ロイコクロリディウム

星都ハナス

第1話 ロイコクロリディウム【寄生虫】

 ───ロイ子が突然、僕の前から姿を消した。


 ここに来たら会える。僕はそう信じて鍵を回し扉を開けた。あの時と同じ薫風の中、陽の光を浴びる。ロイ子がここまで僕を導いてくれた。明るい方へといざなってくれた。僕はロイ子に会わなくちゃいけないんだ。


◆□◆□


 リュックサックのファスナーを開けて、取り出した菓子パンを食べる。僕にはいつだって時間がない。朝ご飯に焼いた目玉焼きにラップをかけてから洗濯物を干し、ゴミ袋を鷲づかみに玄関を出る。まだ眠っていた母さんを起こさないように囁くように行ってきますとだけ言った。


「ねえ、あんたライター持ってる?」誰もいないと思っていた学校の屋上で突然声をかけられて、クリームパンを喉に詰まらせそうになった。朝日を背にして現れたのは、一年から同じクラスのロイ子だった。僕は気怠そうに髪をかきあげるロイ子を警戒した。


「そんな物持ってるわけないじゃん」パンを無理矢理飲み込んで、僕はぶっきらぼうに答える。中学三年生の僕たちに一番不釣り合いなライターというワードに僕はイラついた。ロイ子はフンと鼻を鳴らす。


「あんたもテスト受けに来たの? まじだるいよね」

「別に」

「ま、あんたは私と違って勉強出来るからさ、頑張りな」


 僕はロイ子の上から目線で物を言う感じが嫌いだった。僕は好きで学校を休んでいたわけじゃない。ロイ子と同じ不登校というグループに入れられるのが癪だった。そのグループに入ったのは一年生の二学期からだ。僕たち不登校がちグループは授業に出ていなくても定期的にテストを受けさせられた。今日はそのテストの日。僕は二つ目のパンを右手に、ノートを左手にしテストに備える。二年生の復習テストだ。自分で纏めたノート。いい点数が取れると思う。


「美味しそうだね、それ」僕が背を向けて食べ始めた時、ロイ子が言う。

「別に」食べる姿を人に見られるだけでも恥ずかしいのに、屈託なく人の食べ物に眼差しを向けるロイ子の感性が信じられない。気がつけば僕のすぐ隣にしゃがんでじっとこっちを覗き込む。お婆ちゃんの家で飼っていたポメラニアンのモモにそっくりで僕は焦った。透けるような白い肌で、目だけ大きくて鼻筋が通っているロイ子。ハーフだって聞いた事があるけど、それ以上は興味がなかった。


「じゃ、半分あげるよ」僕はパンをちぎって口をつけていない方をロイ子にあげた。食べ方までモモにそっくりで、一瞬ロイ子が可愛いいって思えたんだ。


「あんた、勉強出来るのに何で学校に来ないの?」

「別に。てか、あんたって言うのやめてくれないかな。気分悪い」

「名前なんだっけ?」ロイ子は手についたクリームを美味しそうに舐めながら僕に聞いた。クラスで存在が薄いのは自分でも分かってる。けど名前くらいは覚えていて欲しかった。僕はと吐き捨てるように言ってからノートをリュックにしまった。ロイ子と話をする時間がもったいない。


「ねえ、あんた何でやり返さなかったの?」

「だから、マナトだっ……て。てか、何の話だよ?!」


 僕は自分でも大きな声が出て驚いた。一番触れて欲しくない部分にロイ子が触れてきたからだった。僕はデリカシーのないロイ子に少し腹が立って、だってしょうがないじゃんとだけ言ってリュックを背負う。


───だってしょうがないじゃん。僕がもしやり返して怪我でもしたら、誰が母さんの面倒をみてくれるの! 誰が代わりに母さんにご飯を作ってくれるの! 誰が代わりに家事をしてくれるの! 掃除も洗濯もゴミ出しも全部僕の仕事なんだよ。

 

 今までずっと押し殺していた感情が、ロイ子のたった一言でマグマのように吹き出して、僕が僕でなくなるようで怖かったんだ。身体の中心から怒りのような諦めのような塊が全身に響き渡って神経を震わせ、僕は呼吸が出来ないような不安に襲われた。不意に涙が溢れそうで、僕は背を向けた。早くこの場から離れたかった。


「ツノダセ、やり出せ、目玉出せ。デンデン虫虫カタツムリ……」

「うるさいよ! のくせに!」


 ロイ子がの歌を歌い出した時、僕はもう我慢出来なくて怒鳴ってしまった。やり返さなかった時のイジメの歌だったから。思い出したくなかったんだ。今まで介護してきた母さんに怒鳴った事もないのに、どうしてなのかロイ子には怒鳴る事が出来たんだ。

 

「ごちそうさま。じゃ」僕にロイ子って呼ばれたのが意外だったみたいで、一瞬目を伏せてから、ロイ子は僕にヒラヒラと手を振った。


 ロイ子。それがロイ子に付けられたあだ名だって知ったのは、ちょうど一年前。本名は岡田ルイ。十四才になったばかりのルイはある事件を起こして補導された。SNSを利用して男性と仲良くなり、会う事を約束する。


 年齢を偽ってホテルに誘い、そこで待ち伏せしていたロイ子の家族がのこのこついてきた男にお金を払うよう脅迫する。いわゆる美人局つつもたせっていう犯罪だ。大学生もいたし、妻子ある中年男性もいたらしい。衝撃的だったのはそれをやらせていたのが、ロイ子の母親だって噂だ。


───まるで。ロイコクロリディウムはカタツムリを操り、鳥に食べさせる寄生虫。


 デリカシーのないロイ子はロイ子で充分だ。僕は教室に戻ってもロイ子を無視した。


 

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