096.どうかこの手を……~思い出の地へ~
王国歴725年、牧獣の月(5月)中旬。
ゴトゴトと音を立て、僅かな揺れを伴い、馬車の連なりが大通りを行く。
大通りと言ってもここは西区。主に居住区として利用されている区画だ。
王都に住まう平民のほとんどがこの区画に住処を持っていて、朝という時間もあってか道にはそれなりに人が行き交っているが東区の朝市ほどではない。
そしてその人々は一様に、王都においては有名な学院の印章が掲げられた馬車を振り返り、同じ王都に在りながら自分たちとは別の高貴な世界に住むうら若き乙女たちへ、憧れを込めた視線を送っていた。
大通りを進んでいた馬車たちがふと脇道へ逸れる。
道の整備の具合が大通りとは異なるのか、馬車の揺れが少し大きくなった。
「…………はぁ……」
揺れは馬車のうちのひとつに乗っているマリアナさんの胸を小刻みに揺らし……だからというわけではないだろうが、外の景色を見つめるその口からは小さくため息が漏れていた。
「…………」
先程からこの馬車の中には、馬車の車輪が地面を噛む音が響いている。
つまりは、僕・アイネさん・マリアナさん・ミリリアさん・エルシーユさん、ついでにクロという騒々たる(?)面々が乗っているのにも関わらず、誰も口を開いていなかったのだ。
というのも……マリアナさんはキキョウさんの報告通り、ちゃんと学院へ来てくれたまではよかったのだけれど、その様子は明らかに沈んでしまっていた。
おまけに、僕がなるべくいつも通りにと思ってにこやかに挨拶をし、授業への復帰を喜んだのだけれど……どうもちゃんと目を合わせてくれず、僕との会話はすぐに切り上げたい雰囲気が伝わってきてしまった。
内心で悲しくなりながらどうしようかと困っていた僕を助けてくれたのは、やはりというかアイネさんだった。
アイネさんの機転でとりあえず孤児院へ向かう馬車は一緒になることができた……のは良かったのだけど、マリアナさんは先程からこの調子で表情が優れないし、正直に言ってこの馬車だけやけに沈んだ空気が漂っている。
先程覗き見たマリアナさんの顔は……まるで悲しい決意を秘めているようで、マリアナさんがどんな想いで今日に臨んでいるかを想像すると、僕まで胸が締め付けられる思いだった。
そんな空気の車内で……ある意味で期待通り空気を読まない行動をしてくれる人物が、ここにはいる。
「マリねぇ、さっきからどうしたッスか? お腹でも痛いッスか?」
いいぞ、ミリリアさん。なんとかお姉ちゃんを元気にしてください!
「あっ、ミリリアちゃん……ううん、何でもないわ。どうして?」
「どうしてって、憂鬱だー!って顔してたッスよ? まるで生理二日目!って感じッス! 分かるッスよ~、アノ日だとおっぱい張るッスからね~」
できれば下ネタ以外がよかったです……。
「なぬっ!? それはまことかっ!? どれどれ、妾が優しく揉みほぐしてやろうぞ!」
……そういえば空気読まない二号もいたんだった。
「ち、違うわよ? もう、ミリリアちゃんも女の子なんだから、そんなお下品なこと言ったら、めっ、よ?」
「……クロちゃん?」
「ヒェッ……!? ア、アイネや……だからその笑みは止めろというのに……!」
『……? おっぱいが、どうかしたの?』
エルシーユさん、不思議そうにしながら自分のお胸をふよふよと触らないでください……目のやり場に困ります。
「なんスか~、アタシはおっきい同士の悩みを共有しようとしただけッスよ~? やれやれッス……あいたたたっ!? な、なんでっ!? アタシ何も言ってないッスよアイねぇ!?」
「なんでそんなやれやれとか言いながら私を見るのよっ! わたしも! おおきい! ほうなの!」
「あだだだだっ!? わ、分かってるッスから! アイねぇも特盛には届かなくても大盛りくらいはあるッスから!」
「届かないってなによぉ! この前測ったら少し大きくなって――って、何言わせるのよっ!」
「ほほう? お主、こやつに日夜揉みしだかれておるからのぅ。やはり揉めば大きくなるのじゃな? ならやはり妾が手伝って――にぎゃぁっ!?」
アイネさんへの狼藉は僕が許すわけないよねぇ?
