだけだった。
だけだったけど、ウルストが使用できてよかったよ。
ゼロだったら、また揉めたかもしれない。
「確かに、赤血球内に何かあるのは間違いないようだな」
ウルストが蒼白な顔で答える。
「ウルスト先生が、意図的に『ニセキナ』を使用したとは思いません。
ひょっとして正規の『キニーネ』が手に入りにくい事情でもありましたか?」
「そ、その通りだ。
私とて、好んで『ニセキナ』など使用するはずが無い。
いや、理解してくれればそれで良い」
オレの提供した逃げ道にウルストが全力で乗っかる。
「実は、クテン侯爵家がキニーネとその材料のキナを買い占めているのだ。
代用品でどうにかするしかなかったのだ」
うん、そうか、そーゆーことか。
つーか、それって、明らかと言うか意図的だよね。
面倒な話だ。
だが、取りあえずは目の前の患者を何とかしなければならない。
「ニセキナではマラリアに有効な薬剤は作れません。
現実にニセキナから作製した薬剤でマラリアは改善していない。
何としても正規のキニーネを手に入れる必要が有ります」
現代の地球では、キニーネは副作用が大きいから人工的に合成された抗マラリア薬が主流のはずだ。
オレが魔法で合成することは不可能ではないとは思うが、自信も無い。
オレは抗マラリア薬の原理とか知らない。
そもそも、マラリア患者なんて教科書の中でしか見たことが無い。
従って、抗生剤のように大量に作るのは困難だろう。
既にこの世界で流通していて実績のあるキニーネを手に入れるのが最善だ。
「だが、それはできん。
この辺りのキニーネは既にクテン侯爵によって買い占められている。
政治的に無理な話だ」
「政治的な事情は分かりかねますが、患者はまだ増えるでしょう。
ベーグム師団も問題です。
ベーグム師団の陣地でもかなりの数の蚊がいました。
到着した日時から考えれば、そろそろベーグム師団からもマラリア患者が発生しても不思議では有りません。
いや、既に、何人か発生しているのでは有りませんか?」
ウルストの顔がまた青くなった。
「レトコウ伯爵軍は更に状況が悪化するでしょう。
マラリア患者が増え続け、ベーグム師団長やその家族が感染した場合の責任はどうお考えでしょう?」
ウルストの顔は蒼白だが、それでも踏ん切りは付かないらしい。
「クテン侯爵家との関係については医師団が考えるべき問題ではないでしょう。
私はこの件をクロスハウゼン大隊長に報告いたします。
恐らくはベーグム師団長にも報告することになるでしょう。
政治的な問題については師団長殿に判断して頂くのが宜しいかと。
私が一人で報告するよりも、ウルスト殿と一緒に、ウルスト殿の口から報告されるのがよろしいかと考えますが、如何ですか?」
ウルストは陥落した。
それにしても、・・・相当以前から計画されていたのは間違いないな。
亜空間ボックス内にある木箱は偶然じゃなかったわけだ。
クロスハウゼン大隊の上陸地点は、第三章のMAP S-01ではHex 1921になります。
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