02-28 酒飲みの語らい
「ところで、あなたがカゲシンに来て四か月になりますが印象はどうですか?」
いきなり話が普通になった。
「そうですね。
宗教国家の総本山ですから、さぞ厳格だろうと考えていたのですが、驚くほど世俗的でびっくりしています」
「ちょっと、そこ。普通に世間話に入って行かない!」
シマは未だに怒っている。
何となくだが、テーブルにあったソーセージを取って口に突っ込んでやった。
「確かに世俗的な面が多いことは否定できません。
ですが、宗教的な制限も少なくありません。
例えば学問所では宗教学が必須科目になっています」
確かにそうなのだ。
国の上位者は全員僧侶資格持ち。
学問所では宗教学が必須。
施薬院や自護院練成所に入講するには宗教学中級までの履修が義務である。
ただし、だ。
「その通りですが、現実には宗教戒律とかいい加減ですよね。
特にセックス関係はそうです。
牙族のゲレト・タイジは正式な婚姻関係に無い男女が性的な接触を持つことに強い忌避感を持っています。
それは、彼らが信仰しているマリセア正教の戒律で禁じられているから、なのです。
ところが、そのマリセア正教本拠地で生まれ育ったモローク・タージョッは結婚前の恋人がセックスすることは普通と考えています。
彼女が特別かと言えば、そうでもなさそうなんですよね」
「建前の上では皆、戒律を守っているのです。
色々と抜け道、言い訳が考案されているだけです。
ですので、戒律に反している訳ではない、という話になっています」
そう言えば前にもそんな話になったな。
「シマが言ってた、『マナの相性を確かめるため』とかいう奴ですか?
あれだと成人後の独身男女は事実上のフリーセックスになるような、・・・」
「結婚後もかなりフリーみたいよ」
ソーセージを食べ切ったシマが参戦した。
「そーなの?」
「上位貴族の男性は正夫人、側夫人、高級使用人と十人以上の女性を抱えるのが普通。
二〇歳、三〇歳年下の女性を妻に迎えるのも少なくないのよ。
男性の体力、つーか、人族の老化は早いでしょ。
若い妻が下位の男性を食べちゃうのはある程度自由みたい。
夫公認の愛人も少なくないのよ」
そー言えば、オレ、被害者だった。
忘れてたけど。
今後も忘れていたいけど。
地球でも、中世ヨーロッパ宮廷では一夫一妻のカソリックなのに普通に愛人がいたと聞く。
こっちは女性の数が多い訳で、一律に禁止しちゃうのは無理なんだろうな。
「客の接待で、妻の一人を貸すのは、普通に行われています」
「偉い人が田舎に宿泊する場合は、村一番の美女に夜伽させるのが常識らしいよ」
田舎に貴人が来たら女性を差し出して子種を仕込んでもらうのは、地球でも昔は世界中で広く行われていた。
色々と理由があるし、選ばれた女性は光栄に思っていたらしい。
一概に非難すべき風習ではないだろう。
「ちなみに、位の高い女性には、村の若い男性が奉仕します。
私はセンフルールからここに来るまで何度も申し出を受けています。
穏便に断るだけで一苦労でした」
そーかー、そっちの方もあるのかー。
それは地球では聞いたことないかなー。
「ただ、客観的に見て、こちらの、特にカゲシンとその周辺の女性は欲求が強いように見えます」
「ディプラーとか普通に飼われてるしね」
何か聞きなれない単語が出てきたな。
「ディプラーって何ですか?」
「こちらで広く飼われている魔獣です」
「魔獣?」
「知らないの?
