第8話

「お疲れ様でした、シリウス様」


 薪は充分すぎるほどできたのだが、クローディアとエリクの二人の関係から逃れたかったシリウスは、鬼気迫る表情と気迫で薪割りを続けていたので、庭師もルッタもとめることができなかった。


 ようやく薪にできる木材をすべて消失させて、手持ち無沙汰になったとき、ルッタがレモネードを持ってきてくれた。


 すっきりとした酸味とほのかな甘さが喉を潤し、疲れていた体に染みわたっていく。


「でも、シリウス様は力もあるのですね。もう半年分は薪割りしなくても大丈夫だってサム様も感心していました」

「騎士団では筋力を特に鍛える鍛錬が毎日あったからね」

「そうなのですか?」

「剣は鉄と金属でできていて重いし、いざ戦うときにも握力が必要なんだ。だから騎士になってからも体力・筋力は常に維持しないといけない。特に僕は人より小さいし力もないし、入りたてのときが一番きつかったな」

「入りたて?」


 従者となって騎士の身の回りのお世話だけでなく、とにかく体を鍛えさせられる。時間があれば鍛錬鍛錬鍛錬だった。


 ひたすら走り、ひたすら筋力トレーニング。夕飯のときにはもうへとへとで夜は泥のように眠る。その訓練で音をあげる者はどんどんやめていった。だからふるいにかける目的もあったのだろうが、今振り返ると懐かしい。


「豆ができて潰れて豆ができては潰れ。手の皮が破れて足の皮が剥がれて爪が千切れかけたときは死ぬかとおもったよ」

「………それは軍隊のお話ではないのですよね?」

「うん。だから軍はもっと厳しいんじゃないかな」

「私騎士団への見方が変わってしまいます………もっと優雅であったのかと」

「でも、そのおかげで手は分厚くなったし簡単には豆ができないし爪も割れなくなったんだ」


 ほら、と両手を開いてみせた。


「本当だわ。ごつごつしていて意外と大きくて太くて、これが男の人のなのですね………ごくり」

「ルッタ?」

「はっ!? 申し訳ございません私ったら! 男の人の手に触れたことがないものでしてつい!」


 うっとりとしていたルッタは、急にあわあわと慌ただしくなった。


「ですが、シリウス様はそれほど頑張って騎士様になられたのですね」

「うん、勿論さ。騎士になってクローディア様を守りたかったし」


 あ、とルッタが声をあげそうになった。シリウスがそこで唐突に固まった意味を介したからだ。


「守るって………」


 瞳の虹彩から光が失せていく。笑顔がゆっくりなくなり、肩が落ちていって猫背気味になり、


「そのために………」


すっかり消沈しきってしまった。


「騎士になったのになぁ………」


 哀愁漂うほどにまでなったシリウスに、ルッタはなんと言葉を投げかければよいものか悩んだ。


「それほどお慕いしていらしたのですね」


「うん………だってあの人は僕に勇気と夢を与えてくれたからね。弱くてちっぽけで、自信を持てなくて弱虫で泣き虫だった僕を変えてくれた。僕の名前を褒めてくれたんだ」


 まぁ、クローディア様は覚えていないんだけど、と自分でおもってまた泣きそうになった。


「なのに………」


 あのやろう、と頭にエリクが浮かんで、妬ましくなる。リアルに殴りたいくらいだ。


「クローディア様はエリク様にお熱ですからね………」

「普段からああなのかい?」

「ええ。毎日ああです。用がないのにエリク様のお部屋にいってそわそわしていたり」

「ぐ!」

「お茶菓子をわざと自分の服の上に落としてエリク様にとってもらおうとされたことも」

「うぐぅ!」

「ひどいときにはエリク様の頬に唇が触れそうなほど近くいますし」

「ぐはぁ!」


 シリウスは吐血した。悲しみから胃が締め付けられて心臓が発作をおこすほど苦しくなった。ありありと想像できてしまった。エリクの側にいたい、エリクが大好き、という健気な努力をしているクローディアが。


(羨ま妬まし悔しいい………!)


