044.闇の氾濫~撤退作戦~


 地平線に、闇が蠢いている。


 犬や狼、コウモリのような形をした小型を始めとして、角が生えた猪や熊・猿のような四足歩行の獣で構成された中型、見上げるほどの大きさの虎のような肉食獣の形をしているものや、同じくらいの大きさの巨大蟷螂カマキリなど、全体的に『捕食者』を思わせる造形の獣達。


 突如起こった『闇の氾濫』……通常ではありえない規模の闇の獣の大侵攻だ。


 その数は視界に入るだけで100や200ではきかず、北から押し寄せる波のようにこの平原いっぱいに広がっていた。

 あちこちで上がり続けている救援要請の信号弾を見る限り、また自分の感覚を信じる限り、相当な範囲に広がっていることは確かだ。


「ぁ……あぁ……」


「なんですの……あれ……」


 視界に入る光景、そして押し寄せる闇のプレッシャーにアテられたのか、班員の誰かから震えるような声が上がった。

 いや、実際にガクガクと震えている。現実への理解が追いついていないというような恐怖で引きつった顔が、きっちり5人分。


 これは仕方がないことだろう。

 彼女たちはまだ学院の生徒で、つい先程、初めて闇に属するものと対峙したばかり……言ってしまえば初陣の新兵のようなものだ。

 それがこんな、正規軍で対応するような事態に突如直面し、命の危険が迫っているとすれば、パニックを起こしてしまっても無理はない。


「…………」


 まだ、胸騒ぎは続いている。

 しかし、その原因が何かに思考を割く前に、僕は目を閉じこの状況で取るべき行動を導き出していった。


 闇の氾濫という異常事態。敵の数はおそらく2000~3000。

 こちらは戦いの経験がない学生ばかりが30名ほどという状況。

 最優先は全員の生存。

 しかし、後方には僕たちが乗ってきた複数の馬車や、まだ残っているお偉方など、戦えない人たちがいる。慰霊殿もある。これらは僕たちが守らないといけない。

 そして僕は、これを『ルナリア』として行わなければならない。


 用意しておいた『保険』の存在もあるが……それは最後の切り札、の一歩手前だ。


 ……よし。やるべきことは決まった。

 ならばあの頃と変わらず、あとは行動に移すだけだ。


 僕は空に片手を向けると、同時に【光球】を発動して打ち上げる。

 大きな球が1つ、小さな球が3つ。その意味するところは――【全隊集合】。


「みなさん! 落ち着いて聞いてください! まだ敵との距離があります! 今のうちに足並みを揃えて後退! 他の班を集め、防衛線を構築します!」


「ホ、ホワイライトさん……?」


「そ、そんな……わたくしたちには……」


「返事はっ!?」


「「「は、はいっ!」」」


 申し訳ないけれど、問答してる暇はない。

 こういう場合は、指揮をとる人間が毅然としていないと、不安を抱えた人はついてきてくれないものだ。口調が荒くなってしまったのは許してほしい。


「では、私に付いてきてください!」


