第17話 さようなら愛しい人
─幸がわっちを探している
と、言われてから数日。
わっちは『嬉しい』と『怖い』が入り混じっていたでありんす。
幸が『わっちを必要としてくれてる』と思えば嬉しいし、『今まで幸にバケモノだと言うことを黙って一緒に暮らしていた事を恨んでいる』と思えば怖かったからでありんす。
幸はわっちを探してどうしようと言うのか?
『戻って来い』と言ってくれるのか?
それとも今まで黙っていた恨み辛みを言いたいのか?
あの時のあの幸の顔なら間違いなく後者だ。
それでも、恨み辛みを言われたとしても、わっちはもう一度幸に会いたかったでありんす。
─そんなある日。
わっちは珍しく暇を持て余していたでありんす。
『客を喜ばせる仕事』でありんすが、今日のわっちはなんとなく『そんな気分じゃなかった』んでありんす。
─人になれるとは言え、わっちは猫でありんすから気分屋なんでありんす。
最近気付いたんでありんすが、わっちの気分の乗らない日は大体客は来ない。
店自体が『ヒマ』なんでありんす。
暇すぎるから猫になって昼寝(夜寝?)でもしようかと思った矢先。
「ミケ、ご指名だよ。」
と、部屋の襖の向こう側からお菊さんの声が響いた。
「どうぞ。」
わっちは体を起こして仕事モードに心のスイッチを切り替える。
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襖が開くと、そこにはお菊さんと頬被りした布を顎のあたりで押さえた客の女が立っていた。
お菊さんが女に促すと、女はしずしずと部屋に入って来た。
お菊さんが襖を閉めると
「そんなに緊張しなくても大丈夫でありんすよ、座ってくりゃれ。」
と、わっちは座布団を差し出したが、女は座りもせず頬被りも取らなかった。
「それを外して顔を良く見せて欲しいでありんす。」
わっち営は業スマイルで女にそう促したが、女は頑なに座りもせず、顔も見せなかった。
「わっちが怖いんでありんすか?」
と、わっちは立ち上がり女の被っている布を優しく外す。
─!?
わっちは驚いて手を止めた。
が、その驚いた様がバレない様普通を装う。
その女はやせ細り肌の色もくすんでいたが、間違いなく幸だったでありんす。
「ここに座るでありんすよ。」
わっちはそう言うのが精一杯でありんした。
幸の変わり果てた姿を見て、それでも幸を間違えるはずはない。
「こんな姿で、驚いたでしょうか。」
幸は申し訳なさそうに言う。
「そんな事はありんせん。」
どんな姿でも幸は幸でありんす。
頑張り屋の幸でありんす。
「キレイでありんすよ。」
と、微笑んだ。
幸は静かに座ると、わっちの耳を見ながら言った。
「ホント、本物の猫の耳みたいでありんすね。触っても?」
と、幸が言うのでわっちは頭を少し下げた。
幸の手が頭に触れる。
─ああ、幸の手でありんす。
わっちは撫でられながら
「優しくて温かい手でありんすね。」
と、言い、撫でていた幸の手を両手でギュッと握った。
手にはたくさんの湿疹があったが、わっちは構わず口づけをする。
「?!」
幸は驚いて顔を赤くした。
「キレイな手でありんすよ。」
猫だった頃はこんな風に幸に触れる事は出来なかった。
でも、今はこうやって幸の手を握る事ができるのは幸せだった。
幸にはきっとわっちが『福』だと思ってはいないから。
「…ミケさんの耳は、ホント…うちの猫の耳にそっくりでありんすね。」
と、幸は少し涙ぐんだ。
「そうなんでありんすか。そのお猫さんは羨ましいでありんすね。こんなに優しくて温かい手でいつも撫でてもらって。」
わっちが微笑みながらそう言うと、幸は少し寂しそうに
「いなくなってしまったんでありんす。一年程前に。わっちを助けてくれたのに…わっちは…あの子に…ヒドイ事を…。」
