008.夢~月の光は太陽の光~
――これは夢だ。
他人と比べたことがないからわからないけど、僕にはこういう『夢だと分かる夢』(明晰夢というのだろうか?)を見ることが多くあった。
星導者として天秤月の女神から無言のお告げ(矛盾しているが、頭にイメージが送られてくる)を受けるときの感覚に似ているが……今日のこれは、ただの夢だ。
たいてい、僕は夢の中で、僕自身を眺めている。
毎回、場所も時間軸も登場人物もバラバラだが……今日は、どうやら過去の自分を見せられているようだ。
*****
それは、深まりきった秋が冬へと変わる前、天秤の月(10月)の満月の夜。
王都の西区の外れにある、小さな湖のほとり。
そこに建つ古ぼけた教会の礼拝堂に、赤子の泣き声が響いている。
何事かと年嵩のシスターが夜の礼拝堂に足を踏み入れると、月明かりが差し込むことでそこだけが切り取られたかのように明るい女神像の前に、まだ生まれて間も無いであろう赤子が、純白の布にくるまれ籠に入れられて、捨てられていた。
この戦乱の時代、孤児院も兼ねた教会に赤子が捨てられているのはよくあることであったが、月明かりに照らされたその赤子を見たシスターは、なぜか神々しいものを感じて膝を折り祈らずにはいられなかった。
「ああ……女神様。どうかこの子と我らを……世界をお救いください」
シスターがそう祈りを口にすると、なぜか赤子は泣き止み、その白銀の瞳をまん丸にしてシスターの方を見ている。
「あらあら、驚いてしまったかしら、ごめんなさいね。いま、温かいところに連れて行ってあげますからね」
赤子は男の子で、月を意味する『ユエ』と名付けられ、孤児院に引き取られることになる……。
*****
いくらか月日が経ち、赤子の頭に真っ白な髪が生え揃ったことで、大変珍しがられることになる。
その赤子は不思議と夜泣きをせず、それどころか普段から泣くこともなく、本人は「だー」とか「うー」とかしか口にできないが、周りが話す言葉を理解しているかのようにうなずいたり手を伸ばしてみたりすることがあった。
そのせいか一部の年配のシスターからは気味が悪いと陰口を叩かれることがあったが、世話が楽なので若いシスターたちには大人気だった。
「ユエちゃん、まだ赤ちゃんなのに、すごい綺麗な顔をしてるわよね」
「くすっ。そうね。きっと将来は良いオトコになるわ」
「彼氏もできたことないあなたに言われてもね」
「何よ―! あんたもでしょー!」
きゃいきゃいと言い合うシスターたちの様子を、赤子はどこか引きつったような表情で見ていた。
*****
またいくらかの月日が過ぎる。
「あぃがとござましゅ、ししゅたー」
「ふふっ、どういたしまして、ユエちゃん」
白い髪の赤子は驚くべきことに、つかまり立ちを始めるより前に言葉を話し始めた。
いくつかの単語を覚えて口にしている、というわけではなく、はっきりと意味のある会話ができるのだ。
しかも、誰が教えたのでもないのに、やけに丁寧な話し方をする。舌っ足らずではあったが。
今も与えられた麦粥をこぼすことなく自分で食べ、世話係のシスターに口を拭ってもらってお礼を言っていた。
――『白い子』
同じ年に拾われたどの子供よりも成長が早い、いや早すぎる
*****
『白い子』は、歩きだしてすぐに輝光術を使って見せ、文字を覚えたいと言い出した。
世話係の若いシスターが試しに本を読み聞かせてみれば、数日後には孤児院にある子ども向けの本をすべて自分で読んでしまい、難しい言葉で書かれた教会の聖典まで読み始める始末。
「子どもたちが将来自立できるために」と開かれている教室に参加し始め、読み書き計算は何年も年上の子供よりも上手くできるようになった。
普通なら手をかけられて然るべき時期に、逆に孤児院の手伝いをしたいと言い出すくらい。
そんな活発に動く子供なのに、夜になるとなぜかじっと月を見ていることが多かった。
