02-06S モローク・タージョッ 入講試験

 九月の施薬院入講試験が終わったころ、私は施薬院からの内々の事情説明というのに出ることになった。

 何でも、九月以外は合格枠が小さい事と新規留学生が少ないことから、合格者が予想できるのだという。

 医療貴族の互助会みたいのがあって、合格予定者を確実に合格させるために事前に情報をくれるのだ。

 私はスルターグナの紹介でこれに参加することにした。

 必要な情報はスルターグナからほとんど貰っていたのだが、情報は多ければ多いほどいい。

 何より、ライバルの顔を見たいと考えた。


 実際に会ってみたら拍子抜けした。

 予定されている十月の合格枠は四人。

 集まったのは私を入れて三人。

 一人は説明役を兼ねている汗っかきの太った男で、アフザル・フマーユーンと名乗った。

 何でも一年ぐらい施薬院入講試験を受け続けているベテランらしい。

 受験のベテランって何だろ?

 真面目そうだけど要領は悪そう。

 教科書を読んでもどこが重要か分からず、最初のページから順番に勉強してしまうタイプだろう。

 医療貴族の跡取りらしいけど、一年以上受験し続けるって、・・・跡取り息子も大変よね。

 もう一人は、テルミナス系の留学生でシャハーン・アウラングセーブという。

 こちらは、本当に施薬院を目指しているのか疑問な軽さだ。

 なんかもう色々軽い。

 試験も施薬院もろくに調べていない。

 過去の問題集を見ては、変な問題ばかりだと不平を言っていた。

 つーか、あんた、今初めて見たの?

 本番まで、もう一月無いんだけど?

 あまりに酷いので、「あなたの都合に合わせて問題が出るわけじゃない」って言ってやったら、「医師に最も必要なのは社交だ」とか言い出した。

 人の体とか病気の知識より、貴族としての社交が大事らしい。

 つーか、あんたの言ってることって、よーするにセックスしちゃった相手なら、何でもなあなあにできるって話じゃない。

 もう、理解不能。

「世の中には、ろくに病を治せぬのに、尤もらしい態度とコネだけで医師と称する輩がいる」とシャイフ伯父様が言っていたけど、これ多分、その実物だ。

 二人とも、私よりかなり年上だけど同期入講したら友人として付き合うのだろうか?

 アフザルはまだいいけど、シャハーンは勘弁してほしい。

 でも、まあ、二人とも私の首席合格のライバルじゃない。

 それが分かったのは収穫だったと、この時はそう思った。

 結果から見れば、これで油断したのかも知れない。


 雲行きがあやしくなったのは筆記試験の数日後、実技試験の前日の事だった。


「奇妙な男がいる。

 実技試験は其方と同じ組になるよう指示しておいた。

 実技試験が終わったら其方は試験状況を速やかに私に報告するのだ」


 私を呼び出したシャイフ伯父様が変なことを言い出した。

 何を言っているのか分からない。


「すいません。

 おっしゃられる意味が良く分かりません。

 実技試験の内容は試験官が報告すると思うのですが。

 私がそれに追加して報告するという意味でしょうか?

 それに、そのような奇妙な男など今回の試験にいたのでしょうか?」


「そうだ、予定外の参加だ。

 その男が施薬院を目指していることは聞いていた。

 だが、九月末の中級試験に合格して十月初めの入講試験を受けるとは予想外だった。

 しかも、それで首席を取ってくるとはな」


『首席』って、この不気味な言葉は何?

 聞きたい、ものすごく聞きたい。

 でも伯父の雰囲気はそれを許す感じではない。

 私は速やかな報告を約束し、その場から退去した。


 実技試験当日、待機場所となった教室で、その男はあっさりと見つかった。

 渡された資料によれば、男の名は『キョウスケ』。

 平民だから名字は無いのだが、帝国東部の『スッパイ村』の出身らしい。

 当然だが、そんな村など全く覚えはない。

 名前も聞きなれない。

 年齢は十五歳で身長は一七〇センチ程。

 テルミナス系の白い肌と茶色い髪の毛、そして黒い瞳。

 黒い瞳の男なんて滅多にいないから見つけるのは簡単と思っていたけど、それ以前にすごく目立つ外見だ。

 背が高くて、目鼻立ちが整っていて、肌が奇麗。

 没落貴族の末裔だろうとの但し書きが有ったけど確かにそう見える。

 平民で身長が一六〇を超える人なんて滅多にいないし、何より平民は肌が汚い。


 彼は変に落ち着いていた。

 コイツ、何でこんなに暢気なのだろう?

 この場で落ち着いているのは、合格を諦めている冷やかし組だけだ。

 取りすました顔を見ていたら段々腹が立ってきた。

 私だって大変なのに、何でこんな監視任務なんかしているのだろう?

 なんで伯父はこんなのの監視が必要なのだろう?

 こんな得体のしれない男に何が出来るのか?


