083.笑顔でいてほしくて~お姉ちゃんも耳が弱い~



 朝の礼拝までの時間。


 目の前で繰り広げられるアイネさんとミリリアさんの戦い……というか、アイネさんにスリーパーホールドを綺麗にキメられてどんどん赤くなっていくミリリアさんがちょっと心配になっていると、ふと覚えのある気配が足早に教室に近づいてくるのを感じた。


「ご機嫌よう……」


 そして教室の後ろ側の扉が開き現れたのは、水色の気配の持ち主……マリアナさんだった。


 よかった、ただ遅くなっただけで風邪を引いて休み……とかそういうことではなかったようだ。

 あのお姉ちゃん、我慢強いというかそういう体調面は強がるところがあったからなぁ……。


 教室に入ってきたマリアナさんは、僕が来たときと同じように月猫商会の話題で盛り上がっているクラスメイトたちの様子を見回して……僕と目が合った。


 せっかくなので(?)、お友達として軽く手を振りながら微笑みを向けてみる。


「ぁっ……」


 あ、あれ……?

 気づいてもらえたみたいだったけれど……なぜだか慌てたように顔を逸らすと、すぐに扉近くの自分の席に座ってしまった。


 その顔は俯いてしまっていて、暗い。

 読み取れる表情は、なんだろう……合っている自信はないけれど、自嘲のような色が混じっている気がする。


 僕が避けられてる、とは違うようだし、思いたくないけれど……。


「…………」


 やはり、先週のあの手紙のことでまだ悩んでいるのだろうか。

 でもそれだとその表情の意味が分からないし……。


「ギ、ギブ……ギブッス……」


「あっ、ごめんなさい。やりすぎたわ――」


「と見せかけてそぉぃッス!」


「ひゃぁっ!? ドコ触ってるのよっ!?」


 マリアナさんのことが気になった僕は席を立つと、まだじゃれあっているアイネさんとミリリアさんを横目に、避けられていないことを願いつつも……つい足音を消してこっそりと、廊下側へ向かった。


「はぁ……」


 マリアナさんは僕が近くまで来ても気づかない様子で、溜息をついている。

 もし悩みの原因が例の手紙の件だったら、話をするにしても目立たないほうが良いかな……なんて軽い考えで、僕は内緒話をするように髪で隠れた耳元に顔を寄せ小声で話しかけた。


「(おはようございます、マリアナさん)」


「ひゃんっ……!?」


 しかし、思ったよりも大きな反応が返ってきてしまい……というか、ビクッと身体を震わせたマリアナさんは背筋をピンと張ってから耳のあたりを抑え、真っ赤になってしまっていた。


「ル、ルナちゃんっ……!? お、驚かせないで……」


「い、いえっ……すみません。そんなに驚かれるとは思っていなかったものでして……」


「あっ……私こそ、ごめんなさいね。その、耳は……弱いのよ……」


「(ぅっ……)」


 手で押さえたことで髪がかき分けられ見えているその少し尖った耳は真っ赤になっていて、そう言いながら恥ずかしそうに頬を上気させてモジモジとするマリアナさんは……非常に色っぽくて、自分でしたことの結果だというのにドキドキしてしまった。


「もぅっ……そこでルナちゃんに顔を赤くされると、私までもっと恥ずかしくなっちゃうわ……。ルナちゃん、とても綺麗な良い声してるのだから、そんな声で女の子の耳元で囁いたら、めっ、よ? きっとみんな、ヘンな気持ちになっちゃうわ……」


 そういえば、アイネさんも耳元で囁くと真っ赤になってしまい『盛り上がる』ことが多かった気がする。


 女の子って耳が弱い娘が多いのだろうか……?