大人たちは腫れ物を触るかのように『白い子』を扱い、年上のやんちゃな子どもたちは「なまいきだぞ!」とちょっかいをかける。
この頃にはもう、白髪の子供に普通に接するのはごく一部になっていた。
お世話係の若いシスターは、その数少ない1人だ。
「はーい、流すから目をつむっててね~」
今夜は月に一度の贅沢、お湯を沸かして身体を洗い、大桶に溜めたお湯に浸かれる日。
孤児院の洗い場で、白髪の子は世話係のシスターに頭からお湯をぶっかけられていた。
「うぅ……」
髪と同じ色の泡が洗い流され、シスターの股の間にちょこんと座った白髪の子が身を縮こまらせた。
「やっぱりお湯で身体を洗えるのは気持ちいいわよね~、ユエちゃん。ほら、そんな座ったままだとお湯に浸かれないから冷えちゃうよ。もうちょっとこっちにもたれてね」
そういってシスターは深くない大桶の中で身体をずらし、足の間に座らせていた子供を引き寄せた。
「う……」
当然ながら両者とも素っ裸で、若い女性と子供とはいえ大桶は2人で入るには狭く、密着することになる。
修道服を脱ぐと意外と『ある』シスターのソレに、白髪の子は後頭部を埋めることになり、その小さな体をさらに身を縮こまらせた。
「どうしたのユエちゃん? せっかくのお風呂なんだからもっとリラックスしないともったいないよ? ありゃ、顔を赤くしてどうしたの?」
白髪の子は他の子よりも肌が白く、その変化が分かりやすい。
肩越しに覗き込んだその顔が、恥ずかしそうに真っ赤になっているのを見て、シスターは淑女らしからぬニヤッとした笑みを浮かべた。
「はは~ん、ユエちゃん、お姉さんのハダカを見て恥ずかしがってるの~? まだ3歳のくせに、そういうとこはオトコのコだね~」
「ちちっ、ちがいますっ。ぼくはっ……その……」
「このおませさんめ~。うりうり~。ほーら、おっぱいでちゅよ~」
「わわっ!? やめてくださいっ。む、むねが……!」
「こーら、暴れないの。お湯がもったいないわよ?」
「う、うぅ……」
*****
夜の湖畔。
5歳ほどになった白髪の子供が、水辺にある小さな岩に腰掛け、今日も月を見上げていた。
「……」
最近は、孤児院の状況があまり良くない。
出される食事は種類が減り、皿の数が減り、やんちゃな子どもたちが『もっと』とねだる様子をよく見かける。
大人たちは、どこどこの誰が亡くなっただの、どこかの国が危ないらしいだの、暗い噂話をしている。
どうやら、この世界で起こっている『闇族』という人と相容れない存在との戦争が、ここにきて更に劣勢になっているようだ、と白髪の子は思った。
そんな中で、小さな慶事があった。
白髪の子の世話係だったシスターが、街の青年と恋に落ち、先日孤児院で結婚式を挙げたのだ。
ちょうど付き合っている頃だっただろう、なぜか相手の青年の愚痴や相談といった話をよくされたのを思い出す。
それが功を奏したのか(?)、めでたく結ばれた2人の結婚式で、白髪の子は新婦のベールボーイ(新婦の長いベールの裾を持つ役)を頼まれ、数年間お世話になったシスターの幸せそうに輝く笑顔を間近で目に焼き付けることとなった。
白髪の子も大いに祝福し、家庭に入るというシスターを送り出したが、そうなるとついに、白髪の子に孤児院で純粋に味方をしてくれる人間はいなくなった。
自分でできるからと新しい世話係がつくことはなく、余裕がない大人たちからは煙たがられ、時に心無い言葉を吐かれることもあった。
白髪の子はそれでも丁寧な姿勢を崩さず、人前では困ったような笑みを貼り付け、掃除・炊事・洗濯・小さな子たちの世話など、割り当てたれた以上のお手伝いをこなしていたが、褒められることも、感謝の言葉もなかった。
異質なものに敏感な子どもたちからの反応は顕著で、子供らしい遊びをしない白髪の子に対するちょっかいは過激になっていき、ついには無視され、孤立していた。
そうして自由な時間は1人でいることがほどんどになった白髪の子は、こうして湖畔にやってきては本を読みながら日光を浴び、輝光術の練習をして、夜になれば月光を浴びながら月を見上げるという生活を送っていた。
