082.嫁の財布を握る嫁~勝者の商社~
王国歴725年、牧獣の月(5月)上旬。
週が明けて、平日最初の朝。
「ご機嫌よ……あら?」
何だか賑やかだな……と思いつつ、扉を開けて教室に足を踏み入れた僕とアイネさんは、先に登校してきていたクラスメイト達から一斉に視線を向けられて、ふたりして目を丸くしてしまった。
「「「ホワイライトさんっ」」」
「は、はい。何でしょう……?」
「お店、ステキでしたわっ!」
「わたくし、朝から列んでいましたのよっ!」
「わたくしは、寝坊してしまって……お店に入れたのは夕方になってからでしたわ……」
ああ……。
どうやら、先週末にオープンした月猫商会の王都店の話題で盛り上がっていたらしい。
そこに、その商会の娘である僕が来たもんだから、感想やら何やらを伝えたくなった……といったところだろうか。
「甘いですわよ。わたくしは、今週末の入場整理券をもらってきましたわ!」
「「おおー!」」
1人のクラスメイトが取り出した、月猫商会の印章がある小さな紙を掲げると、まるでそれが特別に貴重なものであるかのようにどよめきが生まれた。
いや、有名アーティストのチケットとかじゃないんだから……。
「あはは……ご利用ありがとうございます」
ただ、商会の娘としてはここはこう言っておくべきだろう。
僕はクラスメイトにそう言って、アイネさんと苦笑する顔を合わせてから、自分たちの席に向かった。
ちらっと見たマリアナさんの席は……この時間にしては珍しく、空いていた。
寝坊ってことはないだろうけど……先週のこともあるので、少し、気になってしまう。
しかし、僕がそんなことを考えている間にも、女の子のおしゃべりに対しての情熱は冷めるわけではないらしい。
席についた僕は、熱気を保ったままのクラスメイトたちに囲まれてしまった。
「悔しいですわっ! 新発売の『保温器』が欲しかったんですのよっ」
「ねぇねぇホワイライトさん。貴女でしたら何とかなりませんのっ? ちょっと、ちょっとでいいのですわ……! 商品の取り置きとか、お願いできませんのっ!?」
「え、えーと……」
僕は朝から『女の子の物欲』というすごい熱気をぶつけられてしどろもどろになってしまった。
そりゃたしかに、僕がひとこと言えばいくらでも融通は利かせてくれると思うけれど……そういう贔屓はいいのだろうか?
クラスメイトとしてのお付き合いの範囲ではあるだろうか?
貴族の女の子同士ってそういうやり取りもあったりするのだろうか……?
僕はどうしていいか分からず、助けを求めるようにアイネさんの方を見ると……。
「(ダメよ、断ったほうが良いわ)」
僕の助けを求める意図を感じ取ってくれたのか、アイネさんは首を横に振ってそう言っている気がした。
「……すみません、せっかくクラスメイトというご縁があるのでお力になりたいところですが……そうすると朝から列んでいただいた方に申し訳ございませんので、私からはどうすることもできません」
「そう……ですわね。わたくしこそ、つい熱くなってしまっていましたわ。ごめんなさいですの」
「そうそう、貴女が寝坊しなかったら良かったことですわよ」
「うう、反省しますわ……」
僕がアイネさんのアドバイス通り(?)にやんわりと断ると、僕の机の周りに集まっていた娘たちはそう言って自分の席に戻っていった。
「……助かりました、アイネさん」
「くすっ。良いのよ。それにしても、客観的に見てもユ……ルナさんの家が貴族に叙されたのも納得の影響力よね」
「そ――」
「そうッスよ!」
そうでしょうか? と僕が言おうとしたところで、ついさきほどまでいなかった小さな姿が僕の前の席に現れていた。
「あら、ミリリア。いたの? っていうか貴女、また【光速移動】を使って来たでしょ?」
「いたの? じゃないッスよ! いくらミリリアちゃんが小さくて可愛いからって、ルナっちしか目に入ってないアイねぇに言われたくないッス! プンプンッス!」
「ルナさんしか目に入っていないって……何を当たり前のことを言っているのよ」
「か~~! なんスかその余裕! 2人が月猫商会に入っていったって聞いたッスよ!? どうせイチャイチャしながらワイン片手に『見てルナさん、人がゴミのようだわ』『フッ、そうですねアイネさん。みんなお金を握りしめて滑稽だね』とかやってたんじゃないッスか!? ウチはそのルナっちの家のせいでこの2日間大変だったッスよ!?」