貴族の家で結構飼われてるし、カゲシトの門外にはディプラー小屋が並んでるじゃない」
う、そー言えば、女性用売春宿で見たような、・・・。
「えーと、そのディプラーって、どーゆーものなんですか?」
「嫁入り前の女性に聞くことじゃないわよ!」
呆れられながらも二人が教えてくれた所は、・・・まあ、ゲッソリする話だった。
ディプラーあるいはディンプラーと呼ばれる魔獣は人族だけでなく牙族でも広く飼育されている。
大きさは大型犬程度で、四足歩行形態。
性格は温厚で、攻撃力は低い。
寿命は一〇年に満たないが一年程度で成獣となり繁殖力がすごいようだ。
表向きの飼育理由は『皮』で、この魔獣の皮は防具用として優秀だ。
自護院で広く使用されている皮鎧も大半がディプラーだという。
だが、繁殖農家だけでなく貴族にまで飼われている真の理由は、そっち方面なのだそうだ。
ディプラーは雄雌の比率が一対一でこの世界の動物としては雄が多く、更に精力抜群なのだという。
魔獣なので、その精液には魔力が含まれており、貴族女性の需要に堪えるのだそうだ。
ちなみに雌はそっち方面では使用されない。
「マナを含んでいると言っても、多くは無いから、血族では使われてないんだけどね」
「こちらでは女性に広く使われていると聞いていましたが、想像以上でした。
人族の女性はマナの量には拘らないようで、大きさと持続力が有れば良いようです」
何でも、カゲシトのディプラーは品種改良されて、男性器が大きく持続力も強いと評判なのだそうだ。
いや、まあさー。
地球でもそーゆー趣味の人はいたから、まして女性過多なのだから、当然ともいえるけど、・・・何ともね。
「ディプラーも宗教上は問題ないのですか?」
「人ではないので、浮気ではないとされています」
はあ、何か、疲れた。
「建前として宗教は有るけど、全部厳密に取り締まっていたら、大半が違反者になっちゃう。
統治上はある程度世俗化する必要があるってことなんでしょ」
「伝え聞く所では、昔は厳格だったそうです。
あと、帝国内諸侯の領地では、婚姻や男女関係には厳しいようです」
「じゃあ、カゲシンのおひざ元が最も緩いと?」
「そのようです」
「わけわかんない話よね」
地球でも離婚を禁じるカソリック国で男女関係ゆるゆるというのと同じかね。
二〇世紀のフランスで元大統領の葬儀に愛人が参列したって例があったし。
イタリアなんてブンガブンガの本場だし。
「厳格な宗教戒律を国民全員に強制するのは不可能でしょう。
現実問題としては、ある程度の抜け道が必要なのだと思います」
「抜け道だらけ、という気もしますが」
「統治上必要と言うのは確かです。
他にも色々とあります。
例えばこの都市に異教徒は入ることが出来ません。
知っていましたか?」
「そうだったんですか?」
「正門で、マリセアの精霊像に手を合わせて礼拝したでしょう」
「言われてみればそんなことをしたような気もしますが、・・・あれが信徒の判別ってことですか?」
「昔は、本当に正式な信徒しか入れなかったようです。
ですが、それだと不都合が多いため、基準が緩くなったそうです」
「形骸化しているという訳ですか?」
「あながちそうでもないのよ。
つーか、あんた、特に信仰している宗教、ないでしょ?」
「まあ、これと言って無いかな」
「そーだと思った。
でもそれ、絶対に外で言ったらだめよ」
「なんでだ?
みんな、いい加減だろ」
「うんにゃ、傍から見てどーでも、本人たちは『マリセアの正しき教えに従う者』なのよ。
無宗教なんて言っちゃったら良くて国外追放、悪けりゃ宗教裁判で死刑よ、死刑!」
そー言えばタイジにも怒られたな。
「そんでさ、カゲシト正門でのお祈りだけど、あの程度でも他の宗教の信者には耐えられないわけよ」
そーいう事か。
オレ自身が宗教にいい加減だから気にならなかっただけか。
イスラム教徒がカソリックのマリア像に礼拝できないみたいなもんだろう。
「現在のカゲシン、カゲシトではマリセア正教を信奉している素振りができれば入ることができます。
それができない異教徒とは塀の外での対応になっています」
「えーと、それで他国は納得しているのですか?」
「そこら辺が妥協と言う話です。
マリセア正教の教徒以外は禁止という建前は崩したくない。
しかし、厳密にやり過ぎると、他国との交流が困難になる。
帝国の勢力が強いからこそ、この程度の妥協で何とかなっているとも言えます。
西方帝国からこちらに来ている外交官は母国で特別な許可を受けているようです。
セリガーもそうです」
「特別な許可って、一時的な改宗とかいう話ですか?」
「そこまでではありません。
マリセア正教の偶像に参拝することを一定期間だけ許可するようです。
カゲシン側も表面的にマリセア正教の決まりを順守すれば、内面までは問わない」
「まあ、それでもセリガーの上位者はこの町に入らないのよね」
「カゲシン側はセリガーのお偉いさんが一時的にでもマリセア正教を認めたと宣伝できる、と」
「聞いたところによればセリガーの首都でも似たような規制があるようです。
どっちもどっち、意地の張り合いという所でしょう」
セリガーも宗教国家かな。
まあ、中世レベルの文明だと宗教のない国家なんて無いだろうけど。
「そういえばセンフルールの宗教はどうなってるんです?
