第11話

 離宮の浴室は、二つある。クローディアが使用する箇所以外と使用人たちが使用するものだ。機能性を重視した使用人専用の浴室は円形の浴槽と体を洗う二つのスペースがあり、殺風景でこじんまりとしている。


 お湯に身を沈めると、シリウスは天井を仰いだ。ぽかぽかとした熱気が体を温めているけど、頭の中はつん、と冷めきっている。


(一体誰がクローディア様に呪いなんて……)


 仕えて二日目まぐるしいまでだったが、そこ一点に集約される。力が抜けて湯舟にぷか~っと体が浮かぶほどに気をとられる。


 主が呪われていた。それも放っておくと死んでしまう危険なものだ。


 エリクが説明してくれたところによると、呪いはかけた順番とは逆の順番で内側から何重にも描いた円、呪文、記号を上から塗りつぶすようにして描いていかなければいけない。それも完全にだ。


 ただ闇雲に消せばいいわけではない。効果を打ち消せるような効果を持つ消し方をしないと、呪いが悪化するか暴走するか誤った発動をしてしまいかねない。手順も書き方も参考にしているものがあるが、描かれたものに使われている材料も重要だと。


血や骨も用いられているというから、シリウスはぞっとした。呪文、記号、円はかけた人によってどのやり方を使用しているか、書き方に癖があって本人でないと解けない呪いのほうが多いらしい。


描かれた癖、使用方法は問題ない。材料がまだわからない。


シリウスは呪いに関してはずぶの素人だ。エリクに頼るしかないのは口惜しいが、エリクもてこずっている。


母である皇妃が亡くなって悲しみに打ちひしがれていたあの人をもっと追い詰めるだなんて、人間の所業ではない。


 どこかにクローディアの死を願い、呪いをかけた人がいるということだ。おそらく、今もどこかで。


 呪い。クローディアを苦しめ、刻一刻と死に誘っている。どれほど時間が残されているのか。エリクは人為的なものだと言っていた。誰がなんのために?


(おいたわしい………)


 一番の方法は呪いをかけた人を見つけることだ。そうすればクローディアの呪いを解けるだろうし、なによりまたよからぬことをしてくるだろう。


 誰であるのか、皆目見当もつかない。だが、なんとしても探しださなければ。


(僕がお守りしなければ! なんとしても呪いをとくんだ! それが騎士である僕の使命だ!)


 意気込みを新たに、脱衣所へとむかった。しかし、誰か人の気配がすることに気づいた。しかもこちらへとやってくる。


「!?!?」


 誰かが浴室に入ってきた。シリウスはすっぽんぽんの裸体を隠すために浴槽へと飛び込んだ。


「あ? なんだてめぇか」


「なんで貴様なんだっっっ!!」


 エリクだった。


 すっぽんぽんのまま体を洗いだした。


(まずい!)


 騎士団にいたときは、シリウスは自室で体を水で洗い、もしくは皆が寝静まったあとこっそりと浴室を使用していた。入浴時間がきっちりと決まっていたので、シリウス以外入ってくる騎士と鉢合わせするなんてことはなかった。


 だから、離宮の浴室でも騎士団でのやるかたが通用すると普通におもっていた。もしものことがあっても、ルッタだけと鉢合わせするのを防げばいいと高を括っていた。


「お前こそなんでこんな時間に入ってやがんだ。一人で満喫できるとおもってたのによ」


 エリクはいつもこんな遅くに入っているのか。とにかくこのまま一緒にいてはばれてしまう可能性が高い。裸を見られるのは、特にこのエリクに見られるのは恥ずかしいし悔しい。下手すると騎士をやめることに繋がりかねない。


 なんとか隙を窺って脱出しようと頭の中で試行するけど、羞恥と狼狽で、そうこうしているうちにエリクが浴槽へと近づいてくる。


(お、男のあれが、ぶらぶらと………)

