02-03 施薬院入講
カゲシン学問所の講義は、初級、中級、上級、専科の四つに分けられる。
大学に相当する、上級講座は現在、三つである。
カゲシン本山の僧を養成する『教導院学問所』の『宗教本科』。
カゲシンの中央病院と厚労省厚生局を合わせた感じの『施薬院』で働く医師を育成する『施薬院学問所』。
防衛省に相当する組織『自護院』の幹部職員を育てる防衛大学みたいな『自護院練成所』。
他に、『算用所修養科』というのが、上級講座に近い扱いを受けているが、書類上は『専科』になる。
他に専科に含まれるのは、服飾、美術、音楽などで、算用所は上級扱いにしてほしいと以前から運動しているが果たせていないという。
ちなみに算用所は、徴税その他の数字を扱う専門職集団である。
上級講座に含まれる三組織は、書類上は別の組織で、実習はそれぞれの施設で行っているが、座学は全て教導院学問所で行われる。
そのためか、施薬院の入講試験もそこで行われる。
まずは、筆記試験で、これの上位者のみが二次の実技試験を受けることが出来る。
その筆記試験、行ってみれば会場は満員だった。
数えてみたが、一列十人で二十二列。
それがほぼ埋まっている。
なんだ、これ?
まあ、それだけ、狭き門で、それなりの社会的ステータスと収入を得られる資格、ということなのだろう。
オレがカゲシン施薬院を志したのは、まあ、何か職業が無いとどーにもならんからだ。
そりゃ、オレだってのんびりとスローライフとやらを満喫したい気持ちはあるよ。
でもさ、スローライフってそれなりの生活が前提だよね。
みんな、中世レベルの平民の生活してみてよ。
家は借りたけど、ベッドなんて麦わらですよ。
麦わらにシーツ被せただけ。
おかげで毎日、魔法で虫退治。
湿気が酷いから乾燥も必須。
魔法が無かったら大変だったよ。
地球基準でのまともな寝具やベッドは高級品扱い。
流通量が少なく全部貴族向けで、平民ではいくら金を積んでも売ってくれない。
可能な限り早く貴族になって、必要最低限の文化的生活を手に入れる必要がある。
カゲシン学問所の上級講座は三つ。
恐らくはこの三種類がエリートへの道だろう。
だが、まず、宗教系は論外。
マリセアの正しき教えを極める?
オレが?
正直、生まれ変わってもマリセアの精霊に敬虔な信仰心とか持てそうにない。
そりゃ、出世の道と割り切って入ることもできるけど、・・・なんか心苦しいよね。
もう一つの軍隊、自護院はちょっと迷った。
軍人が好きという訳ではない。
この世界、かなり治安は悪い。
旅の途中で見聞きしたところでも、山賊とか普通にいるみたいだし、些細な事で村同士が抗争するという。
オレ自身、簀巻きにされかけたぐらいだ。
戦えること、戦うことは必須で、その技能を鍛える事は生きていくために重要だろう。
オレ自身は容易に死なないとしても、奥さん貰ったら守ってやらないと。
あと、一旦軍人になったら、施薬院に入るのは面倒みたいなんだよね。
基本的に施薬院より自護院の方が社会的地位は高い。
軍医など施薬院から自護院に移る、あるいは兼職はそれなりに有るが、逆は皆無らしい。
そんなことで、施薬院を選んだ。
まあ、前世?の知識も活用できるからね。
事前収集した情報では、施薬院の学生数は二〇〇〇名。
ただし大半が魔力のいらない薬術科の学生であり、施薬科、施術科の学生は六〇〇名ほどという。
前述したが、施薬院の場合、まずは事前審査というか入講試験を受けるための資格審査がある。
基本は、経済力。
施薬院の実習にはそれなりの金がかかる。
上級貴族だとスルーだが、中級以下だと審査が厳しく、下級貴族以下だと目の前で金貨を積み上げねばならず、加えて保証人が必要だ。
事前審査の合格数は毎月四〇名前後と聞いていた。
施薬院の入講者数は毎年三〇〇人前後。
薬術科を除くと一〇〇人弱という。
この世界の医療魔法はほぼ一対一で教える必要があるため、生徒数を絞らざるを得ない。
指導教員や施設の関係で、施薬院全体の学生数が決まっていて、『卒業』して減った数だけ新入生を入れるシステムなのだ。
毎月入講試験があるのだが、このシステムのため毎回の合格者数が変動する。
施薬科、施術科は、最も多い九月で五〇人ぐらい、他の月は一桁だという。
今は十月。
そんなことで、施薬科、施術科の受験者数は、せいぜい五〇人と考えていたから、正直、驚いた。
後日、聞いたところでは、所謂、施薬院浪人生はかなりの数で、毎月試験を受け続ける学生が多いらしい。
予備校とかは無いので、模試代わりに毎月受けるのだとか。
五年十年と受け続ける者もいるのだそうだ。
ちなみに、受験代はそれなり。
貴族も大変だ。
しかし、・・・倍率、どれぐらいなんだろ?
