009.初登校~まどろみとブラと制服~


 王国歴725年、大樹の月(4月)上旬。


「ん……」


 窓から差し込む光を瞼に感じて、僕は目を開いた。

 睫毛からこぼれ落ちた雫が、肌触りの良いベッドのシーツを濡らす。


「……夢、か……」


 ボーッとする頭のままベッドの上で上半身を起こす。


 寝相が悪かったのか、乱れてしまっていたシルクのパジャマが肩から半分ずり落ちるような感触がしたけど、苦手な朝でぼんやりしたままの僕はそれに気づかず、見慣れない部屋を見渡した。


 ここは、中央区の貴族街にある(他と比べれば比較的)小さなお屋敷。その2階にある寝室。


 陛下に功績を認められ貴族に叙されることとなった『月猫商会』会長・ゴルド。

 ゴルドは叙爵じょしゃくにあたり『ホワイライト』の名と共に中央区の屋敷を下賜かしされ、ゴルドの娘『ルナリア』は、輝光士女学院に通うために父親よりも先に王都についてその屋敷で暮らしていた、という『設定』なわけだ。


『ルナリア・シール・ホワイライト』


 それが今日から学院で過ごす間の僕の名前だ。

 ちなみに『シール』というのは名誉貴族であることを示している。


「ぅー……」


 起きないとと思いつつも、この身体になってから特に苦手になってしまった朝には、頭も身体もまだ動き始めてくれない。

 苦労してふかふかの掛け布団から足を引き抜き、とりあえずベッドの上でぺたんと座る。

 それはいわゆる『女の子座り』というやつだが、このまま前に倒れ込んで布団に顔を埋めたら気持ちいいだろうなーなんて考えていた僕は、それに気づくことはなかった。


 ――コンコンッ。


『ルナ様、ツバキです。そろそろお目覚めになりませんと、朝食のお時間が短くなってしまいます。……ルナ様? 入ってもよろしいでしょうか?』


「ふぁぃ……どぅぉ……」


 『はい、どうぞ』と口にしたつもりが、随分間の抜けた返事になってしまった。


『失礼いたします』


 静かに扉を開けて、既にばっちり身支度が整っているツバキさんが部屋に入ってくる

 今日も完璧な――メイド服姿だ。

 『屋敷の使用人をするなら、ふさわしい格好としませんと』と言っていたが、城のメイドの娘達を見て対抗心を燃やしているみたいで可愛らしかった。


 ちなみにこの屋敷に来て以降は、慣れるために新しい名前で呼んでもらうことにしていた。


 ツバキさんは本職の使用人並みに綺麗に礼をすると、手のかかる困った弟(いや今は妹か)を見るような優しい笑みを浮かべた。


「おはようございます、ルナ様。本日は学院へ行かれる日でございますよ。お支度をいたしますので、起きてください。ふふっ、御髪がこんなに乱れてしまって……」


「ん~……」


 ベッドに座る僕の前まで来たツバキさんが、手櫛で髪を整えてくれるのがなんだか気持ちよくて、僕は目を細めてそれに身を委ねてしまう。


「あぁ、なんと愛らしい寝起きのルナ様……これが、キュンキュンしてしまうというものなのですね……ゴホンッ」


 あのツバキさんが頬を染めて蕩けるような笑顔を……いわゆる『トロ顔』をしていた気がするけど、気のせいだろう。

 クロじゃあるまいし。


「ほら、お立ちになってください……はい。それではお着替えをさせていただきますね」


「はい……」


 ようやく身体が動くようになってきた。


 ツバキさんの手を借りて立ち上がると、ツバキさんはそのまま僕が着ている女物のパジャマの上着のボタンを外ずし、背中側に回って脱がせる。

 紐で留められたパジャマのズボンをスポンと落とされ、誘導されるがままに右足、左足と順番に抜けば、僕はパンツだけを身に着けた状態になった。


「今日もお綺麗です、ルナ様。さぁ、こちらをお着けください」


 そういって差し出されたモノを見て、僕はまだ半分しか起きていない頭で抵抗を試みる。


「うぅ……やっぱり、着けないと……ダメ……?」


「そ、そんな可愛らしく言われてもダメですっ。これは貴族の女性なら誰もが着けているものですし、それにルナ様のお胸の形が損なわれるようなことがあれば、それは人類の損失ですっ。これからお着替えをお手伝いできないこともあるかもしれませんので(非常に残念ですが)ご自分でお着けになってください」