「「「はいっ!」」」


 先程より少しマシになった返事を聞いた僕は、集合の信号弾を打ち上げ続けながら後退を開始する。

 振り返れば、闇の獣達はまだ遠く、ようやく足の早い小型が動き始めたくらいだった。これなら何とか間に合うだろう。


 『灰色地帯』との境界から100mほど後退したところで、東西から続々と他の班が集まってきた。


「ルナさんっ! これはっ!?」


「ルナっちぃぃーーっ!」


「はぁ……はぁ……ルナちゃんっ!」


『ルナリアさんっ! 寂しかったわ!』


「クハハハハッ! ようやく……ようやく我もこの機会に巡り会えたぞ……アガッ!?」


「空気をお読みやがってくださいこのダメ主人」


 ……なんだか急に賑やかになり、気が緩みそうになってしまった。

 みんなも見知った顔を見て、口々に無事を喜んでいる。


 そこに、後方からものすごい勢いでセルベリア先生が走ってやってきた。


「無事か貴様ら!? さっきの集合弾は……ホワイライトが? よくやった! 良い判断だ!」


「ありがとうございます。早速ですが先生、状況は把握していらっしゃいますか?」


 僕はやってきたセルベリア先生に歩み寄ると、他には聞こえないように小声で話かけた。


「いや、急に闇の気配が濃くなったと思ったら、信号弾が上がったから急行したのだ。しかしこれは、まさか……」


「ええ、これは闇の氾濫です。すぐに軍の出動を要請すべきです」


「あ、ああそうだな。よく知っていたな」


 迷いなく言い切った僕に違和感を覚えたのか、先生の目が瞬いた。


「……旅の間に知ったのです。それより、軍の出動要請ですが……」


「そうだな、それは必要だが……一番近くの駐屯地まで、馬で駆けても2時間以上かかる。そこから緊急編成を行い出発したとして……到着まで5時間以上はかかるな……」


「それについては私に考えがあります。上手くすれば1時間以上は到着を早められるでしょう。その手段はさておき、今は私達がすべきことについてです」


「するべきこと……撤退は前提とするが、すぐに撤退するわけにはいかない、か」


 僕が戦えない人たちがいる後方に目配せをすると、セルベリア先生はその意図を察してくれたのか、僕の言葉を引き継いでくれた。


「ええ、私たちはある程度、この場に残って時間を稼がなければなりません。しかし、皆さんの様子や実力を考えると、失礼ながらこの状況では半数以上の方が残っていても仕方がない……もっと言えば、役に立たない……いえ、犠牲になってしまうだけでしょう」


「クラスメイトに対して辛辣だな……」


「私もこんなことは言いたくはありませんが、今は異常事態です」


「そうだな。私も同意見だ。それで、何か考えがあるんだったか?」


「はい。まず、この場にいる中から実戦に耐えない半数を、非戦闘員と共に先に撤退させ、駐屯地へ向かってもらいます。そして、もしものときのためにこの引率は先生にお願いします」