皆さん平気でここにいますけど」
「うちは、明確な名前の宗教は無いんだけど、強いて言えば始祖様信仰かな。
何かある時は、始祖様に誓ってとか言うからね」
「昔の帝国で信仰されていた『マリセア教』と私たちの信仰はほぼ同じです。
元を正せば、マリセア教が我々の教義を人族向けにアレンジしたものなのです。
多神教、万物に精霊が宿るという自然崇拝、先祖崇拝です」
八百万の神々の世界か。
個人的にはこっちの方が付き合いやすいな。
「そー言えば、マリセア正教って、マリセア教の分派みたいですけど、マリセア教とはかなり違いますよね」
図書館でちょっと調べたのだが、結構違うのだ。
「あんた、そこもちょっと問題発言よ。
まー、あんたの認識で正しいけど、ここの人間にとってはマリセア教の正統派がマリセア正教ってことだから」
「あー、そー言えばそんなこと書いてたような、・・・。
でも、マリセア教って多神教だよな。
それに対してマリセア正教は実質一神教。
そして、宗祖カゲトラ以前にそのような主張をした人間はいない。
つまり、カゲトラが起こした新興宗教ってことだろ」
シノさんがシニカルに笑う。
「あなたは本当に面白いです。
この国の為政者に都合よく書き直された歴史書を読んでその感想を持つというのは、ある意味驚愕です」
うーん、オレが宗教に対してヒネタ見方をしてるってーのはある。
地球時代は、某新興宗教とか某カルト宗派とかで、かなーーーーーーり苦労したし。
医者をある程度やってると、そーゆー人にぶち当たるからね。
まともな宗教家がいることも知ってるけどさ。
「そう言えば、他の月の民の宗教はどうなんですか?
ここらの本には書いてないですが」
「フロンクハイトは、うちと似ていて、・・・多神教というか精霊信仰なんだけど、中心にいるのが『預言者』なんだよね」
うん?
「確かフロンクハイトの人は『始祖様』こと『最終皇帝』を『預言者』と呼んでたよな。
どこが違うんだ?」
「フロンクハイトが認定している『預言者』は複数いるのです」
複数、それは興味深い。
「じゃあ、フロンクハイトは『センフルールの始祖様』を『預言者』としているけど『預言者』は他にもいると」
「そうです。
フロンクハイトは『始祖様』を『黒の預言者』と呼びます。
他に、フロンクハイトの始祖とされる『黄金の預言者』など十名以上が『預言者』として認定されていた筈です」
「そんなにたくさんいるんだ」
赤とか青とかいるのかね。
しかし、十名以上って。
「確か、セリガーの初代もフロンクハイトで預言者認定されてたはずよ」
「『麦の預言者』ですね」
『麦』ってなんだ?
