04-08S インタールード 当惑
━━━第二第三帝政期において、軍は皇帝権力と不可分の関係にあった。すなわち、軍の最高司令官が皇帝であり、最強の軍人が皇帝、少なくとも建前としては、であった。しかし、マリセア正教による統治が行われた第四帝政では、事実上の皇帝であるマリセア正教宗主は、軍と直接の関係を持たなかった。━━中略━━第四帝政はマリセア正教宗家による宗教統治で有り、その性格上、軍事力を保有しない建前となっている。勿論、中世期において直属軍を持たない政権は有り得ない。そこで、マリセア正教が保有したのが自護院なる組織であった。実質は完全な軍隊であるが、建前はあくまでも宗教施設を警備する組織である。━━中略━━国母と称されたハキム・ニフナニクスの時代、自護院兵団は五個軍団で兵員三〇万を超えたという。帝国再統一にはその軍事力が必須だったわけだが、これはマリセア正教宗家にとっても脅威であった。ニフナニクスの『引退』後、自護院兵団は直ちに三個軍団に縮小される。━━中略━━以後、帝国中枢と自護院は微妙な関係を継続する。軍団は解体され、辺境防備の名目で地方騎士団が創出される。中央から辺境に部隊が分散されたのだ。順次創立された地方騎士団により中央兵力は一時期三個師団にまで縮小する。━━中略━━中央軍の縮小はマリセア宗家にとって至上命題であったが、過度な縮小は地域諸侯に対する権威低下を意味する。中央は軍の再拡大に着手するが、時の政権は自護院隷下でない部隊を欲した。これにより編成されたのが牙族傭兵部隊、後のモーラン兵団である。━━中略━━モーラン兵団はマリセア宗家の個人的護衛部隊として発足した。マリセア宗家第三八代宗主シャーラーンはこれを独立した兵団に拡大。一方で自身と家族の護衛として新たに下級貴族出身者からなる『護衛騎士兵団』を創出した。━━━
『ゴルダナ帝国衰亡記』より抜粋
「これは、必要なこと、なのですね?」
「恐らく、な」
息子の問いに、父である帝国宰相エディゲ・アドッラティーフは傍らの少女を愛でながら曖昧な返答を返した。
今しがた、カゲシン本山、小聖堂において、クロスハウゼン家継嗣であるバフラヴィーが出陣の挨拶に来ていた。
正確に言えば今回のバフラヴィーの派遣は出陣ではなく、査察である。
故に、率いる部隊は、あくまでもバフラヴィーの個人護衛という建前である。
数日前、クロスハウゼン・カラカーニーの『急病』の報に、帝国宰相府を事実上取り仕切る筆頭補佐官エディゲ・ムバーリズッディーンはベーグム師団の代理派遣を認めた。
龍神教問題は以前からゴルダナ西部の懸案だった。
マリセアの正しき教えを奉じるカゲシンとしては、龍神教などという邪教集団はそもそも存在そのものが認められない集団である。
だが、根絶やしにすることはほぼ不可能だった。
実際、新生レトコウ伯爵家が成立した際に大規模な討伐が行われたのだが、ドラゴン山脈内に逃げ込んだ龍神教徒を殲滅することはできなかったのである。
帝国はゲリラ戦を展開する龍神教徒に対応できず、結局、妥協を強いられる。
龍神教徒に一定の土地と、事実上の自治権を与える他なかったのだ。
だが、その合意は頻繁に氾濫し流れを変える白龍川に翻弄され続けてきた。
白龍川の氾濫の度に合意は作り直されてきたが、度重なる変更は、当事者全員に不平不満を溜め込ませる結果となっている。
強硬措置が直接当事者の誰にとっても好ましくないというただ一点で、合意は存続してきた。
しかし、今や、当事者たちの不平不満は極に達しようとしている。
昨年合意に達したにもかかわらず、たった一年で破局に至りつつある現状がそれを物語っている。
そんな彼らを仲裁できる唯一の存在が、クロスハウゼン師団と師団長クロスハウゼン・カラカーニーであった。
よって、カラカーニーが病になった時点で和平仲裁は消えた、とムバーリズッディーンは判断した。
カラカーニーは既に齢五〇を超えている。
カラカーニーが回復したとしても、半病人の老人が担保する仲裁案にどれだけの人間が賛同するだろう。
ムバーリズッディーンは強硬策への転換を決める。
高齢のカラカーニーに何時までも頼ることが出来ないのは分かっていた事であり、『第二案』は以前から策定済みであった。
当事者の一つであるベーグム師団を派遣する。
恐らく戦争になるだろう。
