02-14S モローク・タジョッ 遠征実習に参加する

 合格発表の翌日、施薬院徽章を受け取りに行った私は同期入講の三人と改めて顔合わせをした。

 入講が決まった月は翌月からの受講に備えてやることが多い。

 施薬院には三つの科があって、それぞれ多くの講義が有る。

 この講義はどれからでも受けることができるけど、これが罠だったりする。

 幾つかの講義は、他の講義を履修しないと聞いても理解できない仕様になっているのだ。

 これを知らずに適当なところから講義を受けると、何も理解できないまま時間を無駄にすることになる。

 施薬院の制服も作らねばならない。

 これも十日以上かかるから、知らなければ来月までに出来上がらない。

 制服が無ければ施薬院の講義は受けられないのだ。

 色々と教えてあげようじゃない、とか思っていたら、三人とも施薬院の制服を着ていた。


「アンタ、まさか、絶対合格するって前提で事前に制服作ってたっていうの?」


「そーゆーお前だって、制服着てるじゃねーか」


 反射的に怒鳴ったら、普通に言い返された。

 礼儀も何もない。

 そりゃ、最初に礼儀に欠ける言葉遣いをしたのは私だけど、高位階級の女性に対して失礼に過ぎると思う。


「私は、元は九月に入講する予定だったから早めに作ってただけよ」


「つまり、同じだろ。

 つーか、これから制服作ってたら講義を受けられないだろ」


 問い詰めたら、こいつら月初めから講義を受けていたという。


『青』以上の学生証であれば、試験を受ける月の最初から受講が許されるのだそうだ。

 そんな話、全然知らなかった。

 あとで聞いたら、月の民用の特別規定らしい。

 月の民限定とは書いてないけど、そうまでして講義を受けるって何なの?

 そもそも、アンタ、平民なのに、なんで学生証『青』なのよ!

 そして、コイツが受けてる講義を見てみたら、案の定、メチャクチャだった。


「アンタ、何もわかってないわね。

 こんな講義を最初に取ったって理解できるわけないじゃない。

 この講義は、先にこっちの講義を履修してからでないと理解できない内容なのよ」


「まあ、そうだな。オレもタイジ達には、そう薦めている」


「アンタ、何言ってんの?」


「オレはいいんだよ。

 学ぶためじゃなくて、ここのレベルがどの程度なのか確かめてるだけだから」


 もう、何を言ってるのか分からない。

 分からないけれど、私はこの日から、このスッパイ・キョウスケという変な名前の男と行動を共にするようになった。

 ガウレト族とかいう聞いたことも無い牙族の男、ゲレト・タイジ、その妻のダナシリの四人のグループだ。


 最初はキョウスケと一緒に講義を受けたけど、それは無謀というか無意味だった。

 コイツのは、講義を受けているとは言わない。

 少なくとも、普通の講義の受け方ではない。

 コイツがやってることは確認だ。

 まず、講義の教科書を買う。

 わざわざ高い教科書を何で買うのかと思えば、講義より先に読むためだ。

 普通は十数回、三か月ぐらいかかる講義の教科書を、コイツは一日か二日で読んでしまう。

 そして、疑問点をダーッと書き出す。

 コイツが講義に出るのは、疑問点を講師に質問するためだ。

 質問内容は、すっごく高度で私にはちんぷんかんぷん。

 恐ろしいのは、しばしば講師の方も答えられないことだ。

 そんな時、キョウスケは深追いせずに引き下がる。


「講師にはプライドって物が有るからな」


 妙に大人の態度。

 時には、質問の体で明らかにキョウスケが講師に教えている事すらあった。

 確かに、コイツに講義の順番なんて関係ないのだろう。


 もう、プライドなんかどーでも良くなった私は、ゲレト・タイジに同行することにした。

 だがしかし、こちらも酷かった。

 最初に受けるべき講義を受けているから、その意味では私も理解できるのだけれど、何故かやたらと急いでいる。


「そこ、来月の講義のとこでしょ。

 どーして、そんなに急いでまとめてるの?」


「いや、この講義は今月末に履修試験を受ける予定なんだよ」


「はあ?馬鹿じゃない?

