081.あなたに近づく~おや?アイネさんの様子が……~



 レストランを出て、適当にぶらぶらしてからの帰り道。


 東区から中央区に入り、南区に入った辺りを、僕らは相変わらずくっついたまま歩く。

 アイネさんはさっき食べたパフェが気に入ったようで、また食べに行きたいと言っているけれども……しばらくは止めたほうが良いと思いますよ。うん。


「あっ……」


 そんな取止めもない話をしていると、ふとアイネさんが何かに気づいたような声を上げて立ち止まった。

 腕を抱かれている僕も、自然と立ち止まる形になる。


「アイネさん?」


 アイネさんは立ち並んだ店の一角を見ていて、その視線を追ってみれば……前面がガラス張りになっていて中が見やすくなっている店があった。

 店の中では椅子に座った女性客にお洒落な格好をした女性がハサミを手に作業をしていて……美容院、かな?


 僕はこの身体になってから縁のない場所だ。

 といっても、元の……男の身体のときだって、僕の髪を切ってくれるのは城のメイドさんだったから元から美容院や理髪店といったものには縁がないのだけれど。


「あぁ、ごめんなさい、急に立ち止まったりして」


「いえいえ、あそこに何か興味のあるものでもありましたか?」


 アイネさんの髪型は今日もバッチリだ。

 僕がいつも使っているシャンプーなどを今ではアイネさんも使っていて、さらには普段からお手入れにも余念がないのか色艶も完璧。

 さっきのレストランで撫でたけれど、何度でも触りたくなる極上のサラサラ感だった。


 つまりは、アイネさんが美容院に用事があるとは思えないんだけれど……。


「いえその……そういえばそろそろのはずなのだけれど……」


「…………?」


 そろそろ、と言いながら、アイネさんは自分の髪の毛先を持ち上げて見たり、自分で手櫛を入れてみたりしている。


 ……ここで『そろそろのはずなんだけど』とお腹の辺りを擦られたら僕は別の意味でヒヤッとしただろうけれど、どうやらそうではないようだ。

 そりゃ美容院を見てそのことは言い出さないかもしれないけど……ハハ。


 ――なんて。僕はしょうもないことを考えていたのだけれど。


 次にアイネさんが何気なく口にしたことで、僕は完全に血の気が引いてしまった。


「なんだか、髪が伸びていない気がするのよね」


「――――え?」


「ついこの前、ユエさんとその……夜を過ごした日とかは、お手入れをサボっちゃったのに、全然痛むこともなかったし……不思議よね」


「――――――――」


 ――それは……。


「そういえば……って、くすっ。また『そういえば』になっちゃうわね。何だかここのところは身体の調子も良いのよ。朝の目覚めはちょっと悪くなっちゃったけど……ふふっ、ユエさんにたくさん愛してもらっているからかしら……?」


 ――アイネさんのその変化は……まるで……。


 僕をからかうつもりだったのか、頬を染めながらも上目遣いそう言ってくるアイネさんの顔を、僕は隠しきれない動揺が混じった目で見返すことしか出来ない。


「ユエさん……? どうしたの……? 何だか怖い顔をしてるわ……何か私、変なことを言ってしまったかしら……?」


 僕がそんな顔をしていることに気づいたからか、アイネさんは不安そうな顔色に変わってしまう。


「アイネさん……もしかして、もしかしてですよ……?」


 しかし僕は、そのことを取り繕ったりフォローするよりも先に、頭に浮かんだ考えを確かめずにはいられなかった。


「え、ええ。何かしら……?」


「最近、例えばここ数日で、何か怪我とかしましたか……?」


 僕は背中に冷たいものを差し込まれたような幻覚を覚え、ドクドクとうるさい心臓の音を聞きながら、その問いを口にした。


 それに対するアイネさんの答えは……。


「怪我……? そうね……あ、したわね。訓練のときに膝をちょっと擦りむいちゃって……あれ? 『そういえば』、もう治っているわね。良かったわ、跡が残らなくて。小さな傷でも、ユエさんに触れてもらえるときに残っていたらいやだもの、くすっ。それがどうかしたのかしら……?」


 僕を気遣ったのか、それとも気づいていないのか、微笑みを漏らして何でもないように聞き返してくるアイネさん。


 それでも僕は……確信に変わってしまった懸念のせいで、吐き気すら帯びた罪悪感に包まれていた。


 やっぱり……。


 やっぱりそうなんだ……!


「アイネさん、ごめんなさいちょっとこちらへ」


「きゃっ!? ユ、ユエさん……? そんな、いくら路地裏でも誰か来ちゃうかもしれないわよ……?」


 ちょっと強引に腕を引いて、大通りから繋がる建物と建物の間に引き込んだからか、アイネさんは頬を染めてそんな事を言っている。

 図らずとも『壁ドン』な体勢になっているからだろうか。


 ……アイネさん、流石に僕も外でなんて露出癖はないですよ。


 って、そうではなくて!


