第9話
「エリクを呼んできてちょうだい?」
クローディアに仕えはじめた翌日。夕食の時間になると、シリウスはそう命じられた。エリクは毎日誰かが呼ばないと食事にはこないほどずさんでだらしのない男だというのをルッタに耳打ちされて、余計エリクが憎くなった。しかもクローディアはエリクと一緒に食べたいものだからひどいときには冷めきった料理を口にするということもよくあるらしい。
一日が経過して、クローディアがどれだけエリクを恋い慕っているかわかった。だが、エリクのほうはつれない態度なのだ。クローディアが絶対であるシリウスはエリクに対する嫉妬と怒りがどうにもとめられない。
(あのやろう、クローディア様を待たせるなんて何様だ! 魔術師だか命の恩人だとか知らないが皇女様だぞ! いくらクローディア様と愛し合っているとはいえ限度ってもんがある!)
シリウスは、それでも男装騎士として培われた経験で、必死に感情を抑えんとした。
「失礼する。エリク。夕食ができたぞ」
ノックをして何度か呼びかけても、出てくるどころか返事もない。
「? 入るぞ」
もしや寝ているのかともおもったが、だからといってクローディアをこれ以上待たせておきたくはない。シリウスは断りを入れて、エリクの部屋に踏みいった。
「!?!?!?」
まず、異臭がした。
鼻の奥がツンと滲み、それでいて糞尿が混じった吐き気がこみ上げる気持ちの悪い臭いだ。口と鼻を塞いで堪えたが、煙にも似たけむったさで咳きこみがとめられない。
「なんだこれはぁ!?」
部屋の中は酷い有様。黒くどんよりとしていて、あちこちにくしゃくしゃに丸められた羊皮紙とインク、不可思議な色のインクで汚れきっていて、本棚に入りきらなかったのかあちこちに本が乱雑に積み上げられている。なにが詰められているのか中身が怪しい大小の瓶が転がって足の踏み場もない。
天井からは蛙、蝙蝠、トカゲ、蛇の死骸だろうか、が吊るされていて壁には生物がグロテスクに解体された痕跡そのままの形を残して釘で打ちつけられている。
「やいエリク! 魔術師やろう! どこにいる!?」
部屋の奥にぼんやりとした薄い灯りがあったので、ズンズンと進んでいくと床に幾何学的な紋様を描き、なにやらメモをとっているエリクがいた。
「貴様なにをしている!?」
「うを!? てめぇなんでここに!? ノックくらいしやがれ!」
「うるさい! 皇女殿下がおわす部屋の一角をおどろおどろしい儀式場みたいにリフォームしてる奴が非礼をほざくか! きちんとノックしたうえで入ったわ!」
「誰も入っていいなんていってやしねぇだろ! それでも騎士か!」
「黙れ非常識を産みだし続けているような男が常識を語るな! それでも僕は騎士だ!」
ギャンギャンと怒鳴りあっていたためか、臭いがまた辛くなってきた。部屋の窓すべてを開けて換気を試みた。
「たく、おかげで研究する気がうせたわ」
エリクは懐からパイプを取りだし、指先にいきなり火を出現させた。それも魔術なのだろうか、火皿に葉っぱを巧みに入れて火をつけると実に美味しそうに紫煙を吸って、くゆらせるように吐きだす。
「ゲホゲホ………研究?」
「ああ。魔術のな」
「これ、魔術に必要なものなのか?」
「見りゃわかんだろ」
シリウスは魔術がどのようなものかなんて知らない。だからエリクが床に描いているのが魔術だと教えられてもわかるわけがない。
「じゃあこの部屋にあるもの全部か?」
「だからそうだっつの。半分は薬だがな」
よくよく観察すると、擂鉢と植物、根っこ、ビーカーだけは奇麗に整頓されて文机に置かれている。よく使う機会が多いからなのか。
「薬ってなんの薬なんだ?」
「お前には理解できねぇだろうから説明すんのも惜しいわ。おら、さっさと出てけ」
「夕食ができたから呼びにきたんだよ!」
「夕食? ああ、もうそんな時間か」
窓の外の暗さから初めて時間の経過に気づいたのか、エリクはふらふらと立ち上がった。よろけてシリウスに凭れかかってきたのでシリウスは咄嗟に支えた。
枯れ枝のように細く軽い。本当に男性のそれなのだろうか?
礼も述べないまま、そのままエリクは歩みを進めた。
(くそ、こんな男のどこがいいんだ!)