ウチ……というと、ミリリアさんのご実家……クーパー商会のことだろうか。
ってかなんですかその、成金みたいな性格の悪いカップル像は。
「ウチもルナっちのところの商品を卸してもらってるっていうのに、客はみーんな月猫商会に行ってしまって、閑古鳥が鳴くくらいだったッス! 忙しくなるだろうからって手伝いに呼ばれたアタシの時間を返してほしいッスよ!」
「それは災難だったわね……というか、別にそれはルナさんのせいじゃないでしょう? 」
アイネさんアイネさん、そうですけどまずはミリリアさんの妄想を否定しましょうよ。
……あ、イチャイチャしてたのは本当か。
「それはそうッスけど……結局やることもなくて、もらえるはずだったバイト代もなくなっちゃったッス……。ホント、恐ろしいッスよ……いったい、この週末だけでどれだけ売上があったッスかねぇ……?」
チラッと、意味深な視線を向けてくるミリリアさん。
ミリリアさんは家業のことはあまり好きではなさそうな雰囲気を出しているけれども、それでも商会の娘として気になってしまう……といったところだろうか。
それとも(自称)情報屋として知っておきたい……みたいな知的好奇心だろうか。
「ルナっちぃ~、そこんところどうなんスかぁ~?」
妙な猫なで声を出しながら、ズズイっと迫ってくるミリリアさん。
わざとなのか、僕の目の前でゆさっと大きなモノを強調しているかのようで……。
「当然、ルナっちなら知ってるッスよねぇ? 教えてくれたらぁ、ミリリアちゃんのこのロリきょぬーなおっぱいを好きにしてもいいッスよぉ――――お゛ぉ゛っ!?」
「何をバカなこと言ってるのよっ」
くねくねとしながら僕に迫ってきていたミリリアさんは……アイネさんに首根っこを掴まれて引き剥がされていった。
なんだか女の子として出してはいけないような声が出ていた気がするけれど、聞かなかったことにしよう……。
ちょっと、その提案が魅力的に感じてしまったのは情けないけれど……僕がちゃんと男として健全な証拠だよね、うん。
「ほんっとに、この子ったら……。それに……」
「ゲホゲホッ……それに、なんスか? また惚気ッスかぁ~?」
「ち、違うわよっ」
「ああ、もしかしたらアイねぇも、月猫商会の売上を知ってるってことッスか? もう嫁として嫁の財布を握ってるとは、さすがッスねぇ~」
「それも違うわよっ……! あっ、ルナさん、勘違いしないでね? 嫁というのは違わないわよ……?」
「やっぱり惚気てるじゃないッスか……。で、実際はどうなんスか~?」
「そ、そうね……知っているわ。知って、しまったわ……ただ……」
いやアイネさん、そこで遠い目をしないでほしいです。
収入は多いほうが良いと思うのですよ、うん。
「ただ?」
「ただ、知らないほうが良かったこともあったのね……って。ハハ……」
「そ、それほどまでッスか……月猫商会、恐ろしいッスね」
アイネさんがあまりに本気で言うもんだから、ミリリアさんまで何かとんでもないものを見るような目で僕の方に視線を送ってきた。
しかし、タダでは起きないのがこの桃色娘である。
「ルナっちぃ~、やっぱりアタシも嫁にどうッスか~? ミリリアちゃんが嫁になったら、何でも好きにしてもいいッスよ~? ホレホ――れ゛ぇ゛っ!?」
「お金目的なんて、さいっっっていに、下品よっ!」
「じょ、じょーだん……じょーだんっずがら……し、絞まってるッスから……」
「締めてるのよっ。この娘ったら、ルナさんに色目なんて使ってぇっ」
友達同士ゆえの遠慮のなさなのか、朝一番から繰り広げられるキャットファイトを前に……今度は僕が遠い目をすることになるのだった。
……綺麗なスリーパーホールドですね、アイネさん。
――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
お読みいただき、ありがとうございます。
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次回、「笑顔でいてほしくて~お姉ちゃんも耳が弱い~」
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