「また……独りになっちゃったな……」
親を知らない。
友を知らない。
自分を必要としてくれる人はいない。
そのことは白髪の子の『不思議な記憶』にある限りでは、『2度目』のことのように思えた。
しかも『今回』は、明らかに人とは違う容姿というおまけつきだ。
誰よりも努力して、誰よりも優秀であっても、それで必要とされるのはその力や知識や立場であり、自分自身ではない。
利用するだけ利用されて――最後は捨てられる。
「でも僕は、この生き方しか知らないからなぁ……そんな僕がなぜ、また……」
白髪の子が見上げた2つの月にそう溢してみても、当然ながら月は何も言わなかった。
「……っ……えっく……」
その代わりに、何か軽いものが下草を踏む音と、かすかな嗚咽のような声が聞こえてくる。
白髪の子が視線を地上に戻すと、孤児院の方角にある林から、1人の女の子が出てきたところだった。
顔立ちは将来美人になりそうな、優しげで綺麗なもの。
晴天を思わせる明るい青の髪を伸ばしていて、夜だというのに頭をすっぽり覆うような帽子をかぶっている。
でも今はそれがズレてしまっているのか、髪の間から少し尖った耳が覗いていた。
年の頃は白髪の子よりも少し上くらいだろうか。同じくらいの女の子と比べても背が高く、発育が良いように見える。
誰かがいるとは思わなかったのか、涙に濡れた青い目をまん丸にして、湖畔を背に月光を浴びる白髪の子を見ていた。
「ようせいさん……?」
「違いますよ」
「わわっ、ご……ごめんなさい。すごくきれいなおんなのこだなっておもったから、てっきり……」
「よく間違えられますけど、僕は男ですよ」
「ご、ごめんなさい……」
「いえ、気にしないでください。僕はユエといいます。あなたは?」
「わたし……? わたしは―――っていうの……」
おどおどした様子で告げられたその名前は、白髪の子には聞き覚えがなかった。
きっと、つい最近孤児院に来た子供なのだろう。
「それで、こんな時間にこんな場所で、どうしたのですか? 何か、悲しいことでもあったのですか?」
「そ、それは……」
孤児院では……というより、この世界では光を尊ぶのとは逆に、夜や闇は怖いものと子供の頃から言い聞かせられる。
『夜更かしする子は、闇族がやってきて食べられちゃうぞ』『悪いことをすると心に闇が生まれて、闇の獣になってしまうぞ』といったふうに。
「う……ぐすっ……うぇぇん……」
白髪の子に尋ねられた青髪の女の子は、また何かを思い出してしまったのか、大粒の涙をこぼし始めてしまった。
「あぁ、すみません……まずは落ち着いてください。ほら……」
白髪の子は立ち上がり、涙を拭いすぎて濡れてしまっている青髪の女の子の手を引くと、先程まで座っていた岩の上に座らせる。
そして座ることでちょうどいい位置まで下がったその頭を抱きしめると、乱れてしまっていた髪を梳くように優しく撫でた。
「こうすれば何も見えませんし、この場所は誰も見てませんから」
「うぅ……うわぁぁぁぁんっ! おかあさぁぁぁんっ! おとおさぁぁんっ! えぇぇんっ!」
優しくされて気が緩んでしまったのか、青髪の女の子はついに大声で泣き出してしまった。
こうして抱きしめるのは、世話係のシスターが、白髪の子に時々してくれたことだった。
思い返せばそれは、礼拝堂に仲が良さそうな親子が来た後だったり、大人たちの陰口を聞いてしまってから部屋に戻った時だったので、もしかすると自分は寂しそうな顔でもしていたのかもしれない。そう白髪の子は思った。
しばらくして泣き止んだ青髪の女の子は、白髪の子が優しく尋ねた『悲しいこと』についてぽつぽつと答えてくれた。
父が闇族との戦いに行ってしまったこと。そして、二度と帰ってこなかったこと。
母が病気になり、薬を買うために必死に助けを求めたが、誰も助けてくれなかったこと。
そして、母も亡くなってしまったこと。
