058.初デートは幸せの味~こどもと未来~



 赤星焼きの美味しさとイチャイチャを楽しむ僕とアイネさん。


 そこに珍客が現れたのは、傍から見たらイチャイチャしているとしか思えないだろうなぁ……なんて僕が頭の中で考えていたまさにその時だった。


「…………」


「あら……?」


 人がいなかった路地にいつの間にか、小さな子供……女の子だろうか?が現れてじっとこちらを見ている。


 女の子は見た目からすると10歳くらいであろうか。

 飴色の短い髪で、顔立ちは同じ年の他の子と比べてもかなり可愛らしい部類だろうか。

 頭の上にある耳と服の裾から覗いている尻尾から、普人族ではなく犬人族かそれに似た種族だろう。


 それだけならただの子供なのだが、女の子はこの場ではとても特徴的というか、最近では見ないような格好をしていた。


 着ている服は、大きな1枚の布に頭を通す穴を開けて腰回りを紐で縛っただけの、まさしく襤褸としか言えない物。それもボロボロで汚れていて、足元は靴はなく裸足だ。

 髪はボサボサで、耳と尻尾の毛にもツヤがなく、襤褸から覗く手足も汚れている。


「(孤児、でしょうね……)」


 女の子の格好を見て訝しげにしているアイネさんに、僕は小声で推測を伝えた。


「(あれが……その、見るのは初めてだわ)」


 推測と言っても、2年前までは王都でもよく見かけた典型的な路地裏にいるような孤児の格好なので、おそらく合っているだろう。


 ……あまり教育によろしくないトコロ見られてしまった気がすると思ったが、どうやら女の子が興味があるのは僕らの手元にある赤星焼きのようだった。


「ぅぅ……」


 お腹を抑えて、全身から物欲しそうな雰囲気を発している。



 孤児は、大戦の被害者だ。

 王都では孤児院の整備が進んでいると聞いていたし、実際に王都に戻ってきてからは見ることはなかったけれど、まだこんな子もいるのだとまさに今知ってしまった。


 星導者で、仮初とは言えこの国の上に立つもので、人々の平和を願うアポロとの約束がある僕にとっては……放っておけない存在。


「アイネさん、その……」


 でも、今はアイネさんとのデート中で……僕がそんな逡巡しながらアイネさんの名前を呼ぶと、初めて見る孤児……さらには不衛生そうな見た目に少し顔をしかめていたアイネさんが、フッと表情を和らげてくれた。


