02-05S シャハーン・アウラングセーブ 留学と国家資格

 私が生まれたのは、テルミナスから程近くの南ゴルダナで、かつては帝国の中心部として大層賑わっていたそうだが、そのころには普通の田園地帯になっていた土地である。

 家は伯爵家で昔は帝国内でも有数の豊かな伯爵領だったと聞くが、ご多分に漏れず多くの分家を作り彼らに領地を割り振りした結果、何時の間にやら平凡な伯爵家の一つとなっていた。

 そんなであるから私が生まれるころには次男三男に領地を与えるなど、とうに無理な状況にあった。

 家はクテン侯爵を旗頭としており、父も長く軍人としてテルミナスのクテンで務めていたのであるが、政治的な諍いに疲れ祖父の死を契機に領地に戻り、私が物心つく頃にはその経営に没頭していた。

 元が軍人であるから極めて信心に篤く厳格な父親であったが、社交性には乏しかった。

 社交に興味はあり意欲もあったのだが、如何せん社交の技術は幼いころの私から見ても及第点とは言い難かったから、自然と社交を否定して引き籠ることになったのであろう。

 母はクテン侯爵家の娘で父の第一正夫人であったが、父が領地に引き籠ったのが気に食わず、頻りにテルミナスに帰りたいと言っては父と悶着を起こしていた。

 子供が大きくなると、その教育の為として子供を引き連れてテルミナスの別宅に移り、年の大半をそこで過ごすようになっていた。

 私も母に連れられて幼少のころからテルミナスに移り、そこの学問所に入った。

 母は極めて社交性のある人で、懇意にしていた男性も多く、私も学問所に入講したころからそれに付き従って多くの時間を社交に費やした。

 母の類まれな美貌を受け継いだ私は当初からテルミナス社交界の注目であったが、母から直接社交の薫陶を受けることでその地位を確たるものにしていったのである。

 父は社交を不得手としていたから私の社交的な性格は母に似たのだろう。

 しかしながら、私の信心深さ、マリセアの正しき教えを信奉する心は父から受け継いだのだと思う。


 学問所の初級から中級に進んだころ、私に養子の話が持ち上がった。

 養子先は大叔父、祖父の弟で医療貴族として子爵の位を持っていた。

 大叔父はそのころ四〇を超え、跡継ぎの男子に恵まれないことから養子を取ることを思い立ったのだ。

 領地を持つ貴族であれば当主が幼くとも継承は可能であるが、大叔父は医療貴族で領地を持たない。

 医療貴族の財産は秘伝の呪文の数々だが継承者が幼くては呪文を覚えさせることが出来ない。

 そんなであるから医療貴族は早くに跡継ぎを作る必要が有るのだが、大叔父はぐずぐずと迷ったまま時を過ごし、時間切れギリギリというところで漸く養子を思い立ったのであった。

 私は三男で母を同じくする兄もいたことから父の跡を継ぐのは容易ではないことは、はっきりしていた。

 母はクテン侯爵の血を引く私を土地も持たない家に入れることを躊躇ってはいたのであるが、私は素直に有り難いと思い自分から養子に行きたいと願ったので、母も最後には認めたのである。

 何となれば大叔父は快活明朗、極めて社交的でクテン社交界の寵児であり、私は大叔父のような生活をしたいと熱望していたからである。


 伯爵家の三男が世に出るとすれば、軍人か僧侶というのが巷の常識であろう。

 父は私を軍人にするつもりであった。

 自分が軍人で兄たちも軍に進んでいたのであるから、父にとっては私が軍に入るのは自明の理だったのだろう。

 そうであったとしても、昨今の情勢では爵位を持たない貴族は辺境の砦駐屯、牙族の贄、騎士団の下働きなど、労多くして見返りの少ない職を強制されるばかりである事は、多少でも目端が利く者には常識であって、私の希望にも沿わないものであった。

 かと言って僧侶になるには時代遅れの無意味な修行に人生の最良の日々を捧げる必要が有った。

 何となればカゲシンの本山には未だに偏屈で頑迷な旧態依然の僧侶が少なからず残っており、彼らは融通が利かないことで有名だったからである。

 そんなことであるから大叔父の誘いは私にとってはマリセアの精霊のお導きであった。

 大叔父は母とも極めて親密な間柄にあったから父とは疎遠であったのだが、大叔父の跡継ぎに一族の者が必要と父も認識していたため、精霊とクテン侯爵のお計らいにより私の養子縁組は正式の物となったのである。


