01-12S クロイトノット・アシックネール やって来た薬師
クロスハウゼン・ガイラン・ライデクラート様が連れて来た薬師は風変わりな人でした。
平民は貴族の前に出れば俯いて視線を合わせず、おどおどと話すものです。
ですが、この者は真っ直ぐこちらを見て淀みなく話をします。
目上の者と話す際には真直ぐに見てはならない、というのは、旧帝国の作法であって、現在のマリセアの正しき教えの徒である我らでは関係ないのですが、未だに俯いて話をする者が多いのです。
まあ、未だに諸侯ではその作法を強制する例が少なくないとは聞きますから、それに倣う方が無難と考えている者が多いのでしょう。
ですが、この者は普通に顔を上げて話をします。
それでいて不躾な感じはしませんし、不作法と言う印象も有りません。
どことなく気品が有るのです。
ですが、貴族かと問われればそういう感じでも有りません。
良く分かりませんが、何となくそう感じます。
不思議なのは、従者がいないことです。
旅の薬師との話でしたが、町から町へ、村から村へ、一人で旅してきたのでしょうか?
街道沿いでも追剥や泥棒は普通に出ると聞きます。
夜は狼や魔獣が出ます。
そこを一人で、徒歩で旅してきたというのです。
身の回りの生活品や食料、そしてお金など、全て一人で運んでいたのでしょうか。
おかしいのですが、嘘と決めつける証拠も有りません。
旅をしていたというのに、肌は奇麗で服も清潔、平民特有の嫌な臭いもしません。
背も高く、美しい顔立ちをしています。
結構な美人と思っていたら、男性であることが判明しました。
ますます以て得体が知れなくなりました。
当然のことですが、母は渋りました。
身元もわからない人物にネディーアール様を託すことなどできないと。
母はネディーアール様の乳母で側近筆頭です。
当たり前の反応でしょう。
ですが、ライデクラート様の言うところも正しいのです。
私の主、乳兄弟であり親友でもある、マリセア正教宗家内公女ネディーアール殿下の状況は極めて厳しいです。
今は言葉も出せず、意識はほとんど有りません。
結局、ライデクラート様の意見が通り、彼に診察させることになりました。
そして、ネディーアール様は快癒しました。
薬師の名は『キョウスケ』と言いました。
聞いたことのない奇妙な名前です。
少なくとも、アナトリス系やテルミナス系の名前では有りません。
平民としても聞かない名前です。
私の周囲にも多くの平民がいますが、彼らの名前は単純で種類も限られます。
彼はどこで生まれ、どこを旅していたというのでしょう?
ですが、その医師としての腕は確かでした。
ニシシュマリナは小さな町ですが、一応は城壁を持つ町であり、施薬院出の身元の確かな医師も在住していました。
ですが、皆、ただ手を拱いていただけです。
正直に言えば、私も、そしてネディーアール様自身も医師の資格、施薬院徽章は所持しています。
それでも、ネディーアール様の病状は診断すら付けられなかったのです。
皆が寄って集って、どうにも出来なかった病気を治したのがキョウスケでした。
命の恩人と言って良いでしょう。
病気の治療は勿論ですが、個人的に驚いたのは傷口の治療です。
ネディーアール様の足は、それまでに何度も切り開かれては縫われ、酷いことになっていました。
キョウスケはその傷跡をきれいに真っ平にしてしまったのです。
こんな話はカゲシンの施薬院でも聞いたことは有りません。
様々な傷跡やイボなどに悩む女性は少なくありません。
キョウスケはこの技だけでもカゲシンで裕福な暮らしが出来るでしょう。