上述したように、施薬院には、三つの科があり、オレはすべて受験する。
施薬院施薬科は魔法による薬剤作製とそれによる治療を中心とする科で言ってみれば内科。
施薬院施術科は魔法による医療治療を行う科で主として外傷を対象とする。
現代地球風に言えば外科・整形外科だろう。
最後に施薬院薬術科は、魔法を使用しない科で漢方薬みたいな薬剤を調合して使用する科である。
伝統的に一番偉いとされているのが施薬科、次いで施術科だが一流医師は両方を極める必要があるとされる。
薬術科は魔力を必要としない、つまり魔力の素養のない者でも習得できる科だが、施薬院の中での評価は一番低い。
施薬科・施術科のペーパー試験は楽だった。
まあ、比較的にと言う意味だが。
内容的には小学生の化学と中学生の生物という感じ。
生物の名前の暗記が手間取ったぐらいだろう。
施薬科、施術科、共に二時間の試験だったが、それぞれ三〇分程で終わってしまった。
見直すのに飽きたぐらいだが、途中退席は許されないので閉口した。
個人的に一番厄介だったのは薬術科の試験である。
薬草の名前についての設問が多く、地球での知識が全く役に立たない。
薬草の調合とか使用法などは入講してから習うわけだが、薬草の名前ぐらいは事前に知ってろという事らしい。
薬草の名前と書くと簡単なように思えるが、根と茎と葉でそれぞれ名前があったり、乾燥させたもの、煮だしたもので名前が変わったりと、色々と大変である。
憤慨したのが教科書というか参考書の内容の酷さだ。
分類とか整理とかが欠片もされていない。
索引も無い。
そして止めが『別名』というやつだ。
同じ薬草なのに二つ、場合によっては三つの名があったりする。
勿論、別名についての説明など無い。
内容をよく読めばわかるとか言われてもねー。
まとめるだけで一苦労だった。
試験も、作った人間が複数なのか、別名てんこ盛り。
これって間違い探しじゃなかろうか?
何とか片づけたが、正直、自信が無かった。
こーして、色々とあったが、筆記試験が終わり、そして、わずかに二日後、オレは実技試験受験資格を手に入れた。
「あー、だから、まとめて水を作るという感覚を忘れろ。
それじゃ、細かい量の調節なんて、できっこないだろう。
持続的に少量の水を出す訓練するんだよ。
そして、途中で止めたり出したりできるようにする。
それが出来れば十ミリリットル単位どころか、五ミリリットル単位で水を出せるだろ」
「ちょっと待ってよー。無理だよー。大体、呪文もなしって、・・・」
「呪文なんていちいち唱えてたら、細かい容量調節なんて、できるわけないだろ。
あー、それから、水を作る方法は意識して切り替えるんだぞ。
絶対湿度が高い場合は、空気中の水分を水にするのが簡単だが、少ない時は、その方法ではいくら頑張っても水は出ない。
その場合はマナを直接、水に変換するんだ」
「絶対湿度が高いって、・・・」
「まずは、気温。気温が低い時は、相対湿度が高くても絶対湿度は低い。
気温が十度以下なら無条件でマナ変換だな。
気温が高くて蒸し暑い時は、湿度が高いから、水蒸気の水変換が楽だ。
ただし、水蒸気の水変換はやり過ぎると周囲の水蒸気が枯渇する。
場所を移すか、マナ変換に切り替えるんだな。」
「ふえええー―――――」
筆記試験合格者、つまり実技試験受験資格者が発表されたその日、オレは学問所の食堂兼多目的ホールの一角で友人と実技試験の予習をしていた。
予習と言っても、オレが友人に教えているだけだが。
友人、名をゲレト・タイジという。
ゲレトが名字、家族名で、タイジが個人名だ。
現在の帝国では名字が先に来る。
第一帝政では逆だったとかだが。
タイジは牙族の一部族であるガウレト族の青年である。
年齢は十五歳、オレのこちらでの公称年齢と同じだ。
牙族にしては体格が小柄で、オレより身長も低く体重も少ない。
まあ、そんなに差は無いが。
ガウレト族は『サビット』という魔獣に近いとされる部族だ。
ウサギのような縦長の耳と短めのしっぽを持ち、体毛は多くの場合緑色で黄色い縦縞が入る。
耳は右側が長く左は短い。
右側は低周波の音を、左側は高周波の音を聞きやすいのだそうだ。