 十五歳で成人の儀を執り行い、大叔父の娘の一人を第二正夫人として迎えた。

 同時に大叔父の庶子を側夫人に、もう一人の係累を高級使用人に入れたのは社交を考慮したためである。

 それから三年ほどの間、私は大叔父の跡取り兼助手として働いた。

 修業は順調で十八歳になったころには大叔父から受け継いだ呪文帳の過半は自分の物としていたのであり、薬種調合書も大半は大叔父の助けが無くとも作成できる腕前であった。

 女性の扱いについても、母や大叔父、あるいは母の知己の薫陶を受け、熟達したとまで言われるようになっていた。

 特に母と大叔父の夜の社交を間近で何度も見学できたのは大きかっただろう。

 医師として貴族として最も重視される社交術においても私は順調だったのだ。

 医師として接した患者とは社交でも親密になり、社交で親密になった相手は患者として獲得した。

 貴族として、医師として、一通りの事は出来るようになっていたのである。


 カゲシンへの留学については私が養子に入った当初から話に上っていた。


「カゲシンの施薬院に行っても、そこで教わる呪文に必要なものは少ない」


 大叔父はそう言って笑った。


「だが、世の者たちは施薬院の徽章をありがたがる。

 故にこれを貰いに行くというのが第一の目的と言えよう」


 大叔父の襟元には銀色の施薬院徽章が輝いている。

 医師として国家に認められたという印だ。


「もう一つの目的は社交だ。

 カゲシンには各地から多くの貴族が集う。

 施薬院関係だけでなく多くの者と交流を深めることが今後の其方の人生において極めて重要となろう」


 頷ける話であった。

 私は社交が得意で、大叔父が私を養子に望んだのも社交の才があるというのが理由であったから。


「其方が望むのなら、施薬院で学問を究め金色の徽章を目指すのも良かろう。

 ただ、あれは巷で言うところの医師とは言えぬ。

 部屋に閉じこもりて、ひたすらに書物に没頭し、年に一度使うか使わぬかも分からぬ呪文をこねくり回す。

 そのような象牙の塔に閉じこもる輩を医師と呼んでよい物か」


 確かにそうであろう。

 広く人々を助ける医師になりたい、私はそう告げて大叔父を喜ばせた。


 留学は実家の伝手で行う事とした。

 大叔父は子爵であり、その係累としての留学では学問所の学生証は『緑』となってしまう。

 これでは社交に、出来ないという訳ではないが、差し障りが大きいであろう。

 滞在場所もそれに準じて低下してしまう。

 母が父に掛け合い、私は伯爵家の息子としての留学になり、上級貴族として『青』の学生証を手に入れたのである。


 テルミナスからカゲシンへは船で十日前後の旅程となる。

 しかして貴族の旅であるから各地での挨拶と社交は欠かせない。

 特にアナトリスでは父や大叔父、そして母の親戚縁者への挨拶だけで数日を要した。

 挨拶をすれば社交に出ない訳には行かない。

 そのようなことで若干の日々をアナトリスで過ごす事となった次第であるが、多くの有力な知己を得ることが出来、実り多い日々であったと述懐できる。

 特に、ここで知り会った貴族から庶子を一人、使用人として譲り受けることができたのは大いなる収穫であった。

 カゲシンではアナトリス系の褐色の肌を持つ貴族が主流であり、私も私の連れたちも白い肌のテルミナス系貴族の出であったから、そのままでは社交に支障をきたす恐れが存在していたのであり、これが解消されたのは誠に精霊のお導きによるものであろう。

 私はそれまでテルミナスで幼少時代を過ごした貴族の例にもれず、アナトリス系の褐色の肌と触れ合うのに漠然とした忌避を感じていたのであるが、実際に体験してみればこれはこれで大変に味わいの深い物であると認識でき、私の矮小な偏見が解消されたことも、恥ずかしながら記しておきたい。