「ごめんなさい、こんな顔をしたらダメね。そうよね……ルナさんも、元は……。気にしないで、ルナさんのしたいようにしていいわよ」


「ありがとうございます」


 この場においては僕の我儘とも取れることを笑って許してくれたアイネさんにお礼を言って、僕は膝に乗せていた赤星焼きを椅子代わりの箱に置いて立ち上がった。


「っ……」


 見ていたことを怒られると思ったのか、ビクッと怯えるように身体を震わせた女の子だったが、そのまま僕が微笑みかけると逃げずにその場に留まった。


 僕はそのまま近づいていくと、小さなその子の前で膝を折って目線を合わせた。

 こんなところでスカートじゃなくてパンツスタイルだったことが役に立つとは……。


「こんにちは。私はルナリアといいます。あなたのお名前は?」


「ぅぅっ……。…………ニア……」


 女の子は恥ずかしがってうつむきながらも、ニアと名乗ってくれた。


「ニアちゃんですね。お腹がすいているのですか?」


「うん……ごはん、ほしい……」


「そう……では、こちらに来て下さい」


 僕はコクリと肯いたニアちゃんの手をそっと包むと、アイネさんの方まで誘導していくと、おっかなびっくりという感じで手を引かれていたニアちゃんを箱に座らせた。


「ニアちゃん、こちらはアイネさんです。アイネさんにちゃんとご挨拶ができて、良い子で一緒に待っていられたら、ご褒美にご飯をあげましょう」


 僕がそう言いながらアイネさんに目配せをすると、隠しきれないのせいで少し腰は引けていたけれど、アイネさんは屈んで話がしやすいようにしてくれた。


「うん、わかった……こんにちは。あいね、おねえちゃん……?」


「え、ええそうよ……アイネよ。……ルナさん、どうするの?」


「そこの屋台でもう一人前、買ってきます。少しだけお待ち下さい」


「わかったわ」


「ありがとうございます。じゃあニアちゃん、ちょっとまっててね」


 僕はアイネさんにお礼を言ってニアちゃんのゴワゴワする頭をひと撫ですると、路地から大通りに出てすぐのところにある赤星焼きの屋台に向かった。


「すみません、もう一人前いただけますか?」


「おぅっ、まいどっ! って、さっきの嬢ちゃんか。おかわりするほど美味かったか? なんてな! 女の子の腹にそんなに入るもんじゃないか」


「あはは……美味しかったのは確かですよ。ただ、連れが1人増えてしまいまして」


「ん? 増えた? ……ああ、あのガキか……」


 僕の視線を追って路地を覗き込んだオジサマは、慣れない子供とぎこちなく話をしているアイネさんとニアちゃんの姿を見ると、心あたりがあるようにそう言った。


「よく見かける子なんですか?」


「まぁな……以前に気まぐれで余り物をあげたら、それ以来たまに来るようになっちまって……。どこの孤児院の子だか知らねぇが、いつも腹を空かせてるみてぇで不憫でな……」


「そうですか……」


 あの陛下が治めていらっしゃる王都の孤児院に、預かっている子供にあんな格好をさせて満足に食事を与えないところがあるとは考えづらい。


 しかし、現実にこうしてニアちゃんのような子がいるということは……なにか、裏がある気がして仕方がなかった。


「はいよっ、赤星焼き1人前! お代はいらねぇぜ! さっき嬢ちゃんたちが買ってくれてから客が増えたからな、美人様々ってなもんだ! ってことでこれはお礼だ! また来てくれ!」


「……ありがとうございます、オジサマ。また来ます」


「おぅっ。早く行ってやんなっ」


 お礼という名の店主の厚意を素直に受け取り、僕は路地に戻った。


「おまたせしました。ありがとうございます、アイネさん。ニアちゃんは良い子で待ってましたか?」


「そうね、良い子で待っていたわ。……私が何を話せば良いのかわからなかっただけよね……」


 こういうのは多少強引にでも進めた方が早いと思ってアイネさんに任せてしまったけれど、どうやら本当に困らせてしまったみたいだ。

 僕は顔の前で手を合わせ、アイネさんに『ごめんなさい』とジェスチャーで謝った。


「? アイネおねえちゃん?」


「な、なんでもないわ。それよりほら、ルナさんがご飯を買ってきてくれたわよ?」


「うん……ありがとう」


 アイネさんの方から僕の方に顔を向けたニアちゃんは、ちゃんとお礼を言って大人しく待っている。

 聞き分けが良いおとなしい印象の子だけれど、鼻がヒクヒクと動いて尻尾がブンブンと振られて『もう待ちきれない』という感情をいっぱいに表しているのが、子供らしく可愛らしかった。


「はい、ちゃんとお礼を言えて偉いですね。これは良い子にしていたニアちゃんとの約束……ご褒美です。食べる前に、少し綺麗にしてしまいましょうか。【清浄クリーン】」


 雑菌や汚れが落とせる光をイメージして作った【清浄】を発動させ、僕の手から放たれた光がスキャンライトのようにニアちゃんの頭の天辺からつま先までをなぞっていき、光があたった箇所が完全にではないが綺麗になり、アイネさんが顔に出さないように我慢しているであろう臭いも消え去った。


「わぁ……きもちいい……」


「これは……すごいわね。これも、ルナさんのオリジナル?」


「ええ、そうですね。さあニアちゃん、もう食べてもいいですよ。熱いですから、よく冷まして食べましょうね」


「うんっ、いただきますっ……あちっ!? はふっ、はふっ……」


 僕は一応注意してから食べることを許したけれど、赤星焼きに目が釘付けだったニアちゃんはそれを聞いていなかったようで、小さな口で熱々トロトロの赤星焼きをひと口で食べようとしてしまい、涙目になっていた。


「あぁほら……ご飯は逃げませんから、ゆっくりでいいですよ」


「んっ……うん……」


「ちょっと貸してください……はい、どうぞ」


 僕はニアちゃんの手元にある赤星焼きを自分が使っていた爪楊枝でひとつ取ると、食べ終わって空いていた紙パックを皿代わりにして切り分け、冷ましてから口元に差し出してあげた。


