第16話

 充実しきった時間を過ごし、シリウスはほくほくと陽気になっていた。


 既に日は暮れて身震いするほどの冷たい風が目立つような時刻だが、今のシリウスにはへっちゃらで、ルッタの分の荷物を持って帰るほどのゆとりさえあった。


 対するルッタは、ぐったりとしている。肉体的にではなく、精神を大幅に削られるほどにシリウスが語るクローディアとの思い出話は長く、疲れるものだった。


(けど、少し羨ましい・・・・・・・・・)

「きゃ!?」


 角を曲がったところで誰かとぶつかったルッタは、尻餅をつきそうなほどだったが、シリウスが素早くルッタを支えた。


「大丈夫かい?」

「は、はい」


 ルッタにぶつかった男達は、なんの反応も示さずそのまま歩いていく。シリウスがルッタを支えるときに地面に置いた荷物に爪先が当たったのにさえ気づいていない素振りで、ルッタと共に中身を確認する。卵は割れて小麦粉の袋は破れて中が大変なことになっている。


 流石にムッとしたシリウスだが、男達の服装を見て、更に腹がたち追いかけた。


「おいお前達!」

「あ? なんだ――ってお前?」


騎士団の制服を着ている。顔ぶれに見覚えはないから所属する隊が違うのかもしれない。だが、自分と同じ騎士が、ルッタにしたことを詫びもしようとしないことが余計に許せなかった。


「さっきぶつかっただろう。それに僕達の荷物も君達のせいで台無しだ」

「だからなんだってんだ?」

「一言の詫びもないのか? よくそれで騎士をやっていられるな」

 相手の騎士達は、わざとらしすぎるほどに面倒臭い、という色を滲ませている。

「君達、どこの所属だ」

「なんでお前にそんなこと聞かれなくっちゃいけないんだ」

「俺達ぁ忙しいんだよ」

「人に迷惑をかけて、女性に怪我をさせるかもしれなかったのだぞ。よくそれで平気な顔していられるな。騎士にあるまじき振る舞いだ」

「ああ? 古くせぇ。今時そんな騎士精神流行んねぇんだよ」

「黙れ。自らの非を詫びることもできない下劣な輩が。流行るだのなんだの下らない論議をするしか能がないのか?」

「あぁ?」

「昨今の騎士の質は下がっているとオムウェル団長も仰っていたが、貴様達を見ていると同意せざるをえない。人の本質は体に表れるというのは本当だな」

「・・・・・・・・・・・・・・・このチビが」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 相手は、不穏な気配を発しはじめている。


「し、シリウス様? 私は大丈夫ですから――」

「いいや、黙っていられない。同じ騎士として、こいつらは許せない」

「シリウス様・・・・・・・・・」


 クローディアの食事に使われる材料が台無しになったという怒りのほうが強いのだが、ルッタは自分のために怒っていると勘違いしている。


「騎士は職務上、帝族、貴族とも関わることがある。それ相応の対応もだ。だからこそ常日頃から騎士の品格を維持していなければいけないだろう。まぁ、貴様等のような最低な輩にはそんな機会は巡ってもこないだろう。騎士団の名誉を傷つけるだけだ」

「なんだと!?」

「好き勝手ほざきやがって!」


 双方とも、物騒な闘争の予感が立ち昇ってる。竦むことも退く気もない。相手の動きや体格から騎士達の技量を悟っているほどに、シリウスの実力と経験はたしかだったからだ。


「おいお前等、どうした?」

「あ、レイモンド様!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なに?」


 明後日のほうから走り寄ってくる男は、かつてのシリウスの同僚だったレイモンドだ。シリウスは若干戦意を削がれて


「なんだ、小犬じゃないか。なにやってるんだよ」

「レイモンド。この者達はお前の知り合いか?」

「実は俺、さる高貴な御方の側仕えをすることになってな。栄転ってやつだ。こいつらはそこでの俺の部下なんだよ」


 レイモンドは得意げに胸を張って自慢をはじめたが、シリウスとしてはどうでもいい。レイモンドのシリウスを馬鹿にした態度ありありであっても。


「そんなことはどうでもいい。レイモンド。お前の部下はどうなっている。僕達の荷物を台無しにしたのに謝罪もしないのだぞ」

「はぁ? 荷物?」

「このルッタなんて怪我をするかもしれなかったんだ」

「怪我しなかったんだろ? よかったじゃねぇか」

「そういうことではない。迷惑をかけても悪びれていないお前達の――」

「あ~~、うっせぇ! クローディア様の護衛なら黙って皇女殿下の尻でも追っかけてろ!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今なんと言った?」

