02-07 お見合い!
その日、オレはカナンにきてから、ある意味最大のピンチを迎えていた。
「繰り返すが我がヒンダル家、元はテルミナス貴族でありヒンダル伯爵家を祖先に持つ。
ヒンダル家の歴史は帝国建国期に遡る。
クテンゲカイ・ハリアス皇帝殿下即位式における貴族名簿にその名が刻まれているのだ。
そのヒンダル家に対して皇帝陛下より医療技術習得の勅命があり、当時のヒンダル伯爵家当主の弟が医師として皇帝陛下にお仕えしたのが当家の始まりとなる。
当家はヒンダル子爵家として帝国医師としての重責を担い続けてきた家系である。
分かるかね?」
「・・・はい」
「つまり、その後に台頭してきたアナトリス系貴族とは一線を画す存在と言える。
我が家の一員となるからにはこの点をしっかりと心に刻み、歴史ある一族としての誇りを常に高く掲げて生きることが重要となる」
「・・・そうですね」
「その後のアナトリス動乱においてヒンダル伯爵本家が故無き迫害により断絶してからは当家がヒンダル家の正統としてその血統を維持してきた。
現在までその歴史は一千年を超える」
「・・・はい」
先月、歴史講義で習ったが、クテンゲカイ・ハリアスって言ったら第二帝政の初代皇帝だ。
第一帝政じゃない。
ハリアスの即位が帝国歴三一四年で現在が一〇七八年だからまだ七〇〇年ちょっと。
一千年を超える筈はない。
「アナトリス崩壊後にカゲシンにおいてマリセアの正しい教えに基づいた政が始まったわけだが、第三帝政以前、第二帝政当初よりマリセアの正しき教えを奉じていた我がヒンダル子爵家は、第三帝政発足前にマリセア宗家一族からの強い要望によりこのカゲシンに居を移し現在に至る」
「・・・はい」
宗祖カゲトラがマリセア正教を創始したのは第二帝政途中の五一一年。
マリセア正教が国教化したのは第三帝政になってからだ。
盛るにしても、もうちょっと整合性をとるべきではなかろうか。
「カゲシンにての当家は僧都家の地位を保ち今日に至る。
僧都家とは従来の帝国位階であれば子爵相当とされる家格である。
我がヒンダル家がカゲシン宗家よりいかに重く用いられてきたかを示すものと言えよう」
「・・・そうですね」
カゲシン本山の貴族階級、僧侶位階制度は分り辛い。
僧正だの僧都だのあるのだが、直系の親が貴族でも息子は必ずしもそうではない。
貴族階級に生まれた子供は成人と同時に『律師』という下から二番目の貴族位を貰うことができる。
ただ、そこからは個人の力量になる。
この辺り、基が宗教国家なだけあって能力主義というか公平なのだ。
それでは貴族階級に特典は無いかと言えばそうでもない。
祖先が偉い場合、子孫は出世しやすい。
既得権益層の相互保身というやつだろう。
直系の祖先で最も高い位の前後までは、特に問題を起こさなければ出世は堅い。
直系祖先で最も偉かった人が『僧都』の場合、その家は『僧都家』と呼ばれる。
この場合、その家の跡継ぎは余程の事がない限り『僧都』の一つ下の位である『権僧都』まで出世する。
そつなく実績を積んでいれば、四〇歳前後には『僧都』になるのが普通であり、多少の功績があれば一つ上の『権大僧都』までの出世は容易である。
ただ、そこから上はかなり難しいらしい。
一般的な貴族では子爵の息子は親が死ねば自動的に子爵だから、それと比較すると面倒ではある。
セミ世襲制度とも言える方式はこの国の成り立ちでは必要だったのだろう。
それにしても、オレ、なんでこんな所にいるんだろう?
いや、理由は分かっている。
施薬院実技試験終了直後、オレは呼び出しを喰らった。
呼び出したのは、二次実技試験で、奥に座っていた御大だ。
名前はシャイフ・ソユルガトミシュという。
施薬院のトップ、主席医療魔導士、らしい。
カゲシン上層部に多い浅黒い肌と茶色い髪、グレーの瞳の男性、見た所五〇~六〇ぐらいだろう。
髪は少し白くなり中年太りの傾向がみられるが、かなりの威厳と迫力を持っている。
「スッパイ・キョウスケだな。
話はクロイトノット・ナイキアスール夫人から聞いている」
「クロイトノット夫人には大変お世話になっております」
オレってずっとこの『スッパイ』という名字なのだろうか?