「あー……はむっ」


 ニアちゃんは『食べていいの?』と伺うように僕の顔を見たあと、大人しく口を開けて適度に冷まされたそれを頬張った。


「ふふっ、美味しいですか?」


「うんっ」


「そうですか。では食べ終わったら、屋台のおじさんにちゃんとお礼を言いましょうね」

「うんっ! はむっ……もぐっ……」


 どうやらオジサマの赤星焼きは、周囲を警戒していたような、怯えていたようなニアちゃんの心を解きほぐしてくれたようだ。

 ソースで汚れた頬をハンカチで拭って、また次の一切れを食べさせてあげながら、その小さな笑顔を見てほっこりしてしまう。


「ふふっ。ルナさん、なんだかニアちゃんの本当のお姉さんか、お母さんみたいに手慣れているわね」


 ほっこりしていたら、何気に心に刺さるようなことをアイネさんに言われてしまった。


「あはは……昔は小さい子の面倒をよく見ていましたので……」


 『前の記憶』があるとはいえ、僕はアイネさんと同じ17歳なんだけどな……。



*****



「~♪」


 日が傾き始めた東区の外れの裏通りに、ニアちゃんのご機嫌な鼻歌が響く。


「よかったわね、ニアちゃん。可愛い服まで買ってもらえて」


「うんっ! ルナおねえちゃん、ありがとう!」


「はい、どういたしまして」


 僕とアイネさんの2人と手を繋いだニアちゃんが笑顔で言ってきたことに、僕も笑顔を返した。

 今はニアちゃんが暮らしているという孤児院に、ニアちゃんを送り届けているところだ。


 あれから結局、僕とアイネさんはニアちゃんの面倒を最後までみることにした。


 最初はご飯をあげて送り届けるだけにしようかと僕は思っていたのだけれど、アイネさんが『女の子なら可愛くしないと』と言って、古着屋で子供らしい明るい色のワンピースを選んであげたのだ。お代はもちろん、付き合わせてしまっている僕が出した。


 アイネさんもすっかりニアちゃんと打ち解けている。

 さっきは僕のことをニアちゃんのお母さんみたいといっていたけれど、こうしてみると同じワンピースのアイネさんのほうがお母さんかお姉さんに見えて、ニアちゃんを通じて僕が知らない家族というものを感じることができている気がした。


「あ! あそこだよ! わたしのおうち! こじいん、だよ!」


 しばらくそうして歩いていると、ニアちゃんは路地の突き当りにある建物を指差してそう言った。


「…………あそこですか」


「(……ルナさん、あれは……あれが本当に孤児院なの……?)」


 僕もアイネさんも、その建物を見て思わず眉をしかめてしまった。


 それはどう見てもボロ屋で、教会が併設されているわけでもなく、こんなところで本当に子どもたちを預かっていられるのかという、一言で言ってしまえば『ひどい』ものだった。


 しかし、そこで暮らしているというニアちゃんは特に疑問も持っていない様子で、僕らの手を引っ張って早く早くとはしゃいでいる。


「ありがとう! おねえちゃんたち! またね!」


 そして締め切られた扉の前まで来ると手を離して振り返って、無邪気な笑顔でそう言って建物に入っていってしまった。


「……私たちも帰りましょうか、アイネさん」


「そうね……」


 僕の心には……きっとアイネさんにも、ニアちゃんを心配する気持ちがあったけれど、今この場でどうこうできることはない。

 僕は先程繋いでいたよりも少し大きな、それでも僕より小さくて温かいアイネさんの手を取って、ゆっくりと大通りに戻る道を歩き出した。


「なんというか、孤児の子って……その……大変なのね。話に聞いたり知識では知っていたけれど、これを見てしまうと、そう思ってしまうわ……」


 しばらく黙っていたアイネさんだったけれど、僕の腕を抱くと悲しそうな声色でそう言った。

 僕も昔は孤児だったことを考えて、気を使ってくれているのだろうか。


「大戦が終わった今でもあそこまでひどい場所は中々ないと思いますが……そうですね、これもなにかの縁ですし、僕の立場としても……手は打っておきましょうか」


「手?」


「ええ。少し、待っててくださいね」


 僕はそう言って立ち止まると、右足のヒールで地面に2回、コツコツと音を立ててから、今度は左で1回、そしてまた右で1回音を立てる。


 するとすぐに、僕の影から鈴の音がして、影の中からツバキさんの声がした。


『お呼びでしょうか、主様』


「ご苦労様です」


 先程の足を鳴らすのは、人目があるときでも用があった時に呼び出すためのものだ。

 仕草や音だけではなく、足を打ち付ける時に地面に微弱な輝光力を流し込んでいて、居場所を知らせる事ができている。

それがなくても、らしいけれど、念のためだ。


『は。もったいなきお言葉』


「この声……ツバキさん?」


『影の中より失礼いたします、アイネ様。そうです、ツバキでございます』


 そういえば、影に潜っている状態のツバキさんを直接見るのは(見えないけれど)、アイネさんは初めてだったか……と思いつつ、まだ日が沈んでいないうちから日向が多い場所にツバキさんを長くいさせるわけにもいかないので、わざわざ呼び出した用件を済ましてしまうことにする。