途方に暮れている時に怖い男の人達に攫われそうになり、輝光騎士団の人に助けてもらったこと。
そうして数日前に孤児院にやってきたが、一生懸命話しかけたりお手伝いをしても、大人たちは冷たい目で見るばかりで、同年代の男の子たちから「はーふ」と言われイジメられてしまったこと。
夜になり、どうしても悲しくなってしまい、でも部屋で泣いてしまえば同じ部屋の他の女の子たちの迷惑になるからと、怖い夜の中でも1人になれる場所を探してここまでやってきたこと。
「そうだったのですね……」
青髪の女の子が語ってくれたのは、これくらいの歳の女の子には壮絶すぎる……でも、今の世の中では『ありふれた悲劇』だった。
「きっと、わたしおかしいの……このみみも、みんなとちがうし……」
少し尖った耳を隠すように、帽子を引っ張り深く被り直す青髪の女の子。
耳が尖っているのは、ここより東の方に住む『
本には『光樹族は生まれた土地から移動することは少なく、光樹の側で育ったものが光樹から長く離れていると身体に悪影響を及ぼすことがある』とも書いてあった。
おそらく、病気になった母親のほうが光樹族で……といったところだろうと、白髪の子は思った。
あと、孤児院の男の子たちからイジメにあったというのは、好きな子にイタズラをしてしまうアレだろう。
青髪の子の顔立ちは整っているし、歳の割に発育がいい場所が目立っているからだ。
白髪の子は、しょんぼりした様子の青髪の子の隣に座ると、唐突に切り出した。
「僕の見た目、どう思いますか?」
「え……? とってもきれいで、かわいいなって……」
「ありがとうございます。あなたも、とても可愛らしいですよ」
「ふぇっ!? あ、ありがとう……」
「それでいいのではないでしょうか」
「ふぇ……? どういうこと……?」
「僕は……僕の髪は、真っ白です。この世か……ルクシオールでは、白は光に最も近い色として尊ばれて……ええと、すごいものとされています。でも、それがヒトの髪の色になったとたん、『誰も持っていないもの』ということで、変な目で見られてしまうのです」
「……キミも、イジメられてるの……?」
「まあ、そんなところですね。でも、あなたはそんな僕の見た目を『綺麗で可愛い』と言ってくださいました」
「うん! おかあさんとご本でよんだ、『こうじゅ』のようせいさんかとおもったもの」
「ハハ……それってたしか、小さな女の子の姿をしてるっていう存在ですよね……」
「そうだよ? あのご本をよんだことがあるの?」
「え、ええ」
青髪の女の子が屈託なく首を傾げる様子に、白髪の子は内心でガックリきていた。
白髪の子は『僕は男なんだけどな……5才児だし、見た目は仕方ないか』とか『将来は男らしくなれるといいな』とか思いつつも、話を戻しにかかった。
「ええとそれで、僕もあなたのことを見て『とても可愛らしい』と思ったわけです」
「あぅ……」
照れているのか、月明かりに照らされた頬を赤く染める青髪の女の子。
白髪の子はそれを改めて可愛らしいなと思いながら、優しく言葉を紡いでいく。
「あなたが『おかしい』と思うあなたを僕は可愛らしいと思いましたし、僕が『変な目で見られるからと嫌だ』と思っていた僕をあなたは『綺麗で可愛い』と言ってくださいました。見た目というのは人の印象を決定づける大きな要素ではありますが、それが全てではないと、あなた自身が言ってくれたのです」
「ふ、ふぇ……むずかしくてわからないよ……」
「そうですね、簡単に言えば……『みんなと違うからといって、それを良いと言ってくれる人もいるので、それ以外の人が言うことは気にしなくていいですよ』ってことです」
「わたしにとってユエくんは、わたしをへんだとおもわない……いいっていってくれるひとってこと……?」
「はい。そうですね」
「そうなんだ……ふふっ、なんだかうれしい」
「僕も嬉しいですよ」
「よかったね」
「ええ」
「ふふっ」
「ははっ」
