第10話
クローディアが倒れていた。
苦悶していて呻きながら、脂汗を流し、白目まで剝いている。
そして、黒いオーラか靄めいたなにかが彼女の周囲を覆うように舞っていて、広がりつつある。
尋常じゃない。主にとっての異常すぎる事態に、流石のシリウスも狼狽しきっていた。
エリクは彼女の側までいくと手を翳した。中心にして青白く眩い光が痛いほどに輝き、一歩足を進めると靄が避けるようにして形を変えていく。
「おい、俺が抑え込むからクローディアを運べ! こいつの部屋までだ!」
「あ? ああ!」
シリウスはクローディアをお姫様抱っこの要領で抱く。クローディアの体温はドレス越しであってもひんやりとするほど低下していて、彼女が苦しみもがくたびに落としそうになる。
シリウスが運んでいる間、エリクは両手でぶつぶつと囁いている。クローディアの中からしきりに噴出しようとする黒い靄は、それによって塞がれているかのようにフ、フ、と舞いそうになる。
クローディアの私室まで運び終えると、エリクは
「服を脱がせろ!」
「は!?」
「早くしろ!」
「し、しかし―――」
それではクローディアの下着を見ることになるし、彼女の肌まで見えてしまう。彼女に仕える身であるシリウスは、主を裸にしなければいけない事態に、まだついていけない。
「俺は魔術のほうで手いっぱいだ! 放っておくと死ぬぞ!」
死ぬ。その一言がシリウスの躊躇いを打ち消した。
「ご、ご無礼!」
緊張で上手く動かない手で、なんとかドレスを脱がし終え、下着姿のクローディアが誕生した。服の上からではわからない、実に女性らしい体つきと丸みを帯びた柔らかい体格、瑞々しくも白く細い手足、なによりブラジャーで押さえられた二つの膨らみにシリウスは声を失った。
花血が出そうになってたまらず目を逸らそうとしたとき、不可思議なものに気をとられた。
(なんだ?)
ちょうど胸の谷間に当たる部位に、なにかの印が浮かび上がっている。激しく明滅し、そのたびにクローディアがびく、びく、と痙攣する。
「ルッタ! 俺の部屋から薬を持ってこい! 机の上にあるやつ全部だ!」
「は、はい!」
「お前は剣を出せ!」
「あ、ああ!?」
言われたとおりにすると、エリクは切っ先に指を這わせる。皮膚が斬れて、あっという間に血が滴となって垂れていく。
胸の印を円で囲うようにして血を垂らすと更にその上に紋様を描き、印を見えなくなるまで幾重にも塗りつぶしていく。
「持ってきました!」
「よし、シリなんとか! 緑色のやつのをクローディアに塗っていけ! 無くなるまで全部だ!ルッタ、なにか布を!」
指示通りやっていくが、「そうじゃねぇ!」「もっと肌に染みこませるようにだ!」とエリクの怒号が飛ぶ。いくぶんかクローディアの苦しみが和らいだので、シリウスは懸命に塗りたくっていく。
「よし、次は!?」
「この黄色のやつを舌に塗れ!」
「ほ、ほうは(こ、こうか)!?」
「クローディアの胸のあたりを舐めまくれ!」
「はあああああああああああああああああああ!?!?」
「やれ! 主を救いたくないのか!」
「ひ、ひはひ………(しかし)」
「じゃあいい! 俺がやる!」
「ほのへほうはあああああ(この外道があああああ)!!」
シリウスは頭が沸騰しそうになりながら、舌を這わせていく。舌全体にクローディアの吸いつきたくなるほどの柔肌を感じとり、背徳感と罪悪感と興奮が生まれる。
クローディアの官能的な吐息が、喘ぎにも似た悲鳴が鼓膜に届く。自分が自分でなくなってしまいそうで一心不乱に舐めていく。
唾液混じりの液体が、てかてかと艶めかしく照ってなんとも淫靡だ。
「はぁ、はぁ……」
「よし、最後にこいつを口移しで飲ませろ!」
「はあああ!?!?」
やっとのことで懸命に一仕事を終えたシリウスに、エリクはとんでもないことを言ってきた。
(ぼ、僕がクローディア様に!? 接吻ではないか!)