 これもマリセアの精霊のご加護と思う。


 そのようなことで、私がカゲシトの城門を潜ったのはその年の八月も半ばを過ぎたころであった。

 私達はクテン侯爵家のカゲシト屋敷の一室に居を定め、カゲシン学問所に通う事となった。

 施薬院の資格試験は毎月初めに行われる。

 九月にも行われたので、学生証を得るのも早々に受験を試みたのではあるが、これは流石に無謀であったようだ。

 医者として十分な知識を蓄積してきた私ではあるが、シラミを拾うような問題が多く、認識の甘さを露呈したことは否めない。

 しかし、試験がどのようなものであるかを確かめることはできたので、それはそれで有意義ではあった。


 そのような訳で私は当初の予定に戻り大叔父の伝手を頼り施薬院の試験関係者に紹介を依頼したのである。

 施薬院では学生数が定められており、卒業者が出た分だけ新たな学生の入講を認めるという形を取る。

 これは呪文の伝授には一対一の教育が必要な事がその理由の第一として挙げられるが、施薬院出身の医師の数を制限するという意味が大きいと聞く。

 施薬院の利権を維持するためには出身医師の数を厳密に管理する必要が有るのであり、そこいらの貴族が口を挟める世界ではない。

 そうであるからして次の試験の合格者数だけでなく、合格者自体も事前に予定されている事が多い。

 通常の受験者は一か月以上前に願書を出すのが普通であるから、地域の医師数、施薬院内部の要望、諸侯の要請など、政治的社会的な事由、学生個人の資質などから合格者はある程度以上予測が可能なのである。

 そのようなことで、施薬院試験関係者の仲介で私は一人の男を紹介された。


 アフザル・フマーユーンというその男性は、十九歳と言うから私と同じ年であるのだが、とてもそうは思えないような貫禄のある体形をしていた。

 カゲシンにアフザルを名乗る家系は三つあり、その全てが代々医療貴族として禄を食んでいるという。

 フマーユーン自身は三家の一つである僧都家、一般的に言うところの子爵家の跡取り息子であり、やはり医師を志しているという。

 子爵家ではあるが家は裕福であり、そして彼が後継者であることから学生証は『青』になっている。

 既に一年以上施薬院の入講試験を受け続けているとのことで、一年かけてようやく学力と魔力が合格レベルまで上がって来たと自嘲気味に話していた。


「次回の枠は四人と聞いている。

 ここにいる我々三人は次回の合格が固いと上から目されている立場だ。

 それは分かっているね?」


 頷いたのは私ともう一人、まだうら若き女性、モローク・タージョッ嬢だ。

 彼女は十四歳に過ぎないが、整った顔立ちと透き通った瞳を持つなかなかの美人である。

 彼女は私の容姿に見とれて居たようだが、それを隠そうともしていた。

 まだ成人前とのことだが社交に疎い感じがするのは医師として貴族として頂けない。


 紹介されたときに驚いたのは勿論十四歳と言う年齢であり、どう考えても医師としての経験があるとは思えないからでもある。

 テルミナスでは師の下で数年は研鑽を積み、医師としての知識と能力を身に付けてから資格試験を受けるのが普通とされる。

 後日、そのことをアフザルに聞くと、それはその通りでカゲシトでも普通はそうだと請け合ってくれた。

 しかしながらカゲシトでは稀に医師としての経験が無いままに施薬院の試験を受ける者がいるのだという。

 ただ紙上の試験が優秀なだけで経験のない者を医師と認定して良いのか甚だ疑問であるが、その様な者は大概資格だけ持って実際の医師の業務はしないとか、あるいは施薬院での研究者を目指すのであるから問題は無いのだと、アフザルは言っていた。