「この道の奥にある建物……入り口にも1階にも窓がない古い民家のようなものです。そこを調べておいてもらえませんか? 孤児院という話でしたが、どうにも怪しいです。時間がかかっても構いませんが、詳しくお願いします」


『は。王都に浸透している部下を回すようにいたします』


「手間をかけますが、よろしくお願いしますね」


『は。それでは失礼いたします』


「ツバキさん……? もう行っちゃったのね……気を使わせちゃったかしら」


「あはは……仕事モードのときのツバキさんはいつもあんな感じですよ」


 ツバキさんの気配が遠ざかってから、僕はアイネさんの手を取って再び歩き出した。


 もう夕方といえる時間で、基本的に日が出ている時間が活動時間というこの世界では、もう帰らないといけない時間だ。


「すみません……結構僕のせいで、デートの時間を使ってしまいましたね……」


 僕が申し訳ない気持ちでそう口にすると、アイネさんは『気にしないで』と言って優しく微笑み返してくれた。


「確かに二人きりの時間をもっと過ごしたかったけど、ニアちゃんがいても、ルナさんと一緒にいられたことには変わりはないわ」


「ありがとうございます、そう言ってもらえると……また、今度はゆっくりできるように何か考えておきますので」


「ふふっ、楽しみにしているわ」


 再び肩にかかるかすかな重みを感じながら歩いていると、アイネさんはふと思い出したように口を開いた。


「それにしても……ニアちゃん、素直で可愛らしい子だったわね。私はルナさんと違って、あまり自分より年下の子供と接する機会はなかったのだけれど……いいものなのね」


「そうですね。大人になると子供のことが嫌いになる人もいると聞いたことがあるので、アイネさんがそうでないなら良かったです」


 誰もが最初は子供であったはずなのに、騒がしいのが苦手、遠慮がないのが苦手、という人は一定数いるのではないだろうか。

 僕は孤児院で生活していたからそのあたりは慣れてしまったけど。


 それでもどうしようもない悪ガキというのがいるのは確かだけれど、『前』の記憶がある僕にとっては微笑ましいものだ。


 その点、アイネさんが言うようにニアちゃんは最初こそ警戒心からかおどおどした様子があったけれど、話してみて打ち解ければ素直で元気な可愛い女の子だった。


「……私にも将来、あんな子ができるのかしら……」


「ぅ……」


 孤児院時代を少し思い出していた僕だったが、アイネさんが独り言のようにつぶやきながらも頬を染めて僕に上目遣いの視線を送ってくるのを見て、思わず立ち止まってしまった。


「それは、その……」


 催促されているってことだろうか……。


 いや、この世界において僕たちは既に成人しているから、子供がいてもおかしくはないだろうけれど……


 でも、今の僕はこんな身体で、対外的には子爵家の娘と身分を偽っていて……もしそんな状態でアイネさんとデキちゃったら、それは何でだ、相手は誰だと大騒ぎになるだろう。

 アイネさんの親御さんにも事情を話さないといけなくなる上に、僕のことは対外的には隠さないといけないため、アイネさんは学院どころか表に出てこられなくなる。


 それは、アイネさん自身にも生まれてくる子供にも、非常に申し訳ない。

 『前』を含めて本当の親を知らない僕でも……いや僕だからこそ、そう思う。


「あっ……その、そういう意味じゃなくてっ……今すぐほしいとかそういうことではないのよ?」


 僕が真剣な顔をして考え込んでしまったことで自分が言った言葉の意味に気づいたのか、アイネさんは顔を真っ赤にしながら慌ててそう言った。


「それは……ほ、欲しくないといったら嘘になるわよ? でも、ルナさん……ユエさんに色々事情があるのも知っているし、私がまだ教えてもらえていない事情も何か関係しているだろうから……」