と、言いながら俯いて肩を震わせた。
幸は
「だから、もうあの子は私の元には帰って来ないんでありんす。」
と、顔を手で覆って泣き出した。
わっちは幸の頭に手をおいて
「お前さんにとって、その子は…大切だったんでありんすか?」
と、言い、「しまった」と思った。
ここは普通なら「お前さんが大切に思ってるならきっとその子は帰って来くる」と言うべき所だ。
「大切でありんすよ、誰よりも、何よりも。私にとってあの子は恋人だったんでありんすから…。なのにあの時…驚いてしまって…つい「バケモノ」なんて…!」
幸は細い肩を震わせながら続けた。
「何であんな事言ったのか、わっちにも分からないでありんす。言った後はもう後悔しかなかったでありんす。あの子の辛そうな顔を見て、後悔して、後悔して…!あの子を傷つけてしまった自分が怖かった…!あの子がいなくなってしまうのが…!」
─そうだったんでありんすね。
幸はあの時「怯えた」んではなく「自分の発してしまった言葉」に怯えたんでありんすね。
それなのにわっちは飛び出してしまった。
わっちは何も言えなくなった。
幸は大きく深呼吸をすると話を続けた。
「あの子はそのまま部屋を飛び出してしまった。『あの姿』のまま。そして町中があの子に石を投げた。わっちは人混みを縫って後を追いかけたんでありんすよ。でも、見失って…。それからずっと探していたんでありんす。」
わっちは
「お前さんがそこまでして探してるんでありんす…きっと戻って来るでありんすよ。」
と、幸を抱きしめると幸が腕の中で静かに
「わっちはあの子を傷付けたんでありんす。だから戻って来ないのは当然…。探し出して戻って来て、なんて言う権利もありんせん…。ただ、あの子が今不自由なく暮らせていればそれで良かったんでありんす。」
と、言いながら目に涙を溜めてわっちを見上げる。
「わっちは福を傷付けたバチが当たったんでありんす。例え福が戻って来てくれたとしても、わっちにはもう一緒にいられる時間は長く残されてないでありんす。あなたがここで不自由なく暮らしていると分かった。福は私といた時より、今の方が幸せになれる…。だからわっちにはもう心残りはありんせん。」
わっちは驚いた顔をして思わず
「何を言ってるんでありんすか?」
と、幸に問うと、幸は笑って
「ごめんね、福…。傷付けてゴメン…。わっちといる時はずっとその姿を隠して来たんでしょう?不自由ばかりさせてごめんね。そして、ずっと私を守ってくれてありがとう…!」
と、抱きしめてきた。
わっちは驚いて
「幸…、わっちが分かるんでありんすか?」
と、幸の肩を掴んで幸の顔を見る。
「わっちが…福の事が分からないなんてありんせん…!」
幸はいつもの笑顔で返してきた。
わっちはそのままギュッと幸を抱きしめた。
「幸…!わっちは…わっちは…この先もずっと幸と一緒でありんす!わっちが猫でいれば仕事にも支障ないでありんしょう…?!」
わっちは勢いにまかせてそう言うと、幸はわっちを少し離してわっちを見る。
「わっちも福と一緒が良い…でも、もうそれはできないんでありんすよ…!」
と、笑顔のまま涙を流す。
「何故でありんすか?わっちが怖いからでありんすか?」
わっちは必死だった。
幸と一緒にいたい─ただ、それだけでありんした。
「違う!今更でありんすが、あの時だって福が怖いなんて思わなかったでありんす!」
「じゃあどうして?!」
わっちがそう叫ぶと、幸は自分の手を差し伸べて
「…これで…ありんすよ…。」
と、はにかんだ笑顔を見せた。
湿疹だらけの手、青白い顔、痩せた身体。
遊女から聞いた事がありんす。
今、この町で流行っている病は、痛みがない湿疹が出ると死を待つしかないと。
「…梅毒…!?」
─梅毒。
性行為によって感染するこの病は、いつの時代の遊女もこの病で亡くなる場合が多いんでありんす。
