第6話 宵待草のやるせなさ

 お地蔵様の後ろで寝ていると、また今日も人間がお地蔵様にお供え物を運んで来た。

 「お地蔵様、今日もあの子を見守ってください。」

 と、初老の女がお地蔵様に手を合わせる。

 わっちはその様子をお地蔵様の後ろから眺めていた。

 「あら、フク。おはよう。お前にもご飯をあげますね。」

 と、初老の女はわっちにおにぎりを差し出した。

 わっちはそろりそろりとおにぎりの匂いを嗅いで、食べる。

 「そんなに警戒しなくても、何もしないわよ。」

 と、女はニコニコ笑いながらわっちが食べる様を眺めている。

 わっちはチラッと女を見て「ヴーッ」と唸る。

 あの地獄を見てから2年が経とうとしていた。

 あれからわっちは人間が怖くてたまらなくなった。

 おっかさんが『ここで人にならずに待ってなさい』と言ったから、言いつけを守りわっちはずっとお地蔵様と一緒にいたでありんすが、『人間が怖い』と言う気持ちのせいで何度も逃げ出そうとした。

 しかし、この村の人間は最初はわっちを見て見ぬフリをしていたでありんすが、最近はこうやって朝と夕方にご飯を運んでくれる様になったので、飢え死ぬ事はないと思ってここにいる。

 そしてわっちの事を勝手に『フク』と呼ぶようになった。

 意味が分からない。

 わっちは絶対可愛くない野良猫だと思うんでありんす。

 撫でようと手を伸ばそうものなら猫パンチを繰り出し、じっと見つめてこようものならガンを飛ばし、近付いて来ようものなら威嚇の嵐。

 こんなの絶対可愛くない。

 そんな敵意丸出しの野良猫を『福』と名付けて、毎日ご飯を運んでくれるとか、ホント意味が分からない。


 ─ と、言いつつも、ご飯はおいしく頂くでありんす。


 「福、お前はずっとここにいるけど、村に入ってくればいいのに。それとも誰かを待っているの?」

 女はわっちに問う。

 「ニャン(そうだよ)」

 わっちは猫の言葉で答える。

 もちろん通じない事は百も承知でありんす。

 「そうなのね。早く待ち人が来るといいわね。」

 と、女が言うもんだからわっちは驚いた。

 「ニャー?(言葉、わかるの?)」

 「うん、お前も2年でだいぶ大きくなったわね。お前が来た頃はまだ小さな仔猫だったのに。」

 女が頓狂とんきょうな事を返してきたので、言葉が通じているわけではなさそうだ。

 もしかしたら、わっちと同じ一族かもと期待したんだけど…。

 わっちはご飯の続きを食べ始める。


 もうおっかさんは来ないと何となく思っていた。

 考えたくはないけど、おっかさんはあの時わっちを守って…。

 でも、もしかしたら…!が、ずっと消えなかった。

 だからこうしておっかさんを待っている。


 でも、もう一人は寂しいでありんす。

 でも、もう一人は怖いでありんす。

 でも、人間は怖いでありんす。


 『でも』ばかりが頭をぐるぐる支配していたんでありんす。


 「おっかぁ!」

 と、遠くで誰かの声が聞こえてきた。

 わっちは食べるのをやめてその声のする方を見る。

 「サチ!」

 今までわっちの食べる様を見ていた女が急に立ち上がって、声の主に駆け寄った。

 「おっかぁ、元気そうで!」

 『サチ』と呼ばれた女もまた、初老の女に駆け寄って、お互い抱き合う。

 「サチ、あんたも…!奉公先から仕送りありがとうね…!」

 初老の女は涙を流しながら、抱いたサチの背中をさすった。

 「何言ってるの?当たり前の事よ?」

 と、サチは初老の女を少し体から放して笑いながら言った。


 そしてわっちは舌をしまい忘れた。

 驚いて面食らって、わっちはサチに駆け寄った。

 「ニャゥーン!!!(おっかさん!!)」

 そう、サチはおっかさんの人の姿にそっくりだった。


 初老の女はどうやら『ウメ』と言うらしい。

 そして、『サチ』の母親。

 幸は丁稚奉公で五年ぶりに暇を貰い里に帰ってきたのだ。

 年は16、この村では土地があまり豊かではなく実りが少ない。

 そのせいで村人たちの暮らしは貧しく、村の子は丁稚奉公でお金を稼ぎお金を送ると言う家が多いのだそうだ。

 わっちは物陰に隠れながら幸の後を追い、梅と幸の家の脇にある水瓶の蓋の上から家の中を覗いていたでありんす。

 

 ─わっちはガッカリした。

 おっかさんではなかった。


 ガッカリして力が抜けて、後ろ二本の足の力が抜けて─


 ─どんがらがっしゃーん!

 ばしゃん!!