『ミリーのおっぱいを揉めばいいの?』
「うひゃぁっ!? え、エルっち……違うッス! 違うッスから! なんでそんなねっとりした手付きで――」
い、一気に車内の空気が賑やか(カオス)になってしまった……。
「……ふふっ」
ただそのおかげか……お下品な話題で盛り上がる?僕たちを見たマリアナさんの表情が和らぎ、微笑みを漏らしてくれた。
「お、ようやくマリねぇも笑ってくれたッスね?」
「あ……そうよね、ごめんなさい。私が辛気臭い顔をしてたから、みんな静かだったのよね……?」
「あー、そこでまた悲しそうな顔しないでほしいッスよー! で、ホントのところはどうしたんスか? アタシら友達じゃないッスか~。遠慮せずに話してほしいッス!」
グイグイ行きますねミリリアさん……なんかカツアゲを行う不良みたいな迫り方だけど。
それはともかく、やはりマリアナさんを心配していたのは、こっそりと事情を知っている僕やアイネさんだけじゃなく、みんな同じようだった。
「みんな……。そう、ね……ちゃんと話すわ……」
心配そうな目を向けられたマリアナさんは一度目を閉じると、胸に手を当てて力を抜いたかのように息を吐いた。
再び目を開いたその顔は……いつも通りとはいかなかったけれど、幾分か穏やかになっていた。
「……私の噂は知っているかしら?」
「…………」
マリアナさんがチラッと僕の方を見た。
ルナちゃんは話したわよね?
といった感じだろうか。
「まぁ……そうッスね。知ってるッス」
「その噂の中の……私が孤児だったっていうのは、本当なの。しかもこれから行く孤児院が、私が小さい頃に暮らしていた孤児院なの」
「ほえー……王都には孤児院がいくつかあるって話ッスけど、アタシらのクラスがそこに行くことになるなんて……そんなこともあるッスね~」
「そうよね……偶然とはいえ、ちょっと驚いちゃったわ」
「ってことは、マリねぇにとってはある意味で里帰りってヤツッスか。およ……? じゃあなんであんなズーンとしてたッスか? あんまし良い思い出がなかったとかッスか?」
「……ふふっ、違うわよ。すごく大切な思い出の場所なの」
期せずして、ミリリアさんはキキョウさんと同じ質問をしたようだ。
そのことが可笑しかったのか、マリアナさんの笑い声が小さく響いた。
質問に対しての答えも報告を受けていた通りで、僕はこっそりと安堵の息を漏らす。
「でも……そうね、確かに里帰りみたいなものなのだけれど、ずっと行っていなかったからどんな顔をして行けばいいのか分からなかったのよ。心配をかけてごめんなさいね」
マリアナさんは、そういって話を締めくくった。
心配させまいとしているのか精一杯微笑んでいて、ミリリアさんなんかは『なーんだ』と納得した様子になっている。
「…………」
けれども……それは嘘だ。
その微笑みには、どこか寂しさとか悲しみが混ざっていて、辛そうで……。
それは、僕が望んでいるものではない。
僕が、マリアナお姉ちゃんに望むのは……。
「……笑って、ください……」
「ルナちゃん……?」
「どんな顔をしていけばわからないと言うなら、笑って、堂々としていればいいと思います」
貴女を笑顔にしたい。笑顔でいてほしい。
そう願いを込めるかのように、僕はマリアナさんに微笑みかける。
「良い思い出の場所であるならば、なおさらです。笑顔でいましょう。ステキな女性として成長したマリアナさんの姿を、思い出の場所に……今の子供達に見せてあげればいいのです」
「ぁぅ……ル、ルナちゃん……そんな……」
僕はマリアナさんの目を見つめながら、本心からの真剣な願いを言葉にした。
その言葉を真正面から受けたマリアナさんは、ボッと火がついたように頬を赤くしてしまったけれど……それはそれで可愛らしくて良いし、暗い顔をしているより何倍もマシな顔になってくれたと思う。
「うわー……相変わらずのイケメンムーブッスね……。ニッシッシ、いいんスかアイねぇ? 愛しのルナっちがマリねぇを口説いてるッスよ?」
「そうね」
「そうねって、そんなあっさりした反応ッスか……!? アイねぇが何も言わないとは……ははーん、そういうことッスか! 良かったッスねマリねぇ! 嫁公認ッスよ?」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべたミリリアさんが煽り立てるようにそんなことを言うもんだから、マリアナさんは熱くなった頬を両手で押さえて目線を泳がせていた。
