第2話 カタツムリ【中間宿主】
───ロイコクロリディウム。中間宿主であるカタツムリの体内で派手な動きをし、最終宿主である鳥を自ら
ロイコクロリディウムに寄生されたカタツムリは、本来は隠れているはずの昼間に、葉の上に出てくるように操られる。鳥から目立つようにクネクネと角を動かされるんだ。
ロイ子は寄生虫のように、カタツムリのような中間宿主を探していたに違いない。僕がロイ子を警戒したのは、中間宿主にされてしまう事を怖れての自己防衛本能だったと思う。
◆□
「マナト、今日テストどうだった?」夕ご飯の準備をしていると母さんの声が聞こえた。昨日よりも調子が良さそうで、僕は安心した。母さんは病気だ。僕が五歳の時に父さんと別れて僕を一人で育ててくれた。
去年、筋肉が日に日に弱るという病名が分かった母さんを、僕は守るって決めた。それが当然だと思ったし、慣れてしまえば大変じゃないって思っていたんだ。
病院の付き添いで学校を休みがちになった僕に、担任の梅林先生が困った事はないか何度も聞いてくれた。
「相談して生活が変わるわけではありません。それに誰かに相談するほどの悩みでもありません」僕はいつもこう答えて孤立していったのかもしれない。僕にとって大事な母さんの介護は辛いと思わなかったんだ。
◆□◆
翌日もテストだった。先生の配慮で一日二時間だけ学校へ来るように言われていた。お昼ご飯までには家に帰る事が出来るようにしてくれたのだと思う。
「ねえ、今日はパンないの?」屋上でテスト勉強している僕に声をかけてきたのはロイ子だった。僕はまたかって怪訝な顔をしながら言う。
「ない。……お母さん家事出来るんでしょ? 作ってもらえよ」
自分の娘を利用する母親でも身体は丈夫なんだろう? 僕の朝食をあてにするロイ子に嫌味を込めて言ってやった。
「ママはまた男のところ。昨日は帰ってきてないんだ」
「……だったら自分で作ればいいじゃん。甘えるな!」
つい声を荒げてしまってから後悔した。そうだねって素直にロイ子が言ったから。大きな瞳から涙がこぼれ落ちそうなのを見て、僕は後悔したんだ。
「ごめん。大きな声出してごめん。パンあげるから泣くなよ」
まるで三歳児を宥めるようにロイ子に言ってからパンを半分こにしてあげた。小さくちぎって口に入れる食べ方が本当に可愛かったんだ。
「マナト、明日ひま? 一緒に遊園地に行かない?」
「ごめん。ロイ子、いや、ルイも知ってるって思うけど、うちには病気の母さんがいるんだ。母さんを一人にして何処にも行けないよ。それにお金だってない」
僕は突然の誘いに正直に行けないって答えた。今まで誰にも知られたくなかった母さんの病気や介護の事をルイには話せたんだ。
「ヘルパーさん雇えばいいじゃん。マナトだってずっと家にいたらおかしくなっちゃうよ。たまには外で遊ぼう。私が連れ出してあげる」
ルイはそう言って制服のポケットから一万円札を二枚取り出し僕に見せた。僕はそんな大金を中学生のルイが持っている事に驚いて、顔の前で手を振る。どんな事をして手に入れたお金だか分かったものじゃない。
「安心して。ママの彼氏から貰ったお金だよ。私、お店手伝ってるの。バイト代を貯めてきたんだ。じゃ、明日の十時に海浜遊園地で待ち合わせね」
ルイが全て段取りしてくれて、僕はヘルパーを雇って本当に遊園地に行く事が出来たんだ。梅林先生が母さんに連絡してくれた事も後で知った。
僕は今まで知らなかった、楽しむ時間を持ってしまった事に少し罪悪感を感じた。ロイ子が僕を明るい方へ導いてくれた事実を、この時は操られて中間宿主となって鳥に食べられてもいいって思ったんだ。
「今、一番てっぺんかな。マナト見て! みんなあんなに小さく見える」
「そっ、そうだね。ルイ、座ってよ。揺らさないでよ!」
僕は観覧車の中ではしゃぐルイを落ち着かせて、ゆっくりと下を見る。海がキラキラして、新緑が鮮やかで、歩いている人達が豆粒に見えた。
「なんか私たち鳥になったみたいだね。私も鳥になれるかな」ルイは僕に言ったのか独り言なのか分からないほど小さな声で呟いた。それが何を意味するのか僕は分かった。大きな襟の白いブラウスに緑色のレーシーカーディガンを羽織ったルイはとってもチャーミングだったけど、首元からアザが見えてしまっていた。
「ロイコクロリディウムを意識してこんなコーディネートにしてみました。私はカタツムリに寄生して鳥に食べられて、直腸にくっついて生きていくロイ子です」
僕の視線に気がついたのか、ルイは戯けた。僕はそんな事自分で言うなよって怒ったけど、ルイ、君はただ寂しそうに笑っていたね。
「世の中、不公平だよね。マナトは勉強が出来るのに……ねえ、マナト、月曜日の朝、屋上で待っていて。パンばかりじゃ栄養が偏るよ」
「もしかしてルイ、何か作ってくれるの? いいよ。僕の方がお礼をしたいくらいだ。ルイが誘ってくれなかったらこんな楽しい時間があるって忘れてた」
あの日、僕たちは久しぶりに笑った。誰に遠慮することも、誰かに怯える事もなく、十五才らしく、子どものように楽しんだ。
ルイは確かにロイコクロリディウムだった。僕を明るい方へ導いてくれたのだから。
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