 奥歯をしっかりと噛んで歯ぎしりをさせながら、なんとか耐えたがもし実際にそんな光景を目にしたら死んでしまうだろう。


「シリウス様にとってここで暮らすことはとてもお辛いことなのでしょうね……恋い慕っていたお人が別の男性となんて。寝取られたということでございましょう」

「寝取られ? ってなんだい?」

「私がよく読む恋愛を描いた本に、そういうものがあるのです。お付き合いをされているのに別の異性に奪われる………その、主に関係を持ったことが原因で」

(ああ、なるほど)


 ルッタがごにょごにょとして恥じらっているので、よくわからなったが意味は理解できた。要するに肉体関係を持った浮気相手に取られるということなのだろう。


 一緒に寝るほどの仲だった人が取られる。だから寝取られる。


(でも僕は別にクローディア様と恋仲じゃないし。厳密には寝取られたってわけじゃ)


『シ・リ・ウ・ス………? きて?』

『ああ、シリウス。あなたって素晴らしいのね』



「ぐはぁ!?」

「シリウス様!?」

「だ、大丈夫………」


 もやもやと、自然にクローディアと裸で関係を持ったときを妄想してしまって鼻血を吹きだしてしまったなんで恥ずかしくて説明できない。


(ああ、なんてはしたない不敬な。僕はなんてことを………。ごめんなさいクローディア様……)

『ああ、エリク。愛しているわ』

『クローディア、美しい』

『きて、今夜も抱いて?』

「ごばぁ!!」

「本当にどうされたのですかシリウス様!?」


 今度は何故か裸になって抱き合う寸前のエリクとクローディアを想像してしまって鼻血と吐血をしてしまった。


「ぐ、ぐぐぐぐぐ、だ、大丈夫………」


 血を失ったことの痛みだけではない。脳が破壊されそうなほどの苦しみ。身が、心が引き裂かれるほどの衝撃だ。


(なるほど、これが寝取られということか………!)

「シリウス様、おいたわしい。本当にクローディア様に恋焦がれていたのですね」

「別に僕はクローディア様と結婚したいとか恋焦がれたいなんておもっちゃいないけど……」


 身分差、同性という事情があるというだけではない。あくまでもクローディアは使えるべき憧れの対象、いや崇拝的対象だ。もし仮に異性で身分が同じですべての問題がなかったとしても………………。


 とにかく、今のシリウスにとっては関係ない。クローディアが幸せならばそれでいい。


「いわば忠誠心、信仰心かな」


だが、それでももしエリクとクローディアが実際にそんな関係になっている場面に遭遇したら、死んでしまうかもしれない。


「そ、そうなのでございますか………複雑なのでございますね。私はクローディア様に仕えている身ですが、シリウス様が安んじられてクローディア様に尽くせることをお祈りいたします」

「うん、ありがとう」

「そ、それでもしでしたら、わ、私と、か………」

「うん?」

「あ! いえなんでもございません!」

「そういえば、食事をしているとき、不思議なことを聞かれたっけ。僕とあいつが話したのにまるで聞こえていなかったような・・・・・・・・・」

「あ、それは――――」


 ? と頭を傾げたが、そこでクローディアからの呼び出しがかかった。夕食の時間にはまだ早いが、なにやら相談があるらしい。


「あ、よかった貴方もいたのね」


 貴方も、ということはシリウスにも用があったということだが、なんだろうか? 


 素振りからして言いづらいことなのは予想がつく。


「少し相談したいことがあったのだけれど、力を貸してもらえますか?」


(キタアアアアア! 僕がクローディア様のお役にたてるときがキタアアア! 僕を頼りにされているということの証だ! エリクではなく!)