 まぁ、僕がアイネさんの耳元に囁くのは、もっぱら『そういうとき』の愛の言葉なのだけれど……って、そうじゃなくて。


「あはは……すみません。マリアナさんが暗い顔をされていたので、どうされたのかな……とお尋ねしたかっただけなのですが……どうか、されたのですか?」


 僕は脳裏に浮かびそうになったアイネさんのあられもない姿を苦笑で誤魔化しながら横にやると、最初に浮かんでいた心配を口にした。


「ふふっ、よく見ていたわね……そんなに、お姉ちゃんのことが気になるのかしら?」


「はい。大切な、お友達……ですから」


 茶化すようにいたずらっぽい笑みを浮かべたマリアナさんの問いかけに、僕は至極真面目に答えた。


 だって……思い出したのは今だけれど、そうやって何でもないように微笑みながらも、右手で胸元を掴むようにしているのは……このお姉ちゃんが、何か辛いことを我慢しているときの仕草だったから。


「そ、そう……」


 真面目な表情で、まっすぐにその澄んだ空色の瞳を見つめ返すと、マリアナさんは驚いたように目を見開いて……なぜか頬を染めて……とコロコロと表情を変えたあと、取り繕うのを止めたのか……先程よりは少しマシというくらいの、暗い表情に戻った。


「その……笑わない、でね……?」


「もちろんです」


 おずおずと尋ねられたその言葉に、僕は膝を折って目線を合わせると、話しやすいようにと微笑みを作って頷いた。


「ルナちゃん……ルナちゃんはやっぱり、眩しいわ……」


「へ……?」


 悩みを打ち明けてくれるのかと思っていたら、マリアナさんの口から出てきたのは僕を褒めるような言葉だった。

 僕が思わずマヌケな声を出してしまうが、それを見たマリアナさんは表情を和らげてくれた。


「ふふっ、こんなに美人さんなのに、そんな顔しちゃダメよ? ……そう、ルナちゃんはとっても美人さんでスタイルも良くって、とっても強くて、学院に来たばかりなのにみんなから頼りにされるくらいにすごくて……アイネちゃんっていうステキな恋人もいて、お家もすごく大きくて有名な商会で……」


「マリアナさん……?」


 しかし、続けて僕を褒めるような言葉を口にするマリアナさんは、まただんだんとその表情を暗くしていった。


「その、私ね……ルナちゃんに嫉妬しちゃった……のだと思うわ。今朝はちょっと気がかりなことがあったから遅れちゃったのだけれど……さっき急いで教室に来て、ルナちゃんのことを話しているみんなの姿を見て……そんな中でも自然体でアイネちゃんを見守るルナちゃんを見て……いいなって。すごいなって。私とは、違うな……って。それで、せっかく手を振ってくれたルナちゃんの顔が見られなくて……反省していたのよ」


「そ……」


 そんなことない、と謙遜や否定の言葉を口にするのは簡単だ。


 でも、僕は『ルナリア』としても、マリアナさんの口から彼女の境遇と現状を耳にしている。

 だから僕自身がそれを口にしても、『やっぱりルナちゃんは私とは違うのね』と自嘲されてしまう気がする。


 それに『気がかりなこと』というのが僕も気になるけれど、きっとそれはそんな彼女を絡め取る何かなのだろう。


 マリアナさんは今、そんな現在起こっている何かや、過去への想いに板挟みになって……というのは僕の考えでしかないけれど、簡単に言ってしまえば、自信を失っているとか自分を見失いかけている状態で、僕と自分を比べてしまっている……のかもしれない。


 それならば僕は心から……昔から知っている優しいお姉ちゃんであり、今のありのままのマリアナさんを肯定するだけだ。


 僕はマリアナさんの手を取って自分の手で包むと、なるべく嫌味に聞こえないよう……優しい微笑みを心がけて、またまっすぐその瞳を見つめた。


「……そんな、ご自身を卑下しないでください。マリアナさんだって、とてもお綺麗で魅力的なスタイルをしていて、自分自身の心とちゃんと向き合えるほど大人なお姉さんで、お家のためにと頑張っていらっしゃって……私はとても、素敵だと思います」