それは兎も角、取りあえず平身低頭する。
「卓越した技量を持つ平民の薬師という話であったが、先程の実技を見る限り素質は十分なようだな。
まさか、砂の塔を歩かせるとは思わなかったぞ」
「恐縮です」
やりすぎ?
でも試験に落ちるという選択肢は無いので。
「聞いたところでは、其方は月の民から伝授された薬を作れるとの触れ込みであった。
それは、確かであろうか?」
いきなり、そこに行きますか。
「私は私の師匠が何者であったのかは残念ながら知りません。
ある日突然、亡くなってしまわれたので、師匠の素性を聞くことなく終わっております」
「そう言えばそのような話であったな。
何れ聞きたいことはあるが、まずは薬の話だ。
そなたが提供した薬はなかなかの薬効があったと聞く。
其方の施薬院入講を認めるということは、其方もこのカゲシン施薬院の一員となるという事だ。
施薬院に所属する者は施薬院から多くの知識を得ることを許可される。
同時にその知識を施薬院に還元することもまた義務となる。
分かるな?」
要するにオレの製薬知識が欲しいわけだ。
まあ、教えること自体に抵抗は無い。
ここで生活していく上で知識の独占は色々と問題を引き起こすだろう。
ある程度は教えた方がこちらの都合も良い。
ただ問題は弟子となる人材だ。
「未熟ではありますが、私で教えられることでしたら喜んで伝授したいと考えます」
シャイフ主席医療魔導士閣下は目に見えて機嫌が良くなった。
「ふむ、良い心がけだ。
その、薬は今ここで作製できるのか?」
「それは、・・・材料などいろいろと準備するものがあります。
今ここでというのは不可能でございます」
自分の血を使うのは止めた方が良いだろう。
シャイフは少し残念な顔をしたが、それは、そうかと納得していた。
「分かった。では、後日、其方の薬剤製作技法について実践してもらう場を整えよう」
「承りました。
お伝えする薬剤について、至急、資料など纏めたいと考えます。
数日の準備期間を頂けると幸いです」
「それは考慮しよう」
「それと、お伝えする相手ですが、マナ使用の技量が伴わない者では習得は困難と考えます」
「それはその通りだ。
こちらで、それなりの者を選別しておくので心配は無用だ」
「習得に要する時間もそれなりに必要と考えます。
何回ぐらいの講義の予定でしょうか?」
「時間は、そんなにかかるのか?」
「順調に進んだとしても、二~三〇回は必要ではないかと」
「それでは並の定期講義よりも多いではないか」
こちらの教科書、薄いからな。
「予定している者は既に一通りの製薬は可能な者たちだ。
製薬の方法、呪文、作製時のマナの流し方のコツ、その辺りで充分に作れるようになるはずだ。
それだけの技量を持ったものを選定する予定だ」
「それでは、仮に一回二時間程度の内容としまして、何回ぐらいでの伝授をとお考えでしょうか?」
「数回、・・・五回もあれば十分ではないのか」
五回、無茶も極まれりだよ。
いや、文字通り、手取り足取りなら、なんとかなるか?