彼の技はそれだけでは有りませんでした。
まずは『水』です。
キョウスケは簡単に水を出します。
魔法で水を出すというのは、魔導士の基本でしょう。
ですから、出来て当たり前と思われるかもしれません。
ですが、彼の場合は、適量をきっちり出します。
コップを見ながら私たちの要望に合わせて量を調節するのです。
施薬院の入講試験では、決められた量の水を出す試験が有りますが、普通はまず出す量を決めて、それから魔法で水を作ります。
途中で停止などできません。
細かなことが得意とされる施薬院でも、キョウスケと同じことが出来る者が何人いるでしょう?。
更にキョウスケには、水の温度を調節するという技もありました。
冷たいのから熱いのまで自由自在です。
私も魔法で水を出して、それを魔法で温めることはできます。
ですが、冷やすのは困難です。
きちんと言うなら、魔法で出す水の温度は、気温と同じです。
空気から出すのですから、夏は生暖かい水が、冬は冷たい水が出ます。
キョウスケのように夏場に冷たい水が出せるのは才能でしょう。
夏場の山道を行くときの冷水はごちそうです。
私とネディーアール様はすっかり気に入りました。
気難しい母も、これは気に入ったようでした。
続いて、判明したのが入浴です。
山道に入って三日目、未だにきれいな肌のキョウスケを問い詰めたところ判明しました。
何と与えられたテントの中で風呂を掘って入浴していたというのです。
奇麗なはずです。
しかし、貴重なマナを入浴に使ってしまうのは常識にありません。
体内のマナは有限です。
無駄遣いしていては必要な時に足りなくなります。
そして必要な時が何時来るのかは誰もわかりません。
ですから、魔力量が豊富なネディーアール様でも、マナを風呂に使うなどするわけが無いのです。
指摘された、キョウスケはきょとんとしていました。
防衛用のマナは十分に残していると言うのですが、・・・常識が違い過ぎます。
頭を抱えていたら、彼はネディーアール様のためにと風呂を掘ってお湯を満たしてしまいました。
呆れるほどの速さです。
それで、入ることにしました。
勿体ないですから。
入るのは勿論、ネディーアール様と私です。
私はネディーアール様の補助をする立場です。
役得は否定しません。
風呂は地面に掘られた物ですが、壁面は奇麗に固められ不潔な感じはしません。
三人ぐらいは余裕で入れそうな広さで、下手な宿屋よりもマシでしょう。
「ねえ、アシックネール、彼の事どう思う?」
私が体を洗い終えて、ネディーの横に入ると彼女が話しかけてきました。
二人きりですので、彼女も言葉は飾りません。
「肌の色がもう少し濃くて、目の色が薄かったら完璧でしたね」
「それは、そうだけど、・・・充分、いい方じゃない?」
「常識は無いけど、頭が悪いってことは無さそうですね」
「うん、そうね。
国とか、歴史とか、驚くほど知らないけど、教えたら呑み込みはいいのよ。
質問が鋭いのよね。
理解力はかなり高いと思う。
ホント、どこで育ったんだろ」
旅の間、キョウスケはネディーアール様の話し相手になっていました。
母の意見で、私は口を挟まず観察に徹していたのですが、普通に会話が続くことに驚きました。
ネディーはとても頭が良いのですが、ちょっと我儘なところがあって、頭の回転が鈍い者を露骨に馬鹿にする癖があります。
そんな彼女の話し相手を何日も務められるのは結構な才能でしょう。
「分からないのは、魔力ですね。
見た目は全然マナを感じないのに普通に魔法で手術していましたし、この風呂なんか上級魔導士並みじゃないですか」
