007.溜まる熱~欲情してはいけない浴場~


「はぁ~~……生き返るぅ……」


 1人で入るには十分すぎる湯船に身を浸し、僕はその気持ちよさに思わず声を上げてしまった。

 本日2度目の入浴だが、僕は風呂が好きなので何も問題はない。


 旅の間はお湯で身体を拭くなどで済ませていたので、風呂に入る機会など片手で数える程しかなかったし。その数少ない機会でも、お湯の量は少なく半身浴といった感じで、僕にとっては物足りなかった。


 ここは王城での僕の部屋。

 王太子アポロの部屋ではなく、影武者をしている時期にも過ごしていた、正真正銘の僕の部屋だ。

 昼間に訪れたお忍び用の客室のように王城の奥まった場所にあり、この部屋につながる廊下の入り口には【幻影】の輝光具を置いているので、仕掛けを知らない人はただの行き止まりがあるように見えるだろう。


 この国においても風呂は贅沢の分類に入り、王城と言えども個人の部屋に風呂があるなどは珍しいのだが、風呂好きの僕は自分作ってしまった。

 光結晶を加工し、昼間に日光を受けて輝光力を作り出し蓄えておく『光炉』を開発したことで、光の力が弱まり輝光術が使いづらくなる夜でも、薪などを使わずに湯を沸かせるようになったからだ。


「流石に今日は、疲れたなぁ……」


 王都まで歩いたこと、謁見でのことはもちろん、両陛下との夕食は慣れないドレス姿のままだったので、汚してしまわないように気を使うのが大変だった。


 より深く湯船に身を沈めると、じわじわと熱が身体に行き渡っていく感覚がたまらなく、しばらくそのままボーっとしてしまう。

 浴室の明かりを反射して輝く長い白髪が、湯の中を漂っている。それを何となく目で追ってると、ふと……気づくことがあった。


「……胸って浮くんだね……」


 それに(なんだか恥ずかしくて直視できないけど)、骨格の違いから付き方が異なる両足の付け根の間には、やはり何ない。


 そんなふうにどうでも良いことに気づくぐらい、全力で気を抜いていたからだろうか。


『――失礼します、ユエ様』


 脱衣所と浴室を仕切る曇りガラスの扉の前に立った侵入者の姿に、僕は気づくのが遅れてしまった。

 扉が開く前に慌ててそちらから視線をそらし、背を向けることに成功する。


「ツ、ツバキさんっ!? どっ、どどどうしたんですかっ!?」


「ユエ様のご入浴のお世話を……と思いまして……」


 しまった! 昼間は先に聞かれたから丁重にお断りできたけど、疲れてて今回は言うのを忘れてた!


「ぼ、僕たち、いまハダカですしっ! ほ、ほらっ、忘れてるかもしれないですけど、僕の中身は男なんですよ男っ!」


「忘れてなどおりません……。でも、今日は大丈夫……ですよね……?」


「そ、それはそうですけど……」


 謁見の間であんな話があったからだろうか。

 ツバキさんの『忘れてなどおりません』という言葉が、やけに艶っぽく聞こえてしまった……。


 ツバキさんは仕事モードのときは『できる従者』という感じだけど、普段は僕のお世話をしたくてたまらない、優しくて可愛いお姉さんといった感じになってしまう。

 風呂場というシチュエーションも相まって、いつも以上にドギマギしてしまった。


「それに、ユエ様がそうおっしゃると思って、湯浴み着を着ておりますので、問題ございません」


「あ、そうだったのですね。それなら……うっ!?」


 一瞬「湯浴み着ってどんなだろう? 水着みたいなものかな? なら着ていないより全然大丈夫でしょ!」と思った自分の頭を殴りたい。

 というよりも、振り返った先にいたツバキさんの姿を見て、僕は頭を殴られたような衝撃を覚えた。


 ツバキさんが言う湯浴み着……それは簡単に言ってしまえば、薄手の生地で作られた白い浴衣のようなものだった。浴衣と言っても袖はなく、丈は彼女の大事なところをギリギリ隠している程度に短い。東方の衣服の多くがそうであるように、前で重ね合わせた布地を腰のあたりで紐で結んで留めている。


 たしかに、大事なところはギリギリ隠されている。


 隠されているけど……襟を開くように布地を大きく押し上げている胸元や、健康的な太ももなど、普段の格好だと光から素肌を隠すために見えていないツバキさんの素肌が強調されて、とても刺激的だ。


