02-11S インタールード 陰謀
━━━しばしば独特の政治形態と揶揄される感もある第四帝政であるが、近代的な基本的人権に留意した政権であったことは評価すべきであろう。━━中略━━第一帝政は基本的人権を掲げ、長命種、短命種の差別を禁じてはいたが、魔力量の多い者が上位階級を形成していたことは否めない。第二帝政は長命種の政権参加を完全に否定しつつ、魔術師絶対主義に偏向した。第三帝政では魔力量と共に帝国貴族の血統が重視され、支配層の貴族化が進展している。━━中略━━一方、第四帝政は、マリセアの精霊の前での平等を説き、長命種も、短命種も、魔力のある者も無い者も、少なくとも建前上は、公平に扱うことになっていた。実際、第四帝政における事実上の皇帝であるマリセア正教宗家は大半の者が魔力を持たなかった。━━中略━━第四帝政の平等主義が実践されたのが教育である。その首都カゲシンにおける教導院学問所には身分の上下を問わず、貧民でも入学が許されていた。下級市民の学費は極めて安価に設定され、更に成績優秀者には奨学金制度まで用意されていた。意欲ある若者は誰でも高等教育を受けることが可能であったのである。これは、高く評価すべきであろう。━━中略━━しかしながら、第四帝政における教育は宗教に重きを置いていた。宗教偏重は、単に道徳的知見だけでなくおり、全ての分野に波及していた。結果として自然科学が軽視されたことは否めない。━━中略━━魔法教育もまた、第四帝政において大きく変化した。かつて、第一帝政期にKFCの主導で編纂された『魔法学大全』では、科学と魔法の融合が謳われ、科学的知見をもとに魔法を実行することが重視されていた。しかし、第四帝政ではそこに信仰心の有無が加わる。━━中略━━第一帝政時代の魔法書は『信仰心に欠ける』とされ、発禁処分となる。第四帝政における魔法は精霊に祈り、呪文を唱え、それに口伝のコツを付与して行うものへと変化した。━━中略━━かつてKFCは魔法における呪文は、魔法を構成する補助であり、必須ではないと定義した。だが、第四帝政時には、魔法は呪文を唱えて発動する物へと変化を遂げた。短縮詠唱、無詠唱は一部上級者の物となったのである。━━中略━━注目すべきは、当時、この変化が『進歩』として歓迎されたことである。即ち、KFC時代の魔法は物理・科学法則を理解したうえで使用する物であり、高等教育を受けた者だけが使用できる特殊技能であった。対して、第四帝政での魔法は魔力さえあれば使用できる物になった。結果として高度な魔法を扱える者は激減したが、魔法使いの絶対数は大幅に増加したのである。━━中略━━更に、興味深いことに、この変化は長命種にまで及んだ。実を言えば当時は短命種だけでなく長命種においても物理・科学法則は必ずしも理解されていなかった。既に年月を重ねていた長命種にとって、KFCが集大成した高度な物理・科学法則を学びなおすのは困難であった。彼らにとっても簡便な『呪文だけ』の魔法は、特に新たな魔法を習得するには、便利な存在であった。━━━
『ゴルダナ帝国衰亡記』より抜粋
「また、ダメだったというのか!