「ルナちゃん……」


 自分で言っていて恥ずかしくなるほど歯が浮くようなセリフだとは思うけれども……どうか伝わってほしいと、包み込んでいる滑らかなマリアナさんの手をぎゅっと握った。


「ふふ、ふふっ……ありがとう、ルナちゃん」


 ……伝わってくれたかは分からないけれど、マリアナさんの表情が柔らかな微笑みに変わると、そう言って可笑しそうにお礼を言ってくれた。


 その頬はほんのりと赤く染まっていて……お世辞でもなんでもなく、綺麗だな……と思って僕も微笑んでしまう。


 よかった……何も根本的な解決にはなっていないけれど、マリアナさんにはそんな暗い顔をしていてほしくないというのは、僕の我儘だけど本心だから。


 僕が内心でホッと息を吐いていると……元の調子に戻ったらしいマリアナさんは、僕にぎゅっと掴まれたままの手を見て――頬を染めながらではあるけれど――いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「でも……お姉ちゃん、ちょっとドキッとしちゃったわ。ルナちゃんって『そっち』のコだから、私ったらルナちゃんに口説かれちゃってるのかなって」


「えっ……いや、私はっ……」


「そうなの? ――ねぇ、みなさん?」


「へっ?」


 慌てて否定しようとした僕の肩越しに、笑いを堪えたようなマリアナさんが問いを投げかけた。


 僕が振り返ると……教室にいたクライスメイトのほぼ全員と、目が、合った。


 次の瞬間、僕らに浴びせられるのは――。


「「「キャァ~~!」」」


 ――もはや『いつもの』とも言える、黄色い悲鳴だ。


 しまった……また真剣になりすぎて周りが見えていなかったようだ……。


「なんと素敵なお言葉なのでしょう……!」


「『お友達』を想いつつ、しっかりと握りしめられた手は『お友達』以上を感じさせて……尊いですわぁっ」


「ここにまた、新たな百合の花が生まれた……」


『ズルいわ! 私もルナリアさんとっ――』


「はいはーい、どうどう。落ち着くッスよエルっち。にしても……ニッシッシ、朝から堂々と浮気とは、中々やるッスねルナっち!」


「浮気……ルナさんが……浮気……」


 いやいや、なんてことを煽るんですかあのピンク娘は。

 やはりピンクは一度お仕置きしておくべき――っておおぉぅっ!?


「ふにゅっ!?」


「うふふふふふふっ、かわいいっ。慌ててるルナちゃんもかわいいわっ」


 握っていた手が凄い勢いで引かれたと思えば、僕の顔はやわらかすぎるものに包まれていた。


「や、やっぱりルナさんは大きい方が好きなの……?」


 ア、アイネさんっ?

 違うんです、これは違うし浮気とかではないんですって……!


「ふがふがっ……!」


 と、僕が釈明をしようとしても、しっかりと押し付けられた大きなお胸に熱い息を吐きかけるだけだった。


「ぁんっ……♡ ルナちゃん、そんなに顔を押し付けて……そんなにコレが好きなの? 仕方ないわねっ♪ かわいいからもっとしてあげるわっ」


 ち、違いますってマリアナさん……!

 押し付けてるのはマリアナさんのほうですし、これ以上押し付けられたら、息が……!


 それに強烈な感触で『溜まって』しまいますって……!


「ルナさん……わ、私のだって……」


「そうッスね、アイねぇもまあまあッスよね」


「~~~ッ! このっ! コレがいけないのよっ! 私だって大きい方なのに、大きすぎる人が居るからいけないのよっ!」


「うひゃぁっ!? いたたたっ!? も、もげるっ! アイねぇそれはもげるッス! って、なんでアタシにっ!?」


 ……なんだか、またアイネさんとミリリアさんがやりあっている声がする。


「……平和じゃのぅ、お主ら。妾にとっては眼福じゃが」


 変態猫のつぶやきを聞きながら、マリアナさんの胸の中で僕の意識は遠のいていくのだった……。


 ただその原因は、窒息ではなく、現実逃避です。はい。


 朝からどうするの、教室のこの空気……。









――――――――――――――――――――――――――――――――

あとがき

お読みいただき、ありがとうございます。

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次回、「ノブレス・オブリージュ~貴族と家とは~」

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