どこからともなく笑いあった2人。
しばらくその笑い声が静かな湖畔に響いていたが、ふと思い出したように、青髪の女の子が白髪の子に言う。
「そういえば、ユエくんはここでなにをしていたの? シスターさんが、あぶないからよるはでかけちゃいけませんっ! っていってたよ?」
「そうですね……たしかにそうですけど、どうやらななぜか僕は陽の光だけじゃなくて、月の光も浴びないといけないようでして。こうして夜に抜け出しては月の光を浴びて、ついでに輝光術の練習もしていたのですよ」
「そうなの? ユエくん、もう『きこうじゅちゅ』がつかえるんだ」
「ぷっ……はい、使えますよ、『きこうじゅちゅ』」
「あー! わらわないでよぅ! 『輝光術』、でしょ! それくらいいえるもん! あ、ユエくんはいくつなの?」
「今年で5つになりました」
「それでもう、輝光術! ……をつかえるなんてすごいね。でも、わたしのほうが2つ『としうえ』だもん! おねえさんをからかっちゃ、『めっ』なんだよ!」
「それは失礼しました、レディ」
「なにそれ……? ふつうによんでよ~」
「わかりました、―――さん」
「うん! それでよろしい!」
「院長先生のマネですか?」
「そう! ふふっ!」
また、笑い声が湖畔に響く。
「ねぇ、ユエくん。どんなことができるの? おかあさんが『夜に輝光術を使うのは難しいのよ』っていってたけど……わたしでもできるかな?」
「そうですね……ちょっと、失礼しますね」
「ふぇっ!?」
白髪の子は、興味津々といった感じで身体を乗り出していた青髪の女の子の頬に両手を添えると、そっと目を閉じた。
白髪の子の手が淡く輝き、青髪の女の子は熱くなった頬とは別の、優しい熱が身体を巡っていくのを感じた。
「これは……すごいですね。―――さんは輝光力を蓄えておく力が強いみたいです。これなら、昼間にたくさん日光浴をしておけば、夜でも輝光術を使うのに困らないでしょう」
「ほわぁ……」
「―――さん?」
「な、なんでもないよっ、うんっ。ユエくんのおはなしはむずかしいけど、おひさまをいっぱいあびておけば、わたしもできるかもっていうのはわかったよ!」
「その通りです。たとえば、こんな……」
青髪の女の子の両頬から手を離した白髪の子は、片手の人差し指を立てると、その先に淡く輝く光球を生み出した。
光球は次々に生み出され、ふよふよと辺りを漂い出す。
「わぁ……! きれい……」
それは、月明かりに照らされた湖畔で光の妖精が戯れているかのように幻想的で、青髪の女の子にとってはその光景を作り出している白髪の子自体もとても輝いで見えた。
「すごいすごーい!」
目を輝かせ光球を追いかけるように走り回っていた青髪の女の子は、やがて立ち止まると白髪の子のほうを振り返る。
「あっ、あのねユエくん……」
頬を染めてもじもじとしていた青髪の女の子は、意を決したように胸の前で両手を握る。
「ユエくんは、いつもここにいるの……?」
「はい。月が出ている日は……曇ったり雨じゃなければ、ここにいますよ」
「そっ、そうなんだ……わたしも、またきてもいいかな?」
「もちろん、歓迎しますよ。他の子みたいに遊んだりはしないので、僕と一緒にいても退屈かもしれないですけれど」
「そんなことないもんっ。わたしは、ユエくんと、その……もっとおはなししたいっておもったもん」
「それは光栄ですね」
「こうえい?」
「嬉しいです、ってことです」
「うん! わたしも、うれしい!」
ガバッと。青髪の女の子は全身で喜びを表現するかのように、白髪の子に抱きつき……というより頭を抱き寄せてその胸に埋めさせ、サラサラの白髪を堪能した。
「わぷっ!? ど、どうしたんですか急にっ」
白髪の子は白髪の子で、顔に押し付けられる年齢不相応な柔らかさやら、女の子特有の甘い香りに混じって不思議な森の香りがするやらで、顔に白い肌のせいで余計に目立つ朱色を浮かばせてジタバタともがいていた。