見目麗しい女性なら頑張れると思うけど、・・・。
「薬の数もありますが、製薬のための基礎知識や理論などを講義する時間も必要でしょう」
「だから、薬剤作製の基礎理論などは一通り履修した者を選ぶ。
その辺りの心配は不要だ」
そこが、一番不安なのだが。
「私はまだこの施薬院で本格的な講義を受けておりません。
ですが、基礎理論はかなり違うように感じております。
私の方が異端なのだとは思いますが、用語なども違うでしょう。
異なる理論では教える側、教わる側で齟齬が出やすいと考えます」
お偉方を怒らせないように言葉を選ぶのも大変だよ。
主席医療魔導士殿はしばらく考え込んでいたが、やがて「わかった」と言って話を続けた。
「では、まず其方に薬剤作製の講義・実習を早期に受けられるよう手配しよう。
その上で、其方の知るところと、カゲシンで一般的とされる所をすり合わせ、その差異を埋めるように。
そのための時間は考慮しよう。
準備が整い次第、薬剤作製技術の伝授を行ってもらう。
そうだな、最初は『痛み止め』が良い。
其方の『痛み止め』は肩でも膝でもどこでも効くという話であったな。
時間と場所、伝授する者については担当官を決めるので相談するように」
オレは、「承りました」と言って身をかがめた。
目上の者に対して了承する場合は、片膝をついて身をかがめ、両手を合わせるのが礼儀とされる。
割と微妙な内容だが、今ここで抵抗しても得るものは無いだろう。
シャイフは満足した様で機嫌よく頷いた。
「もう一つ話がある。
クロイトノット夫人が其方を早目に貴族にするようにと言っていた。
確かに、其方は平民には惜しい才能のようだ」
シャイフの合図にお付きの男性が封筒を持ってきた。
「ヒンダル家という医療貴族がある。
元は僧都家、カゲシンでもそれなりの家柄だ。
だが、ここ数代は落ち込んでいる。
特に当代は出来が悪い。
しかも老齢に近い年齢であるにも拘らず未だに跡継ぎがいない。
消滅間近の家だ」
封筒を受け取り、許可を得て中を見る。
ヒンダル家の資料と、シャイフの紹介状兼推薦状が入っている。
「明日にでもヒンダル家に行って、そこの娘と見合いし結婚すると良い。
其方は、女性の趣味が偏っていると聞いたが、そこの娘はいわゆる筋肉系ではない。
胸も大きいと聞いている。
私は面識がないから容姿は保証できぬが、・・・まあ、その辺りは我慢するのだな。
結婚すれば、其方は貴族となり、従者も住居も、対外的な身分も手に入る」
多分、これはかなりの厚意なのだと思う。
「シャイフ様は私が貴族に値すると認めて頂けるのですか?」
「この措置には其方の技術への報酬と言う面もある」
報酬の先払いということか。
「少なくとも、現在のヒンダル当主よりは其方の方がましであろう。
アレは医療貴族としての義務を果たす意思も能力もなく、それでいて権利だけは主張する」
「私のような平民を伝統ある貴族が受け入れてくれるでしょうか?」
「ヒンダルにあるのは歴史だけだ。
ヒンダル家の才能は枯れ果てている。
これまでも何度か親戚を養子にと画策したようだが誰一人施薬院に入講すらできていない。
一族丸ごと無能なのだ。
このままでは現当主の死と共に一族全員貴族の地位を失う。
其方のような才能ある者が養子になるのなら泣いて喜ぶはずだ」
「そういう事ですか」
「だが、滅亡間近の貧困貴族と言っても今回の措置は、私の厚意あってのこと。
其方はその事をゆめゆめ忘れてはならぬ」
貴族になったら自分の派閥に入って滅私奉公せよということですか。
オレは謹んで了承した。
ここでは成人男性で結婚していないのは異常だし、『青』の学生証持ちで女性従者を連れていないのは、変質者に近い扱いだ。
タイジを見ていて、ちょっとうらやましかったのもあった。
また、貴族の娘で筋肉系でないのなら、胸が大きいというのなら、まあ、悪くは無いだろうと高を括っていたのもある。
「単なる平民である其方が我が家と縁を結ぶのは本来有り得ない話であることが分かると思う。
偏にシャイフ殿の推薦であるから、このような席を設けた訳であるが、其方がビビムバリカの婿となったとしても直ちに当家の跡取りと認定されるのではない」
「・・・はい」
先程からオレの前でブツブツと抑揚のない声で話し続けているオジサンはターラシコーという下級貴族である。
シャイフ主席医療魔導士が言っていた、医療貴族ヒンダル家のぼんくら当主だ。
ヒンダル家は僧都家。
カゲシン僧侶位階での僧都、諸侯では子爵に相当し、中級貴族に分類される。
ところがこのオッサンは権少僧都、僧都より三段階下である。
若年であれば当然だがこのオッサンは齢五〇を超えているらしい。
赤紫色の頭髪は、途中から色が微妙にというか明らかに異なる。
かつら、なのだろう。
また、このオッサンが付けている医療徽章は、施薬科、施術科、薬術科、全て銀色。
銀色の徽章は学生を示すものだ。
銀色徽章でも田舎では医者として認められるらしいが、カゲシン本山では厳しい。
施薬院に十年も在籍していれば、一つは金色が取れると言われる。
何かやらかしたか、あるいは能力が極端に低いのだろう。
しかし、このオッサン、さっきから妙に態度がでかくないか?