だが、積もり積もった鬱積を解消するためには一度爆発させるしかない。
「程々の勝利で満足せよ」
出陣するベーグム・アリレザー師団長にムバーリズッディーンは注文を付けた。
ベーグム師団は勝つだろう。
だが、勝ち切るのは不可能だ。
それは三〇年前の結果から明らか。
だが、ベーグムが勝利することで、一時的には龍神教の勢力は低下するだろう。
それで、帝国にとってより有利な条件で和議を結べるだろう。
マリセア正教の観点から見ても、異教徒が『減少』するのは望ましい事である。
レトコウ伯爵はまたしばらく、ゲリラ活動に悩まされることになる、かもしれない。
だが、貴族としての面子は保たれ、勢威は上がる。
近隣諸侯に対しての影響力も高まるだろう。
であるから、ゲリラ程度は我慢してもらう。
幸い、アリレザーは帝国宰相首席補佐官に異議を唱えなかった。
「龍神教の一軍を撃破し、彼らの麦畑の脇まで軍を進めましょう。
彼らの畑を焼き、食料を奪うことはしません。
畑を焼くと脅して和議を結びます」
ムバーリズッディーンは満足した。
アリレザーの後ろに控えていた息子は不満気だったが。
そうして、ベーグム師団は出征した。
勿論、一連の経緯と結果は父である帝国宰相にも報告され、その了承を得ている。
ところが、だ。
数日後、クロスハウゼン師団の一部が出征準備をしているとの報告が入る。
何のためか、問いただすべきかどうか、悩んでいた所に、父エディゲ・アドッラティーフからの通達が有った。
クロスハウゼン家の継嗣バフラヴィーを長とする一個大隊をレトコウに追加派遣する、というのである。
それは、決定事項として通達され、そして、そのわずか二日後、クロスハウゼン大隊は出陣した。
それが、今日である。
ろくに、理由も明かされていない。
それを聞く時間も無かった。
父である帝国宰相も、息子であるその首席補佐官も、あまりにも多忙であった。
武芸大会と性病騒動の後始末は続いている。
特に、フロンクハイトとの折衝は多くの時間が必要であった。
フロンクハイト問題に比べれば、レトコウと龍神教の優先順位はずっと下である。
故に、後回しにされた。
「今回は、すまなかったな。其方にすら伝える時間が無かった」
アドッラティーフは息子に詫びた。
「何が有ったのですか?」
ムバーリズッディーンとしても父が意味なくこのような事はしないと理解していた。
であるから、公には異議を唱えていない。
だが、理由は知っておく必要が有る。
「カラカーニーと会ってきた」
それは、知っていた。
「カラカーニーは、ベーグムは勝てないと言っていた」
それも、知っている。
「八割の確率でベーグムが負けると」
それは、知らない、・・・いや、負ける、だと?
勝ち切ることはほぼ不可能だが、負けも有り得ないはず。
「負けるどころか、師団が崩壊する可能性すらあると言っていた」
「それは、流石に大げさでは有りませんか?」
ムバーリズッディーンは思わず口を出す。
「カラカーニーが言う所では、龍神教は総力を挙げれば三万人以上の動員が可能だそうだ。
今回も二万人は動員するだろうと」
「しかし、ベーグム師団にレトコウ伯爵軍やその他の中小諸侯を加えれば二万になる筈です。
負ける、どころか師団崩壊など、有り得ないでしょう」
強力な魔導大隊を擁する帝国正規師団が同数の敵に敗北するなど考えられない。
「わしもそれを言った。
だが、カラカーニーは意見を変えん。
そして、孫のバフラヴィーの派遣を要望してきた。
帝国の為、カゲシンの為だと言ってな」
「良く分かりませぬ。
クロスハウゼン・バフラヴィーよりもベーグム・アリレザーの方が年齢も階級も、率いている兵員の数も上です。
カラカーニー自身ならば兎も角、バフラヴィーが一個大隊率いて行っても、何かが変わるとは思えません」
「カラカーニーは、バフラヴィーを新たな仲裁者としたいという。
カラカーニーも自分の年齢と今回の病の事を言っていた。
自分はもはや、龍神教との間を取り持つのは困難だと。
だから、バフラヴィーにその役をやらせたい。
バフラヴィーならばあと二〇年は期待できる。
それが、帝国の為だろうと」
「バフラヴィーが何をどのように仲裁すると言うのです?」
「ベーグムが敗北した後で、龍神教と帝国との間を仲裁するとのことだ」
ムバーリズッディーンはため息をついた。
クロスハウゼンは何を企てているのだろう?
