第18話
朝食、エリクは珍しく起きてきた。
ブスっとしたままシリウスを隙あらば睨み、まだ完全に癒えていない傷の包帯と湿布を貼りなぐった憮然としたままだ。
「ねぇエリク。その顔はどうしたの?」
クローディアがついに尋ねて、心臓がびくついた。どんな正当な理由があっても、シリウスがエリクをボコボコにしてしまったという事実は変わらない。しかもその理由を説明できないのだ。
もしもエリクが本当のことを喋ってしまったら、叱責を受けるだろう。いや、エリクを大切に想っているクローディアならそのまま護衛騎士を解任してしまう可能性もある。
ルッタもハラハラしながら見守っている。
「別に………野良猫にやられただけだ」
(え?)
「まあ、近頃の猫はそのように乱暴なの?」
「ああ。しかも酷い礼儀知らずでな。生意気だしやかましいし、おまけに偉そうだし。なのに体躯は小せぇ」
「まぁこわい………どうかしたのかしら、シリウス?」
「い、いえなんでもありません」
(か、庇ったのか?)
どういうつもりなのか不可解だが、シリウスとしては助かった。その代わりにどういう魂胆なんだと訝しみが沸いた。
「ねぇ、エリク。あなたは昨夜どこへ行っていたの? 今度は私も一緒に――」
「やだ。めんどう」
「いいじゃない。私も偶には外で庶民達がどのように過ごしているか知りたいのだし」
「うるせぇ。飯ぐらい黙って食わせろくそアマ」
やっぱりむかついた。
敬意の欠片もないエリクの言動は。
「お前みたいな奴が外歩いててもいつ倒れるかわかったもんじゃねぇ。おちおち酒も飲んでいられねぇじゃねぇか」
「わ、私を気遣って?(キュン)」
クローディアが乙女の顔になって、シリウスは不安になった。
ちょろくない?
僕のクローディア様、ちょろくない? こいつきっと心配してませんよ? 本心で言ってますよ? 自分の都合で考えてますよ? 良いように解釈しすぎてません?
「も、もう。素直ではないのだから。でも、ルッタもよく買い物で外に行くのでしょう?」
「はい。昨日はシリウス様に手伝ってもらいましたが」
「そ、そうなのであります。ルッタと一緒に途中入った喫茶店のお菓子が絶品でありました。是非クローディア様にも一度食べて――」
「いいえ、いいわ」
「……さようで」
そしてこの差だ。泣きたくなった。
「おっと………」
「なにをやっているんだ」
手から滑り落ちたナイフが、シリウスの元までやってきてしまった。拾おうとしたが、取りに立ったエリクの手と、触れてしまった。
つい昨夜の出来事が思い返される。
唇が触れたときの感触と、あのときのドギマギとした感情。重なった手を中心にビリビリとした痺れと共に蘇る。
「ぬがあああああああ!?」
弾かれたようにエリクの手を振り払った。
「な、なんだ!?」
「う、うるさい! テーブルマナーがなっていなさすぎだ!」
「そこまでのことか!?」
なんなんだ? という不承不承のまま椅子に座りなおした。ルッタが新しいナイフを持って来ようとしているが、手づかみで食べようとしているので、流石にシリウスだけでなくクローディアも窘めた。
「いけないわエリク。手が汚れてしまうじゃない」
「かまうもんかよ。元々住んでた場所じゃあこうやって食うのが多かった」
「もう、しょうがない人」
しかし、クローディアはどこか嬉しそうだ。まるで、そんなところも好き♡ といわんばかりに上気して、慈愛に満ちている。
「あ………そうだわ………エリク」
「あ?」
「あ~~~ん♪」
「うが!?」
クローディアは自らのスプーンで掬った料理を、エリクの口に入れた。
(あ、あ~~~ん………した………間接キスした………)
「どう? 美味しいかしら?」
「普通だ」
「もう、それじゃあ私にもしていただける?」
「ガキかてめぇは」
「ええ~~? いいじゃないのそれくらい♪」
もうズタボロだった。
心も頭も魂も引き裂かれるほどに。
こともあろうに。こともあろうにだ。クローディアからあ~~んをされるだなどと。
僕だったら幸せすぎて一生の思い出にしてできることならば使ったスプーンを永久保存にして宝物にして毎晩眺めて飾って、でもそんなおそれおおいこと願ってもできない尊くて貴重なことであるというのに。
この男はいともたやすくえげつなくクローディアのほうからさせたのだ。
(ぐ、ぎぎぎぎぎ………)
「シリウス様!? お顔のいたるところから血が出ていますが!?」
「な、なんでもないぐぎぎ………」
「なんでもないのに何故目と歯茎から血が出るのですか!? 血管もはちきれそうですよ!?」
「騎士だからだぐぎぎぎぎぎ………」
「騎士様ってどんなお体しているのですか!」
歯を食いしばりなんとか耐えてはいるものの、シリウスはもう限界だ。
エリクに今すぐ斬りかかりたくてたまらなく、剣を抜こうとしてしまおうとして抜こうとしてしまおうとしているのを繰り返している。鬼気迫る表情もあって、常軌を逸している。
「やっちゃっていいかなきっちゃっていいかなそうだにわにうめてだめだそとだクローディア様のおちかくにだなんてそうだやけんにでもくわせて―――」
「失礼いたします。よろしいでしょうか?」
「なにかしら?」
物騒になりつつあったが、庭師が入ってきて少し気が削がれた。
「お客人がお見えに」
「あら? 誰かしら? そのような知らせは聞いていないのだけれど」
「へぇ。それが第二夫人の家来の方とかで」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます