094.お仕事って大変ね~先週雇ったメイドが怪しい~

お姉ちゃん視点のお話。

サラッと新キャラ登場。

今話のサブタイトルは……お察しのとおりです。


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*****

//マリアナ・フォン・エーデル//



 週明け最初の平日、午前中。


 少し高くなった日差しが窓から差し込む静かな部屋に、カリカリと書類にペンを走らせる音が響いている。


 ここは、中央区にあるエーデル家のお屋敷。


 お屋敷と言ってもこのあたりにあるのは爵位が低い家のものばかりで、庭もわずかしかなく、少し大きな家といった程度の建物が並んでいる区画。

 うちも例に漏れず小さいけれども……少し古ぼけているのが他とは違うところかしら。


 そんなお屋敷……今の私にとっての『実家』の執務室で、私は今日も学院を休んで家のお仕事をしていた。


「……んっ、んん~~…………はぁ……」


 執務机に向かって、ずっと同じ姿勢だったからかしら……誰も見ていないのをいいことに――年頃の女の子としてはどうかと思うけれども――ひどい肩こりを感じて私は大きく伸びをして肩を回し、凝りをほぐした。


 まぁ、私の場合は数年前からずっと肩こりには悩まされているのだけど……。

 たぶん、コレのせいよね……。


「よいしょ、っと……」


 これまた誰も見ていないのをいいことに、着ている制服の上から胸の下に腕を入れて持ち上げ、机の上に乗せてしまう。

 これだけで、だいぶ肩にかかる負担が軽くなっている気がした。


 あのころは……ユエくんが喜んでくれていた(?)から大きくて良かったとは思ったけれども、あれからもっと大きくなってしまって……今になってしまうと、考えものよね……。


 クラスの子達がお風呂場でどうしたらもっと大きくなるかなんて話しているのを聞くと、贅沢な悩みなのかもしれないけれど。


 それに、もうおぼろげになってしまっているけれど、私を産んでくださった本当のお母さんも大きかった覚えがあるから……コレは私がちゃんとお母さんの血を引いている証だと思うと、悪くない気もする。


 ――コンコンッ


「(あら……?)」


 書きかけの書類に乗せた自分の胸をなんとなく――現実逃避かもしれない――つんつんとつついていると、古い屋敷らしく重厚な木の扉がノックされる音が響いた。


 今、このお屋敷に居るのは、私と昔から家の維持をしてくれている何人かの年嵩のメイドたちだ。でも、彼女たちは屋敷の主人が執務中にこの部屋を尋ねてくるようなことはない。

 と、いうことは……。


「どうぞ」


 私は頭の中で訪問者の当たりをつけながら、まず居住まいを正す。

 ブラのヒモがピーンと張ってまた肩に負担がかかるのを感じながらも、扉に向かって声をかけてその人物を部屋に招き入れた。


『失礼いたします、お嬢様』


 私の呼びかけに対して、凛とした女性の声が扉の向こうから響く。


 そして古い扉なのに不思議と音も立てずに入室してきたのは……若く美しいメイドだった。


「お茶をお入れいたしました。少し、ご休憩されてはいかがでしょうか?」


「ええ、そうね……。ありがとうございます、キキョウさん」


「いえ、ではご準備いたします」


 メイド……キキョウさんは、そう言って手にしていたトレイに乗せていたティーセットを優雅な所作で準備し始める。


「(あやしい、わよね……)」


 私はつい、この美しいメイドがお茶を入れる姿を目で追ってしまう。


 年齢は、おそらく私よりも上。20をいくらか過ぎているだろうか。

 青とも紫ともいえない落ち着いた色の髪を背中まで伸ばしていて、何かの花の形をした珍しい東方の髪飾り――カンザシ、というらしい――をさしている。

 外見で特徴的なのは、ヘッドドレスを付けている頭の上に猫のような耳がついていて、丈の長いスカートのお尻側のほうにはふわふわの尻尾が揺れていた。

 普人族ではないのは見てわかるのだけれど、尋ねても聞いたこともない種族名だった。


 顔の作りもとても整っていて、大人の女性の美が凝縮されている。

 ちらっと見たところスタイルもとても良く、背筋は常に伸びていて所作は常に優雅。

 言葉遣いもメイドの域を超えるほどにしっかりとしていて、教育を受けた人間のそれだ。


 一言で……は言いづらいけれど、あえて例えるなら……野山の草木の中でもしっかりとした存在感を放つような、それでいて主張が強すぎない、たおやかに咲く花のような凛とした女性、といったところだろうか。