 さらには、現実の風呂場に存在するのは不自然な濃さの『湯気さん』ではなく『湿気さん』なので、その湿気で薄手の布地は現在進行系で湿り気を帯び徐々に肌に張り付いて、ところどころその色を白から透かした肌色へと変えていくのがバッチリ見えてしまった。


 顔が熱くなり、ドクンドクンと心臓が早鐘を打っていく。


 頭のどこかで視線を外さないといけないのは分かっていたが、その湯浴み着の下がどうなっているのか『忘れていない』のは僕も同じで、その時の記憶が頭の中で駆け巡り、結果として全く動けずにいた。


「ユエ様……?」


 僕に見られていることに気づいたツバキさんはほんのりと頬を染め、自身の格好を確認するかのように、身体を捩った。

 その動きに合わせて揺れる双丘の頂……に透けて見える桜色にガッチリ視線を奪われていると、恐るべきことにツバキさんは、上目遣いで、より頬を染めながら、


「あの……ヘン、でしょうか?」


 ――僕にトドメを刺しにきた。


 ドクンッ、と。


 一際強く脈打った心臓からお湯の熱さとは別の熱が溢れ出し、身体の中を伝って下腹部に落ちていくのを感じた。

 その熱は下腹部に到達すると何事もなかったかのように消え……同時に冷水を浴びたかのように頭の中に平静が戻ってきた。


 やってしまった……この感覚は……。


「(うぅ、これはまた『溜まって』しまったな……)」


 思わず換気窓から覗く夜空を見上げ、天空の大きな2つ並びの輝き……天秤月を確認する。

 2つの月は細く上弦を描いていて、まさに並んだ天秤皿のよう。

 この前に来たばかりだから、まだ『アノ日』は遠いようだ……。


「ユエ様……?」


「……いえ、何でもないです、ツバキさん。ちょっとかなり刺激的ですけど、ヘンではありません。健康的で、お綺麗ですよ」


「あ、ありがとうございます……。ユエ様も、旅の間にお身体を拭かせていただくときも思いましたが、改めて見てもこの世のものとは思えないほどお綺麗なお肌です」


「そうなのでしょうか? 特に何もしてないですし、自分ではあまり意識しないようにしてるので……」


「(なんと羨ましい……)」


「そ、そんなにじっと見られると、なんだか恥ずかしいのですが……」


 見た目だけならまんま女性同士だし、僕が照れるのもおかしいのかもしれないけれど。


「失礼いたしました。それはそうと、ユエ様。改めまして……ご入浴のお世話をさせていただきます」


 ツバキさんはそう言って一礼すると、手にしていた風呂桶から入浴グッズをあれやこれやと引っ張り出しはじめた。


「だ、大丈夫です。ひとりでできますから……!」


「そうおっしゃらないでください……。主の入浴のお世話も従者の勤め。ですが、ユエ様はまもなく学院に入ってしまわれます。そうなるとご入浴のお世話をさせていただく機会も少なくなるかと思います」


 そうか……学院は全寮制。貴族のお嬢様が通うような場所だから、風呂自体は期待できそうだけど、他の人の目があるところでツバキさんに風呂のお世話をされるわけにもいかないか。

 風呂だけじゃなくて、学院ではそれ以外の機会も減るだろう。

 僕のお世話が大好きというツバキさんにとっては、寂しいことなのかもしれない。


「それにほら……ユエ様、御髪がそのままになっております。髪の長い女性が湯船に浸かるときは、タオルで束ねるものなのですよ。少し、失礼いたします」


 ツバキさんはそっと僕の肩に手を置いて身体の向きを優しく変えると、湯船に浸かってビタビタになっていた僕の髪をタオルで軽く吹いて水気を払い、頭の上で手早くまとめるとタオルを巻いて留めてくれた。


「もうお身体も御髪も洗われてしまったのですね……はい、このような感じです」


「おぉ……ありがとう、ツバキさん」


 ちょっと頭の上が重たいけれど、たしかに、女性の温泉スタイルといえばこんな感じだった気がする。

 僕がお礼を言うと、お世話ができて嬉しいのかツバキさんの声が弾んだ。


「ふふっ、お役に立てて何よりです。こういったことは些細な事ですが、作法に厳しい貴族の女性などは気にするかもしれませんので」


「他にもこういうこと……僕が知らないだけで、女性特有の入浴マナーとかあったりするのでしょうか?」


「ええ、ございます。ですから、私達の主様が学院で恥をかくようなことがないように……いえ、それは建前ですね……。せめて、ユエ様が学院に入られるまでは、私がこうしてお世話をさせていただきたいのです……」