わざわざ付けた二つ名だから意味はあるんだろうけど。
「えーと、つまりフロンクハイトは実在の人間を『預言者』に認定して、信仰対象にしているのですか?」
「そうなります」
「その『預言者』の認定基準って何なんですか?」
ひょっとして、全員、地球出身者ってことは、・・・流石に無いか。
「それが分かんないのよねー」
「フロンクハイトでは基準が有るようですが、外部には明かされていません。
始祖様の場合は、当初は『血族の敵』とされていました。
ところが、始祖様との戦争で敗北し、フロンクハイトの勢力が半減した時点でいきなり始祖様を『預言者』に認定し、絶対的な忠誠を誓ったのです」
「何ですか、それ。
戦争して、負ける前と後で何が変わったと?」
「こちらに伝わるところでは、始祖様の優れた魔術と統帥力を目の当たりにして、と言われています。
降伏する名目を作るためとの説もあります」
「始祖様に忠節を誓った割に、そこら辺の事情は明かされていないのですか?」
「始祖様も周囲の者もフロンクハイトの『忠節』を信用していなかったのです。
帝国の中枢にフロンクハイト系は極少数しか登用されていません」
「それで、今もセンフルールとは疎遠な関係と」
「その通りです」
良く分からんが、オレ的にはフロンクハイトの預言者選定基準は調べておくべきだろうな。
「話を変えますけど、セリガーの方の宗教はまた違うのですか?」
「極めて特異で、彼らは『共産主義』と名乗っています。
彼らが言う所では宗教ではないそうです」
噴きました。
「何で、ここで噴くかなあ?」
「キョウスケの感覚は相変わらず不可思議です」
「『共産主義』って、マジですか?」
「宗教でなくて政治主義なんだって。
でも、政治主義なのに他の宗教は禁止ってんだから意味不明。
聖典もあるのよ。
昔の『指導者』の書いた『共産党宣言』ってのが。
それが教義なんだけど、・・・良く分かんないわ。
国民に階級は無い、貴族も平民も奴隷も無い、全国民は平等って建前なんだけど、全国民に『番号』が割り振られてるの。
それで、儀式の時とかだけでなく、日常、どこでもこの番号の序列が物言う訳。
順番が後ろの人間が前の人間に礼を欠いたら厳罰。
下手な貴族制なんて真っ青なぐらい階級がきついらしいわ」
「じゃあ、永遠の霊廟に来てたバイラルの序列七番は、国家序列で七番目の国民って意味ですか?」
「そうです。
ちなみにセリガーの序列一桁は他国では『王族』として扱われます」
「えーと、その制度って、さっき言ってたセリガー初代の『麦の預言者』が作ったんですか?」
「そうみたい。
あ、本名は、えーと、・・・マルクス・レーニン、だったかな?」
あー、うん、地球人決定。
頭痛い。
「初代のマルクス・レーニンを最初にして唯一永遠の指導者としているようです。
現在は指導者が不在という形で国民序列一位の『第一市民』が臨時で国家代表を務めている、ということになっています。
千年以上『臨時』の国家代表が続いているわけです。
首都も『仮初』で、全世界が共産主義になったら作り直すとか。
まあ、不思議な国です」
「ひょっとして、ですが、セリガー共和国って正式名称はもっと長いんじゃないですか?」
「そうだよ。
確か、セリガー社会主義共和国連邦っていうはず」
今度は噴かなかった。
えーと、ちょっと待てよ。
始祖様が死んだのが七百年前で、『帝国』の建国がその三百年前。
その更に千年前にセリガー建国って話、・・・だったかな?
始祖様が採用したメートル法が出来たのはフランス革命で一七八九年。
マルクスは確か十九世紀の人、だよな?
ロシア革命が一九一七年だから、・・・年代ぐちゃぐちゃだ。
つーか、逆転してる?
始祖様はメートル法を知ってただけだから十八世紀じゃなくて二十世紀以降の可能性もあるか。
「ちょっと、あんた、何、吹いてる、つーか、何、ボーっとしてんのよ!」
カナンでは二千年前に『共産党宣言』を知ってる地球人がいたという事になる。
こちらと地球との時間差はどうなってるんだ?
やっぱ、オレって亜空間ボックスとかに保存されてたんだろうか。
それも二千年。
「多分、飲みが足りないのでしょう」
良く分からん。
分からんが、始祖様だけでなく、セリガー初代についても情報を集めねばならない。
他の『預言者』とやらの詳細も知りたいところだ。
センフルールの情報も知りたいが、・・・まずは、・・・図書館?
・・・気が付いたら、グラスになみなみと琥珀色の液体が。
「ギリギリですが柄杓三杯入りました」
これ、何杯目かな。
七杯目?
