第7話

(僕は一体なにをしているんだろう………)


 シリウスは騎士として、クローディアが食事を終えるまで後ろで控えていた。


「エリク、エリクは鶏肉が好きだったわよね? なら私の分も食べてもよいのよ?」


対面ではなく、隣同士でエリクにくっつかんばかりにデレデレとした主を眺めながら我が目を疑いながら。


「あら。スプーンを落としてしまったわ。私ったらはしたない。エリク、申し訳ないのだけれど食べさせてもらってもよいかしら?」

「あ。でもでもそれだとエリクが食べられないから、その代わり私がエリクに食べさせるわね? ルッタ。替えのスプーンを。はい、あ~~~ん」


(どうして僕騎士になったんだっけ………)


 憧れのクローディアが、人目も憚らずに恋人と愛を確かめあうようなイチャイチャを繰り広げているのを眺めるためではなかったはずだ。


「うぜぇよクローディア。てめぇはガキか。さっさと食え」

「もう。つれないのだから。私とあなたの仲ではなくって?」

「少なくとも俺はてめぇに食べさせあいっこをするほどの仲じゃねぇよ」

「そう。仕方がないわね………あ、エリク。ほっぺにソースが付いていてよ?」

「いけませえええええええええええええええええええええん!!」


 限界だった。


 クローディアはナプキンではなく、自分の口を近づけていった。そこからなにをするか想像できてしまったシリウスは声を張り上げて阻止した。


「きゃ。急にビックリするじゃないシリアンディーヌ」

「ビックリしたのはこちらですよ! いくらなんでもおかしいでしょう! それから僕の名前はシリウスです!」

「なにがおかしいのかしら?」


 きょとんとしながら小首を傾げる姿は、可愛いの一言だ。く! と、つい唇を噛み胸の動悸を押さえたが。


「おかしいところだらけです! その男は殿下と共に暮らしているただの男で、いわば仕えているのでしょう!? なのになにを平民の恋人のようにいちゃいちゃしているのですか!」

「も、もう。なにを言っているのよ。私達がお互いを愛し合っているお似合いの恋人同士だなんて心得違いも甚だしいわよ?」

「そこまで言っていませんが!?」

「静かにしてちょうだい。エリクがうるさそうにしているではないの」

「どうして殿下より先にその男を気遣っていらっしゃるのですか!?」

「それは………ねぇ、エリク?」

「うっせぇ。耳元で騒ぐなさっさと離れろ」

「あん、強引♪」

「ぬがあああああああ!! この不敬者めがああああああ!!」


 エリクは乱暴にもクローディアの顔を押しのけた。


「貴様こちらにおわすお方を誰と心得るかああああ!! お前なんかが簡単に触れられるような人じゃないんだぞおおお!! ほっぺたをそんな風に押すどころか本来ならドレスにさえ指を触れられないんだぞおお! 羨まし――じゃない! そんな雑に扱っていい人じゃないんだぞおお!!」

「なんだったらお前が代わってくれよ。遠慮しなくていいから」

「なにををををををを! 代われるのならいつでも―――じゃない! 殿下も! どうしてこの男の好きにさせているのですか! いくら―――」


 好きだからといって。その言葉は直前になって呑みこんだ。


「どうしてって、私がそうお願いしたのだからよ?」

「――――はい?」

「エリクは王族でもないし貴族でもない。だから私達と同じ立ち居振る舞いをさせるのは酷でしょう? それよりもエリクには大切なことがあるし。私のために一緒に暮らしてもらっているのだし」

「ちょ、ちょっと待ってください。え? どういうことですか?」


 いきなり情報過多すぎる。


 王族でも貴族でもない。そしてさっきのような雑な対応をクローディアの側から求めている。クローディアのために一緒に暮らしている。一体どういうことだろう。

 エリクと一緒に暮らさなければいけない事情があるということか?


「で、ではこの男と――」

「エリクよ?」

「え、エリクがここで殿下と一緒に暮らしているのは、何故なのですか? 差し支えなければ教えていただきたいのですが」

「ああ? なんだクローディア。お前話してなかったのか?」

「ええ。だって今日来たのだし。説明する前に色々と」

「お前のことだろうが。さっさと教えとけや。なにやってやがる」

「えへへへ………」


 エリクに叱られたことさえ嬉しそうなクローディアに、目から血が吹きでそうだった。


「そうね。私とエリクが出会ったのは山よりも高く海よりも深い理由とそして産まれる以前から結ばれていた深い絆と縁で―――」

「俺が暮らしているところへこいつがやってきて死にかけてた。そこを助けた。それから病とかを癒すために連れられてきた。それだけだ」

「し、死にかけてた?」

「そうだ。マミューダペオってところ。お前も聞いたことくらいはあんだろ?」


 他国との境界に位置する森林地帯で、開拓は進んでいない。危険な生き物が跋扈し、人の踏み入れる土地ではない。現地民は少なからずいるらしいが、独自の暮らしと文化を持っていると聞いたことがある。