「すみません、少しだけ静かに。じっとしててください、【精密検査(スキャン)】」


 僕が術名を口にすると、『前の記憶』の病院などにあったCTスキャンのように、アイネさんの頭の先からつま先までを光の線がなぞっていく。


「ユエさん……この術は……?」


 その線が進む度に、僕の頭の中には読み取った情報が入ってきていて……その情報は、僕の確信を深める結果にしかならなかった。


「あぁ……そんな……」


 アイネさんの疑問に答えるよりも先に、僕は……震える手でアイネさんを抱きしめた。


「どうしたの、ユエさん……すごい、震えているわ……」


 どうやら震えているのは手だけではなかったようだ。


「……大丈夫、私は大丈夫よ……」


 震える僕を抱きしめ返したアイネさんは、まるで赤子をあやすように、僕の背中をポンポンと撫でながら『大丈夫』と優しく繰り返してくれている。


 なぜ僕がこんなになっているかは分からないだろうに、その優しさは僕に勇気をくれているような気がして……ちゃんと、話さなければと決心させてくれた。


「アイネさん……聞いてください」


「ええ、聞くわ……聞いているわよ」


「……アイネさんの身体の全体から、うっすらと……本当にうっすらとですが、アイネさん自身の力に混じって僕の力を……感じました。別のものではなく、混じり合って、です」


 コクリと、アイネさんは変わらず僕の背中を撫でながら、何も言わずに先を促した。


「僕は……僕のこの身体は、以前にお話した通り、異常な状態です。呪われている……と言っても過言ではありません。なぜかというと、性別が変わってしまうなんてのはもちろんですけれど……人間離れ、してしまっているんです……」


「人間離れ……?」


「はい……。僕が自分でわかっているだけでも……僕はこの2年ちょっとの間、つまりはこの身体になってから、背が全く伸びていません。背だけでなく、髪を切っても翌朝にはもとの長さに戻っているし、爪だって伸びていません……傷も、異様に治りが早いんです……【強化】を使わなくても、です」


「それって……私の身体も、ユエさんみたいに……?」


「はい……。人が人として生きていて当たり前に起こるはずの成長や生理活動の一部……それが起こらなくなっているということは……おそらく、僕に似た存在になりつつあるんです……」


「それは……ユエさんと、その、シたから……?」


「おそらく……ですが」


 ……アノ日に、僕とアイネさんは本当の意味で男女として深いところで結ばれた。

 僕がアイネさんに向かって吐き出した欲望は、一度や二度ではなく……もしそれが、いやそれに、僕の『呪い』まで含まれていたとしたら。

 それを受け止めてくれた彼女の身体に影響があったとしたら。


 僕が、アイネさんを『人間ではない何か』に変えてしまったのかもしれない。


「っ……すみません、すみませんっ……!」


 僕を心から救ってくれた彼女の想いを、僕は仇で返していたのかもしれない……。

 そう思うと、身体の震えと目から溢れる罪悪感が押さえきれなかった。


 後悔、したわけではない。

 アイネさんと結ばれたことを、決して後悔したわけではない。


 それでも、もしかしたら愛する人の人生を、運命を捻じ曲げてしまったかもしれないと思うと……謝罪を口にすることを止められなかった。


「ユエさん――――」


 でも、アイネさんは。


 僕が流す冷たい涙とは正反対の。


 温かな涙を一筋、頬に伝わせた。


「――嬉しい。嬉しいわ、ユエさん……」


「え……? アイネさん、どうして……?」


 驚きとか、戸惑いとか……そんな言葉が返ってくることを想像していた僕は、アイネさんのその言葉に、逆に戸惑いの表情になってしまった。


 抱き合いながら改めて向き合ったアイネさんの顔は……優しい、僕が好きな綺麗な笑顔だった。


「だって、それって……ユエさんと、より深く繋がった証拠でしょう……? ユエさんがちゃんと自分の身体のことを話してくれたのも嬉しいし、その重みを……私も一緒に背負えているということですもの。そんなに、嬉しいことはないわよ……」


「あぁ……アイネさん……」


 ああ、また。


「ありがとう、ございます……っ……」


 また僕は、この人に……この愛しい人に、救われた気がした。


「ユエさんとお揃いなのだもの。ユエさんを、独りだけの存在になんてしないわ。ユエさんが、そうしてくれたのよ? そんなの大歓迎だわ。だから、もう愛してくれないなんて、可愛がってくれないなんて、言わないわよね……?」


「えぇっ……ええっ……!」


 僕らが繋がる度に、きっとアイネさんは僕のような『何か』に近づいていくだろう。


 それでも、それを彼女が望んでくれると言うならば。


 これから……次の『アノ日』になっても、僕が彼女と愛し合うことにためらいはない。


「ふふっ。私の想いを侮ったら、ダメなんだからね……?」


「はい……これからも、よろしくお願いします……」


 そういって顔を近づけてくるアイネさんを、僕は万感の思いで受け入れるのだった。







――――――――――――――――――――――――――――――――

あとがき

お読みいただき、ありがとうございます。

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次回、「嫁の財布を握る嫁~勝者の商社~」

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