 つい先週末までこの女性、キキョウさんはこの屋敷に……というよりも、エーデル家にはいなかった。


 私が家のお仕事をするようになって、その難しさと仕事量に目を回していたときに、彼女は突然この屋敷を尋ねてきた。


 なんでも彼女は、東方で仕えていた主人からの命で、メイドとしての修行をするべくこの王国にやってきたらしい。


 なによそれ、こんな世の中なのにわざわざ旅をしてこの国にやってきて、さらにはこのエーデル家を選ぶなんて……怪しいわね。

 ……なんて思いつつも。


『わたくしを、このお屋敷で雇っていただけないでしょうか。必ずお役に立ってご覧に入れます』


 そう言って優雅に腰を折った姿に、疑心を抱えつつも見惚れてしまったのは記憶に新しい。

 その自信満々な言い様は取り方によっては尊大にも思えるのに、ちっとも嫌味を感じさせない不思議さがあった。


 しかも、聞けばお給金は『修行の身』なのでほぼ無いに等しいくらいでいいそうだ。


 修行の身なのにその自信の出処はどこにあるのよ……とも思ったのだけれど。


 結局、仕事の大変さに困り果てていた私は、ならお試しでと雇い入れることにした。


 結果的に、私はその日の内にこの選択を正しかったと思えるようになったのだけど。


 なんとこのメイド、メイドとして一般的な家事や雑務だけでなく、教養豊かで貴族の執務にも精通していたのよね……。


 私が家の仕事をするようになって困っていることを知ったキキョウさんは、執務室で私の横に立って、私がわからないような・悩むようなことに的確にアドバイスをくれるのだ。


 もうこれ貴女1人でやったほうが早いのではないかしら……と睨んでしまったくらいの有能さ。


 私の身体や体調に合わせて作ったというお料理もほっぺたが落ちるほど美味しかったし、お茶を入れさせても家にあった安物の茶葉でどうしたらこんなに上手く淹れられるのかと聞きたいくらいの腕前。

 他のおばあちゃんメイドたちの評判もいいし、怪しいと思うのはやめられないけれど……正直、ものすごく助かっている


「どうぞ、お嬢様」


「……ありがとう」


 彼女がこの屋敷に来てから……今もこうしてゆっくりお茶を飲むことができるくらいには、仕事が片付いてしまったくらいだ。


 カップを傾けて、口の中に広がるまろやかな味と香りを楽しみながら……チラッと、キキョウさんの方を覗き見る。


 やっぱり……なぜか、陽の光が直接当たる位置には立とうとしない。


 人としては陽の光はなるべく浴びたほうが良いと思うだけれど……そういう種族なのかしら。

 動いても、歩いても……なぜか足音ひとつしないし。

 他のメイドと同じ、女性用のパンプスよね……?


「どうかされましたか?」


「いえ……なんでもないです」


 やはり、私がこっそり覗き見ていると思っていても、このメイドにはことごとく気づかれてしまう。


「左様でございますか。あと、何度か申し上げておりますが、わたくしには敬語は不要でございます。お嬢様はわたくしの雇用主様なのですから」


「そう……だったわね」


 そうは言っても! と、心の中で叫びたくなってしまう。

 女性としてある意味ひとつの完成形をまじまじと見せつけられてしまうと、どうにも気後れするというか……年上のひとだし。


「わたくしはまだ20歳……いえ、何でもございません」


 妙に勘がいいし!

 そういえばクラスのシェリスちゃんもそうだったわね……メイドというのはそういう生き物なのかしら。


 『ちょっと』というところを強調するのは……私もそれくらいの歳になったらわかるのかな。


「年齢の話はともかく……お嬢様、本日は学院には行かれないのですか?」


 ふと、お茶を淹れ終わったティーセットを片付けながら、キキョウさんがそう聞いてきた。

 見た目は自然な佇まいだけど、あからさまに話題を変えてきたわね……怪しいわ。


「おかげさまでお仕事もだいぶ進んだけれど……キリのいいところまではやっておきたいの。だから今日は頑張ることにするわ」


「左様でございますか。ただお嬢様はまだお若……学生なのですから、根を詰めずに息抜きも必要かと存じますが」


「そういう貴女も若いでしょうに……せっかく美人で有能なのに、うちみたいな家で働いていたら


 私が冗談半分でそう口にした途端――。


 ――カチャリと、このメイドにしては珍しくカップをぶつけるような音がした。


「わ、わたくしには既に心を捧げたお方がっ……いえ、失礼いたしました。なんでもございません」


 あら……動揺したわね?