 そんな風に考えていたら、実技試験はボロボロだった。

 実技試験は四人一組で行われる。

 実技試験に進んだのが二八人で合格枠が四人。

 一次試験では四人中トップでなければ始まらない。

 そして、私は負けた。


 アイツは、圧倒的だった。

 施薬科の実技試験は水を扱う試験、私が得意な試験だ。

 私は短縮詠唱、それも『水よ来たれ!』だけで水を出せる。

 本番の容量試験でも、二〇、三〇、五〇ミリリットルでは、誤差二〇パーセント以内で、一〇ミリリットルでも誤差二五パーセント以内、そして、五ミリリットルでも誤差四〇パーセント以内で出せる。

 これは、現役の施薬院学生でもそうは達成できないとスルターグナに保証された数字だ。

 つまり、トップ合格は間違いない。

 だが、あの男は、酷かった。

 最初から無詠唱で水を出す。

 容量試験では、容器のメモリを見ながら水を出すという離れ業をやってのけた。

 勿論、無詠唱。

 誤差は五パーセントも無いだろう。

 こんなこと、施薬院講師でもやれる人は数人の筈。

 試験官が顔を引きつらせていた。


 施術科の試験も滅茶苦茶だった。

 砂箱試験、箱に入っている砂に直接手を触れず、図形を描く試験では、話しながら図形を変化させるという技を見せつける。

 無詠唱どころの話じゃない!

 私も最後の粘土に穴をあける試験では、精一杯抵抗してみた。

 穴だけでいい所を縦、横に線まで入れたのだ。

 勿論、短縮詠唱で!

 後から考えれば、既に力量差は明らかだったから無駄なことはするべきではなかったと思う。

 だが、この時の私は、どうしてもコイツに一泡吹かせたかったのだ。

 ・・・アイツは、私より多くの線と、大きな穴を開けた。

 それだけ、だった。


 第一次試験が終わり、私は絶望に打ちひしがれていた。

 トップ合格?

 どう考えても無理だ。

 それどころか合格すら厳しい。

 ショックで呆けていた私は職員に連行された。


 伯父の前に座らされて、私はポツポツと今あった事を話した。

 何を話したのか、よく覚えていない。

 聞かれるままに話していたら、昼食が出た。

 食欲ゼロだったけど、伯父の前で食べないわけには行かない。

 必死で食べていたら、二次試験になった。

 私、二次試験に進んでいたらしい。

 お情け?


 二次試験会場に入ったら、牙族がいた。

 それも変な牙族が二人。

 ウサギみたいな長い耳だけど、右と左で長さが違う。

 怪我でもしたのかと思ったけど、二人揃ってなので、これで正常なのかも知れない。

 牙族にしては貧弱な体格だ。

 どうやら一人は男らしい。

 多分、もう一人は彼の妻だろう。

 午前中、いたっけ?

 何で牙族が施薬院試験に?

 それも実技の二次試験に?

 施薬院に牙族なんて聞いたことが無い。

 それより、アイツはどこだろう?

 二次試験の人数は通常八名だ。

 きょろきょろしていたら、アイツは最後に入って来た。

 九人目?


 良くわからないが、アイツが入ってきて直ぐに二次試験は始まった。

 始まったのだが、もう何もかもぐちゃぐちゃだった。

 まず、シャイフの伯父がいる。

 主席医療魔導士が入講試験の試験官なんて聞いたことが無い。

 試験の内容も全て変わっていた。


「内容が違います。このような試験を行うとは聞いておりません!」


 汗っかきデブのアフザル・フマーユーンが文句を言ったけど伯父に一喝された。


「実技試験の内容は公表していない。

 前回と同じだという告知もしておらぬ。

 試験内容は試験官が決める。

 試験を放棄したいのならば別に構わぬ。

 立ち去るが良い。

 ただし今回の試験はその時点で失格になる。

 また次回以降の試験にも途中退席の汚点は残ると記憶すべきだ」


 私も知らなかったけど、実技試験の内容は毎回同じとは決まっていないらしい。

『たまたま』最近は同じだっただけという。

 水試験で出された容器は手桶ではなく大きなタライだ。

 みんな顔が青くなった。

 私もだ。

 こんな量の水を出した事なんてない。

 これだけの量、周りに池や川が無い部屋の中、しかも九人が同時にって、条件が酷すぎる。

 これで、このタライを、それも数分で満杯にできるのなら自護院の正魔導士余裕じゃない?

 唖然としたけれど、ふと気づいた。

 手桶では差が付かないから大きな容器にしたのだ。

 時間内に、できるだけたくさんの水を出せばいいってことだと。

 どれぐらいの水を出せばいいのだろう?

 他の試験もあるはずだから、この試験だけでマナを使い切っちゃうことはできない。

 私が迷っていたら、始めの合図と同時にアイツがタライを満杯にした。

 なんなのよ!!!


 学生だけでなく講師達も呆然としている。

 誰かが「正魔導士並み」と呟く。

 違う。

 私は自護院の正魔導士試験を調べた。

 正魔導士の試験ではタライを水で満たす課題が出される。

 でも、それは屋外、川の傍で行われる。

 試験自体も一人ずつだ。

 今は室内で、九人が一度に行っている。

 条件が違い過ぎる!