何時になったら、『月の民の秘薬』の『本当の呪文』が手に入るのだ!」
アーガー家当主サイウッディーンの怒声に、部屋に集まっていた部下が顔を伏せる。
スッパイ・キョウスケの『説得』は今回も失敗していた。
生徒であるシャーフダグ本人による説得も、搦め手の女性からの説得も、全く効果が無かった。
キョウスケ本人に聞けば、シャーフダグから『命令』はされていたが『説得』は一度も無かったし、女性からの話は意味不明だと答えるだろう。
そもそも、自分は、真摯に全てを教えている、聞き耳を持たないだけだと。
だが、シャーフダグたちにとってみれば、スッパイの唱える『呪文』は無意味であった。
それだけで明確に魔法を実行できるのが『本当の呪文』である。
スッパイは、それを教えない。
遥かに位が上のシャーフダグがこれだけ『頼んで』いるのに教えないのは、彼らの常識では有り得ない。
アーガー家では、スッパイは平民だから、明確な金銭的報酬が欲しいのだろうと推理していた。
シャーフダグは、しばしばそれを匂わせていたが、スッパイは全く反応しない。
しからばと、スッパイが貴族的な、筋肉の少ない女性を妻として欲しているとの情報を基に、それなりの女性を斡旋したが、これまで全て失敗している。
カナンの常識では、独身男性は身分が上の女性に誘われた場合、基本的に応じる事になっている。
これは平民でも同じ筈だが、その常識が通じない。
スッパイは性的倒錯者だと聞いたので、様々なタイプの女性も差し向けたが、成功は無い。
この日も、五〇歳の熟女を差し向けたが、スッパイは最初から無視した。
「分かっているのか、ピールハンマドの修行は二〇〇日を切った。
このままでは、アーガー家の家督が分家に渡ってしまうのだぞ!」
アーガー家はカゲシンでも四家しかない僧正家の一つである。
諸侯では公爵級であり、過去には何人もの帝国宰相を輩出している。
だが、現当主サイウッディーンは五百日行で修行が頓挫していた。
加えて実務能力にも乏しく、あと数年で齢五〇を迎えようというのに、未だに位階は権少僧正である。
『定位置』の『僧正』からは三段階も低い。
そして、サイウッディーンのただ一人の男子であるシャーフダグは百日行すら達成していない。
これだけならばまだ良いが、困ったことに分家筋のピールハンマドが優秀で、現在は最終試練千日行に挑んでいる。
修行は順調で、既に八〇〇日を超えた。
このまま、ピールハンマドが修行を達成したら、恐らくアーガー家の家督はピールハンマドに移る。
サイウッディーンはこれまで、何度もピールハンマドを『処分』しようと試みていたが、彼はライバルであるエディゲ僧正家の庇護下にあり、どうにもならない。
このままでは、シャーフダグは廃嫡され、地位も財産も失う。
そこに降って湧いたように『月人の秘薬』の話が出てきた。
この機会は逃せない。
『カゲシン施薬院に月の民の秘薬をもたらした功績』をシャーフダグの物とし、施薬院の主席にすれば、アーガー家の家督も守られるだろう。
このままアーガー家の家督がピールハンマドに移されたら、現在のアーガー家の縁者、サイウッディーンやシャーフダグの側近たちもお払い箱になってしまう。
サイウッディーンはそう言って、皆を叱咤する。
アーガー家執事がそれに応えて声を張り上げる。
「絶対に、本当の呪文を手に入れるのだ!」
執事の言葉に皆が唱和する。
「しかし、具体的にはどういたしましょうか?」
今、声を張り上げた執事が深刻な顔でサイウッディーンに尋ねる。
「スッパイの女の趣味は特殊ということで、様々な女を宛がってきましたが、・・・スッパイが変態というのは確かなのですか?」
女性の調達を担当していた男も質問する。
「それは、間違いない。
あの男は、クロスハウゼン家から数多くの女を斡旋されているが、全部断っているのだ。
かなり偏った趣味なのは間違いない」
執事が断言する。
「それに、ここ一か月以上、スッパイに監視を付けているが、女との接触はゼロだ。
毎晩、夜は一人で過ごしている。
その手の店に行ったことは無いし、女を引き入れたことも無い」
「一か月以上!それだけの期間、女無しで過ごしているというのですか!」
「ああ、一人で処理するのが好きらしい。
極端に趣味が偏った変態であることはまず間違いない」
カナンでは、女性比率が高いため、男性の性的能力は地球に比べて高い。