 ここがこの怪しいメイドに対しての攻めどころかしら……?


「へぇ~、そうなのね。キキョウさんにはそういう殿方がいるのね? どんな人なのかしら?」


「何でもないと申しましたのに……」


 ふふ、困ってる困ってる……しかも、これまた珍しく頬を染めて目を泳がせているわ!


「いいじゃない、お茶飲み話くらい。貴女も私も女の子。こういう話が大好きなのは分かるでしょう? それに、息抜きが必要と言ったのは貴女なのだから」


「左様でございますが……」


「ふふっ、からの命令です。どんな人なの?」


「わたくしのはっ……いえ、かしこまりました」


 ふふ、観念したようね。

 『主人』じゃなくて『主様』って呼んでいるのね?


 この反応だと……この凛とした美人さんの想い人は、その『主様』とやらかしら?


「そう、でございますね……一言で申しますと、美しいお方……でしょうか」


「美しい……?」


 それは、殿方に対しての褒め言葉にしては……殿方よね?


 私が頭の中で疑問を浮かべていると、キキョウさんは補足をするように話の続きを口にした。


「美しいと申しましたのは、ご容姿もさることながら……その御心でございます。お立場故に多くを背負っておいででありながら、ご自身の悲しみを押して前へと進んでいらっしゃる方で……わたくしのような者にも、仲間たちにすら……そのお優しさとご慈悲を分け隔てなくお与えくださる方でございます」


「そう……すごい人、なのね」


 キキョウさんが口にした人物像は抽象的なことが多かったけれども……その人物を思い浮かべているのか、そっと目を伏せて頬を染めた表情はまるで……というより、まさしく恋する乙女のそれだった。


「はい、それはもう素晴らしいお方です。いつか……わたくしも主様の腕の中で……」


 いつかと言ったその先はうまく聞こえなかったけれども、うっとりとした表情はそれだけ想いの深さを感じさせる。


 この完璧な美人さんをそれほどまでに心酔させるなんて……そんな人がいるというのは――私にもいるのだけれど――羨ましいと思ってしまった。


 ただ、そんな様子だったキキョウさんは、ふと我に返ったようにして……なぜか私の方をチラッと見ると、悲しみとも諦めとも取れる複雑な表情で首を横に振っていた。


「いつか……とは思いますが、それは遠のくかもしれませんね……」


「それは、こう言ってはなんだけれども、そうでしょう? 今こうしてうちで働くようになったのだもの」


 その『主様』というのがキキョウさんの故郷の東方にいるとして、こんな遠くで新しく働くようになったら、その方との関係を深めることもできない……というのは当然のことだと思う。

 メイドという立場から、主人の命令でしかたなく修行に……ってことかもしれないけれど。


「……ある意味では、おっしゃる通りかもしれませんね……」


 『当然のこと』と思って問いかけた私に……キキョウさんはそう曖昧な答えを返してきた。


 意味深なことを言うわね……また私の方を見ていたし。


「ある意味……って?」


「それは……秘密でございます」


 うっ……そんな指を唇に当てた子供っぽい仕草まで、この美人さんがすると完璧に思えるのはズルいわ……。


 それにここで『秘密』と言うなんて、やっぱり怪しい……。


「はぁ……もういいわ……この話は止めにしましょう」


「恐れ入ります。それより、改めてになりますが、学院はよろしいので?」


 また学院の話を振ってくるなんて……と思いつつも、私は机に広がっている書類の減り工合を見て、意外と大丈夫なのでは?と思ってしまった。


「そうね……でも今日はもういいわ。まだお仕事が残っているし、今から準備をしていっても午後の授業くらいしか受けられないもの」


「左様、でございますか……では明日はいかがでしょうか? 明後日は?」


 や、やけに学院に行かせることにこだわるわね……怪しいわ。


 私がいない間にこの屋敷でなにかするつもりなのかしら……?