 履修試験は施薬院に入って二年目にならないと受けられないのよ」


 私が断言したらタイジは長さの違う両耳を痙攣させていた。

「でも、キョウスケが」とか言い出したので、アイツの所まで引っ張って行った。


「いや、それは慣例であって、そんな規定は無い。庶務課に行って確かめた」


「嘘よ、ろくに講義を受けずに履修試験を受けた人が失格にされたって聞いてるわよ」


「不正を疑われた場合は口頭試問とか追加の試験が課される場合も有るらしいな。

 だからしっかり勉強しとく必要はある。

 まあ、教科書を買った場合はそのような事は少ないって話だ」


 こいつ、何をどこまで調べてるんだろう?


「試験を受けられるって話は分かったけど、そんなに急いでどーすんのよ。

 試験受けたって合格しなきゃ意味ないじゃない」


「いや、当然、合格するつもりだぞ。

 こんな講義、タラタラ受けてられん。

 早めに切り上げて実習に集中したいからな」


 キョウスケは今月から十科目以上試験を受けるらしい。

 ゲレト・タイジは試しに三つぐらいとか言っている。

 何か、自分がものすごくできない子に思えてきた。

 何なのよ。

 入講試験に合格した月は、翌月からの講義のための準備期間でしょ。


「タージョッさんも一緒に試験受ける?」


 ゲレト・タイジが試験対策のまとめを見せてくれた。

 すっごく分かりやすくまとまっている。


「キョウスケが作ったのを写させてもらったんだよ」


 ・・・素直に写した。


 もう、ついでだから教科書も貸してもらった。

 キョウスケとタイジはほとんどの講義の教科書を買っている。

 タイジは留学生だから分かるけど、キョウスケが教科書を買う理由は今一つ分からない。

 履修試験で有利になるのは分かるけど、図書館に入っている本も買っている。

 私としては何時でも教科書が読めるのはうれしいけど。

 分からない所も全部教えてくれるので楽だ。


 気が付けば私はすっかりキョウスケに依存していた。

 流石に気が引けたので、できるところは協力することにする。

 履修試験の過去問を集めて提供したり、提供してくれそうな人を紹介したり、実習見学も仲介した。


 実習見学はスルターグナが教えてくれた『次善の策』の一つだ。

 施薬院講師が手術を行う際に助手として参加するのは、経験を積んでからでないと無理。

 だけど、見るだけなら許可してくれる事が多い。

 これに出来るだけ参加して講師に顔を覚えてもらうように、というのがスルターグナの助言だ。

 まさか、施薬院に入ったその月から行くとは思わなかったけど。

 誘ったらキョウスケは喜んで付いてきた。

 尤も、手術が始まったら変な顔をしていたけど。

 彼の変な顔の原因が分かったのは十二月に入ってからだった。


 この年は春から夏にかけて地方がゴタ付いていたので自護院の秋の実習は中止の方向だったけど、春も夏も遠征実習が潰れていたので、年末に慌ただしく行うことになった。

 私はこれに参加することにした。


「講師に顔を覚えてもらう方法として、自護院の遠征実習ってーのがあるのよ」


『全金徽章』獲得の方策としてスルターグナが教えてくれた。

 自護院の実習、特に遠征実習は激しいことで有名だ。

 当然怪我人も多数出る。

 だから施薬院から講師クラスが派遣される。


「遠征実習に付いていくと担当講師に顔を覚えてもらえるし、新人でも処置や手術に参加させてもらえるって聞いてるわ。

 つまり、講師に顔を覚えてもらえるだけでなく、手術や処置の参加実績にもなるのよ」


 スルターグナは例によって甲高い声で言った。

 遠征実習に参加する講師は持ち回りらしい。