八杯目?
・・・まあ、いっか。
「そう言えば、あなた、名字を貰ったそうですね?」
唐突に聞かれた。
いや、オレが呆けていただけか。
「ネディーアールに付けてもらったと聞きました。
永遠の霊廟の地名から取った、地名が気に入ったという話でしたが、疑問が有ります」
「当初は村の名前を薦められたのですが、『スッパイ』というのが個人的に気に入らなかったので、他に使えそうな地名を付けてもらったのが真相です」
見ると、シマはそろそろ限界のようで、シノさんに寄りかかっている。
こいつも結構、飲んでたからな。
残っていたテリーヌをつまみにブランデーを舐める。
最初はどーかと思った宴会だが、こーゆーのも悪くは無い。
「ネディーアールは、『由来は分からぬが、語感が気に入ったと本人が言うので』と言っていました。
でも、私にはあなたに教えた記憶が有ります」
うーむ、忘れてなかったか。
「降参です。
カゲシンに来る途中でシノさんに教えてもらったのがきっかけです。
語感も意味も気に入ったのですよ」
「あれが気に入ったと。
やはり、あなたは変人です。
自ら『預言者』を名乗るとは」
そう、彼女は教えてくれた。
永遠の霊廟が立てられた土地は、それ以前から『カンナギ』と呼ばれていたと。
『カンナギ』が短縮されて『カンナ』になったのだと。
『カンナギ』は『神の代理人』、『神の言葉を代弁する者』、『預言者』などの意味があると。
「正確には、聞いたのは『カンナギ』の意味だけだったと思います。
始祖様以前からと聞きましたが、由来は分かっているのですか?」
「フロンクハイトの『預言者』の一人が名付けたと聞いています。
『預言者が住まうにふさわしき土地』という意味と聞きます。
フロンクハイトはカナンで最も歴史があります。
古い地名の大半はフロンクハイト由来でしょう」
『神の代理人』、『神の言葉を代弁する者』、『預言者』、全て日本で『神薙』の意味として伝わる。
つまり、その預言者も地球人で、それも日本出身の可能性が高いことになる。
「ところで、永遠の霊廟で思い出したのですが、あの『始祖様の印』というのは、もう、諦めたのですか?」
「諦めるも何も、爆発してしまってはどうにもなりません」
黒髪のFカップは悠然と両手を広げて答えた。
「幸か不幸か、歴史的遺物ではありますが、特別な機能はないそうですから、失われたとしても実害はないでしょう」
「フロンクハイトやセリガーは、重要な物と捉えていたように見受けましたが?」
「不思議な物であるのは、事実なのですよ」
ブランデーが注がれる。
オレのグラスにも注がれる。
「フロンクハイトの言い伝えでは、歴代の『預言者』は必ずあの印を持っていたのだそうです」
「同じ物をですか?」
「さあ?本当に同じ物なのか、形状が似ている別物なのか、確かめられたわけではないようです。
ただ、フロンクハイトは『同じ物』だと主張しています」
「始祖様は、どのように?」
「始祖様はこの印について色々と調べていて、『特殊な形状記憶合金』と結論しています。
粉みじんにされてもマナを注げば元の形に戻るそうです。
ただし、用途としてはハンコとして使う以外、使いようはないと」
「何とも微妙な結論ですね。ただのハンコにそれだけの能力を持たせた意味が分かりません」
「確かに意味不明です。
誰が作ったのか、何時作られたのか、何のために作られたのか、全てが不明です。
始祖様は、この印を奪い合う意味はないと書き残しています。
しかし、その一方で、始祖様はこの印をどのように入手したのか書き残していません。
また、終世に亘ってこの印を使用し、最後はこの印だけを持って永遠の霊廟に入ったと記録されています」
「ますます、奇妙ですね。
始祖様は前任の預言者からそれを引き継いだわけではないのですよね?」
「数百年の差があります。接点どころか、同じ時代に生きていない筈です」
「前任預言者の持っていた印はどうなったのですか?」
「詳しくは不明ですが、伝えられていない、失われたと推察されます。
一説では、預言者の死と共に消滅するとされています。
この辺りが、血族で神聖視されることに繋がっているのでしょう」