 といっても、このお屋敷に価値のあるものなんてないし……。


 それに……明後日は……。


「……何か、お悩みでしょうか? お仕事の方は、順調に進んでいらっしゃるかと思いますが……」


「そうね、それは貴女のおかげでそうなのだけれど……明後日は、学院で特別な活動がある日なのよ……。学院外に出て行うのだけれど、その活動場所が……私にとっては思い出深すぎる場所なの……」


「ほう、思い出の場所でございますか」


 私は自分の内にある思い出に心を馳せながらそう口にしたせいで、その時のキキョウさんの目に『その話を待っていた!』と言わんばかりの怪しい光が宿ったのを見逃してしまっていた。


「思い出『深すぎる』と申されましたが……お嬢様にとって、その……悪い思い出だったりするのでしょうか?」


「そんなことはないわっ! ……あ、いえごめんなさい。そうね……とても大切な、良い思い出よ……」


「左様でございますか……それは失礼を申しました」


「良いのよ……。ただ、そんな大切な思い出の場所だからこそ……貴女の、メイドの前で言うことではないかもしれないけれど、今の私の複雑な気分のままでそんなところに行ったら、思い出も曇ってしまう気がして……私の境遇と現状は話したでしょう?」


「はい、お聞きしましたが……」


 ……どうして、目が泳いでいるのかしら。


 境遇を知って、あまりにも……な現状に私を哀れんで『どう声をかけていいかわからない』というわけではないだろうけど。


「本当に大切な思い出なの。だから……行くのは止めておこうかしら……」


「そ、それは困りますっ! ……あっ、いえ……」


 それはそれでとても悲しい気持ちになるだろうけれど……と思いながら、私がポツリと口にしたことに、このメイドはなぜだか慌てたようにしていた。


「困る……って? 私が明後日に学院に行かないと、なぜ貴女が困るのかしら……?」


 あまりの怪しさに、私の目がスッと細まるのを自覚する。


 このいつも落ち着いている完璧メイドのキキョウさんは、その訝しむ視線を受けてこれまでで一番慌てたように目を泳がせている。


「どうかしたのかしら……? 何が、困るのかしら……?」


「そ、それは……」


「それは?」


 今度こそ、その怪しさの正体を暴いてあげるわ!と、私は泳いでいた視線を縫い付けるように見つめてそう問いただした。


「お……………………大掃除です!」


「……なんですって?」


「ですから、大掃除でございますっ。前にいらっしゃった執事の方がよく面倒を見てくださっていますが、わたくしからするとこの執務室はずいぶんと掃除のしがいがありそうなのですっ! お掃除をする間、お嬢様にこのお部屋にいていただくわけにはいきませんし……。それにお嬢様におかれましては、もう何日も学院に行かれていないではないですか。やはり学生の本分は学業! しかも特別な授業を行う日とあれば、せっかくですし……そう、せっかくですし! 行かれたほうがいいかと思います」


「え、ええ……?」


「……いかがでしょうか? わたくしもお手伝いして明後日までにはお仕事が終わるようにいたしますので……」


 一気にまくし立てられて若干引いてしまった私に、キキョウさんは最後にはもう懇願するかのようにそう言って上目遣いを送ってきた。


 怪しい……怪しいけど、そこまで言われて拒否するのも……と思ってしまっている私もいた。


 ただ私……生まれやこの家と私が置かれている境遇の話はしたけれど、ここ数日の間……キキョウさんが来る前も学院に行っていなかったなんて、言ったかしら……?


「……はぁ、わかったわ。そこまで言うなら、明後日の慈善活動の日には、学院に行くことにするわ。その代わり、しっかり手伝ってもらうわよ?」


 まぁ……微妙な気分なままのは変わらないけれど、行くことで……あの思い出の場所を目にすることで、この先への踏ん切りをつけられるかも……想いを振り切れるかもしれない。


 キキョウさんが言う『せっかくだから』とは別の理由で決心した私は、そう言って空になったティーカップを彼女に向かって差し出した。


「……! もちろんでございます、お嬢様」


 カップを受け取るキキョウさんは、明らかにホッとした様子で微笑んでいて……やっぱり怪しい。


 怪しいけれど、再び差し出されたカップに入っていたお茶は、なぜだかすっと心が軽くなるような気がして……特別に美味しいと感じた。


「さて……じゃあ、早速続きをしましょう?」


「(なんとかご命令を遂行できそうです……主様……)」


「キキョウさん?」


「あ、いえ。お手伝いいたします、お嬢様」


 その後、やる気をみなぎらせたキキョウさんのサポートもあって、溜まっていたお仕事……どころか、この先数日分のお仕事まで、この1日で片付けることができてしまったのだった。







――――――――――――――――――――――――――――――――

あとがき


キキョウさん……いったい何猫族なんだ……!?(迫真)


お読みいただき、ありがとうございます。

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次回、「黒猫たちの夜~主様のナデナデ券~」

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