「えへへ……わたし、ユエくんよりおねえさんだから。ユエくんはおとうと? なの。おとうとがうれしいことをいってくれたら、おねえさんはほめてあげるものなの! さっきユエくんがやってくれたみたいに、よしよし~って」
「わ、わかりましたからっ。どうか離してくださいっ」
「だ~め! ふふふっ」
そうしてしばらく、晴れた日は夜が来るたびに、湖畔には2人の姿があった。
ちょっと背伸びしてお姉さんぶる優しい青髪の女の子と、その女の子に弟扱いされる落ち着いていて不思議な雰囲気の白髪の子。
2人は、その日にあった事や街での噂などのとりとめないことを話したり、一緒になって輝光術の練習をしたり、共にに多くの時間を過ごすことになる。
余談だが、青髪の女の子に白髪の子を抱き寄せる癖ができてしまい、その胸に顔を埋めさせられるたびに白髪の子がジタバタともがくことになるのだった。
*****
とある年の初夏の日。
――この日、白髪の子にとって、その後の人生を決定づける出会いをすることになる。
7歳になり少し背が伸びた白髪の子は、それでも自身よりも長い箒を手に、シンと静まり返る礼拝堂の掃除当番を1人で淡々とこなしていた。
隅々まで掃き終わり、白髪の子が軽く滲んだ汗を拭ったところで、不意にその背に声がかかった。
「そこのキミ、少し良いかい?」
「あ、はい! いま参ります」
返事をして声がした方を見ると、礼拝堂の入り口に、外の光を背にした人影があった。
声からすると女性のようだが、人影はまだ本格的な夏は遠いとはいえ、この暑さの中で全身を覆うような白いローブを身に着けていた。
一瞬、旅人かとも思ったが、このご時世に旅など危険すぎるし、ローブの布地は全くといっていいほど汚れていない。それどころか、どこか上質の生地でできているようだった。
白髪の子は手早く箒を片付けると、施設の者として客を待たせていることになってはいけないと、下品にならない程度に足を早めて人影のもとに向かう。
「おまたせいたしました。本日はどのようなご用件でしょうか? 申し訳ございませんが、午前の礼拝は終了しておりますので、礼拝にご参加されるということであれば、また午後にお越しいただくことになってしまいますが……あの、どうかされましたか?」
白髪の子が近づくに連れ、ローブの女性はフードの下で目を見開き、顔を驚きに変えているようだった。
「あ、ああ、すまない。私はサリアというものだ。城で働いている」
どうしたのかと問われた女性は、フードを背中側に下ろしながら自己紹介をする。
赤髪が特徴的な、妙齢の美人だ。
白髪の子に面識はないはずなのだが、彼女は先程から白髪の子の顔から目を離さないでいた。
「城の者が聞いた、孤児院にとびきり優秀な女の子がいるという噂を聞いて勧誘にやってきたんだが……もしや、キミの名前はユエというのではないだろうか?」
白髪の子は、話の前半では頭にあの青髪のお姉さんが思い浮かんだが、後半のはっきりと個人を指す言葉に、その考えが外れていることを知った。
「女の子と言うのでしたら、別の子だと思います。ユエというのは私のことですが、私は男でございますので」
「そ、そうなのか? 城の者の話では『白髪の、とても賢くて愛らしい子』ということだったからてっきり……」
「よく間違えられますので、お気になさらないでください……」
「いや、失礼した。たしかに、先程からとても言葉遣いがしっかりしている。……うちの娘も見習ってほしいくらいだ……」
赤髪の女性は、剣と輝光術の腕だけはすくすくと育っていく娘の姿を思い出し、思わずといったふうにため息をついていたが、目の前に自身の娘よりもかなり年下の子供がいることを思い直すと、姿勢を正した。
「ゴホンッ。いや、これまた失礼。噂の子とはキミのことで間違いなさそうだ。それにまさか……これほど似ている、いや生き写しのようだとは……」
「似ている……? 失礼ですが、誰に――」
「おーい、ししょー! まだ入っちゃだめなのかー? これ被ってると暑いんだけどー? って、おお……? おおおおぉ?」