後継ぎがいないから、泣いて喜ぶはずって言ってたよな。
話が違う。
「婿になった場合は、当然、其方には当家に住んでもらう。
其方は薬なども多少、作っているようだが、収入その他の管理は私がやってやろう。
どうせ其方には出来ぬ話だろうからな」
「・・・そうですね、・・・」
オレ、さっきから、「はい」と「そうですね」しか言ってないな。
つーか、この話、何時まで続くんだろう。
既にループ三周目なのだが。
「アチャアアアアア、シャトトォォォォォォ」
しゃ、喋った、・・・のか?
「はい、お嬢様、お茶に砂糖が足りないのですね」
老齢の侍女がかいがいしく世話を焼く。
どうやら今のは言葉だったらしい。
象の嘶きかトドの雄叫びのように聞こえたのは、・・・多分気のせいだと、・・・思うように、・・・できねーよ、無理だよ、許してよ。
恐る恐る目をやる。
さっきから目を背けていたというか視界に入らないように意識を調節していた『モノ』がそこにいる。
人間、なのだと思う。
ヒンダル・ターラシコーの娘だと紹介された、・・・ような気がするからだ。
オレの目にはリアル・〇ャバ・ザ・ハットに見えるのだが。
部屋に入ってから全く話していなかったので発声器官が欠如していると推理していたが違ったらしい。
名前は、ヒンダル・ビビムバリカ、というらしい。
釣り書きが正しいのであれば人族の二一歳女性のはずだ。
身長は一五二センチらしい。
センフルールの愛玩動物シマちゃんよりちょっとだけ大きい。
シャイフが言っていたように胸が大きく、筋肉系でもない。
筋肉は確かに、見るからにない、・・・体の八割は脂肪だろう。
胸も大きいが、・・・これは巨乳と言ってよいのだろうか?
巨乳の詳しい定義は残念ながら十分に把握しているとは言い難い。
確かに、外見上のバストサイズは一〇八センチというところであり、その点では定義を満たすのかもしれない。
しかしだ、ヒップは一一八ぐらいあるし、ウエストは一二八ぐらい?
体重はシマちゃんの倍以上、ひょっとしたら、いや、多分三倍を超えている。
しかし、人間はどこまで球体に近づけるのだろうか。
あ、いや、ジャバ・ザ・〇ットが人間に入るのかどうかという問題もあるが、・・・。
物体はダラダラとよだれを垂らしながら、ナッツをほおばり、それをお茶で胃に流し込んでいる。
あのね、ナッツっていうのは指でつまんでポリポリと食べるものだと思うのですよ。
両手でバリバリ、グシャグシャ口に押し込むべきではないと愚考する次第であったりします。
「結婚式の日取り、場所と内容だが、こちらで決めておく。
ああ、費用は先に払っておいてくれ。
それでは、今日の所は結婚誓約書のサインだけ済ませておこう。
先に役所に提出せねばならぬのでな」
ズイっと、書類が出される。
結婚の書類らしいのだが、結納金やら、住居やら、結婚後の財産規定など全てが書かれていない。
ほぼ白紙だ。
オレって白紙の契約書に縁があり過ぎだろう。
「それでは、ここにサインを」
ヒンダル・ターラシコーがズズズイっとペンを差し出す。
勿論、オレの意思は決まっていた。
「お断りします」
逃げなくちゃだめだ、逃げなくちゃだめだ、逃げなくちゃだめだ。
オレはクロスハウゼン・ガイラン・ライデクラート隊長にとても大事なことを学んだのだ。
逃げる勇気。
全ての事をほっぽり出して、後先考えずに、逃げる時は逃げるべきなのだ。
責任とかそんなものは考えてはいけない。
「今回のお話はご縁が無かったとのことで、お断りいたします。
本日はありがとうございました。
それでは失礼いたします」
オレはそれだけ言って、脱兎のごとく、文字通り走って逃げた。
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