牙族として体毛は少ない方で、頭部の他は、手背、足背にある程度。
牙族ではあるが身体能力は人族と大差ない。
持久力はあるが敏捷性は牙族平均程度。
パワーは人族と同程度で牙族では底辺。
武闘系が多い牙族内では弱小部族らしい。
遊牧・半定住という感じだが、近年は部族として商業、行商に力を入れているという。
ちなみに『サビット』という『魔獣』だが、大きめのウサギに近い外見らしい。
特別な能力は無いが、マナで補強された毛皮は非常に強靭で多少の矢や剣などは弾き飛ばすという。
筋力も強く、繁殖力も高いので数が多く、しぶとく、駆除し辛い魔獣だという。
勿論、ガウレト族内では大事にされている。
何か、どこかで見かけたような気もするが、まあ、多分、絶対、どー考えても、気のせいだと思う。
大体、魔獣が石ころ一つで死ぬわけがない。
オレは何も知らないし、そんな魔獣なんて見たこともない、・・・ということにしよう。
ガウレト族自体が牙族の中では変わり種なのだが、タイジはそのガウレト族の中でも変わり種だ。
牙族は魔法を使える者の割合は人族よりも多いが、高位の魔導士は少ないとされる。
更に大半が身体系、身体能力を魔力で向上させる系統で、投射系、ファイアーボールとかを撃てる魔導士は少ない。
ところがタイジは突然変異と言っていいぐらいに魔力量が多かった。
人族の魔導士を雇って能力判定が行われ、潜在能力はガウレト族としては前代未聞、牙族中でもトップクラスと判定される。
血統としては部族長の親戚をかろうじて名乗れるかどうか、ぐらいだったタイジはいきなり部族の将来を担うエリートとして、部族内の名門カミン姉妹と結婚する。
その上で部族の期待を背負ってカゲシン留学となった。
ガウレト族内ではタイジに教えられる魔法使いなどいないのだ。
タイジ一行がガウレト族居留地を出てカゲシンに到着したのが七月中旬。
部族の後押しで『青』の学生証を獲得し、八月一日から入講。
二か月弱で初級中級の講義をクリアし、一〇月初めの施薬院入講試験にたどり着いた。
教導院学問所で上級講義を取るのは大半が貴族である。
施薬院学問所では実習費が必要なことから裕福な中級以上の貴族が多い。
平民特例推薦のオレは完全に部外者だ。
タイジは牙族の留学生。
牙族で医者志望はカゲシンの歴史上数例という希少種。
しかも、タイジの出身であるガウレト族はカゲシンで重視されているとは言い難い。
そのため、これまた完全に浮いている。
オレが『青』の学生証を手に入れた辺りから、施薬院志望ということで話をするようになっていた。
残り物同士という悲しい付き合いだが、タイジはかなりいい奴だと思う。
オレが薬術科の試験に合格できたのは、タイジの助言のおかげである。
正直、タイジがいなかったらオレは試験を一か月延期していただろう。
タイジは結婚していて奥さんが三人いる。
三人は姉妹で上から、スタイ、ナムジョン、ダナシリという。
ガウレト族も一夫多妻だが、姉妹で一人の男性と結婚するのが風習なのだそうだ。
奥さんは三人ともタイジより年上だ。
長女のスタイさんはしっかり者でオールマイティな才媛系。
次女のナムジョンは運動系というかやや脳筋系。
三女のダナシリは魔力が高く知能が高い魔法使い系。
三人ともそれなりの美人で役割のバランスが取れている、ということになっている。
オレから見ると、ダナシリは一応女性に見えるが、ナムジョンはどう見ても男、スタイも一見では男性、というレベルである。
「しかし、実技試験、早いな。
ものすごい受験者数だったから、採点にはもう少し時間がかかると踏んでいたんだが」
「聞いたところでは、絶対に合格できない人が多いので、そのような方はろくに採点しないそうです」
オレの言葉にダナシリが反応する。
ちなみに、ダナシリも一緒に施薬院入講試験を受けている。
確かに、合理的だが、地球の先進国なら許されん採点方法だな。
「でも、そのおかげで、実技試験の練習時間が少なくなるのは厳しいよね」
「まあ、そうだな」
タイジがぼやくが、実は、オレたちが少数派、という話も有る。
今、練習しているのでも分かると思うが、実は実技試験内容は分かっている。
