109.夕暮れに影ひとつ~気遣い上手のアイネさん~



「つ、ついた……」


 僕にとっては羞恥地獄のような馬車での移動を経て、休日と時間帯のせいで人気のない学院の正門に降り立つ。


「楽しくおしゃべりしてると、時間が経つのが早く感じるわね」


「左様でございますね」


 左様でございますか。

 僕にはとても長く感じられましたよ……。


「……ん~~! 学院に、帰ってこられたわ……ふふっ」


 熱くなった頬を風にさらして冷ます僕の横で、マリアナさんが大きく伸びをしてほっと一息ついている。


 僕の手を取ってもらえた以上はマリアナさんが学院に戻ってこられないというのはありえないことだけれども。

 もし手を取ってもらえなかったら、僕がマリアナさんの窮状を知らなかったら、マリアナさんはいまここに居なかったんだと思うと……安堵の息を吐きたくなる気持ちはとても良くわかる。


 その顔には自然と微笑みが浮かんでいて、夕焼けに照らされてとても綺麗だ。


「……ユエく~ん? またお姉ちゃんの胸みてたでしょ~?」


「え? いえ……夕日に照らされたマリアナさんがとても綺麗だな、と思いまして」


「ぁっ、ぁぅ……そ、そう? もぅっ、ユエくんったら……」


 冤罪を晴らすべく本当のことを言っただけなのに、僕をからかおうとしていたらしいマリアナさんは夕焼けよりも顔を赤くし、頬を押さえてモジモジしてしまった。

 ……確かにとても揺れていらっしゃったけれども。


「早速ね……ほら、言ったでしょうマリアナさん?」


「う、うん……。でも、恥ずかしいけど……たった一言でこんなに嬉しくなっちゃうなんて……」


 アイネさんにはなぜかジト目で責められるように言われてしまったけれど、マリアナさんは喜んでくれてるみたいだし良いのでは……?


「ユエさん、悪気はないんだろうけれど、真っ直ぐすぎるものね。……そ、そこがまた素敵なのだけど」


 今度はアイネさんも頬を押さえて……って、これじゃあまた馬車の中の繰り返しになってしまうじゃないですか……。


 おふたりとも可愛らしくて大変よろしいですが。


「ユエさん……って、いけないいけない……」


 だんだん僕を見る視線に熱いものが混じり始めていたアイネさんが、ハッとなって頬を押さえたまま首を振った。


「…………」


 そしてなぜか、チラッと……僕の斜め後ろに控えているツバキさんのほうに視線を送っていた。


「……承知しております」


 不思議に思って僕が振り返ると、アイネさんが何も口にしていないのにも関わらず、その視線を受けたツバキさんは何かが分かったといって肯いている。


「ではアイネ様、失礼いたします」


「ええ」


 お辞儀をしたツバキさんにアイネさんが肯き返すと、ツバキさんの姿がスッと溶けるように消え……あれ?

 アイネさんの影にツバキさんが入っていった……?


「(……ユエさん)」


 ツバキさんの珍しすぎる行動を不思議に思っていると、アイネさんが未だに照れて『いやんいやん』としているマリアナさんを横目にそっと僕の方へ寄ってきた。

 内緒話をするように口元に手をやっているアイネさんの目が、『仕方ない人ね』と微笑ましいものでも見るかのようで……なんだろうと思いつつ、僕も顔を寄せて内緒話を聞く体勢になった。


「(はい、なんでしょう?)」


「(ユエさんが『ツバキさんがなんでそっちに?』ってお顔をしてたからよ……あのねユエさん。陛下も仰っていたけれど、これからはこういうことには気を使わないとダメよ?)」


 気を使う……? 陛下が仰っていたこと……? こういうこと……?