 陛下は用意に時間がかかると仰せだったけど、学園に入る準備が整うまで1週間くらいだろう。

 その1周間はずっとこんな状態だとして、僕はこの刺激的な空間を耐えられるだろうか……。

 かなりの回数が『溜まって』しまう気もして怖い部分があるけども。


「ユエ様……どうか、お許しいただけないでしょうか……?」


「う……わ、わかりました。お願いします……」


 背中側から聞こえた寂しそうな声に、僕はそう答えるしかなかった。


「ありがとうございます! ……くちゅんっ! す、すみません。ユエ様の前で……」


 僕の周りにはくしゃみが可愛い女性が多いらしい。


「いえ、風呂場とはいえ、ずっとそのままだと冷えちゃいすよね。気づかずにすみません。まだ広さには余裕がありますから、ツバキさんも温まってください」


「ありがとうございます」


 並んでお風呂に入るなんて、余計にドキドキしてしまいそうだけど、ツバキさんが風邪を引いてしまうよりマシだ。僕が端に寄って他所を見ていれば大丈夫だろう。


「では手早く身体と髪を洗ってしまいますね。終わりましたら私も入らせていただきますので。あと、お疲れでしょうからマッサージもさせていただきます。少々お待ち下さい。っと……」


 シュルっと、何かを解くような音がした後……前方に固定したままの僕の視界の端に、キレイに畳まれた布……湯浴み着が置かれた。


 そりゃ、身体を洗うにはソレを着たままでは無理があるよね……。


「~~♪」


 機嫌が良さそうなのは、女性として久しぶりのお風呂でサッパリできるからか、僕がお世話を許したからか、その両方か……。

 後ろから聞こえてくるツバキさんが色々しているであろう水音に悶々としながら、僕はひたすら前だけを見続けるのだった。



*****



「ふーっ、サッパリした」


 鉄の心で(そんなものが僕にあるのかは分からないが)入浴を乗り切った僕は、従者として先に出るというツバキさんの言葉に安心したのもつかの間、ばっちり脱衣所で待ち構えられていた。

 そのままタオルで身体と髪を隅々まで拭かれて、下着とパジャマを着せられるところまでが入浴お世話セットのフルコースらしい。


 この後は寝るだけだし、苦しいのでブラは勘弁してもらった。


 ツバキさんには『ここはお城だから不寝番は必要ない』と伝えていたので、いつもの黒装束ではなく寝巻き(ちゃんと袖もあって丈も長い浴衣のようなもの)姿だったのがちょっと新鮮だ。


「あ、ユエ様。すぐに御髪を乾かして整えますので、先にお部屋でお待ち下さい」


「わかりました」


 風呂場と脱衣所の後始末をするというツバキさんに返事をして、脱衣所を後にする。


 ツバキさんが乱入するというアクシデント? はあったものの、昼間に入ったときは「ただキレイにするだけ」といった感じだったので、ゆっくり湯船浸かれたのは良かった。マッサージは気持ちよかったし、疲れが飛んだ気分だ。


 あとはツバキさんも髪のお手入れをしてもらって寝るだけ……あれ、今更だけどこんなにゆっくりお風呂に入れたのはどうしてだろう?

 いつもなら『僕が服を脱ぐ』というだけで大騒ぎするクロはどこに……。


「――むぅーーーっ! むう~~っ!」


「あ」


 リビングへの扉を開けると、そこには簀巻きにされて天井から吊るされた、変態猫から変態ミノムシ猫にジョブチェンジしたクロの姿があった。

 抜け出そうとぴょんぴょん暴れるが、相当きつく縛られているのか縄は緩む気配もない。


 誰がやったのかは、縄に貼られた『主様のお寛ぎの邪魔厳禁!#』と書かれた紙を見れば、言うまでもない。


 僕の周りには、怒らせると怖い女性も多いらしい……。

 怒りマークが描かれているところがちょっと可愛いらしいけど。


「むー! むむぅー! むぅぅぅーーー!(緊縛放置プレイは、さすがの妾でもレベルが高すぎなのじゃーっ!)」


 ……何を言ってるのか分からなかったが、分かってはいけない気もした。


「……じゃ、おやすみ」


 結局僕は、見なかったことにして寝室に向かうのだった。


「むむむぅっ! むーーっ! むっ……むふふ……(お主までどこに行くんじゃっ! このままだと妾は……美少女のあの冷たい目……縛られて何もできない妾……嗚呼、また新しい扉をっ……グフフ)」


 副音声は、聞こえないんだってば!


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