健全な成人男子は、毎日、女に精を注ぐのが『権利』であり『義務』とされる。
男性は性欲が強いから、一日二日程度ならともかく、三日以上女無しで過ごすことは不可能だ。
「そんな、毎日、自分で処理するのが好きな男の趣味など私には想像できません!」
女性調達係が頭を抱える。
「普通の女に興味が無いのは確定している。
牙族の女や、異国の女、・・・アルダ人やバゼット人はどうだ?」
「それは、少なくとも直ぐには調達できない。いっそ、男ではどうだ?」
「いや、男が趣味で有れば、シャーフダグ様の懇願に反応しないのはおかしい」
名門アーガー家出身のシャーフダグは、容姿の整った恰幅の良い男性であり、見た目の評価は高い。
「いっそ、シャーフダグ様から愛を仄めかされては如何でしょう?」
「私に、これ以上、あの変態平民に媚びを売れというのか!」
打開策を思いつかない側近の言葉に、それまで沈黙していたシャーフダグが激昂する。
「父上、もう、こうなったら、あ奴を拷問し情報を吐かせるしかないと考えます。
幸い、奴の家には使用人はいません。
家で待ち構えて、そのまま監禁すればよい」
息子の言葉にサイウッディーンが鼻白む。
「シャーフダグ様、それは拙いです。
あの男は平民ですがクロスハウゼン家が後援しているのです」
クロスハウゼン家はカゲシン三個師団と言われる三軍閥の一つを率いる家だ。
荒事になれば、アーガー家では相手にならない。
また、クロスハウゼン家は少僧正家で、アーガー家は僧正家。
本来であれば、アーガー家の方が貴族として格上なのだが、アーガー・サイウッディーンは現在、権少僧正。
対してクロスハウゼン家の当主カラカーニーは権僧正だ。
カラカーニーの功績が優れているため、現時点では貴族としての格でも負けている。
「だが、後援と言っても程度があろう。
我が家が強く申し入れれば、クロスハウゼンも引くのではないか?」
「それが、件のスッパイの成人の儀の相手を、あのライデクラート殿が務めたそうでして、・・・」
執事の言葉に、周囲から一斉に驚愕の声が上がる。
中には、「羨ましい」という声まで混ざっていた。
クロスハウゼン・ガイラン・ライデクラートはカラカーニーの第三正夫人であり、カゲシンでも、いや帝国でも有数の美人として知られている。
所謂、筋肉系の女性としては頂点との声も多い。
ライデクラートが成人の儀の相手を、それも平民の相手を務めたなど、驚愕以外の何物でもない。
「そうか、筋肉系の女性が嫌いなのではなく、ライデクラート殿クラスの筋肉美人が好みということか。
しかし、・・・・・・そんな、美人の調達など無理だ」
女性調達係が絶望的な顔になる。
「しかし、・・・クロスハウゼンは、そこまで、あのスッパイを買っているのか!」
シャーフダグも唖然と驚愕の入り混じった声を上げる。
「そのような事で、監禁・拷問は無理なのです」
執事の言葉に皆が黙り込む。
「いっそ、クロスハウゼンと交渉してはどうでしょう?」
「それは、・・・無理だ」
サイウッディーンが苦悶の表情を浮かべる。
落ち目のアーガー家にはクロスハウゼン家と取引できる材料が無い。
強いて言えば金だが、クロスハウゼンとの交渉となると生半可な金額では済まないだろう。
「そもそも、何が不満で、あの男は技術を、呪文を出し惜しむのだ!
成功報酬は充分な物を用意している筈だ!」
サイウッディーンの言葉で、議論は振出しに戻った。
それが分かれば苦労はしない、と執事は心の中だけで頭を振る。
実を言えば執事の頭には最悪の結論が浮かんでいる。
スッパイの製薬講義はあれからも何回か行われている。
執事は、アーガー家と懇意にしている施薬院のヌーシュ教室にスッパイの呪文の解析を依頼していた。
元々、施薬院の医療魔導士は細かな魔法を得意としており、呪文や魔法の解析にも長けている。
スッパイの魔法が解析できれば、スッパイから直接魔法を教わる必要はなくなるのだ。
だが、ヌーシュ教室は未だに解析に成功していない。
これは、異常だ。
ひょっとしたら、スッパイは本当に、教えようとしているのかもしれない。
スッパイの魔法技能がヌーシュ主任医療魔導士の、施薬院標準の技能を上回っているとしたら、・・・シャーフダグが技能を習得するのはほぼ不可能だ。
だが、・・・どうすれば良い?
