120.第一回 嫁たちの夜会~議題発表~



 王国歴725年、牧獣の月(5月)下旬。



*****

//アイネシア・フォン・ロゼーリア//



 夜闇に閉ざされた暗い寮内で、窓から差し込む僅かな星明かりと指先に灯した小さな光を頼りに、私は階段を登っていく。


 誰もが寝静まり静寂に包まれた空間に、ゆっくりと忍ぶような足音が2つ。


「(ぅぅっ……いつも夜のお散歩に行くときははまだ明かりがあるけれど、やっぱり深夜の寮は真っ暗で怖いわね……。ちょっと昔を思い出したわ……)」


「(それって、孤児院の頃……?)」


 明かりを灯しているのは私で、私のすぐ後ろを自らの身体を抱きしめるようにして及び腰でついてくるのがマリアナさんだ。


「(うん。月夜の晩には、ユエくんとこっそり遊んでいたの)」


「(くすっ……そう。それはいい思い出ね)」


 夜や闇は怖いものというのが常識の世の中で、淑女としてもこんな寝る前の格好で深夜に出歩くなんてちょっと……とは思うけれど、マリアナさんと共にわざわざ不気味な雰囲気がある夜の寮を進むのには、ちゃんと理由がある。


「(さぁ、着いたわ。静かにね)」


「(わかったわ)」


 ――コン、ココンッ


 4階の奥……ユエさんの部屋の前に立った私は、ほんの小さな音が伝わるくらいの力加減でドアをノックする。

 ツバキさんは私たちの気配が分かるというけれど、念のため予め決めておいたノックのリズムで来訪を知らせた。


「(ようこそおいでくださいました)」


 するとすぐに、音も立てずにゆっくりと……ゆっくりと扉が開き、その隙間からメイド服姿のツバキさんの姿が――闇の中にあって怪しく光る2つの瞳が私たちを捉えた。


「わっ――――むぅ!?」


「(マ、マリアナさんっ! 大きな声を出しちゃダメよ!?)」


 それを見たマリアナさんが驚き、私は何とかその口を塞いで大きな声が漏れるのを防いだ。


「(ご、ごめんなさいっ……ツバキさんの目が光ってて、びっくりして……。ツバキさんも、驚いちゃったりしてごめんなさい……)」


「(いえ、こちらこそ配慮が足りず失礼いたしました。我ら影猫族は、夜目が効きますので……。さぁ、どうぞお入りください)」


「(ええ、お邪魔するわ)」


「(お、おじゃましまーす……)」


 指先の明かりを消した私は、扉を押さえるツバキさんに言われるとおりにユエさんの部屋に足を踏み入れた。


 もう見慣れた部屋という感覚が浮かんできて……それほどユエさんとの時間を過ごせているというのが嬉しく思えてしまって、我ながらどこまでのユエさんのことが好きなのだろうかと苦笑してしまいそうになる。


 そんな、私だけじゃなくマリアナさんからもツバキさんからも――多くの女性から愛情を受けている愛しの旦那様はというと……。


「……すー…………すー……」


 相変わらず天使のような美しい寝姿で、安らかな寝息を立てていた。


 つい胸の奥やお腹の奥のほうがキュンキュンしてきてその唇を奪ってしまいたくなるけれど、それではただの夜這いよね……目的が変わってしまうわ。

 ユエさんには悪いけれど、今夜は寝ていて貰わないと困るから……そのままでいてね。


「「「(…………ふふっ)」」」


 私がユエさんの様子を見ていると、マリアナさんもツバキさんも同じようにユエさんの可愛らしい寝顔を見ていて……思わず私たちは顔を見合わせて小さく微笑みあってしまった。


「(アイネ様、マリアナ様。どうぞこちらへ)」


「(ええ、ありがとうツバキさん)」


 ツバキさんに導かれるままにベッドからゆっくりと離れた私たちは、椅子を引かれるままに2人かけのテーブルに着いた。

 ツバキさんはいつもどおりその横に使用人のように背筋を伸ばして立っている。


 この距離なら、最小限に抑えていた声を少しだけ戻しても良さそうだ。


「考えてみれば、こうしてユエさん抜きでツバキさんとお話する機会も珍しいわよね」


「は。私はいつでも主様のお側におりますので」


「そうだったわね……くすっ。ユエさんが安心して眠れるのはきっとツバキさんのおかげね」


「は。ありがとうございます」


 当然です、と誇らしそうなツバキさんがちょっと可愛らしくて、なんだか可笑しくなってしまった。


「こちら、お休み前でもお飲みいただける紅茶でございます」


「ええ、ありがとう」


 自然な間で差し出されたカップを受け取り、そのまま香りを楽しんでから口に含むと、優しく安心するようなアリーアの味がした。


「わぁ……なんだかこうしてアイネちゃんがツバキさんとお話してると、ユエくんじゃなくても主と従者さんって感じで絵になるわね……ツバキさん、メイドさんのお洋服がとっても似合ってるし……」


「は。ありがとうございます、マリアナ様」


「あぁ……私は、昔から実家で慣れてしまっていたから……。ごめんなさいツバキさん、私から使用人扱いされるのが嫌だったら言ってね」


「いえ、とんでもございません。アイネ様は主様の……奥様となられるお方。私にとっては主様の次に、忠節をもって接するべきお方でございますれば」


「……やっぱり、すごいわ……ふふっ」


 お盆を手にした手を身体の前で揃えて綺麗なお辞儀をしてそういったツバキさんを見て、マリアナさんがもう一度感心したように微笑みをこぼした。


「そういうマリアナさんはどうなの? 聞いて良いのかわからないけれど……あの執事の方へはそういう接し方をしていなかったのかしら?」


「私……? そうね……私にとってルシフさんは、私よりも先にエーデル家にいた人だし、お義父さまもお義母さまもお世話になったと仰っていて、ただの使用人に対する以上の接し方をされていたから……。私も自然とそうなってしまったのよね。どちらかというと、優しいお祖父さま……のように思っているのだと思うわ」


「そう……それは良かったわ」


「うんっ」


 『本当のお祖父様はいたかどうかも覚えてないのだけど……きっと私にとってはそんな人なの』と締めくくったマリアナさんの顔は穏やかで、あの老紳士が戻って来れたのはやはりマリアナさんにとっても良かったのだろうと、そんなところにもユエさんの優しさを感じることができた。


「……おいしい……。ねぇツバキさん、これってユエくんも好きな味なのかな……? もしよければ、教えて欲しいのだけど……」


「は。それはもちろん構いませんが……」


 紅茶を口に含んだマリアナさんに話を振られたツバキさんは、それに肯きつつもチラッと私の方に視線を送ってきた。

 ……本当に、よく出来た従者よね。


「ええ、そうね。悪いけれど、今日はただおしゃべりをするために2人に時間をもらっているわけではないのよ」


「ぁっ、そうよね……ごめんなさい。ええと、大切なお話ってアイネちゃんは言ってたけど……」


「はい。主様がお休みになられた後に、私も交えて……とアイネ様からお伺いしておりました」


「そう、大事な……ユエさんのことでの大切なお話よ」


 ユエさんを中心とした私たちの関係の中で、わざわざユエさんが眠ってから話さないといけない、大切な話。


 本当なら私の部屋かマリアナさんのお部屋が良いのだけれど、そうなるとツバキさんはユエさんの側にいることを優先して話に混ざれないから、こんな形で集まってもらっている。


「アイネちゃん、それって……?」


「…………」


 私が『大切な話』と言うとマリアナさんは真剣な表情で私の方を見てきて、ツバキさんはどこか探るような表情で私を見ていた。


 私はそれに肯くと、手にしていたカップを置いてから口を開いて……今夜の話の主旨を告げる。


「今夜集まってもらったのは他でもないわ……もうすぐやってくる、ユエさんの『アノ日に』ついてよ」







――――――――――――――――――――――――――――――――

あとがき

区切りの問題でちょっと短めでした……。


お読みいただき、ありがとうございます。

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次回、「第一回 嫁たちの夜会~開催の経緯説明と問題提起~」

文字にすると淡白なサブタイだけど実際の話の内容は……

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