 水瓶の中に落ちた。

 「え?!何?!」

 梅と幸が慌てて外に飛び出てきた。

 「ナーウ!ニャウ!(たすけて!)」

 わっちは水瓶の中でバシャバシャと必死にもがいていた…。

 「福!!!!!!」

 梅の叫び声はとても大きかったでありんす。


 水瓶から救出されたわっちは、何枚も手ぬぐいを体に巻かれ、さらにゴシゴシと拭かれていた。

 もう恥ずかしいわ、水に濡れた毛が気持ち悪いわでされるがままだったでありんす。

 「福が村に入ってくるなんて初めてよ…ホントびっくりしたわ。」

 梅は濡れた手ぬぐいを何度も絞り拭いてくれた。

 「この子、福って言うの?」

 幸はわっちのまだ乾ききっていない頭を撫でた。

 「そうよ。山寺さんが焼き討ちになったすぐあとだったから2年くらい前かしら…?村の入り口にあるお地蔵様のそばに現れて、ずっとそこから離れなかったのよ。村の人になつくわけでもないし、村の中に入っても来ない。でもそこからずっと離れないし…害があるわけじゃないから、村のみんなも放っておいたんだけど…。」

 梅は手ぬぐいを絞るのをやめて、新しい乾いた手ぬぐいでわっちを拭き始めながら続ける。

 「この子が来てから、不思議な事が色々起きたのよ。」

 「何があったの?」

 幸は興味津々に聞く。

 「向かいのお宅はずっと子供に恵まれなかったのに子供授かれたり、村長さんの家の畑から小判がたくさん出てきたり、今まで数年に一度しか咲かない桜が毎年咲いたり、夏は毎年近くの川が氾濫するんだけど被害が出なかったり…他にも沢山あったんだけど、何より、この村は痩せた土地なのにこの子が来てから豊作続き…!」

 梅は饒舌に言う。

 「だからね、村では『この猫が福を運んで来たんだ』って言うようになって、村のみんなはこの子を『福』って呼ぶようになったのよ。」

 梅はまだ濡れているわっちの頭を撫でながら微笑みかけてきた。

 「へぇ…!この子は村の『福の神』なのね!」

 と、幸が笑う。

 笑った顔はホント、おっかさんにそっくりだ。

 「でも今日初めて福を撫でたけど…撫でただけで幸せな気分になれるから、やっぱりこの子は『福の神』で間違いないわ。」

 と、梅はホントに幸せそうだ。


 ─それにしても、わっちが福を運んで来たなんて…人間はホントご都合主義でありんす。

 わっちは何もしてないいでありんす。


 「ところで気になったんだけど…。山寺さんが焼き討ちにあったって…?」

 幸が少し顔をこわばらせて聞いた。

 すると梅が表情を曇らせて答える。

 「そうなのよ。ひどく燃えていたわよ。でもね、罰が当たったんだと思うわ。」

 「どういう事?」

 「焼き討ちされる前…3年ほど前から、山寺さんのお坊様たちが毎晩ここらの村や町に降りてきて豪遊していたのよ。遊ぶだけなら良かったんだけどねぇ、村人に暴力振るったり、畑を荒らしたり、若い娘を襲ったり…とにかく酷かったのよ。噂では寺に遊女をたくさん住まわせてるって話もあったわ。」

 梅の顔は曇りっぱなしだ。

 わっちは友人たちが言っていた事はホントだったんだ、と思いながら、されるがままを続ける。

 「そんなことが…でもそんな毎晩遊ぶお金はどこから…?」

 と、幸。

 確かにそうでありんす。

 わっちたち小坊主や修行僧の寺での暮らしは質素であったでありんす。

 贅沢していたのは高僧様たちだけである。

 そんなお金はどこから…?

 「分からないのよ…でも、参拝者が増えてお布施も増えて、お上からの支援も増えてどーのって話してたらしいわよ。まぁでも仏様がお坊様の傍若無人を見て、罰をおくだしになったんだって、みんなそう信じてるわ。さぁ福、もうだいぶ乾いたから大丈夫よ。」

 梅が手ぬぐいを外してくれた。

 「ニャワワン!(ありがとう!)」

 と、わっちは一鳴きした。


 その晩─

 わっちは幸の布団の上で物思いにふけっていた。

 おっかさんに似た幸が現れた事で、何かの知らせか分からないけど、わっちは『おっかさんは死んだ』と確信してしまった。

 わっちはあの時どうしておっかさんと一緒にいなかったんだろう。

 おっかさんに『いきなさい』と言われたから?

 いや、違う。

 ホントはちゃんと分かってた、でも認めたくなかった。

 わっちは怖くて『逃げた』んだ。

 わっちは弱虫だ。

 怖くて逃げたかったところをおっかさんが『いきなさい』と言ってくれて『良かった』って思った。

 おっかさんが言ったのは、『行きなさい』なのか『生きなさい』なのか。

 「おっかさん…どっちなんだよ…?」

 小声で言う。

 いつもそばにいてくれたおっかさんがいなくて、わっちは寒くて寂しかった。

 おっかさんがいないと、わっちは生きてなんていけない。

 「僕は、これからどうしたらいいの…?」

 怖いことからいつも守ってくれたおっかさんを置いて逃げてきたわっちは、これからどうすればいいの?

 「おっかさん…僕は…寂しいよぉ…。」

 誰にも聞こえない様に、声を殺して泣いた。

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