何に固執しているのだろう?
「其方の戸惑いは分かる。
わしもな、言ったのだ。
仮にベーグムが敗北しても、クロスハウゼンが困ることは無いだろうと。
むしろ、勢力が拡大してうれしいのではないかと、な。
そこまで、固執するのは何か裏が有るのではないかと、な」
アドッラティーフはそう言って、傍らの少女に手を振った。
少女が老人の口元に飲み物の入った陶磁器を寄せる。
アドッラティーフは数年前の病以来、左半身の動きが悪い。
「カラカーニーは真面目な顔で答えおった。
言われる通り、龍神教には裏が有ると。
単なる邪教集団と侮ってはならないと」
「・・・龍神教になにがあるのです?」
「カラカーニーは、その問いには答えなかった。
カラカーニーは言った。
クロスハウゼンとしては、ベーグムの弱体化は悪くない話だが、壊滅は困ると。
ベーグムの穴をクロスハウゼンが埋めることは出来ないし、クロスハウゼン師団の拡充が認められる訳でもなかろうと。
だから、特別大隊の派遣に帝国から予算を出せと」
首席補佐官は考え込んだ。
頭部から左顔面を覆う頭巾をずらすと左側頭部を掻く。
ムバーリズッディーンの左頭部から顔面にかけては、今も醜い傷跡が残る。
左眼は眼球自体が無く、左耳の聴力は残っているものの外耳は失われている。
考え事をすると失われた左耳が痒くなるのだ。
普段は控えているが、ここにいるのは父親と身内の従者だけである。
アドッラティーフは息子の傷跡を痛ましそうに眺めた後、視線を外し、再び語りだした。
「他の者が言うのであれば、一笑に付す話だ。
だが、クロスハウゼン家のカラカーニーが、療養中の病室にわしをわざわざ呼んで話をしたのだ。
無視するのは難しい。
そして、カラカーニーは最後に言った。
却下するのであれば、それでも構わないと。
ただし、ベーグムが壊滅した場合は、クロスハウゼン師団の一個連隊増設を認めて欲しいと。
そうでなければベーグムの穴は埋められぬと、な。
そして、わしは要求を呑んだ」
「・・・一個大隊の派遣費用、少ないとは言えません」
「分かっている。だが、それ以外は、さして害はない」
帝国の、カゲシンの財政事情はお世辞にも良いとは言えない。
それは、この二人には自明である。
「クロスハウゼン邸から戻ってから、幾つか探りを入れた。
ジャロレークとクテンゲカイが主だな」
龍神教の後援者として知られる貴族は幾つかあるが、その筆頭とされるのがクテンゲカイ侯爵家とジャロレーク伯爵家である。
どちらも、龍神教との取引で多額の利益を得ているとされる。
「端的に聞いた。
どのような条件であれば龍神教と手を切るのかと」
「誰と話したのですか?」
それぞれ地方領主である。
領主自身がカゲシンに滞在していることは稀だ。
ただ、今回は武芸大会の直後でもある。
「ジャロレークは本人だ。
龍神教の鉱山利権の半分で手を打つと言っていた」
「ふん、それは、大きく出た物ですな」
帝国宰相の息子は不快気に鼻を鳴らした。
「まあ、最初は大きく出る物だ。
ジャロレークの態度は不快だが返答は想定内だ。
適当に脅したら、ビクついていた。
まあ、表立っての援助は控えるだろう」
「利権は諦めると?」
「地龍回廊の鉱物と農産物についてはドラゴン河の使用を『優先』するとの話でまとめた」
「相変わらず、お見事です」
エディゲ・アドッラティーフは既に二〇年以上帝国宰相の任にある。
この手の交渉では比類ない。
それにしても、『優先』という言葉は便利だ。
「問題はクテンゲカイだ。
話したのは、侯爵の異母弟、カゲシン・クテンゲカイ屋敷の代官だが、わしの問いに迷うことなく答えた。
侯爵自身から事前に指示があったらしい」
帝国宰相の顔が歪む。
息子の顔も歪んだ。
「それで、返答は?」
「龍神教の代表を帝国の正式な領主の一人として認めてほしいと言ってきおった。
第三帝政までは伯爵だったと、な」
「本気ですか?」
異教徒を諸侯に!