「お、おいそれではっ――」


「申し訳ございませんが、時間がありませんので異論はご容赦ください」


 『ルナリア』としては目上の女性に対してあんまりな物言いだけど、そろそろ本当に時間がない。


「っ……残りはどうする?」


「私が残った半数を指揮し、後退しつつ時間を稼ぎます。幸いといいますか、私の輝光力は他のみなさんより高いので、私が残れば奴らは後ろに抜けることはないでしょう」


「光を求める奴らの習性を利用するのか……」


「ええ。撤退戦をしながら他のみなさんも徐々に逃し、最終的には私が殿を務めます」


「しかし、それでは貴様が……いや、そもそもそんなことが可能なのか? それに貴様は、どうしてそこまで落ち着いて……」


「私は大丈夫です。先生、時間がありません。すぐに行動を」


「……クソッ! 貴様は次の教練でグラウンド走10周追加だ! ……だから死ぬんじゃないぞ」


 悪態をつきながらも、実戦経験済の輝光士でもある先生は、既に一刻の猶予もないこの状況を理解しているのだろう。

 先生は最後に僕の頭をクシャッと撫でると、不安そうにこちらを見ているクラスメイトたちに向き直った。


「これより我々は行動を開始する! 今から詳細を説明するが、落ち着いて聞け!」


 先生の口から語られる撤退戦の詳細を聞いて、みんなに少なくない動揺が走っていた。

 先に撤退できると聞いて安堵するもの。残ることに恐怖するもの、その表情に決意をうかべるもの、戦いに歓喜するもの。


 そんな中で僕は先生の側を離れ、アイネさんの横に並び立ち、その手を握る。


「ルナさん……?」


「私がみなさんを……アイネさんを、守ります」


「……くすっ。それは心強いわね。でも私は、守られるだけの女じゃないのよ?」


「あはは……そうですよね。アイネさんはいつも、努力されていますからね」


「そうよ? こんな状況だけど……私もいつか、あの方みたいに誰かを守れる日が来ることを、望んでいたのかもしれないわ」


「……そうですか」


 すぐそこに命の危険が迫っているというのに、胸に手を当てて優しい表情をするアイネさんはとても綺麗で、僕は繋いだ手を改めて強く握った。


「……あのッスねー、こんな状況でそんないい雰囲気を作ってると、フラグになるッスよ」


「ちょ、ちょっと! やめてよミリリア!」


 アイネさんの隣りにいたミリリアさんがそうやっていつものようにからかってくるが、僕とアイネさんが見たその顔は真剣だった。


「ルナっちとアイねぇなら、そんなフラグを折ってくれることを信じてるッスよ……」


「ミリリア……」


「ミリリアさん。伝令役、お願いしますね」


 僕は正規軍への援軍要請をするにあたって、ミリリアさんを伝令役として推薦していた。『輝光路』開発によって扱いが上手くなった【光速移動】で彼女が向かえば、馬が走るよりも何倍も早いからだ。


「この(自称)世界最速の情報屋ミリリアちゃんに任せるッスよ! だから2人とも……無事で帰ってきてね」


 いつもの『ッス』が抜けるほど真剣な言葉を残して、ミリリアさんは駆け出していく。。すぐにその姿が消えたかと思うと、次の瞬間には遥か彼方に現れ、また消えていった。


 ミリリアさんこそ、変なフラグを立てないでほしいなぁ……。


 僕が内心でそんなことを考えていると、セルベリア先生は先行組を取りまとめて出発するところだった。


「ホワイライト! あとは頼むぞ! 決して無理はするな!」


「みなさんごめんなさいっ! わたくしたちにもっと力があれば……」


「月の女神様のご加護がありますように……ご武運を!」


「はい! みなさんもお気をつけて!」


 口々に僕たちの身を案じてくれる15人ほどのクラスメイトを見送ってから、僕は残ったこの場に残ることになったみんなに改めて向き合う。


 アイネさん、マリアナさん、エルシーユさん、クラウディア皇女殿下、シェリスさん、ココさん……その他の成績優秀者に僕を加えた総勢15人が、僕がこの場で背負うべきものだ。


「さて、みなさん。まずは勝手にこのようなことを決めてしまったことをお詫びいたします。ですが、この場に居合わせた誰かがやらなければならないことだというのは、ご理解ください」


 ご理解くださいと言いつつも、そんなことは正規の輝光士でもない彼女たちにとっては関係なく、大戦を経験している僕の合理的と言う名の傲慢な考えかもしれない。

 それでも……。


「それが貴族の務めというものよ」


「そうね、私も……貴族だものね。頑張るわ」


『私の舞をルナリアさんにいっぱい見てもらうんだからっ!』


「ハッ、貴様に言われるまでもない。我は力ある皇族であるぞ。戦いから逃げるなど有り得ぬ」


「この駄目主人がノブレス・オブリージュを口にするなんてっ……!? ――それはともかく、私も微力ながらお手伝いさせていただきます。メイドですので」


「ホ、ホワイライトさんがいればきっと大丈夫よ!」


 それでも、僕が口にしたことに力強く返してくれた彼女たちを見て、僕は学院で感じていた漠然とした不安が拭われていくのを感じていた。

 今の世代にも、ちゃんと闇に向き合える人たちはいるのだと、そう思えた。


「みなさん……ありがとうございます。では始めましょうか――私達の戦いを」


『はいっ!(応っ!)』


 僕の言葉に返ってくる返事を耳にしながら、僕はこの少人数で大群に立ち向かう準備をするために、輝光力を練り上げていくのだった。








――――――――――――――――――――――――――――――――

あとがき

お読みいただき、ありがとうございます。

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次回、「混迷の撤退戦~告げる想いと、誰何の声~」

奮闘・奮戦、しかして――。

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