例に漏れず、幸もまた─
わっちの頭は完全に機能が停止したでありんす。
「幸が…何をしたんでありんすか?!梅を養い、琵琶薬屋に義理を通し…!誰にでも優しい幸が、なんでこんな目に会うんでありんすか?!」
わっちは幸の肩を掴んで言った。
知らない間に涙が溢れてきたんでありんす。
「バチが当たったのよ、福を深く傷つけた罰。ホントは何も言わずいなくなるつもりだったけど…どうしてもお礼が言いたかったの…。」
幸は泣きながらわっちを抱きしめて言う。
「また福を傷付けちゃったわね…ごめんなさい…でもこうやってあなたに抱きしめて貰えて、ずっと守ってくれて…ホントにわっちは幸せでありんした。」
そう言うと、幸はわっちの手に首輪についていたあの『鈴』をギュと握らせた。
そして、すっと立ち上がって部屋を出ていこうとする。
わっちも慌てて立ち上がって幸を引き止めようとしたが、幸はそのまま部屋の襖を開けて部屋を出ていく。
「幸…!幸!待つでありんす!話はまだ…!」
と、わっちも部屋を出ると、目の前にはお菊さんが居て、わっちの行く先を遮る。
「ミケ!やめなさい!お幸さんの気持ちも汲んであげなさい!」
お菊さんは体を張ってわっちを引き止める。
「嫌でありんす…!放すでありんす!わっちは…!わっちは!」
と、叫んでも、幸は立ち止まることなく階段を降りていくと、下の階ではヴィリーが幸に
「もういいのかい?」
と言った。
幸は深々と頭を下げながら
「はい、ありがとうございました。」
と言って、店の外に待たせてあった籠に乗り込もうとして、一度振り返ってわっちに向かって言う。
「さようなら、愛しい人。」
と、幸が微笑むと籠に乗り込んで行った。
「幸!…幸!」
お菊さんに引き留められているわっちは
─ポン
と、猫になってお菊さんの体をすり抜けて、階段を飛び越して幸を追いかけた。
しかし、飛び越えた先にいたヴィリーが、空中にいたわっちをキャッチ。
そのまま右腕でわっちを抱え、反対の手で猫掴みして動きを封じられた。
「ヴィリー!放すでありんす!わっちは幸と一緒に…!」
「ダメだ!」
間髪入れずにヴィリーは拒否した。
「お幸はな、自分の最期が分かっててここへ来た。『福をよろしくお願いします』って頭を下げに来たんだよ。だから俺は最期におめぇさんに会って行けと言ったんだよ。『この世』に『未練』が残ったら、すぐに『転生』できねぇから。」
ヴィリーはいつになく真面目な顔して、幸の籠を見送りながら言った。
が、わっちはそれどころではなかったんでありんす。
「意味不明な事ばかり言わんでくりゃれ!お前さんの話はいつもワケが分からんでありんす!」
ヴィリーの猫掴みのせいで体に力は入らなかったが、それでもわっちは懸命にもがいた。
「おめぇさんはまだ心が弱い。これを乗り越えて強くなれ。強く生きろ。」
もがくわっちを強く抱きしめたヴィリーの顔は厳しい顔をしていたでありんす。
「何でありんすか?!それは?!」
「おめぇさんのおっかさんの遺言だよ!」
ヴィリーの答えに、わっちはもがくのをやめた。
「おっかさんの…?遺言…?」
わっちは知っていた。
─そうだ、ヴィリーは間違いなくあの山でおっかさんと会っている。
その時おっかさんはヴィリーに何かを「頼んだ」のも知っていた。
ヴィリーはわっちを抱く腕を少し緩めて
「『強く生きてくれ、自分で道を見つけて歩いて行ける様に強くなれ、人生を生き抜く強さを。』それが、おめぇさんのおっかさんの遺言だ。」
と、ヴィリーはわっちの頭をポンと優しく撫でるもんだから、わっちはヴィリーの胸ぐらに顔を押し付けて泣いたでありんす。
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