「はい……わかりました……」


 僕はツバキさんから差し出されたモノ……レースがあしらわれた、なんだか可愛らしい感じの白いブラジャーを手にした。今着けているパンツとおそろいらしい。

 いつの間にかいくつも種類が用意されていたが、今日は後ろで留めるタイプのようだ。


 僕は半分しか動かない頭で、教えてもらった手順を思い出しながら、それを身に着けていく。


 まず、肩紐部分……ストラップに腕をそれぞれ通し、身体を前かがみにする。

 前屈みになって重力で引かれる胸に、胸を覆う部分……カップをうまく合わせながら、カップから伸びる下側の紐を背中に回して留め金……ホックを留める。

 前屈みの姿勢のまま、右手で右のストラップの付け根を少し浮かせて左手で右胸全体を包み、軽く持ち上げる。反対も同じように。

 収まりが良くなったら、身体を起こしてストラップの長さを調整し、軽く肩を回してズレたりしないことを確認し、完了だ。


「お見事でございます、ルナ様。手順も完璧ですし、最初の頃よりかなり早くなっておりますので、これなら他のご令嬢に怪しまれることもないでしょう」


「……ありがとうございます、ツバキさん。おかげで、もう目が覚めました……」


「それはざんね……良うございました。こちらが、学院の制服です。ルナ様のお身体に合わせたものを取り寄せております」


 そう言ってツバキさんは、クローゼットからハンガーに掛けられた制服を取り出して僕に渡してくれる。

 手にした制服を見て、僕は『これからはずっとこれを着るのか』ちょっぴり顔をひきつらせるのを止められなかった。


 センツステル輝光士女学院の制服。それは、いわゆるブレザータイプの女学生服だ。


 ただ、この世界の服装の基本として、より多くの光を浴びられるように肌を覆い隠す部分は極力少なくなっている。

 女性用はそれが顕著で、この制服の場合は胸元が開いているし、袖は肩から先がレース素材のような光を通しやすいものでできていて、スカートは短い。


 汚れにくく丈夫な光繭から取られた繊維で編まれ、特殊な工法で光結晶から取り出すことができる光糸が織り込まれているおかげで、服の上からでも僅かに光を吸収できるように補助されていたりと、機能面においても抜群の一級品。

 言うまでもなくデザインも洗練されていて、『星空の園』の制服は王都中の女性たちの憧れという……が、これを着て生活するということに、まだ僕は実感を持てなかった。


「ささ、お早くどうぞ。準備してある朝食が冷めてしまいます」


「わ、分かってますよぅ……」


 肌触りの良いブラウスを着て、頼りない長さのスカートを履き、スカートの横についたチャックを上げ、ブレザーを羽織る。

 たしかにサイズはピッタリだ。


「よくお似合いです、ルナ様」


「ありがとうございます……」


 華が咲くように微笑むツバキさんに、僕はそう返すのが精一杯だった。


「では、こちらへどうぞ」


 部屋に備え付けられた大きな鏡付きの化粧台の前で椅子を引くツバキさん。

 その手には『僕専用』として彼女が愛用している櫛がある。

 ツバキさんが絶対に譲らない、髪のお世話の時間だ。


「はい、お願いします」


 僕は女性の所作として習った通りに、スカートの下に手を入れてお尻側の裾がめくれないようにして椅子に座る。


「では、失礼いたします」


 一度、二度、と、丁寧に櫛を入れられていくたび、寝癖でボサボサだった僕の髪は魔法にかけられたように整えられていく。


「……」


「……」


 お互い無言だが、僕のお世話ができるツバキさんはどこか嬉しそうだし、優しさを感じられるこの時間は僕も好きだった。


 たっぷり10分ほどかけて櫛入れが終わり、ツバキさんの指導を受けながら化粧水とリップ(唇を乾燥から守るアレ)をつけると、朝の準備は完了だ。


 油断しているとここでツバキさんは僕の髪型をいじり始める(本人曰く、長くてきれいなのでいじりがいがあるらしい)が、何もないということは今日はこのままで良いということだろう。


 鏡に写った自分は、影武者の少年ではなく、王太子で星導者な金髪の少年でもなく、『星空の園』の制服を纏った貴族の女学生だ。


「……よしっ。では行きましょうか、ツバキさん」


 心の中で自分に言い聞かせるようにして気持ちを切り替え、僕は微笑みながら一礼したツバキさんを伴って屋敷の食堂へと向かった。



*****



「おー、お主。ようやっと起きたか。よう似合うておるぞ。これなら『学院はーれむ』も間違いなしじゃ」


「はいはい、ありがとクロ」


 朝食のいい匂いが漂う食堂に入ると、テーブルの隅っこに丸まっていたクロが身を起こしてそう言った。


 ちなみにこの変態が朝の時間に乱入してこないのは、ツバキさんに本気で怒られるからというのもあるが、寝ぼけた僕はどうやら朝のまどろみを変に邪魔されるとものすごく不機嫌になるらしく、一度『加減』を間違えて消滅させられそうになったから……だそうだ。