 そうだ……僕はまだアイネさんに『アノ日』のことを話せていない。


 この身体になってから月に一度やってくる、僕が一番イヤな一日のことを。


 ……逃げているだけなのかもしれないけれど、本当にコレだけは好きな人に知られてしまうことは怖かった。


「ごめんなさい、私の言い方が悪かったわね……今はこうして側にいられて、心を通わせていられて……それだけでも幸せだもの」


 アイネさんはそう言って正面から抱きしめてくれたけれど、僕のせいでまた気を使わせてしまったことが……胸に痛い。


「謝らないでください……これは完全に、僕の方の問題なのですから」


「ユエさんこそ、気にしないで。……でも、私たちはそう思っていても、ユエさんは立場上、子供を作らないといけないでしょう……?」


「そう、ですね……」


 アポロが亡くなったことは表沙汰にはなっていないので、今は僕が彼の代わりにこの国の王太子ということになる。僕の子が表向きは正統な王家の血筋とされると、陛下も仰っていた。


 両陛下は未だに仲睦まじいけれど、アポロが生まれたのがこの世界の夫婦としてはかなり遅い方だったらしく、新しく子供を作るということはできないだろう。

 アルテウス陛下はこの世界の王族貴族としては珍しく、妻はティアナ様しかいないからなおさらだ。


 アイネさんはアイネさんで貴族の家に生まれた女の子だ。

 人類の数が減り続けていたこの世界において、『前の記憶』の物語に出てくる貴族の考えよりも次代へ血を残すことの重要性は、より強く教えられていることだろう。


 それでも僕を慮って……僕が何かを隠していることを知りながらも、深く追求してくることもないアイネさんは……やはり僕にとってとても大切で、とても愛すべき女性だ。


 そんな大切な人を僕の『アノ日』のせいで傷つけてしまうのは……やっぱり、どうしようもなく、怖い。


「ユ、ユエさんっ……強く抱きしめてくれるのは嬉しいけれど、ちょっと苦しいわ……」


「あっ、すみませんっ」


 僕の胸に深く顔を埋める形になっていたアイネさんが僕の背中をタップしながらそう言ったので、僕は慌てて抱きしめる力を緩めて身体を離した。


 内心の不安のせいで無意識に腕に力が入ってしまっていたようだ……いや、意味は違っても不安なのはアイネさんも一緒だろう。


 想いが通って結ばれて、その先に踏み出すのは自然のことのはずなのに、僕の問題のせいでその未来が曖昧になってしまっているからだ。


 アイネさんは口にはしないけど、『もし戻らなかったらどうするの?』と思っていてもおかしくないし、その不安は彼女の立場だったらもっとものはずだ。


 だから、今僕がここでできることは、一生懸命に想いを込めて、真剣に言葉を伝えることだけだ。


「アイネさん……僕も、アイネさんとの子供なら……ほしいと思います。必ずなんとかしますので……今は、待っていてください。僕はもう、自分のような孤児や、生まれのことで悲しい思いや辛い思いをするような子供はいてほしくありません」


「ユエさん……」


「それは僕らの子供だってそうです。しっかりと愛情を注いで育てたいと思っています。僕たちはいま学生で、今の僕は身分を隠さないといけない立場にあります。そんな中で子供ができてしまったら、その子供は……アイネさんも、複雑な環境に置かれてしまうでしょう。だから、男として情けない限りですが……愛しているからこそ、今は待ってほしいのです」


「ぁぅ……」


 見上げてくる綺麗な瞳をまっすぐに見ながら、僕が真剣にそう言うと、アイネさんはより顔を赤くさせながらモジモジとし始めてしまった。


 ……ちょっと真剣すぎたかもしれない。


「ユエさん……わかったわ。私達のことを本気で考えてくれていて、とても嬉しい……。その、私もほしいから……待っています」


「アイネさん……」


「んっ……」


 待っていると言いながらも、瞳を潤ませたアイネさんはチラリと周囲に人がいないことを確認すると、背伸びして僕に顔を近づけてきた。


 僕がそれに応えて軽く触れるようなキスをすると、すぐに離れたアイネさんの顔は僕の好きな笑顔になってくれた。


「……ふふっ。こういう、キスとかのふれあいなら……大丈夫よね……?」


「もちろんです、大歓迎ですよ」


 『キスとかの』と口にする時に恥ずかしそうに目をそらしたのが、最高に可愛かったです。はい。


 ……あれ、『とか』ってどういうことだろう……?


 僕は一瞬頭をよぎったその考えをまあいいかと振り払い、今日だけで何度も繰り返したようにアイネさんの手を取って指を絡めた。


「……帰りましょうか」


「くすっ。ええ……」


 何とも言えない幸せな雰囲気の中、夕日に照らされた僕たちの影は1つになったままだった。





――――――――――――――――――――――――――――――――

あとがき

お読みいただき、ありがとうございます。

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次回、「溢れすぎた想い~かわりばんこ?~」

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