 講師に付いていく一般医師や学生は講師の指名だが、慢性的に人手不足なので希望者は歓迎されるという。


「そんなに、いい事ばっかりなのに、知られてなくて、希望者歓迎って、デメリットは何なの?」


「うん、メチャきついらしい。

 肉体的にも、精神的にも、魔力的にも、全ての面で厳しいらしいよ」


 患者になるのは一般兵士。

 平民、他に行き場のない下級貴族、元犯罪者なんかもいるという。

 殺気だった下層階級の患者が大量に殺到するから、怒鳴られる小突かれるぐらいは当たり前。

 体力の限界、魔力の限界まで使い潰されるから、終わって数日間は何もできないという。

 そんな状況なのに、患者は下層階級だから個人的な謝礼は皆無。

 自護院から出る報奨金は相場の十分の一以下だとか。


「野外のテントで寝るんですって。

 メイン執刀者は簡易ベッドが当たるけど下っ端は地面に毛布一枚敷いて寝るらしいよ。

 夏は暑さと虫、冬は寒さで寝られた物じゃないって」


「それ、参加しないとダメかな?」


「あんた、トップ合格逃しちゃったんでしょ」


 そんなんだから、何れは遠征実習に参加するとは思っていたけれど、流石に入って直ぐの年末に参加する予定は無かった。

 参加することになったのは、まあ、アイツが参加すると言い出したからだ。

 施薬院の担当がシャイフ伯父の教室だったのもあった。

 自護院の遠征実習は年に何回か行われるけど、まともな貴族はまず参加しない。

 普通の貴族が自護院の資格を取る場合はカゲシン郊外の実習で事足りるからだ。

 今回の遠征実習は七日間。

 参加するのは、ばりばりの軍事貴族と平民、地方の下級貴族、そして変わり者だけだ。

 私達施薬院組は行き帰りが馬車、それもスピードと耐久性に優れる魔獣馬の曳く馬車なので、行き帰りで二日間短くなる。

 それでも五日間、つまり四回はテントで泊まることになる。

 カゲシンに帰れば私も変わり者扱いだろう。


 寝る場所は想像以上に酷かった。

 私達は将校扱いだから、宿泊用のテントは兵士が立ててくれる。

 文句を言って悪いけど、兵士たちは平民でかなり汚い。

 立てられたテントも臭い。

 堅くてまずい黒パンの食事を無理して食べてテントに入ったけど、臭い上にメチャクチャ寒くて寝られない。

 従者のコニと二人、身を寄せ合って眠ろうとしたけど、もう、全然、無理。

 十二月の寒空にテントっていうのがこんなにつらいとは思わなかった。

 寒くて隣のダナシリの所に行ったら、カイロで暖を取っていた。

 ダナシリは施薬院に一緒に合格した牙族ゲレト・タイジの妻だ。

 ダナシリは遠路はるばるカゲシンまで来たので旅慣れている。

 そんな彼女はマナを注ぐと暖かくなる魔道具を持っていた。

 だが、それでも寒い。

 結局、ダナシリとその従者も含めて四人で一つのテントに入ることにした。

 寒さはかなりましになったけど、うつらうつらしか寝られなかった。

 こーゆー場所で寝られるようになるのも実習らしいのだけれど、もう泣きたい。


 翌日は、朝から施薬院テントで待機。

 自護院の方は砦の補修をやっているらしい。

 患者は少なくて楽だけど、上司がしつこい。

 今回の主任講師はバフシュ・アフルーズという。

 シャイフ伯父の教室の一員で、手術の腕前は施薬院でも有数という話。

 だけど、素行は良くない。

 暇なのをいいことに、私とダナシリに根掘り葉掘り聞いて来る。

 恋人はいるのか、どんな男が好みか、性体験はあるのか、などなど。

 ダナシリは牙族で既に結婚していると話したら、質問は私に集中した。

 適当にはぐらかしていたら、今度はメモ帳を取り出す。


「あー、これは、純粋に医学的な見地からの質問なんだが、身長に体重、胸のサイズは?