「うん、それなんだけどね」
彼女は少し複雑な顔をしていました。
「アイツ、結構、天才だと思う」
私は戸惑いました。
魔法の天才と言えばネディーアール自身でしょう。
十四歳と言う年齢でありながら、魔力量でも、マナの操作でも既にカゲシンで有数です。
将来は、彼女の祖父でもあるクロスハウゼン国家守護魔導士を超えると期待される逸材です。
「ネールはキョウスケの魔法、特に手術を見ていたでしょう。
それでどんな風に思った?」
「細かな魔法ばっかりでしたけど、凄くスムーズで、ほとんど呪文も唱えずに使っていたのは大したものだと思いました」
「それよ、その細かな魔法。
あれ、全然、細かくないから」
意味が分かりません。
私が理解していないと察したのでしょう。
彼女はこちらに向き直すと、えらく真面目な顔で話し始めました。
「あのね、魔法を使う場合のマナの大半は無駄になってるって知ってた?」
「えーと、聞いたことはあります。
魔法を発動させるマナの量を一とすると、実際に術者が放出するマナは一〇かそれ以上になるって話ですよね」
「そう、下手な人だと一の魔法に三〇ぐらいのマナを使っちゃう」
「大半のマナはマナを正しく作用させるために使われるって話ですよね」
「うん、それで、その話には続きがあってね。
簡単な魔法だと、一対一〇とか二〇の話になるんだけど、魔法が高度になるにつれて、使用するマナ量は何倍にもなる。
二段階三段階の呪文で魔法を発動させるから、それだけロスも多くなっちゃう。
つまり、一〇の魔法を発動させるのに必要なマナの量は、一〇〇や二〇〇ではなくて、五〇〇とかになっちゃうのよ」
「その余分なマナをできるだけ少なくするのが、魔法に熟練するってことで、上級魔導士は正魔導士の倍ぐらいしか魔力量は無いけど、撃てるファイアーボールの数は三倍になるって話ですよね」
「それでね、アイツの場合、それが極端に少ないみたい」
―――良く分かりません。
キョウスケが湯船にお湯を張った時を思い出してみますが、そもそも記憶にないのです。
「良く分からないというか、言われてみればキョウスケの魔法って極端に短いですよね。
呪文を詠唱しないこともありますけど発動が早いと言うか、気が付いたら終わっていたというか」
「うん、そこね。
アイツの魔法は余程注意してみないと発動が分からないのよ。
私もアイツが水を出すたびに注意して見ていたんだけど、それでも良く分からなかったわ。
さっき湯船にお湯を入れたのでやっと分かった、と思う」
ネディーはそう言ってじっとこちらを見ている。
私は慌てて考えた。
「えーと、発動が分り辛い理由は余分なマナの消費が無いからってことですか?」
「恐らくね。
アイツ、水を出すという単純な魔法だと、ほとんど余分なマナを出さない。
一の魔法を発動させるのに二か三程度しか使っていないと思う。
他人が魔法を使ったかどうかが分かるのは、発動に伴って余分なマナが周囲に拡散されるから、なのよ。
アイツの場合はそれが極端に少ないから、余程注意して見ていないと魔法を使った事すら気付かない」
いくら何でも、と思いましたが、ネディーアールがこれだけ自信を持っていうのです。
それだけの根拠があるのでしょう。
そもそも、微細なマナの流れを見ることについて彼女は卓越した素質があるのです。
センフルールのシノノワールからは月の民に匹敵する才能と評価されているぐらいです。
「もし、今の話が本当だとすると、キョウスケは一般的な魔導士が、一〇か二〇のマナを使うところを二か三で済ませることが出来るって事ですよね?