正式には公表されていないが、ここ数年は同じ内容なので知れ渡っているのだ。
であるからして、受験生全員が練習して臨んでいるのは間違いない。
そして、一般の受験生は、中級講義の履修証を手に入れて、直ぐには受験しないらしい。
少なくとも、一か月、普通は二か月以上、受験勉強のため、間を空けるという。
オレたちのように受験資格を得た途端に受験するのは、理論上は可能だが、普通はしないらしい。
では、何で、オレがそんなことをしたのか、更にはタイジたちまでそれに付き合わせたのかと言えば、そのようにするのが当然と思い込んでいたからだ。
実は、シノさんたちが、このパターンで受験している。
シマに教わったオレは、これが普通のパターンだと思い込んでいた訳である。
後で聞いたところでは、この規定は事実上センフルール専用だったらしい。
まあ、時間の節約になるから悪い事ではない。
しかし、タイジでも三人の奥さんがいるんだよな。
聞けば、他に五人『高級使用人』の女性がいるという。
その五人とも、性行為があるらしい。
「使用人は月一回程度だね。ご褒美で増やすことも有るけど」
タイジにサラっと言われて眩暈がしたのは内緒だ。
片や、オレはと言えば、本日も従者はいません。
口入れ屋から雇った家政婦は、従者としては全く使えない。
長期契約は、せいぜい十日間で、基本は日替わり。
毎日、朝早く起きて口入れ屋に行き家政婦を雇うという行為自体が面倒で、最近はどこかに挨拶に行くとか特別な日にしか雇っていない。
一応、何とか、彼女を作ろうと、学問所に入ってから色々と奮闘しているのだが、・・・全く脈が無い。
オレがこれならと思った女性は全員が貴族。
平民のオレは欠片も相手にされない。
つーか、話ぐらい聞いてくれないかなぁ。
決して、美人ばかり狙っているわけではないのですよ。
オレの目から見て、辛うじて女性というレベルにも声をかけている。
でも、全敗。
全敗どころか、蔭口まで叩かれている始末。
「ほら、あれが噂の変態よ」とか、「女より自分で処理するのが好きらしいわよ」とか、魔法で拾った囁きは悲惨なものが多い。
一体、どこの誰が変な噂を流してるんだろう?
女より自分で、・・・なんて一言も言った覚えはないんだが。
思うに名前が良くない。
オレの登録名は『スッパイ・キョウスケ』だ。
スッパイ村出身の平民キョウスケという意味らしいが、・・・なんでこうなっちゃったかね?
しかし、『スッパイ・キョウスケ』なんて、胡散臭いにも程がある。
後から知ったのだが『スッパイ』という言葉はこちらでは、『すばしっこい』という意味で、同時に『こずるい』とか『すり』という意味もある。
なんだかなー、今更ながら、もっと、強固に交渉すべきだった。
気が付いた時には、あちこちに登録されていて、修正も大変。
つーか、正当な理由が無ければ変更できないらしい。
頭痛が痛すぎる。
だが、医者になれば、・・・いや、施薬院に入講できれば周りの見る目も変わるだろう。
きっとそうに違いない!
結論から言えば、その二日後、オレは施薬院に合格し、『銀色施薬院徽章』を手に入れた。
施薬院学問所に入講が許された者は形状から『蛇の輪』と呼ばれる『施薬院徽章』が与えられる。
施薬科の所属は更に『銀の匙』、施術科では『銀のメス』、薬術科では『緑の葉』の印が付けられる。
それぞれの科で一定の資格を得ると、それぞれ『金の匙』、『金のメス』、『金の縁取りの付いた緑の葉』に昇格する。
ちなみに、貴族社会では『金』でなければ医者と見なされないが、一般社会では『銀の匙』、『銀のメス』のマーク持ちで医者と見なされる。
『緑の葉』は『薬師』と呼ばれる。
ちなみに施薬院を去る者のうち三種類の金マークを付けている者は毎年数名という。
大半は薬術科の一つだけ。
多くて二つという。
取りあえずは、三個全部金色の『金色徽章』を目指そう。
ちなみに、十月の施薬院施薬科施術科の合格者数は四人。
オレとタイジとダナシリ。
そして、モローク・タージョッという少女だった。
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