 カップ数は?

 ウエストとヒップのサイズも言ってくれ」


 全く顔色を変えずに、淡々と聞いて来る。

 ダナシリと二人、顔を見合わせる。


「あのー」


「あー、勘違いするな。

 俺は現在、カゲシン在住の女性の発育に関して論文を書いていてな。

 これはあくまでも、学術的調査だ」


「あのー、私はガウレト族で、カゲシンに来て数か月ですが」


「それは、貴重な症例だな。そういうことで、何センチだ?」


 ダナシリが抵抗したけど、返り討ちにあう。

 結局、私達は全部、話すことになってしまった。

 後で上級生に聞いたら、全員通る道だと笑われた。

 ちなみに、論文を書いているのは本当らしい。

 論文を書いてたら、いいんだろうか。

 納得いかない。

 なんか意味不明な一日だった。

 二日目の夜は先輩に寒さを訴えたら予備の毛布を貸して貰えたので多少はマシになったけど。


 そして、三日目。

 自護院でメインの砦攻防戦が始まった。

 話には聞いていたけど、朝からとんでもないことになった。

 怪我人が次から次へとやって来る。

 普通、一番多いのは矢に当たった人らしい。

 確かに今回も多い。

 模擬戦だから矢尻は潰してあると聞いてたけど、当たり所が悪いと酷いことになっている。

 投げ槍に当たった人とか、砦の壁の上から落ちた人とか、重症の人も少なくない。

 そして、意外に多いのが火傷だ。

 今回の施薬院講師は三人。

 そのうち一人は薬術科の講師だから、手術が出来るのはバフシュ講師ともう一人だけ。

 その二人は早々に手術に入ってしまった。

 それぞれ数人の助手が付いている。

 貴族の重傷者が出ては仕方がない。

 下級兵士の重傷者も出たけど平民は後回しになる。

 一人は太ももが両方潰れていた。

 多分、彼女はもう歩けないだろう。

 私達は薬術科の講師の指示で火傷と打撲の処置に入った。

 下級兵士の打撲の処置は患部に薬草を巻いて痛み止めの薬を渡すだけだ。

 これは直ぐに終わったけれど、火傷は厄介だ。

 水ぶくれとか、爛れたのとか、酷いのだと完全に焼け焦げてるのまである。

 患部をきれいにして火傷用の軟膏を塗っていくのだけれど数が多くて手が回らない。

 薬術科の講師と、一人の上級生が処置に当たり、もう一人の上級生が二人の補助をしている。

 でも、全然手が足りていない。

 範囲の広い火傷が多いし、筋層まで達した火傷は手間がかかる。

 医者はもう残っていない。

 残っているのは私とダナシリだけだ。

 私達は、包帯を巻いたり、軟膏を渡したり、あたふたするだけ。

 教科書で知識を入れたし、施薬院で見学もしたけど、何の役にも立たない。


 患者が多いのに処置が進まないから、現場は段々雰囲気が悪くなる。

 途中で、バフシュ講師の手術が終わり兵士たちを一喝してくれたので少し静かになったけど、また直ぐに次の手術に入ってしまった。

 そうそう頼ることはできない。


「もう、火傷用の軟膏が無いわ」


 薬術科講師が絶叫した。

 余裕を持って用意したはずなのに、軟膏が足りなくなってしまったという。

 想定の三倍以上火傷患者が来ているとか。

 兵士の一人が話したところでは、新米の魔導士に一人、とんでもなく強力なのがいたのだそうだ。

 そいつがやたらとファイアーボールを投げまくり、刺激された魔導小隊の魔導士達が本気で反撃してしまったため、とんでもない事になったのだという。

 どこの誰かは知らないが余計な事をしてくれたものだ。

 薬術科講師があわてて軟膏を作り出したけど、処置はさらに遅れることになってしまった。


 状況は、もう、殺気どころじゃない。

 泣きたい、もう帰りたい、と思ったその時に、アイツがやって来た。

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