 だいたい、正魔導士だって、呪文も含めて数分はかかる。

 コイツは短縮詠唱で一瞬だ。

 つまり、上級魔導士かそれ以上。

 何で、コイツ、施薬院の試験なんか受けてるんだろう?

 素直に自護院に行けばいいのに!


 愕然としたけど、気を取り直した。

 悔しいけどコイツは別格だ。

 勉強はともかく、魔力では敵わない。

 それは認めてあげようじゃない。

 でも、筆記試験を含めた一位は、まだ可能性が有る。

 ここは、二位に食い込む!

 数分後、牙族の男がタライを一杯にした。

 ちょっと待ってよ。

 コイツも正魔導士以上ってこと?

 牙族が何でそんな魔法を使えるのよ!

 聞いてないわよ!


 水出し試験、結局、私は四位だった。

 三位には牙族の女が入った。

 全ての試験は、・・・終わらなかった。

 異様に難度の高くなった試験をアイツは余裕でこなし、牙族の男がそれに続いた。

 私以下の学生がマナ切れになった時点で試験は終了した。

 試験終了と共にアイツは牙族の二人と笑顔で去って行った。

 私は伯父に謝り、許しを得ようとしたのだけれど、彼は私を無視して去って行った。

 もう、プライドも何もない。

 ふと、アフザルと目が合った。


「もう、一欠片のマナも残っていないよ」


 アフザルが汗だくの顔で言った。


「今回は、仕方がない。あれは、イレギュラーだ」


 私は黙って頷いた。

 そう、イレギュラーだ。

 アイツも、牙族の二人も、異常としか言いようがない。


「何者なのか聞いてる?」


「私も、詳しくは聞いていない。ただ、・・・」


「ただ、何?」


「私の親戚が採点係だったのだが、あのテルミナス系の人族は満点らしい」


「な、何が満点なのよ?」


「筆記試験が全科目満点だったそうだ。

 あまりの内容に、何か不正でもしたのではないかと彼は口頭であの学生の医学知識を確かめてみたそうだ。

 そしたら、返り討ちにあったらしい」


「返り討ちって?」


 この時の私は、オウム返しにしか聞き返せなかった。


「彼は、下級ではあるが講師の資格を持っている。

 それが、医学知識で負けたらしい。

 ぼかしていたが、どうやら圧倒的に負けたようだ。

 現時点で既に金色に近い知識があるのかもと言っていた」


 ここで、アフザルは声を潜めた。


「噂だが、彼については『月の民の弟子』だという話を聞いている」


「それ、真面目な話なの?」


「噂だよ。

 私も聞いた時には笑い飛ばしたのだが、さっきの実力を見れば、否定もできなくなってしまったよ。

 タージョッ殿からシャイフ殿に聞くことは可能かな?」


 私は、聞ける限り聞いて伝えることを約束した。


「ところで、今思い出したのだけれど、あの赤毛のシャハーンって男は一次試験で脱落したのかしら?」


「ああ、彼なら筆記試験で落ちたよ。今日は朝から来ていない」


「施薬院互助会の合格確実って話は何だったのかしら?」


「まず、はずれない、という話なのだけれどね。

 今回は、まあ、どうにもならないね。

 シャハーンについては、・・・彼はテルミナスからの推薦状がすごく良いらしいんだよ。

 いや、もう、彼がどうやってその推薦状を手に入れたのか、何となく分かってきたけどね」


 アフザル・フマーユーンはそう言って遠い目をした。




 驚いたことに私は施薬院試験に合格していた。

 四人中四番目だったが。


「そんなにすごかったの?」


 スルターグナは驚いていたが話は聞いているらしい。


「例のアイツのこと?

 まあ、多分、上級魔導士クラスね。」


「本当?噂になったから、みんな見に行ってたけど魔力量は施薬院標準の半分とかって話になってたわよ」


 逆にこっちが驚いた。

 実技試験が噂になったので、自護院の上級魔導士、正魔導士クラスで魔力量判定に自信がある者が、それも数名、見に行ったらしい。


「地方の没落貴族でしょ。

 本当にすごいんなら自護院にスカウトって話になったらしいんだけど、見た目の魔力量がショボ過ぎて、詳しく測定する価値も無いって話になってるわ」


 私も魔導士の端くれだから魔法を使うときのマナの流れは何となくわかる。

 だけど、見ただけで魔力量を推察する技能は無い。


「それは初めて聞いたけど、でも、実技試験でタライを一瞬で満杯にしたのは事実よ。

 別にインチキはしてなかったと思う。

 あそこにはシャイフ伯父様もいたのよ」


「そうだよねー。

 実は私、シャイフのお祖父様に彼の事聞いてみたのよ。

 でも其方には関係ないって、何も教えて貰えなかったの」


 シャイフの伯父は施薬院の主席医療魔導士で、マナの流れを見極めて魔法を解析する事では自護院の上級魔導士にも勝ると言われている。

 私達はしばらくの間、あーだ、こーだ、言っていたが、結局、アイツについては結論を棚上げする事で終わった。


「それより、あんたの事よ。

 トップ合格できなかったんだからね」


 親切な事にスルターグナは次善の策を調べていてくれた。

 内容は、まあ、うんざりする話だったけど。

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