第5話

 離宮というよりも、クローディアが暮らしているのは大きい屋敷だった。


 勿論帝族が暮らしているから、広大な敷地で建物も立派だが、祭事に利用される離宮と王宮を比べるとこじんまりとしている。


(おいたわしい・・・・・・・・・このようなところで暮しているなんて! クローディア様・・・・・・・・・ですが大丈夫です! このシリウスが今お側に参りました!)


「たのもう! たのもう!」


 気が急いているからか、声が必要以上に大きくなってしまった。


 何度か訪ないのノックと呼びかけを続けると、女の子が出てきた。


「あら? どちら様でしょうか?」


 歳はシリウスと同じだろうか。可愛らしい丸みを帯びた顔の髪を二つ結びにしたメイド服の女の子は、ぱっちりとしたお目々をきょとんとさせている。


「失礼。僕はシリウスと申します。帝国騎士団グリフォス隊に所属しておりました」

「はぁ?」

「このたび、クローディア皇女殿下の護衛騎士となるべく、罷りこしました。こちらが団長よりお預かりした命令書、そして皇帝陛下からの勅書であります」

「まぁ、ではあなた様が今日から私達と暮らす!?」


 取りだした書類を受取ったまま、女の子は頬に手を当てて仰天した。


「申し訳ありません! 立派な騎士様とうかがっていたので、少しお若くて!」

「そうですか。いえかまいません」


 背丈と若さで侮られるのは初めてではない。むしろ女の子も言葉を選んでくれる気遣いがあるし不愉快ではない。


「失礼いたしました。私はルッタと申します。こちらでクローディア様お付きの侍女として仕えております。以後、よろしくお願いします!」


 ハッ! とした女の子、ルッタはしずしずと頭を下げた。


「では、早速クローディア様の元へご案内いたします!」


 時折、ルッタはチラチラとシリウスのほうを向くが、視線が合いそうになると弾かれたように前に戻る。


「なにか?」

「っ! い、いえ! なんでも!」


 尋ねてみても、ルッタは答えてくれなかった。


 クローディアの部屋に案内されている途中で話を聞くと、どうもこの屋敷には住人は少ないらしい。庭師と給仕をする料理人、そして下男がいるがそれらは全員通いで別の場所に住んでいる。


「ですからお掃除が大変で」

「成程。ではルッタさんとクローディア様が二人で暮らしているのですか?」


 華美ではなく、機能性と威厳を両立させた離宮内が、急に薄ら寒く見えてくる。


「いえ。実はもう一人いらっしゃるのですが。そちらの方もちょっと変わり者といいますか・・・・・・ははは。あ、私のことはルッタと呼んでくださってかまいませんよ?」

「そうか。ではルッタと」


 なんだか話を誤魔化されたような曖昧さだが、クローディアに会える! と内心興奮し狂喜乱舞しているシリウスは受け流した。シリウスにとってクローディア以外の住人、それもまだ顔も知らない相手は、正直どうでもいいのだ。


「あの、シリウス様? そのお花は?」

「ああ、これはクローディア様にお渡ししようと」

「まぁ、素敵。騎士様って皆仕えるお人にお花を用意なさるのですか?」

「そういうわけではないんだが。クローディア様は喜んでくださるだろうか」

「どうでしょうか。あの御方がお花を愛でていた記憶はございませんが」

(え?)


 今のはどういうことだろう。


 クローディアは花が好きだった。一緒に過ごした庭園の花の名前を一つ一つ覚えていて、花言葉も咲く季節もシリウスに教えてくれた。物騒な鋏で手入れをし、毎日水やりが日課だった。


(好きだった花を愛でることもできないほど辛かったということですねおいたわしい!)

「こちらがクローディア様のお部屋になります」


 ルッタが控えめなノックと共に、すぐに応答が返ってきた。


「入ってかまわなくてよ?」

「はい、それではシリウス様」

「はい! 失礼いたします!」


 室内に入ると、美しい女性が窓辺の椅子に座っているのが目に入った。


 色白でしゅっと顔が細い。鼻がつんと高く、健康そうな唇。だが、にこりともしないでぼんやりとした表情はどこか幸薄そうな印象がある。


(おお・・・・・・・・・・・・・・・・おお・・・・・・・・・・・・・・・!!)