「(私たちは表向きはまだ学生だけれど……言うなれば今日は、マリアナさんにとってはユエさんと結ばれた初めての……なのよ?)」


「(あ、あぁ! ……そうですね)」


 少し気恥ずかしそうな様子と言われた内容で、アイネさんが僕に気を使えと言った理由を察してしまった。


「(私のときの初日は、その……キスだけだったけれど、それでも嬉しかったわ。ユエさんと確かに結ばれたんだってすごく実感できたもの。その後、デートの日には……ち、ちゃんとしてくれたし……ユエさんが言う『アノ日』にだって……)」


「(アイネさん……)」


 そうか……僕はどこまでいっても男だし経験豊富というわけでもないから気が回らなかっただけで、アイネさんを始めとした女の子としてはそういう記念とかを大事にするものだよね……。


「(だから……今日という日をマリアナさんのためにも大切にしてあげてほしいわ。例え今日のユエさんは女の子のままでも、それでも彼女にとってはそんなこと関係なく……大好きなユエさんとの記念すべき日だもの)」


「(わかりました……お気遣いありがとうございます。これから気をつけるようにします)」


「(そ、そうよ? 私だって本当は……ユエさんはここ最近は忙しくしてたから一緒の時間が減っていたし……か、可愛がってもらえてなかったし……。その、せっかく落ち着いたから……シてもらいたいって気持ちはあるのよ……?)」


「(ぅっ……)」


 頬を染めていじらしい本音を漏らすアイネさんが可愛すぎて、ドキッと鼓動が跳ねた。


「(でも今日くらいは……マリアナさんに譲るわ。ユエさんも気を使う必要があるけれど、私もユエさんの……せ、正妻として、気を使うのは当然の努めだものっ)」


「(ありがとうございます……それとすみませんでした……)」


「(謝らなくてもいいわ。ユエさんと私、マリアナさんにツバキさん……私達の関係は今日からまた新しく始まっていくのだもの。ひとつひとつ、一緒に進んでいきましょう?)」


「(はい……!)」


 本当に、なんと言って良いか分からないけれど……アイネさんはすごい人だ。


 マリアナさんに手を差し伸べるか悩んでいる時も背中を押してくれて、今だって自分の想いを持ちながらも僕たちの新しい関係が上手くいくようにと気を使ってくれている。


 本来なら……というか一般的に考えるなら、自分が好きで愛し合っている人が他の人とも結ばれるように、さらには初日だからといってそういうことをするように勧めるなんてありえないことだろう。


 事実として気の多い男になってる僕が言えることではないかもしれないけれど……。


 そんな僕を想ってくれているからこそ、僕のために気遣いをしてくれているアイネさんは……本当に愛しい人だ。


「(アイネさん……愛していますよ)」


 だから、こういう想いはきちんと伝えることも僕は大切だと思う。

 アイネさんの気遣いを聞いて……アイネさんのように上手く気を使うことも大切だけれど、愛し合う者同士、そして愛する人を共有する者同士で素直な想いを伝え合えっていけば……この胸に湧き上がっている幸せはもっともっと大きくなっていくと思ったからだ。


「(っ~~~!? も、もぅユエさんっ! 耳元でそんな嬉しいこと言われたら……せっかく譲るって決めたのに揺らいじゃうじゃないっ……)」


「(あはは……すみません)」


 『もぅっ……もぅっ!』と僕の肩に赤くなった顔を擦り付けながら言うアイネさんは可愛いなぁなんて思いつつ、その言葉にあまり責める色はなかったので僕は悪びれずに苦笑して答えた。


「(ぅぅっ……ダメよ私、今日はマリアナさんの大切な……うん、やっぱり譲らないと……ユエさんっ!)」


「(は、はい……?)」


 しばらく顔を埋めながら何事か悩んでいた様子だったアイネさんは、バッと顔を上げると真剣な目で僕を見上げてきた。顔は赤いままだったけど。


「(やっぱり、今日はちゃんとマリアナさんと一緒にいてあげて? そ、その代わり……次は、私をたくさん、愛してね……?)」


「(ぅぐっ……!? は、はい……)」


 はい『溜まり』ましたー。

 その可愛さは卑怯ですよアイネさん。


 アイネさんのことが大好きな僕にそんなことを言ったらどうなるか、次の機会に期待しててくださいね……?