「か、隠せ不埒者!」


 初めて見てしまった男性器を指で覆って見えないようにしていると、エリクは湯舟に腰を下ろしていく。


 万事休す。この状態では立っただけで女性の部位を隠しきれず、どこかしか見られてしまう。逃げ場がない。男と一緒にお風呂だなんて状況に、あわあわと取り乱す。


「なにをだよ。てめぇにだって付いてんだろうが」

「な、ななななななな何がだ!」

「ナニだよあほ」

「やかましいっっっ!」


 まだお湯の濁り加減でバレていないが、バレてしまうのは時間の問題ではないか。エリクが上がるまで待つしかない。


(ど、どどどどどどど、どうしよう!?)


 バレたくない。見られたくない。騎士でありたいという気持ちとシリウスの欠片ほどに残っている女性としての感情がせめぎあう。長く浸かっているせいでぼせそうなほどに体温が上がっているせいもあって、頭の中がぐわんぐわんとしてきた。


「は、早く上がれ!」

「あ? なんでそんな命令されねぇといけねぇんだ」

「ぼ、ぼぼぼぼぼ僕は一人で入るのが好きなんだ! 騎士とはそういうものだ!」

「俺は騎士じゃねぇし。てめぇが先に出ればいいだろ」

「く、くくくクローディア様の側にいなくていいのか! またいつあの発作がおこるか!」

「少なくとも呪いを防ぐ術を施して即効果が消えるような雑な処置はしてねぇよ。もしそうなったら魔術師やめてやるわ」

「く、くくくくく! 第一なんでこんな時間に入っているんだ!」

「お前もな。新しい薬もできたし研究もひと段落つけた。だったら風呂にでも入って休みたいだろうが」

(く、くそ! なんでこんなことに!?)