本当であればマリセア正教への背信行為である。
「事前に、表に出せない話、ここだけの話として聞いてほしいと言っていた。
故に、その場で咎めることもできぬ。
更に、発言したのは侯爵自身ではない。
この発言だけで罪を問うのは無理だ。
聞けば、クテンゲカイ侯爵はベーグム師団出征との話に予定を繰り上げて帰国したという。
龍神教に対する強硬手段がとられると考えての指示であろう」
「条件闘争はしないということですか?」
「無いわけではない。
正式な諸侯ではなく、『伯爵相当』の扱いでもよいとは言っていたが、それだけだ」
ムバーリズッディーンとしては唖然とするしかない。
異教徒の領主を正式に認めるなど、国家の根幹に直結する話である。
非公式とはいえ、クテンゲカイがそのような話をするとは。
「クテンゲカイは何故、そこまで、龍神教に肩入れするのでしょう?」
「分からん。
以前、龍神教についてはかなり詳しく調べたと考えていたが、再調査が必要かもしれぬ」
確かに再調査は必要だ。
だが、どこまで可能か。
龍神教徒は結束が固く、閉鎖性が強い。
「シャーヤフヤー殿下は、その話は?」
「分からぬ。だが、知っているかもしれん」
帝国中枢を握る親子は揃って深刻な顔になった。
現在のカゲシン宗主の次男、シャーヤフヤー殿下はクテンゲカイ侯爵系である。
「その話が本当だとしたら、シャーヤフヤー殿下の推戴は厳しいですか」
新宗主が異教徒の諸侯を認めでもしたら、とんでもない混乱が巻き起こるだろう。
「やはり、ベーグムに勝利させ、ゴルデッジ・ベーグム系の力を強めるべきですか?」
「勝ちすぎると、バャハーンギールが図に乗る」
父の言葉に息子は反論できない。
ゴルデッジ侯爵、ベーグム師団と懇意な宗主長男バャハーンギール殿下も色々と面倒なのだ。
「シャーヤフヤーの勢力を極端に低下させるのも考え物だ。
その意味ではクテンゲカイを過度に押さえつけるべきではなかろう。
結論としては、ベーグムがそこそこに勝つのが望ましい」
「カラカーニーが言うようにベーグムが負けた場合はどうなりましょう?」
息子の問いに宰相が再び考え込む。
自分で言いだしていながら、ベーグムが負ける可能性は考慮していなかったらしい。
ややあって、彼は戸惑った顔を上げた。
「意外と、悪くない、のかもしれぬ」
「はい、私もそう考えます」
ムバーリズッディーンが父に同意する。
「龍神教が、異教徒が勝つのはマリセア正教としては業腹ですが、ほどほどに勝利し当座の権益を確保すれば、龍神教もクテンゲカイ侯爵もそれ以上の要求は控えるでしょう。
シャーヤフヤー殿下が異教徒を正式に諸侯にと言い出すことも、少なくとも直ちには無いと考えます。
クテンゲカイ侯爵の勢力の増強もそれほどではないでしょう。
少なくとも、公式にはクテンゲカイと龍神教とは関係が無いのです。
バャハーンギール殿下の勢力は減退しますが、ベーグム師団が壊滅に至らなければ許容範囲内と考えます」
「カラカーニーの助言に乗って良かったと言う事か」
「勝っても負けても程ほどが良いという意味ではそうなります」
二人は複雑な表情で顔を見合わせた。
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