「そこで暮らしている貴様がクローディア様を助けたのか?」

「ああ。あそこの生き物に襲われたし怪我もしてた。疫病にもかかっていた。そうしたら命の恩人だ、お世話をさせてくれ、ってな。病もまだ治ってなかったし経過を観察しながら薬も調合して渡して届ける距離じゃねぇ」

「………どうしてそのようなところに?」

「運命よ?」


 チラリとクローディアを窺うが、


「では君は医者か薬師なのか。驚いた。あんな場所に」

「いや、違ぇ」

「え?」

「俺がこいつを治したのは医学でも薬でもねぇ」

「ではどうやって?」


 エリクはひどく面倒くさそうに黙り込んだが、シリウスの視線に屈したのだろう。舌打ちをして食器を置いた。


『風よ、吹け』

「!?」


 エリクの人差し指で、可視化できる小さな旋風がおこった。


 目に見える旋風はそのままエリクの指先を離れ、シリウスの元へ。すばしっこい虫さながらの動きをしながら耳を、髪を、頬を撫でて擽ったい。


 なんとも奇怪なことだ。しかも、どう考えてもエリクによって引き起こされ、操作されている。シリウスをからかうような動きをしていた旋風は顔面に当てられ続け、一際大きい爆発にも似た突風となって、そして消えた。


「俺は魔術師だ」


 昔絵本で読んだことがある。普通の人では扱えない超常的な力を操る。古くは儀式、占いを司っていたとも。人々を導き崇められたとも、人々を惑わし仇なす存在として描かれていた。


「実在したのか………」

「してんだろ今目の前に」

「そうか………。じゃあ貴様は魔術で殿下を助けたということか。礼を言う」


 そうだったとしたら、クローディアの命の恩人なのだからシリウスにとっても他人事ではない。


「てめぇに言われる筋合いはねぇ」

(こ、こいつは………!)

「まぁ、それだけじゃねぇがな」

「?」


 言葉を濁し、クローディアを意味深げにチラ見したのが気になったが、エリクは続きを話さないで食事を再開させた。


「なにを黙りこくっていたの?」

「え?」


 クローディアがなにか変なことを言ったが、どういうことだろう。


「あの、クローディア様。おかわりは?」


 ルッタが焦ったように間に入り、そのまま話は終えたがどうにも引っ掛かった。


「では、クローディア様は今もご病気ということですか? そしてエリクが癒していると?」

「え、ええ。そういう事情もあるわね。もう病は快方にむかっているのだけれど」

(ああ、そういうことか………)


 クローディアの反応で、シリウスはなんとなく察しがついてしまった。それだけじゃない、そういう事情もある、というのはつまり病気だけが理由で一緒に暮らしているわけではない、という意味があることに。


 最初エリクはクローディアを助けただけだったが、おそらくクローディアはシリウスに惚れたのだ。そして、病を癒すため、恩人と称して来させた。


 エリクは一緒に暮らしている間にクローディアと心を通わせた。お互い好き同士だから今も側にいる。


(はは、なんだ)


 自分が騎士にならなくても、とっくにクローディア様は幸せそうじゃないか、よかったよかった、ははは、ばんざーい、騎士になんてならなくってもよかったんだ、でもクローディア様が良いなら僕も幸せ、うん、それで万事オッケー。それでいいんだ、第一僕女の子だし。


(あれ? おかしいな。なんだか涙が………あれ? とまらないぞ?)


無理やり自分を納得させたかったのに、食後の紅茶を嗜んでエリクのと会話を実に楽し気に、幸せげにしているクローディアを前にしていると、目が霞んで視界が歪んでくる。まともに立っていることさえ姿勢の維持さえ困難だ。


「申し訳ございませんクローディア様。庭師のサムさんが薪を割っている最中に腰を痛めたと」

「まぁ、どうしましょうかしら」

「あ、それでは僕が」

「え? シリウス様が?」

「薪割りは騎士団に入った従者ならこなしていたから。クローディア様が許していただけるなら」

「そうね。ではお願い」

「はい、お任せください。では」


 この場にいると、倒れてしまいそうだったシリウスはこれ幸いにと、ルッタと庭師を手伝うことにした。逃げたのだ。


「騎士団でも薪割りをなさるのですか?」

「従者の仕事は騎士の身の回りのお世話だけではなく、雑用も含まれているからね。おかげで根気と力が養われたよ」


 ルッタとの会話が、耳に入ってこない。


 今までの努力も鍛錬も決意も、無駄になってしまっただけではない。勝手かもしれないが、クローディアを取られた心地だったのだから。


(僕、なにしにきたんだろう………)

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