アーガー家の討議は、結局、『金銭での勧誘』と、『女を与えての懐柔』という、これまでと同じ手段を継続することに決まる。
変わったのは女を違う種類にすることだけ。
ライデクラートほどでは無いが、彼女に似た筋肉美人を送り込むことに決定した。
アーガー家の討議から数時間後、カゲシン本山帝国宰相府の一角で、片目の男が報告書を受け取っていた。
「随分とあるな。また、増えたのか?」
「今回は五人からの報告です。一応まとめましたが、ほぼ同じ内容です。全てを読む必要はないかと」
報告が同じ。
つまり、全ての内通者が全員、包み隠さず報告しているということだ。
「そんなに餌を撒いたのか?」
「いえ、特には。向こうから勝手にすり寄ってきます」
帝国宰相首席補佐官エディゲ・ムバーリズッディーンは残された右目だけで苦笑した。
「アーガーも終わりだな」
「少しでも目端の利く者でしたら、今のアーガー親子に忠節を尽くすよりも、ピールハンマド様に期待するでしょう。
新しい当主になればアーガー家が威勢を取り戻すのは明らかです。
少しでも新当主の覚えを良くしたいのでしょう」
アーガー家の討議内容はわずか数時間後には、ライバルであるエディゲ僧正家に漏れていた。
討議の参加者の過半が内通しているのだ。
「それで、如何いたしますか?」
「放っておけ。
ピールハンマドにちょっかいを出さぬのなら、それでよい。
父上への報告も必要ないだろう」
ムバーリズッディーンは三本しか指のない左手で、報告書を放り投げた。
「それにしても、『月の民の秘薬』か。
そんなもので、あの馬鹿のこれまでの瑕疵が帳消しになるとでも思っているのか?」
「それしかすがる物が無いからすがっているのかと」
「クロスハウゼンからは既に、『特殊技能保持者』として『スッパイ・キョウスケ』が帝国宰相府に報告されている。
帝国に『月の民の秘薬』をもたらした功績はクロスハウゼンとスッパイの物だ。
仮に、シャーフダグが施薬院で最初に『月の民の秘薬』とやらの製作に成功したとしても、ただ、それだけの話にすぎん。
その程度の理屈も分らぬとは、・・・馬鹿の思考は理解できん」
「恐らく、シャーフダグが技術を習得したらスッパイを消して、技術を独占しようと考えているのでしょう」
「そんなことをすれば、クロスハウゼンと戦争だぞ。
アーガーにそれだけの度胸はあるまい。それに、・・・」
片目の男は、左足を叩く。
「この左足を賭けても良いが、シャーフダグよりも先に技術を習得する者が出るだろう。
私がスッパイだったら、シャーフダグのような馬鹿を相手に奮闘などせぬ。
もっと、物覚えの良い弟子を見つける」
ムバーリズッディーンの左足は義足だ。
この『左足を賭ける』というのは、ムバーリズッディーンが皮肉を言うときの癖だった。
「では、この件は静観いたします。
ただ、このスッパイという男と、『月の民の秘薬』については如何いたしましょう?」
「所詮は、薬だ。
奪い取って、クロスハウゼンとの関係を悪化させる価値は無い。
施薬院も勝手にさせておけ」
帝国宰相府から見れば、施薬院の主導権争いなどコップの中の争いに過ぎない。
誰がトップになっても構わない。
それが、アーガーでなければ。
「それにしても、このスッパイという男が、月の民に育てられ、秘匿技術を伝授されたというのは、本当なのか?」
「はい、信じがたい話ですが、恐らく真実かと。
このスッパイという男は、極めて常識に欠けるのです。
世間と隔絶した場所で育成された事はまず間違いありません」
「その、常識に欠ける、というのは?」
「一言で言えば変態です」
ムバーリズッディーンはそれ以上聞かないことにした。
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