「そ、そんな私はっ……別に、ルナちゃんのお嫁さんに……だなんて……お、お姉ちゃんをからかったら、めっ、なんだからねっ?」
「マリねぇ……そんなユルユルな口元で『めっ』なんて言っても、説得力ないッスよ? 」
「むしろ、デレデレな姉『きゃら』萌えー! なのじゃ!」
「も、もうっ、クロちゃんまで……それに……」
いやんいやんと照れている様子の可愛らしいマリアナさんを見て、真剣な言葉を告げたはずの僕も釣られて恥ずかしくなってくるけれども……『それに』と口にしたマリアナさんの顔が曇るのを目にして、舞い上がってしまった心を落ち着かせることになった。
「それに、私はもうすぐ……」
――想いを捨てて、家のために好きでもない人のお嫁さんになるのだもの……。
言葉としては続かなかったけれども……彼女の事情を知らないと分からない、諦めと悲しみが混ざったつぶやきに、また僕の心がギュッと締め付けられる。
今すぐ、彼女に告げたい。手を差し伸べたい。
でも、それではダメだ。
いくら僕がお膳立てをしても、マリアナさんから手を取ってくれないと意味がない。
だから今は、この痛みは甘んじて受けなければいけない。
彼女が感じているものに比べれば、こんなのは大したことはないのだろうから。
僕がマリアナさんとの『やくそく』を果たし、彼女にひとつの希望を差し出すための最後の『仕込み』は……やはり、この先で待っている場所で行うべきであろう。
ぐっと堪えた僕は、俯いてしまっているマリアナさんの顔を覗き込み、そっとその手を取る。
「マリアナさん」
「な、なにっ……ルナちゃん?」
僕の行動にマリアナさんは驚いたようだったけれども、それでも手が解かれるようなことはなかった。
そして間近にある彼女の頬がまた赤みを帯び、空色の瞳が恥ずかしがるようにそっと逸らされた。
「――後で、大切なお話があります」
「ぇっ……!?」
ピタッと。
驚きでこちらに戻ってきたその視線を、僕の真剣な視線が縫い付ける。
「ぅ……ル、ルナちゃん……?」
「うおぉぉ、ルナっちマジッスか!? やったっすねマリねぇ! こりゃアリアリコース直行ッスよ!」
隣でミリリアさんが何事か囃し立てているけれども、僕は本気であることを表すためにもマリアナさんの目線を留め続ける。
「ぅぅ……ぁぅ……」
……でもアリアリコースっていうのがどういう意味なのかはちょっと気になる。
「あ、ちなみにアリアリっていうのはッスね――あいたっ!?」
そ、そんなアイネさん……!? ちょうど気になってたのに……!?
「どうせしょうもないことだから説明しなくていいわよっ。それとルナさん、そろそろ『放して』あげないと、その……ルナさんにその目で見つめられ続けると、マリアナさんが保たないわ……」
「へ? あっ……」
「…………ぽー……」
どこか実感たっぷりなアイネさんに言われて我に返れば、目の前のマリアナさんの瞳が……トロンと蕩け始めてしまっていた。
「す、すみません……つい……」
「……ぁっ!? い、いえ……」
『放してやった』というわけではないけれど……僕が慌てて目線を外すと、同じく我に返ったようなマリアナさんは、モジモジと恥ずかしそうにしながら顔をそらして口元を抑えていた。
そして、顔を逸していながらもチラチラと僕の方を……どこか期待が混じったような目で見てくる。
悲しい顔をするよりは何倍もマシの可愛らしい様子だけども……ちょっと、やりすぎたかもしれない。
目的の孤児院までもう少しというところまで来ながら、先ほどとは別の意味で微妙な車内の空気を感じて……僕はそう反省するのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも「性癖に刺さった(刺さりそう)」「おもしろかった」「続きはよ」と思っていただけたのでしたら、「フォロー」「レビュー評価★」をよろしくお願いいたします。
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次回、「どうかこの手を……~懐かしの顔ぶれ~」
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