 しかし、シリウスは一目でわかった。


 まさしく記憶の中のクローディアの面影を多分に残している。この人こそがクローディアだと。


「ああ、産まれてきてよかった・・・・・・・・・!」

「あの、シリウス様?」

「? 」


 感動のあまり、喜の涙を流し、さめざめと泣いているシリウスに、二人はドン引きしている。


「申し訳ございません。お見苦しい姿を晒してしまいました・・・・・・」

「見苦しいというより痛ましかったけれど」

「はい。改めまして、お久しぶりでございます。クローディア皇女殿下」

「はい? お久しぶり、とは?」

「えっと。シリウス様。まさかクローディア様と以前会われたことが?」

「はい。十年前と一月と十五日と二十時間前に、僕はクローディア様にお会いしたことが。初めて社交界に来たとき交友を結んでいただき、友達と呼んでいただきました・・・・・・!」

「は、はぁ・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「あれ以来僕はクローディア様ともう一度会うため、そしてクローディア様をお守りするため騎士を目指しました! 今の僕があるのはクローディア様のおかげといっても過言ではありません! 今よりこの剣とこの身と我が魂と僕のすべてはクローディア様に捧げます! 以後よろしくお願いいたします!」


 片膝を曲げて、傅いた。捲したてるように喋りきると、痛々しいまでの静けさが残った。


(うわぁ、うわああああ! クローディア様だあああ! 本物の生のクローディア様だあああ! う、美しい! しゅごいいい・・・・・・! しゅごいいいいいいい!!)


 内心とんでもなく興奮しきっているなど、微塵も感じさせることなく。


「面をあげてちょうだい?」


 ややあって、顔を上げる。


「忠節嬉しくおもうわ。以後、よしなに」

(あれ?)


 想像したクローディアの反応ではなかった。どこまでも冷めていて、他人行儀だ。


「ひとまずルッタにここの案内と、皆に挨拶をしてちょうだい。それから騎士としての仕事とあなたのお部屋を」

(あれあれ?)

「それから、シリテウス? だったかしら?」

「いえ、シリウスですが」

「ああ、そうだったわねごめんなさい。悪気はなくってよ?」

(あれ?)


 クローディアの素振りがおかしい。


「あの、クローディア様。つかぬ事をお聞きしますが、クローディア様はシリウス様のことを覚えておいでで?」


 ルッタが助け船を出してくれた。


「ええっと、そうね。そういえばそのようなこともあったかしら。十年と少し前に。ええと、たしか―――」

「・・・・・・・・・」

「二人で王立図書館に毎日通っていたのよね? お勉強のために」

「いえ。記憶違いかと」

「そうだったかしら。では・・・・・・・・・お兄様はお元気?」

「僕に兄はいません」

「そうだったわね。でも二人で夕食をともにしたことはあったわよね? 私と一緒でにんじんが嫌いで」

「いえ。大好物です」

「そう・・・・・・・・・ともかく。幼い頃より私のことをおもって、こうしてはせ参じたこと、感謝するわ」

(よもや・・・・・・・・・)


 最早。信じたくはないが信じざるをえない。まさか、いやそんな。シリウスにとってとてつもなく残酷で、さっきの歓喜の涙とは別の意味で泣きそうになってくるが。いやいや嘘だそんなことはありえない、と心の中で頭を振る。


「クローディア様。まさかシリウス様のことを覚えていらっしゃらないのでは?」


 ピシ。自分が固まってしまった音が聞こえた。


 核心的な疑問をなげかけたルッタに少し感謝して、でも少し恨んで。


「ええ。そうね。どうもそうみたいだわ」


嘘はない。


本当に困惑しているし、動揺しているシリウスには懐かしさの情ではなく、初対面の他人を眺める目を注ぎ続けている。


(ま、まさか・・・・・・・・・そんな・・・・・・・・・)


 魂が口から抜けてしまいそうなほどショックだ。


 クローディアは、欠片ほどもシリウスのことを覚えていなかった。

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