 早く出たい、出て行ってほしい。なのにエリクは中々上がる素振りさえない。


「しっかしお前肩細いな。体も。背も小さいし本当に騎士か? 女みたいじゃねぇか」

「!」


 ジィ~っとエリクに凝視されていると自覚すると、体の大事なところを庇うようにして腕を絡みつかせながら距離をとった。


「た、たわけ! 無礼だぞ!」

「俺も人のこと言えねぇが、筋肉ついてねぇんじゃねぇか?」

「見るな! 目ん玉抉るぞ!」


 咄嗟に胸を隠し、背中をむけた。エリクは呑気に「あ~~~~、」と湯加減を堪能しているだらしのない顔になっているのが憎たらしい。


「しっかし、お前も災難だったな。あんな外れくじひくなんざ」

「………なに?」

「クローディアだよ。あんなめんどうな女に仕えなくっちゃいけねぇのは同情するぜ」

「違う。僕が仕えたいと願いを出したんだ」

「呪いにかかってるって知ってても仕えたかったか? 相当なもの好きだな」

「だからこそだ。呪いにかかっているあの方のお側でいたいとより強く願っただろう。今だって呪いをかけた人を探そうとおもっていたんだ」

「やめとけ。無駄なことだ。あの呪いをかけられるなんざ相当な魔術の使い手だろうぜ。下手すると返り討ち、いや大切なクローディア様がとばっちり喰らうことになる」

「貴様はクローディア様を助けたくないのか!? 今も呪いをかけた人が憎くはないのか!? クローディア様を苦しめているんだぞ!」

「会ってみてぇとはおもうぜ。だが、命のほうが大事なんでな」


 水と油。シリウスとエリクの認識の違いはそれほどに平行線のままで、


「第一なんで貴様の薬はあんなに厭いやらしい使い方しかないのだ!」

「しょうがねぇだろ。ああするのが一番あいつの体に合うし、染みわたるんだ」

「ま、ままままま、まさか僕が来る前は貴様がやっていたのか!?」

「仕方ねぇだろ。他にできる奴いねぇんだし」

「カアアアアアアアアアアアアア!!」


 あんな艶めかしく倒錯的で今思い出してもドキドキすることを毎日やっていたなんて。しかもしっかりとした正当な理由を伴って。


 腸が煮えくりかえる。


「なんだったら明日からお前がやるか?」

「!?!?!? ぼ、ぼぼぼぼぼぼぼ僕が!?」

「別に誰がやってもだめだってわけじゃねぇし」


 あんなドキドキと心臓が爆発してしまいそうなことを僕が毎日しなければいけないなんて………。


「だ、だだだだだ誰もやりたいわけじゃないがそうだな騎士として主を救わなければいけないしなうんやりたくはないが。け、けけけ決してやりたいわけではないが! へ、へへ、へへへへ………」


 欲望と好奇心と勝った。


 忠誠心で言い訳をして。


 エリクは「そうか」となんの気なしに応えたが、シリウスがとんでもなく鼻息が荒く目が血走って常軌を逸している助平な顔面になっていることを見逃した。


「お前は、よっぽどクローディアのことが好きなんだな」

「す、すすすすすすす、好きとは・・・・・・・・・騎士として貴族として立派な方を崇拝するのは当然だ」

「崇拝って信仰でもしてんのか?」

「それに、あの人は僕を助けてくれた。友だと言ってくれたんだ」

「・・・・・・・・・」


 シリウスは、堰が切れたようにクローディアとの思い出を語った。エリクにバレないように、という緊張感を誤魔化す目的もあったが、いつしか夢中になっていた。


「そうか・・・・・・」


 と適当に相槌を打っていたエリクは、次第に引いていく。


「おう、も、もういいぞ? お前とクローディアの話は・・・・・・・・・」


 目がイっちゃっているし、話が長く終わりが見えない。なにより息が荒くなっていて、ヤバい人にしか見えない。


「なにを言う。まだ僕とあの人の話は半分も終わってないのだぞ!」

「いや、いいって!」

「王妃様が亡くなられたときのことだって話していないんだぞ! あの人の嘆きっぷりを知らないだろ!」


 僕も知らないけど、と内心一人ごちたが、エリクの表情に、陰が趨った。沈痛な面持ちでぽつりと、


「気の毒にな」


 もしかして、エリクは知ったのだろうか? ルッタから――いやもしくはクローディア自身から?


 もしそうだったとしたら、それだけ二人が一緒にいる時間が濃密でなんでも打ち明けられる関係なんじゃないか、悲しみも過去も語り合えるほどに愛しているという証なんじゃないか、と想起せずにはいられない。


「ああ。本当にあの人は・・・・・・・・・クローディア様にはなんの罪もないのに」


 クローディアのことを語りたい意欲が、しょぼんと萎んでいく。


「いや、そうじゃねぇ。気の毒なのはお前だ」

「?」


 なんのことかと尋ねようとしたが、いきなりエリクが立ち上がった。また男性器を、至近距離で、それも唐突に目撃させられたものだからシリウスは「ひゃわ!?」と悲鳴をあげた。


「まぁ勝手に頑張れ。健気な騎士様よ」

「な、なんなんだ・・・・・・」


 シリウスは浴槽の縁に腰をかけ、エリクの気配が無くなるまで体を冷ます。一体どれだけ入っていたのだろう。油断すると立ち眩みにも似たふらつきがおきそうだ。


(あいつはもしかして、いつもこの時間に入浴しているのか?)


 明日からは、その点についても細心の注意を払わないといけないだろう。


(けど、あいつ体細かったな。きちんと食べているのか?)


 エリクの枯れ枝のような体つきを想像して、頼りない、あんな奴に呪いが解けるのか? と半信半疑になり、そして自然と股間のほうについているアレも思い出してしまって。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああ!?!? ぼ、僕はなにをををををを!」


 と、けたたましく手足をばたつかせるのに終始して、頭にこびりついて消えないあれ想像しては、「うひゃあああああ!?」と湯飛沫を並み立たせてしまい、いつまでも浴室から出られなかった。

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