 なんだか急に勝った気持ちになった。エリクにだ。


「全身全霊でお役にたたせていただきます!」


 おもわず敬礼するほど嬉しかった。


「ありがとう。本当は恥ずかしいのだけれど」

「大丈夫です! どのようなことでもお力を発揮いたしましょう! どのようなことでも例えこの口を縫い付けて舌を斬り落としてでも誰にも漏らさないと誓いをたてます! あ、今斬り落としましょうか!?」

「やめてちょうだい」

「シリウス様………」

「では、早速聞かせていただきたいのです。あなたの意見を」

「はい! なんでしょうか!?」

「男性である貴方からしたら女性に迫られるときは薄い下着か全裸かどちらのほうがよいのかしら?」

「…………………?」


 意味がわからなかった。


(ど、どうしてそんなことを? 僕は女だから男の気持ちなんて………まさかクローディア様がなさるということか!? したいということか!?)


 そして、迫る相手とは………。


「ぐぼぁ!?」


 エリクしかいないではないか。


「ぐ、ぐぐぐ、ど、どうしてそのようなことを………!?」

「………ちょっとした興味本位、後学です」

「こ、後学………!?」


 途端に口を噤んでポッと赤らんだクローディアから、シリウスはやっぱりエリクだ、エリクのためだ、とおもわずにはいられない。


 エッチな下着でエリクに迫るクローディア、全裸で人目を忍んでエリクに迫るクローディア、頭が壊れそう。


 そして、クローディアはまだかと視線でシリウスをせっついてくる。


(うう、なんで僕がこんなことに………)

「そ、そうでございますね………僕は、時と場所によりけるとおもいますが………」

「時と場合? もっと詳しく説明して」


 真剣な面持ちなクローディアにシリウスは泣きそうになるのを必死で堪えながら、


「はい………なんと申しましょうか………僕でしたらどちらでも飽きないしいつでもばっちこい!! オールオッケー!! ですが人によってはシチュエーションによって合わせてその日その日によって変えたほうが効果的かと………」


 プルプルと羞恥と謎の死にたくなる衝動、そしてエリクへの憎悪に満たされながらシリウスは答えた。


「ふむ。成程。では男性からして胸とお尻と太ももとどれがいいのかしら?」

「ぎゃああああああ!?!?!」

「大切なことよ? なにを絞殺される鶏みたいに叫んでいるの」

「ぼ、僕だったらどれもこれも大好物で白黒つけられずもったいないほどの部位ですが、特に胸………でしょうか………」


 必死になりながら自分と聞き得ていたにわか知識で乗り切った。ひどい拷問に耐えたあとにも似ていた。


「そう………では胸に飽きてしまったらどうかしら? 貴方も毎日お肉を食べていたらもう嫌になるのではなくって?」

(それはどういう意味ですか!? あの男はクローディア様のおっぱいを飽きるほど揉んで吸って舐めて使っているということですか毎日毎日クローディア様のおっぱいを堪能していということですかあんちくしょう!! 僕だったら飽きないのに!!)

「で、ではお尻かと………」

「そう。お尻ね? 見るのと触るのと当てるのとどれがいいかしら」

(だからどういう意味ですかあああああ!! ま、まさかこれからお尻を使うということですかあああ!! あんちくしょうめ!!)

「全部です………!」


 さっきからシリウスはやばかった

 シリウスの脳内ではクローディアとエリクがくんずほぐれずいやんばかん、てな具合で暴れまわっていて叫ぶ余裕がない。


「ありがとう。とても参考になったわ」


 すっきりとしたクローディアとは正反対に、シリウスは死に体だ。心なしかやつれている。それほどクローディアの質問はエリクとの関連性を匂わせるものばかりで、シリウスの精神に大ダメージを与えた。


(ああ、なるほど、これが寝取られか………)


 たださっきと同じようにルッタから聞いた話に、納得するしかなかった。


 とてつもなく・・・・・・・・・キツい!

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