「あ」

「あ」


 レイモンドとルッタの声が重なった。


 虎の尾を踏んでしまったという予感。そして予感が当たってしまったという確信。

 シリウスの尋常ならざる憤怒。ブチ切れんばかりの血管がいくつも額に浮かび、頬は引き攣っていながらも片方の口角が上がり、


「クローディア様の尻と・・・・・・・・・言ったのか?」

「なんだ、こいつあの皇女の関係者ですかい? へ、どおりで。うだつの上がらねぇ奴にはそれ相応の主がお似合いってことっスね」

「おい馬鹿お前等!?」

「レイモンド様も、俺達の主も言ってたじゃないですかい。クローディアなんかなんの役にもならないお飾り皇女だって」

「あ、おい馬鹿!?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今言ったのは本当か・・・・・・・・・・・・・・・」

「ああ?! 俺達だけじゃなくって宮廷じゃ誰だって噂してやがるぜ! 離宮に篭ってるあのお飾り皇女より宝石のほうがまだマシだってよ!」

「「「ぎゃはははは!」」」


 げらげらと笑いだした騎士の一人が、大きく吹っ飛んだ。シリウスが勢いよく殴った姿勢のまま、ぎょよりと瞳だけを残った騎士達にむける。


「こ、こいつ! 俺達を誰だとおもってやがる!?」

「喧嘩売ってただで済むとおもってんじゃ――」

「やかましい貴様等こそ僕のクローディア様をなんだとおもってやがる!!」


そこからシリウスとレイモンド、そして騎士達の喧嘩が勃発した。


喧嘩というのはあまりにも一方的だった。殺戮とも呼べるかもしれない。それほどまでにシリウスは強く激しく、そして執拗だった。


ものの数分でボロ雑巾のように倒れている騎士達ができあがってしまった。


「し、シリウス様! そのあたりでおやめください!」


 ルッタが後ろから抱きしめてとまったが、酷い有様だ。


「戦争だろう・・・・・・・・・主を侮辱されたら戦争だろう!!」

「わかりましたから! お気を鎮めて!」


 はいどうどう、はいどうどう、と荒ぶる馬を落ち着かせるように、ルッタは宥めていく。少し冷静になったシリウスはレイモンドを含めた地面に転がる騎士達を見下ろす。


「う、うう・・・・・・・・・お、お前・・・・・・・・・こんなことして只じゃすまないぞ・・・・・・なんせ俺達の主は――」

「おい馬鹿!」


 尚もやりとりをしている元気がある騎士をシリウスは足蹴にした。


「貴様等の主が誰かなどどうでもいい。ただ文句があるならいつでも受けて立ってやる。主を侮辱されたのだ。公然の前で。目撃者も大勢いる。貴様等の品のない声は、大通り中にまで響いていたことだろうよ」

「「「う・・・・・・」」」

「それでもまだなにか言いたいんなら・・・・・・・・・もう一戦してもいいぞ?」

「ひ!?」


 情け容赦ない、怜悧なまでのシリウスの声音と表情と睥睨する瞳に、騎士達にぞくりと悪寒が走った。


「い、いいかシリウス! そうして調子にのっていられるのも今だけだ! 俺達に楯ついたこと後悔させてやる! あとで泣きついて許しを乞うてきてもしらないからな!? どうせお前の皇女なんか――」

「あ?」

「ひ!?」

「クローディア様がなんだ?」


 レイモンドは仲間に背負われて、そのまま去っていく。


「シリウス様、だ、大丈夫で――」

「ルッタ。すまない」

「え?」

「あいつらに詫びさせることができなかった」

「え、ええ?」

「同じ騎士として、申し訳ない。けど騎士は皆あんな奴らだとおもわないでほしいんだ」


 服と顔が血で若干汚れているが、シリウスがしょんぼりとした様子なのでわけがわからない。


 怪我がしていないのかとか、あの人達のせいでなにか罰せられないだろうか、と気が気じゃないのも合わさっているが、当のやらかした本人ははそんなこと頭にない。


 鬼人とばかりの暴れっぷりをしたかとおもえば、今はそんな気配は微塵もなくなっている。


「それと・・・・・・・・・荷物どうしよう・・・・・・・・・」


 なんだか子供みたいに落ちこんだシリウスに、ルッタは呆れるやら途方に暮れるやら、なんだかおかしい気持ちになって笑いだしてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る