それって、見た目の五倍から一〇倍の魔力量を持っているに等しいって話になっちゃいますよ」
「うん、その、まさかよ」
「―――――――――真面目に、ですか?」
あっさりと頷かれてしまいました。
「ま、ネールが信じられないのは分かるわ。
私だって吃驚だもの。
私なんて、一の魔法に一〇のマナを使う程度で器用だって周りから言われてたのよ。
もう、プライドも何も有ったもんじゃないわ」
何かとんでもない話になっています。
「まさか、そんな、えーと、月の民でもそんな話にはなっていなかったですよね?」
「シノノワールでも私より少し上な程度よ。
その少しの差が大変な差だって聞いてたんだけどね。
あいつはシノノワールの何倍も器用ってことよ」
ネディーを疑いたくは有りませんが、有体に言って信じ難い話です。
「ま、まあ、ライデクラート様も、うちの母も、キョウスケはクロスハウゼン家で囲い込むって話をしてますから、彼の才能についてはじっくり見極めればいいんじゃないかと思いますけど、・・・」
「それは、そうなのよね、・・・」
そう言いながらもネディーは唇を微妙にもごもごさせています。
あひるの嘴みたいで変な顔ですが、彼女ぐらいの美人であればなんでもかっこ良くなってしまいます。
ちなみに彼女がこれをする時は言い淀んでいることが有るという印です。
「まだ、何かあるのですか?」
ネディーは、しばらく、あひる口を閉じたり開いたりしていましたが、やがて意を決したようで口を開きました。
「キョウスケを私の側近に入れられないかな?」
「はい?それ、愛人に見られちゃいますよ」
「別に、いーじゃない」
乳兄弟は真っ赤になって横を向いてしまいました。
あーそうですか、惚れましたか。
頭の回転が良くて、医師として見事な腕を持ち、魔法が器用で、美男子で、そして命の恩人。
確かに、彼女の好みでしょう。
まあ、そうですね。
ネディーがキョウスケを愛人に。
ならば私も一緒に味見できるという事ですね。
キョウスケはなかなか美味しそうですから、それ自体は悪くは有りません。
いや、良いですね!
ライデクラート様によれば大きさも硬さも平均を大きく上回るとか!
そちらの方面の技術はまだまだという話でしたが、初めてでは仕方が無いでしょう。
むしろ、仕込み甲斐があるというか、私とネディーで好みに育てるという、・・・あら、よだれが、・・・ホホ。
ああ、いえ、これは仕方が無いのですよ。
ネディーは未経験ですし、キョウスケも経験は一回だけ。
私が指導するしかないでは有りませんか!
しかし、問題は、ですねぇ。
「成人したばかりで未婚の十四歳の内公女が愛人を持つなど聞いたことがございません!」
案の定、母は真っ向から反対でした。
「良いではないか。
高位の女性が愛人を持つのは当たり前であろう」
「愛人が許容されるのは結婚して跡取りの男子を産んでからです。
十四歳の未婚の女性が愛人など許される筈が有りません」
「それは建前ではないか。
現実に結婚前に愛人を囲っている者も少なくない。
父上の妹君では少なくとも三人、姉妹でも第一正夫人の娘のあの方と第三正夫人の娘のあの方は愛人がいると聞いている」
「素行不良で有名な方々の真似をするおつもりですか!
全く、そんな話をどこから、・・・」
「誰でも知っておるわ」
「まあまあ、叔母上」
横からライデクラート様が母を宥めます。
「叔母上は、少し堅いと思いますよ。
今時、男性の経験も無く嫁ぐなど、逆におかしいでしょう。
ああ、勿論、避妊は大切です。
ですが、薬は私が持っておりますので」
「ライデクラート、其方は何を言っているのです?」
「いや、ですから、避妊の大切さを」
「うむ、避妊魔法はバッチリ習得しておるぞ」
「そのような問題では有りません!」
「キョウスケの体の方でしたら、私が既に確かめていますので、問題は無いかと」
「其方、ネディーアール様のお相手をさせることが出来るかどうかを確かめるためにキョウスケと関係したと言い張るのですか?」
「勿論です」
「流石はライデクラート。気が利くのう。良く気付いてくれた」
母が大きくため息をつきます。
「まあ、叔母上がご不安でしたら、もう何回か確認するのも吝かでは有りません」
「待て、ライデクラート。
次の確認は一緒でも良いのではないか?」
いや、流石にその方向で行くのは無理だと思いますよ。
母のこめかみがひくひくしています。
案の定、説教が始まってしまいました。
これは二時間コースでしょうか。
こうして、ネディーの細やかな望みは少なくとも当座は叶えられることなく終わりました。
まあ、キョウスケの身柄は我がクロイトノット家で抱える予定ですので、今後、いくらでも味見のチャンスはあるでしょう。
私の愛人にしてしまって、ネディーを密かに呼び入れるのでも良いでしょうか。
それにしても、母は異様に堅いですね。
ネディーも私も、いろいろと苦労し続けることになるのでしょう。
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