クローディアの表情が安らいで落ち着きを取り戻したということもあって、今更にして第一なんでこんなことをしなければいけないのかという遅すぎる疑問をいだいた。
「流石に接吻なんてできない!」
「接吻じゃねぇ! いわば診療だ! 人工呼吸と一緒だ!」
「し、しかし………」
例えクローディアを救うためとはいえ。ためとはいえ!
「ち、どけ!」
エリクは小瓶を一息に煽ると、シリウスを押しのけてクローディアの口に自らの唇を触れ合わせ、重ねる。
「え、え!?」
脳天に雷が落ちた。
エリクは唇を無理やりこじ開けて、舌を口腔へと入れている。僅かな隙間から二人の舌が絡みあい、口端から溢れるぬめりがあるさまはまるで貪っている獣みたいで激しく野性的で、エロい。
見てはいけない。見ていたくない。なのに目が離せない。
頭は金づちで打ちのめされている痛みでガンガンするし、心臓はえもしれぬバクバクとした鼓動でまともに思考が働かない。
敬愛する主が、自分以外の、男性と口を合わせている一部始終を、ありありとシリウスは見続けるしかできなかった。
「くそ、どんどん間隔が短くなっていきやがる………」
「エリク様。クローディア様は?」
「今はもう平気だが、また起きる。充分注意が必要だ。起きたらリゾットか粥でも食べさせておけ」
「はい」
「は!?」
視界はまともに動いていたが、いつの間にやら終息している。まだ死にそうになるほどのげっそりとした心持ちだ。
「お、おい……クローディア様は………」
「もう大丈夫だっつの」
「そ、そうか………しかしさっきのはなんだったのだ?」
「発作を抑える処置だ」
「発作? 処置? なんのだ?」
「呪い」
側の椅子に手を伸ばし、疲れ切った力のなさでエリクは腰掛ける。
「呪いって………」
「特定の相手の不幸を願い、災いを招き寄せる。悪意をもって与える。苦しみ、病い、痛み、死を齎す」
「ど、どうしてクローディア様がそんな?」
「さぁな。だが、呪いってのは偶然おこる場合なんてのは稀なケースだ。殆どは人為的に引き起こされる」
「じゃあつまりクローディア様は誰かに呪いをかけられたと!?」
「そうだろうな。しかも手がこんでやがる。一、二年のものじゃねぇ。ガキんときとか下手すりゃ赤ん坊のときにかけられたってレベルで呪いが奥深くまで根付いてやがるし、簡単にとけねぇ。さっきみたいに呪いを抑える術を施すので精いっぱいだ」
まだついていけている自信はないが、凡その把握はできた。なによりエリクの魔術と呪いをこの目でしかと見てしまったのだ。
「さっき言ってたよな? この呪いが俺がここにいる理由だ。納得できたか?」
「………」
納得した。
すべてがすとんと、胸の中にすとんと嵌ったのだ。
だが、だとしたら、誰がなんのために?
クローディアに呪いなんてかけたのだ?
「クローディア様は、助かるのか?」
「………まだなんともいえねぇ。俺も呪いについて一通り知識はある。呪いを解く方法もわかってる。だが、簡単にはできねぇんだよ。今も調べたり手は尽くしているがな」
悔しそうなエリクを見ると、きっと本心なんだろうとシリウスは感じた。
「一つたしかなのは、このまま呪いが解けなかったらこいつは死ぬ。確実にな」
死ぬ。
クローディアが。
愕然とした。
すやすやとあどけなく眠っているクローディアを眺めていると、そのまま生気を失った死体のそれと重なってしまって、血の気が引いていく。
そして、クローディアに呪いをかけた相手に対する沸々とした義憤が芽生えていく。ぎゅっと拳を形作る。
許せない。絶対に。
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