白髪の子が赤髪の女性に訪ねようとした時、今度は女性よりも小さな……ちょうど白髪の子と同じ背丈の影が礼拝堂の入り口に立ったかと思うと、驚きのような声を上げながらあっという間に近づいてきて、白髪の子の顔を覗き込んだ。
「おー! すっげー! ほんとにオレだーっ!」
目の前に迫った顔はフードと逆光でよく見えないが、白髪の子もなぜか、相手の顔から目が離せない。
どうして、会ったことがないはずの相手の声に、聞き覚えがあるのか……。
どうして、青髪の子に抱きしめられるときとは違う種類の、何か予感めいた鼓動の高鳴りを感じているのか。
「で、殿下っ! 外でお待ちになっていてくださいと言ったではないですか! それに、人前では師匠と呼ばないでくださいとお願いもいたしましたよねっ!?」
「師匠こそ、オレを誰かの前で『殿下』なんて呼んでよいのか?」
「し、しまっ――」
「殿下……? もしかして、王族の方ですか……? そ、それは大変失礼いたしました。ご無礼をお許しください」
慌てて膝をついた白髪の子。
それを見て、殿下と言われた少年は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「あー、そういうのはメンドクサイからいいっていいって。今日は『おしのび』ってやつだからな! ワクワクするよな! ってことで、もうバレちゃったし、これ取ってもいいよな?」
「殿下……もう少し、お立場に見合った振る舞いを……」
「いいだろ、今日くらい。ホラ、お前も立て。よいしょっと!」
その綺麗な眉間に皺を寄せてしまっている女性に向かって手をヒラヒラとさせた少年は、跪いていた白髪の子の手をつかむと、自分と同じくらいの体重の相手を持ち上げるために気合を入れて引っ張り上げる。
その拍子に、被っていたフードが剥がれ――。
「えっ……僕……!?」
勢い余って間近に迫った2つの顔。
それは鏡写しと言っていいほど、『同じ』と言えた。
驚きの表情を浮かべるのが白髪の子で、ニカっと人の良さそうな笑みを浮かべるのが、輝くような金髪が眩しい殿下と呼ばれた子。
白髪の子にとって声に聞き覚えがあるのもそのはず。白髪の子のほうがわずかに高いだけで、金髪の少年の声とは聞き分けが難しいくらい似ていたのだ。
金髪の少年はつかんでいた手をブンブンと上下に振ると、驚いて固まっている白髪の子にはお構いなしに口を開いた。
「オレはアポロ! アポロニウス・ジェス・クレスト・センツステル! 長いからアポロでいいぞ! よろしくな、ユエ!」
――これが、白髪の子……僕にとって唯一無二の……世話が焼ける主であり、苦楽を共にする友であり、兄弟のように笑い合う時間を過ごした、アポロとの出会いだった。
*****
――これは夢だ。
夢だから、ただ見せられているだけで、僕の意志ではどうすることもできない。
忘れてなどいないというのに、何度も見せられる『この先』を、僕はまた、見ていることしかできないんだ……。
*****
世界に、闇が迫ってくる。
「間に合え……! 間に合え……!」
――間に合わない。
空は分厚い雲で覆われ、地上に向けて絶え間なく雨を吐き出し続けている。
まだ昼間だというのに、北の空はまるで夜のような……いや、夜よりも暗い闇で覆われ、雨に打たれる地上もまた、明るい部分を侵食するかのように闇が蠢いていた。
「間に合え……! 間に合え……!」
――間に合わないんだ。
その蠢く闇の中を、ぬかるむ地面をもろともせず、尋常ならざる速さで疾走するのは、輝く細剣を手にした人影。
顔をすっぽりと隠すような仮面を着けているその人物は、体格や漏れ出る声からまだ少年と言える年頃の若い男だと分かる。
まるで光の速さに届けとばかりに疾走し、その白い髪と手にした細剣が残像となって闇の中に白い線を引いていく。
仮面の少年が手にした細剣を一振りすれば、行く手を阻もうと蠢く闇の中に稲妻のような光線が奔り、少年の行く先と地上を照らし出した。