「今日の夕食はなんだった?」
呑気にそんなことを尋ねる始末だ。メインディッシュを前にしてぽつねんと待っているクローディアの気も知らないで! とシリウスは腹がたった。
「君は随分とクローディア様に愛されているな」
ついつい棘を含んだ言い方になったが、後悔はしていない。
「あ? 愛されてるだ?」
「ああ。そう見えたよ。ただ命を救われたってだけじゃないって僕には見えた。それにクローディア様と………君はあれなんだろう? 一緒に過ごす機会が多いんだろう?」
クローディアの名誉のためにも、自分のメンタルを守るためにも、ストレートな言い回しを避けた。
「僕は一度クローディア様に会っているけど、まさか男性を、それも君みたいな貴族でもない人を好まれたとは。きっと自分の周りにはいなかったから新鮮なんだろう。まったく、皇女殿下のお心を射止めるだなんて魔術でも使ったのか?」
そのままシリウスは釘を刺すつもりだった。あの人を泣かせたら許さん、と。
「あ、あ~~~。ああ。それな、本当に迷惑な話だぜ」
「………あ?」
めいわく?
そう言ったのか? こいつは?
「俺は元々住んでいた場所で魔術の研究ができてりゃよかったんだ。それなのに皇女だとかなんだとかでこんなとこに連れてこられて。碌に材料だって手に入らねぇし」
(は?)
「四六時中一緒にいようとしてうぜぇしめんどくせぇし。こっちは飽き飽きしてらぁ」
(は?)
こいつはなにをのたまっているんだろう。
クローディアの寵愛を一心に浴びクローディアに衣食住を保証されていて一つ屋根の下に住んでいてそして好きに研究ができていながら。
迷惑? めんどうくさい? うざい? 飽き飽き?
「なんだったら代わるか?」
「殺すぞクズ」
まさしくクズだ。
女性の好意、献身に胡坐をかいている市井の飲んだくれと同じ。働かないで好き勝手やってるヒモそのものではないか。
「なにいきなりキレてんだ」
「うるさい! 僕はクローディア様の騎士だ! あの人が無下にされていたら怒るのは当然だろう! 主を弄ばれたら報復するが騎士の務めだ! 僕の使命だ!」
「いや、騎士の事情なんざ興味ねぇ」
「愚弄するかああ! 第一クローディア様のお尻もおっぱいも太腿も堪能していながら飽きるとはどういう了見してやがるんだ貴様ああああ! 皇女の純潔をなんだとおもってやがる!」
「純潔? そんなもん魔術になんの意味もねぇよ」
「絶 許!」
今はっきりとした。
こいつはろくでもない男。
そしてエリクを好きでいるのはクローディアだけで、一方的な片想い。報われることはきっとない。
(このままではクローディア様がダメ男を養い貢ぐ皇女様になってしまう!)
シリウスの使命は、この男を追いだし、クローディアの目を覚まさせることだと。
剣を抜き、切っ先をエリクに突きつけた。
「いいか? 一度しか言わん。クローディア様から離れろ!」
「なんでてめぇにそんなこと………。どけ、剣が邪魔だ」
両手を胸の前で仰々しく開き、一方には焔を、もう一方には飄々と吹きすさぶ疾風が発生した。空気が緊迫し、決闘さながらに二人は対峙する。
「俺だって好きでここにいるわけじゃねぇ」
「じゃあ出ていけばいいだろう!」
「いけるか。めんどくせぇが俺の仕事でもあるんだよ」
「仕事だと? 皇女殿下のヒモをするのがか? それが魔術師の仕事だと? ふざけるなよ」
こいつは、絶対許せん。
エリクの眉毛が僅かに蠢いた。
険しさが薄れて、シリウスに対して訝しむ気配を滲ませた。
「お前、まさか知らないのか?」
「は? なにがだ」
「俺がここにいる理由だ。クローディアが好いているから、ただ、それだけだとおもってんのか?」
「むしろ他になにかあるのか?」
エリクはぽかんと間の抜けた表情となって、そして一気に興が覚めた様子で、闘争の気配を完全に消失させた。
両手で発動していた魔術が消えたので、どういうつもりかと怪訝がった。
「お前は幸せ者だな。だがあいつもお前を忘れているし他に知っている奴なんて少ねぇし」
「?」
「まぁだがそうか」
「おい、なんの話かさっぱりだ。どういう――」
「エリク様!」
ルッタが慌ただしく階段を駆け上がってくる気配と音で、シリウスは咄嗟に剣をしまった。ルッタは息を整えることもせず、青白く逼迫していて尋常じゃない。
「クローディア様の発作が! お願いします呪いを鎮めてください!」
エリクは、舌打ちして「またか」と独りごちた。
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