 実際にタージョッ嬢は施薬院試験一発首席合格を狙っており、将来は金色徽章を目指しているという。

 資格試験に一発とか首席という意味はあるのかとも聞いたところ、将来的に施薬院講師を目指すのであれば意味が出て来るとのことであった。

 タージョッ嬢は一発首席合格のために、競争の激しい九月試験を諦め、一〇月試験にしたのだという。


「上の方が言うぐらいだから、君たちには充分な知識と魔力が有るのだと思う。

 だが、施薬院試験はかなり癖のある試験だ。

 その意味で戸惑うところは多いだろう。

 君たちは施薬院試験の経験が少ないと聞く。

 そういうことで、色々と教えてやってくれと言われている」


 アフザルが改めて私達に話を始めた。

 生真面目な雰囲気の男ではあるが、マリセアの精霊に対する信仰心に欠ける気配があるのが少し気にかかる。

 彼は話を進めるうえで一度も精霊に言及していないのである。

 精霊に対する信仰心が少なければ呪文の力も低下することは改めて言うまでもない。

 彼が一年以上試験に合格しなかったというのはこの辺りに原因があるのだろうと私は推察した。


「まず、先程渡した資料だが、過去二年分の施薬院入講試験が入っている。

 調べればわかると思うが毎回約七割は過去の問題と同じだ。

 施薬院の入講試験は毎月行われているから過去の問題の再利用が多い。

 初見だと戸惑う内容も多いだろうが、過去問と同じわけだからそれをしっかりと覚えておけば苦労することは無いだろう。

 ただ、逆に言えばこの部分でのミスは許されない。

 確実に得点する必要が有る。

 この部分に関しては少なくとも九〇パーセント以上、できれば九五パーセント以上の得点が必要だろう」


 アフザルの話を聞きながら私は渡された過去の問題を斜め読みする。

 うんざりするような細かな問題ばかりだった。

 このような知識が医師としての活動に必要とはとても思えない。

 正に試験のための試験という内容だが、医師の資格試験なのだから覚えるしかないのであろう。


「問題は残りの三割だ。

 これは、新たな問題が出される。

 ただ、これも子細に見れば過去の問題の変形や応用が大半だ。

 過去の問題を完全に理解していれば時間内に解くことも可能だろう。

 過去の例では、この部分は全く正解できなくても合格したという例もしばしばらしい。

 ただ確実な合格のためにはここの部分で何問か正解する必要が有る。

 全く点が取れないようでは、合格は困難だろう」


 ますますうんざりするが、タージョッ嬢は意気軒昂で時間配分が、などと言っている。

 恐らく彼女は試験秀才という奴であろう。


「実技試験についてだが、施薬科と施術科でそれぞれ試験が有る。

 施薬科の方は基本の水の試験だ。

 第一の試験は手桶を水で満たす物。

 これは大丈夫だと思うが、呪文詠唱時間、呪文の確実性が大事だ。

 二つ目は容量試験。

 決められた量の水を正確に出すことが要求される。

 一〇ミリリットルから五〇ミリリットルまで一〇ミリリットル刻みで五段階。

 量の確実性を見る試験になる」


 変に細かい試験だが、紙の試験よりはまだ現実に必要な技術だろうか。


「施術科の試験、一つ目は『砂箱』、二つ目は『粘土』だ。

 それぞれ、砂や粘土の両側からマナを流し、中央部に図形を描いたり、変形させたりする試験になる。

 これに付いては先人が試験専用の呪文を開発している。

 先程の資料の最後に入っているから、しっかり覚えて練習しておくと良いだろう」


「これ、直接手を触れずにマナで物体を操作する魔法の試験なんでしょうけれど、専用の呪文なんて使って意味が有るのかしら?」


 タージョッ嬢が焦点のずれた疑問を呈す。

 基本が理解できていないのだろう。


「そんなことは無い。

 遠隔操作系の呪文を確実に覚えて実際に使うことが出来るかどうかを見る試験だからね。

 同様な手術呪文を教えて貰って、覚えられる素質が有るか試しているのだろう」


 話が終わってタージョッ嬢を社交に誘ったが、試験勉強が有ると断られてしまった。

 タージョッ嬢は大僧都家の娘で庶出のため『緑』の身分だが、シャイフ主席医療魔導士の縁戚でもあるという。

 知己を持って置くべき相手だろう。

 美貌で身分的に私の第一夫人に迎えても悪くないと思ったのだが、残念である。

 然らばアフザルに少し女性も交えて話をしようと持ち掛けたのだが、こちらにも試験勉強を口実に断られてしまった。

 二人とも医師としては社交の重要性の認識が薄いように思われる。

 他人事ではあるが良い事ではない。

 同期として合格したら精霊の名の下に色々と手解きしてやる必要が有ると私は心に記した。


 だが、そんな話が有ったにもかかわらず、私は十月の試験に不合格であった。

 役人を呼んで糾弾したのではあるが、彼は私の試験成績が悪いと開き直る始末であった。

 自己採点では十分なはずであったのだが、問われて調べ直してみれば過去と同じはずであった問題の幾つかで選択肢が故意に入れ替えられていたことが判明した。

 姑息な手段を使う試験官だと私と妻たちは激高したのであるが、相手がこのような卑劣な性根だと認識していなかった私の方に甘さがあったのも否めない話である。

 その辺りについて、こちらの非も認めた上で再審査を願い出ては見たのであるが施薬院の返答は否であった。


 聞けば今回の試験ではかなりの予定外が発生していたからである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る