第17話

 離宮に戻ると、入れ替わりのようにしてエリクが出掛けていてクローディアが悲しそうにしていた。夕食のときも、そして夜になった今もエリクはいつ帰ってくるんだろうと待ちわびているのが痛いほど気配として離宮中に伝わっている。


 日課にした夜の見回りは、庭と鉄柵の外の周囲だけだが、クローディアの部屋にはまだほんのりと明るく、クローディアが起きているのがわかる。


(あのやろう………どこほっつき歩いているんだ………)


 もしも今このとき、呪いの発作がおこりでもしたら。そんなときエリクがいなかったらのことをあいつは考えているのか?


 窓に人影が見えたことで、余計エリクとクローディアの、互いを想いあう気持ちに温度差が感じられてムカムカが収まらない。


 離宮の入口から、鉄と鉄が擦れる、キィィ、という扉が開かれる音が聞こえた。

 行ってみるとエリクが帰ってきた。


 しかし、普通の状態ではない。酒臭く、千鳥足で顔が赤らんでいる。酔っているのだ。


「あ~~~………。今夜はよく眠れ、れ?」

「お・か・え・り。魔術師どの。ずいぶん遅い時間だなどちらに行っていたので?」

「おお~うう、お出迎えご苦労さん………なんだ今日は殊勝な態度だなおい?」

「皮肉だこのやろう!」

「あひゃひゃひゃひゃ!」


 相当飲んだのか、エリクは陽気で、余計癪に障った。


「なんだ? 魔術師は酒を飲むのも研究の一部なのか?」

「あ~、そうそう。定期的に酒を飲まねぇと魔術発動させられねぇのよ」

「嘘つけ!」

「マジマジ。魔力ってのがあってな? クローディアの薬にも込めてるもんで

日常的に使う。それを酒で補給するしかねぇのよ」

「………本当か?」

「あと薬の材料売ってる店が夜にならねぇと開店しねぇからよ。その間の暇つぶしも兼ねてな」

「絶対嘘だろお前!」

「そうだ、お前って酒飲めるか?」

「付き合わんぞ絶対に!」

「あ~~~、ダメだこりゃ」


 エリクがフラッとよろめいたので、ついシリウスは抱き抱えた。真正面から体重をかけて凭れかかる。酒臭く、生温かい吐息が耳にかかって、心臓と背筋がゾクッとした。

「お、おい! どんだけ飲んだんだ! 魔術で帰ってくればいいだろ!」

「こんな状態でまともに魔術扱えるかボケ。魔術失敗したら大惨事になんだぞタコ。おいそれた人並外れた力使えるか殺すぞ」

「なんで僕が責められているんだ!」

「それにいざというとき、魔力が無くなったらどうすんだ」

「お前さっき魔力を酒で補給するってほざいてたのと矛盾してるじゃないか! やっぱり嘘か!」


 とにかく、このままでは埒があかない。シリウスはぐでんぐでんの体幹となっているエルクをなんとか運んで、そして桶を満たすほどの水をもってきて。


 そしてエリクにぶっかけた。


「うを!? ゲホゲホ!」

「目が覚めたか? くそ………この飲んだくれめ」


 エリクはシリウスを小さく罵倒しているが、すっきりと軽い報復が果たせたシリウスは右から左へと聞き流している。


「あまり騒ぐなもう夜遅い。まったく………貴様が好き勝手できるのだってクローディア様のご寵愛を賜っているからだ。大体酒を飲みにいく金だって自分のなのか?」

「俺は自分のやるべきことはきちんと果たしてらぁ。責任もな。ずっと部屋にいたらいたで根を詰めることになる。心も疲れる。こうやって心を潤して英気を養うために酒は産まれたんだよ」

「まぁ口が達者なことで!」

「お前はよっぽど俺が嫌いらしいな」

「当たり前だろう。貴様がクローディア様のってぎゃあああああ!」


 エリクが濡れた服を脱ぎだし、素肌を晒しているので、シリウスは仰天して目と心臓が飛び出しそうになった。


「何故脱ぐ!」

「お前が濡らしたからだろうが………」

「せ、せめて自分の部屋で脱げ変態!」

「くそ、気持ち悪い………」

「なんで下まで脱いでんだああああ! やめろ!」


 動転しながら服を着させようとするシリウスと、まだ酔いが残っているエリクとの攻防が始まった。縺れ合い、二人で倒れこんでしまった。


「!?」


 唇に、柔らかい何かが触れている。


 少しかさついていて、そして冷たい。弾力があって、エリクの顔がくっつくほど間近にあって。


(キス………してる?)


 シリウスは今まで誰とも唇を合わせたことがない。人生で初の、相手が誰か、自分にそんな機会はあるのか、嫌ないと断じていたのにも関わらず、事故でキスをしてしまい、混乱していた。思考がフリーズし、体には一片の力も入らない。


「うう、重い………」

「ひゃ!?」


 しかもエリクはうざったいように上に乗っかっているシリウスを押しのけようとした。胸に手を当てながら、だ。


 口か頬かまたは別の箇所か。ともかくキスだけでなく、胸まで触られた。服とブラジャーと晒し越しではあるものの、エリクの手の感触が自分の女としての一部を。その事実が、羞恥心が、胸を中心にして痺れるような刺激になって全身に走った。


「? お前、なんか胸に付けてんのか? 感触が―――」


 訝しみながらこいつは、両手で弄りだしたではないか。


「き、き、き………」

「?」

「シリウス様。先ほどから物音がして――」

「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 シリウスはそのままエリクをタコ殴りにした。両腕をぶんぶんと振ってしこたま殴り続ける。


「おごっ、てめ、ぶ!? なに、ごえ! いきなり!?」

「ぬがああああああああああああああああああああ!!」


 それだけではシリウスは満足できない。


 立ち上がってエリクの両足を掴んで、そのまま回転しながらぶん投げた。壁に激突したエリクは、頭から地面に落下してぴくりともしない。


「シリウス様、なにを!?」

「せ、せ、せ、折檻だ!」

「ええ!?」

(は、初めて触られた………)


 ルッタがシリウスを気にかけながらも、エリクに呼びかけている。その間もシリウスは先程のことが頭から離れなかった。

(く、口づけも奪われた………)


 不倶戴天。恋敵、目の敵。そんなエリクに大切なものを二つも奪われた衝撃は、嫌悪感と敗北感だけではなく、煩いばかりの心臓の鼓動を胸の内で産んでいる。


(こんな奴に………)


 エリクを睨んでも、涙が滲んでも、ドキドキとした、熱い鼓動は消えない。

 それが、シリウスにとっては一番許せなかった。

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