 ……僕が期待してるだけかもしれないけれど。


『(……………………主様、アイネ様。マリアナ様が)』


「あれっ……ふたりとも、何を内緒話してるの? ほら、お姉ちゃんにも教えて? あら、ツバキさんはどこに……」


 僕とアイネさんがそんなやりとりをして、今更だけど影の中から羨ましそうな気配を感じてたところで、我に返ったマリアナさんがニコニコとしながらこちらに寄ってきた。

 弾む気持ちを表すかのようにお胸も弾んでいて……って、今はそうじゃない。


「い、いえその……」


「(ユエさん……)」


「(わ、わかっています……)」


 アイネさんが急かすように『分かってるわよね?』といった視線を送ってくるのに肯きながらも、僕はどうしようかと考える。

 このお姉ちゃん――僕としても嬉しいことに――、僕と結ばれたことが嬉しすぎて他のいろんなことが今は頭から飛んでいってしまっているようなのだ。


 アイネさんの気遣いを無駄にしないためにも、ここは僕のほうで上手く誘う必要があるとは分かっているのだけれど……いざ改めてとなるとどう切り出せば良いかが分からなくて口ごもってしまった。


 『HEY!カノジョ、このあとちょっとお茶でもしない?』なんて言語道断だ。


 色々と考えて……いや、この色々考え込んでしまうというのは僕の悪い癖じゃないか。

 ならばここはやはり――。


 僕は自分の中で決意を固めると、マリアナさんのほうに向き直った。


「マリアナさん」


「うん? どうしたのユエくんっ」


「――これから、お部屋にお伺いしてもいいですか?」


 ――素直に、真っ直ぐだ。


「(……くすっ。直球すぎるけれど……やっぱりそれがユエさんの素敵なところよね)」


 隣から『仕方ないなぁ』と微笑む気配を感じるけれど、直球ど真ん中の想いを放った僕はマリアナさんの瞳を見つめ続ける。


「私の部屋……? ぁっ……」


 僕の真剣な瞳に宿る想いを感じ取ってくれたのか……それとも流石にわかりやすかったのか。

 どうやら察してくれたらしいマリアナさんの顔が瞬間沸騰したかのように赤くなった。


「ユエくん…………うん。い、いいわよ……? そ、そうよね……あ、そうだっ」


 赤くなった顔のままモジモジしたマリアナさんは、潤んだ瞳を彷徨わせていたけれど……ふと何かを思いついたように明るい声を出した。


「そ、そうよね。私の部屋、しばらく空けてたから散らかっているものねっ? ユエくん、片付けを手伝ってくれるのでしょう? さすがユエくんは気が利くわぁ。お姉ちゃん関心したわよー! 昔からユエくんはお掃除が得意だったし、ユエくんがいてくれれば安心ねっ。ふ、ふふっ……」


 どこかよそよそしいというか白々しいというか……。

 マリアナさん貴女、僕の言葉の意味にしっかり気づいていますよね……?


 アイネさんに気を使っているのか、頬を染めたまま理由付けをする様子はとても可愛らしいので……僕はそれに乗っておくことにする。


「そうですね。しっかり、隅々まで確認させていただきます」


 ただあくまで真っ直ぐ。

 僕は綺麗な空色の瞳を見つめ続け……しっとりと汗をかいているその手を握った。


 もうずっと、僕たちは一緒なのですから。


「ぅぅっ……!? じゃ、じゃあ……行きましょうか……?」


 逃げられないことを悟った(逃げようとはしていなかったけれど)マリアナさんは、そう言って恥ずかしそうにしながらも期待で瞳を潤ませ、一歩を踏み出した。


「……ツバキさん、私達も行きましょう」


『……は。アイネ様』


「(頑張ってね、ユエさん)」


「(ありがとうございます)」


 僕を先導したくて手を引くように先を歩くマリアナさんを見てあの頃を思い出しながら、わざわざ遠回りで寮に向かい始めたアイネさんにそっと目で感謝の念を送る。


 ゆっくりと歩く僕とマリアナさんの影は、始めは手だけでつながっていたが――。


「……もう少し、こちらへ」


「きゃっ……!? ユエくん……う、うんっ」


 ――しらばくして並び、片方に引き寄せられ……夕日の中で大きく長いひとつのものとなるのだった……。






――――――――――――――――――――――――――――――――

あとがき


●●なアイネさんシリーズが出来ていきそうですね(適当)


お読みいただき、ありがとうございます。

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次回、「素直になって……?~結婚式ごっこ~」

ねぇ、ちゃんとしようよ!

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