 支度に時間がかかり待たせてしまっていたのは事実なので、適当にお礼を言って僕も席に着いた。


 違和感なくメイド服を着こなしたツバキさんが、僕のために温めてくれていたスープを配り、3人で『いただきます』と言うと朝食が始まる。

 この屋敷に来てからのたった数日だけだったが、これがここのところの朝の風景だ。


「それでクロ、ホントについてくるの?」


 僕が『女性らしい所作』というのを意識しながら食べ終わったところで、ツバキさんの気遣いで冷まされていた(クロは猫舌なので)スープを舐めるように口にしていたクロに改めて尋ねた。


「当然じゃろう! 妾が一番の美少女の側を離れるわけがなかろう! それに、おなごばかりが集まる楽園に行くことは、妾にとって世界を滅ぼすよりも重要なことじゃ! ……まあそもそも、なぜかお主とは離れられぬしのぅ」


「そうだけど……陛下の勅命もあるし、悪目立ちしたくないんだから、あんまり変なことはしないでよね」


「それは無理じゃな! 妾からおなごへの愛(欲望)を取ったら何が残るというのじゃ! はーはっは!」


「はぁ……」


 これは勅命を果たすこと以外でも苦労しそうだ……。


 僕がため息をついているのを見たツバキさんは、ふんぞり返るクロの後ろからその顔を覗き込み、なぜかニコッと笑った。


「……クロ様、あまりルナ様を困らせぬよう、お願いいたします」


「だがことわ――」


「お ね が い い た し ま す ね ?」


「ヒェッ!? 忍っ娘め……あの妃と話してから妙な凄みを覚えおって……。いやっ、なんでもないぞ。お主が言うことはわかったのじゃ。『前向きに検討する』。これで良かろう?」


「ええ、ありがとうございます」


 いやツバキさん、それ言葉通りに受け取ったらだめですよ。

 『気が向いたらそうします』っていうのと同じだから……。

 現にクロは、『言質はとったのじゃ!』とでも言いたげな悪い顔をしてるし。


 ちなみに、クロが言っていた『なぜか離れられない』というのは本当だ。

 正確にどれだけの距離かは試したことがないけれど、ある程度……王都で例えるなら区1つぶんほど離れると、クロが不思議な力で引っ張られるようにして強制的に僕のもとに戻ってきてしまう。

 さすがに、謎の力に引きずられてボロボロになってしまうのは、こんな変態猫とはいえ気が引ける。


 学院の授業は王都の外で行われるものもあると聞くし、クロを女学院に立ち入らせるのは今から気が重いが、仕方ないことなんだよね……。


「表立ってルナ様の従者としてお側にいられればよかったのですが……申し訳ございません」


「それはツバキさんのせいではないですよ。『ホワイライト』は新興貴族ということになってますし、いくら陛下でも空きがない従者枠にねじ込むのは無理があったのですから」


 ツバキさんは暗に『私の一族が特殊なせいで』と言っているような気がして、僕はあえて別の事実でフォローを入れた。

 滅多なことではないだろうけど、陛下が気づかれたように、ツバキさんの隠形に気づいて、その血に混じった闇の気配を感じ取れる者がいるかもしれない……という話があったことを気にしているのかもしれない。


「ありがとうございます、ルナ様……。ルナ様のお側に人目があるときは、私は寮のお部屋か、人目のないところで待機するようにいたします。お呼びいいただければ、いつでも、すぐにお側に参りますので、どうかご安心ください」


「ええ、ありがとうございます。ツバキさんにも苦労をかけますが、よろしくお願いしますね」


「――は。お任せください、主様」


「忍っ娘よ、すぐに仕事『もーど』になる切り替えの速さは見事じゃが……ぐふふっ。その格好で膝をついてもよいのか? 見事に見えておるぞ? ……ふむ、白か。おそらくこやつに合わせたのじゃな? いじらしいのぅ~」


「主様にお見せして困るようなパンツは履いておりません」


「ドヤ顔で言われてものぅ……眼福じゃが」


 僕はチラッと見えてしまった白いものから慌てて視線を外し、用意されていた鞄を手にして立ち上がった。


「そ、そろそろ行かないと……ほら、クロも早く」


「おいこら! 妾を置いていくでない!」


 屋敷の玄関ホールで、いったんツバキさんとはお別れだ。


「いってらっしゃいませ、主様」


 扉が閉まるまで、深く腰を折って見送ってくれるツバキさん。

 そのメイド服ならそこは『ご主人様』って言ってほしかった……いやいや。


 僕は、慌ててその邪な想像を振り払うと、『お主も白なのじゃろ? ほれ見せてみぃ』と足元をチョロチョロして中身を覗こうとするクロからスカートを守りつつ、輝光士女学院がある南東区へ向けて歩き出した。


 ――僕に、普通の学院生活というのがちゃんと送れるのだろうか。


 ――陛下が言う学院の問題はどのようなものなのだろうか。


 ――こんな秘密だらけの僕のお嫁さんになってくれる女性など、本当にいるのだろうか。


 そんな、大きな不安と、小さな期待を胸にして。


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