街道を染めるおびただしい量の赤や、脇に転がっている真っ黒になってしまった
「もうすぐ……! もうすぐなんだ……!」
――だから、もう遅いんだって。
少年が起こすものとは違う、天から本物の稲光が奔り、少年の向かっている方角に大きな砦を浮かび上がらせた。
その砦に近づくに連れ、戦いの『痕』がひどくなってくる。
酒癖は悪いが面倒見がよく、豪快に笑うのが印象的な親父がいた。
神経質だが将来の子どもたちのためにと戦う、眼鏡の青年がいた。
男達を足蹴にする粗野さでも、甘いもの好きな姉御肌の女がいた。
他にも、『殿下』を慕い共に戦ってきた仲間たちが、大勢いた。
すべて、死んでいた。
「――っつ」
噛み締めた唇から血を流しながらも、見たものすべてを振り切って走る。
既に数百kmもの距離を駆けていたとしても。
走る。
走る。
走る。
――だから、やめて。
誰もいない砦で仮面を脱ぎ捨て、白髪の少年は走り、叫ぶ。
「アポロォォォッ! どこにいるのっ、返事をしてよっ……! アポロォォォーーッ!!」
――この先を見せないで……。
「ユ……エ…………?」
「アポロッ!?」
飛び込んだ総司令室。
砦の中の最後の砦であるそこで、少年が探し求めた相手が、瓦礫の中からかすれた声を上げた。
「待ってて! いま助けるからっ!」
――お願いだから……!
白髪の少年は誰も見ていないからこそ使える真の力で瓦礫を浮かすと、脇へと慎重にどけていく。
そうして顕になった『彼』は……。
「……よう、ユエ……ヒュー……早かった、な……」
「あ……あぁっ……」
生きているのが不思議なくらいの、無惨な有様だった。
肺が潰れているのか、弱々しい吐息には喘息のような雑音が混じり。
右足は膝から下がなく、あの礼拝堂で白髪の少年を引っ張り上げ……同じ場所に剣ダコを作り……共に笑いながらむせるほど強く背を叩いてきたあの右腕は、真っ黒に変色し。
右胸にある大きな傷からは、血に塗れた砕けた心結晶が覗いていて、まるで命がこぼれ落ちるかのように、ただの淡い光にしかならない輝光力を溢れさせていた。
「どう……した……、グッ……ひでぇ……顔だぜ……? オレと……ヒュー……同じ顔だけど、な」
「あぁっ……そんなっ……アポロォ……」
心結晶が砕かれている。
それは、輝光術に由来する治療を受け付けなくなってしまう、この世界の人間にとっての決定打のひとつ。
服が血に汚れるのも気にせず、震える手でそっと同じ顔の金髪の少年を抱え起こした白髪の少年は、その事実に打ちひしがれ、既に涙を溢れさせていた。
「泣くな、よ……王太子は……泣くもんじゃ、な……ッ……ないんだぜ?」
「アポロ……アポロ……」
「オレが……ヒュー……泣いたこと、あったか……?」
「ぐすっ……あったでしょ……。クレアさんにいたずらして本気で怒らせたときとか……ティアナ様にバ……暴言を吐いて怒られたときとか……」
「はは……そうだった、な……。ゴホゴホッ……! さすが、ユエだ……よく覚えてやがる……」
そう言って金髪の少年は、血に濡れた唇をわずかに笑みの形に歪めた。
「なぁ……ヒュー……やくそく、おぼえて……るか……?」
「うん……! うん……! 2人で絶対叶えようって……!」
「ぐっ、ガフッ……! ユエ……たのむ……オレの……オレたちの夢を……、王国や……世界の、人達がっ……! 幸せに暮らせる、世界をっ……! つくって……く……れ……」
「アポロ……?」
「――――」
「そんな……いやだっ……あぁ……うわああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――っ!!!!」
――この日、僕の2度目の人生を照らしてくれた、僕にとっての太陽は、光を失い、沈んだ。
*****
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