結局、良くわからん、ということか。
「そう言えば、あなたは始祖様と同郷と主張していたのでしたね」
「何か、故郷の情報はないかと考えまして。
預言者の記録は、どこで調べるべきか助言は頂けませんか?」
「それは、やはり血族になって、血族国家で調べるしかないでしょうね」
やっぱ、そうか。
「カゲシンは現在の帝国内では最も資料があるとされています。
ニフナニクスが歴史資料保全のため帝国中から資料を集めたのです。
ただ、その多くはカゲシンの閉架図書館にあります。
閲覧制限がありますからあなたでは見ることはできません」
閉架図書か、忍び込むことを考えるべきかね。
「あとは、フロンクハイトに直接聞くか。
ああ、そう言えば、使節が来るそうですよ」
「使節と言いますと?」
「フロンクハイトとセリガーからそれぞれ『謝罪使』が来ます。
永遠の霊廟での事件に対する謝罪ですね」
「それは、ひょっとして、かなりの事件なのですか?」
「帝国外交史に特記される程度には事件でしょう。
フロンクハイトは私たちのような『留学生』を送ってくると聞いています」
「留学生、ですか。何を学びに?」
「何でも良いのですよ。
帝国にとっては、高位貴族が留学に来ていること自体が大きな収穫ですから」
良くわからん。
「えーと、それって、『謝罪』になるのですか?」
「あなたは私たちがここにいる意味をどう考えます?」
助け舟を出されて、ようやく理解できた。
「ひょっとして、『人質』ですか?」
「有体に言って、その通りです」
シノさんがここで何を学んでいるのか、疑問だった。
医学の知識や腕はセンフルール勢の方がここの施薬院首脳よりはるかに上だろう。
軍事や魔法についての知識で、月の民が人族より下という事も無さそうだ。
「カゲシン内部の状況を知る事、人的繋がりを作る事、帝国内諸侯動静や、帝国と他国の関係調査、仕事が全く無い訳ではありません。
先ほど言った閉架図書館の古文書の閲覧や写本も重要です。
私とシマの場合は個人的な理由もあります。
ですが、どれも必須かと言われればそうではありません」
「実質人質だけど、名目上は留学生ってことですか」
「それで、カゲシン本山は満足しているわけです」
シノさんは妖艶に微笑み、「フロンクハイトから来る子が楽しみです」と付け加えた。
「男性が来るかもしれませんよ」
「私たちと条件が同じであれば、男性は禁止です。
男性血族は人族女性に対する悪影響が大きいですから。
出す方も貴重な男性血族を人質にしたくないのもあります。
二〇歳以下、基本は成人直後の女性です。
教育係兼お目付け役として年配の女性が一人、うちのミスズのような存在が許されますが、百歳以下になります」
「若い女性と言うのは、・・・帝国側がコントロールしやすい、という話ですか?」
「その通りです。ですので、来るのは若い女性です。
個人的にはかわいいタイプが良いです」
うれしそうに微笑む黒髪の美女。
「グラマー美人はダメですか?
永遠の霊廟に来ていた二人はそっち系でしたが」
「それは、それで趣があります。
美人で揉み応えのあるおっぱいの持ち主であれば許容します」
「・・・揉むんですか?」
「そこに美しいおっぱいがあるのなら、一パーセントでも可能性があるのなら努力すべきでしょう」
この人、ブレないな。
「見て楽しむだけではダメなのですか?」
「最初から諦めてどうするのです?志は高く持つべきです」
「志ですか、確かにそうですね」
「二人とも、何話してんのかなぁー、もう」
いきなり活性化した、ちっちゃいのが呆れ果てた顔で呟いた。
「困難な目標に立ち向かう勇気という話をしていたのです」
「あのさぁ、シノちゃん、病気が悪化してるよ。
キョウスケのせいかなぁ」
なんでオレのせいになるんだ?
懐中時計を出して時間を確認する。
目を逸らすのに時計は最適だ。
もう直ぐ新年、だった。
長居したものである。
まあ、年越しとしては、そう悪くはないのかもしれない。
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