第5話 …って言う『設定』

 放り投げられた体は空中でウネウネして、どっちが上でどっちが下か分からなくなったが、地面が近付くと肉球が磁石の様に勝手に地面に吸い付いた。


 ─シュタッ


 と言う効果音がピッタリでありんす。

 数秒硬直して動けずにいたが、どうやら逃げ切れた、と気付くまで大して時間はかからなかった。


 ─とりあえず、山を降ろう。


 まだ安心はできない。

 麓の村まで走ろう。

 わっちは道なき道を下る。

 木々を避けながら走る。

 走って走って、足がもつれて転んで、それでも走った。


 ─いてぇ!!


 枯れ枝が肉球に噛み付いた。

 肉球から血が出る。

 それでも我武者羅に走る。

 麓の村を目指して。

 おっかさんの言いつけどおりに。

 森は鬱蒼としていて、真っ暗で月明かりもない。

 猫は暗くても見えると言うが、それは嘘でありんす。

 猫は少しの光を眼孔で集める事で暗くても見える様になるが、これだけ『真っ暗』だと正直見えないでありんす。

 だからこうやって──


 「?!?!」


 ──どんがらがっしゃーん!


 と、崖から落ちる事もままあるんでありんすよ。

 崖から落ちたショックでお尻を思いっきり打った拍子に人間になってしまった。

 「いってぇ…。」

 と、わっちはお尻を撫でながら立ち上がった。

 着物は捨ててきたから何も着ていないが不思議と寒さは感じなかったが、別の事で背筋が凍った。

 「この世界は空からガキが降ってくるとか…ホント変わってるねぇ…。」

 と、足元から聞こえた。

 よく見ると…誰かを踏んでいる。

 「うわっ…!」

 わっちは思わず飛び退いた。

 「うわっ!じゃねぇよ…いってぇなぁ…。」

 その人は頭をポリポリ掻きながらゆっくりと立ち上がる。

 暗くて顔ははっきり見えなかったが、甲冑は着ていないし、着物に羽織、煙管なんてくわえてどう見てもあの『地獄』に行くようには見えない。

 「あっ…ごっ…ごめんなさい…。」

 と、わっちが謝ると

 「まぁ、怪我はねぇ様だから良かったよ。んで、お前はどうして何も着てねぇんだ?もしかして、あそこから来たのか?」

 と、月明かりが少し溢れ、キラリと光った煙管は山の上を指している。

 「そ…そうだけど…あんたは…?」

 わっちは恐る恐る尋ねる。

 「あー、俺?俺は今は『明智光秀』って言う設定。」

 その男は煙管に火を入れながら言う。

 わっちは訝しげな顔をして

 「…はぁ???設定ってなんだよ?」

 と言う。

 設定って…ガキだからって莫迦にしてんのか?この厨二病のおっさんは。

 わっちはジト目でおっさんを見た。

 まぁ、暗すぎて良く見えてないけど。

 「どうもこうもそう言う設定なんだって。『織田信長の配下』の明智光秀って設定。」

 「おだ…のぶなが…?」

 その名前を聞いただけでわっちは身震いした。

 それに気付いた男は

 「その様子じゃやっぱり『しでかした』んだな?んで、おめぇさんは命からがら逃げてきた、と。」

 わっちは体を震わせながら俯いて

 「アイツの…配下って事はアイツの仲間なんだな?みんなを…殺したヤツの仲間…!」

 と言うと

 「まぁ、そうだな。」

 男は否定せずに自分の羽織をわっちに被せたが、わっちはそれを振り払って

 「あんなヤツの仲間の施しなんていらねぇ!」

 と、わっちはその男の横を通り過ぎようとした。

 どうせ猫になれば着物はいらないでありんすから。

 するとその男は

 「こんな寒空でそんな格好じゃ、この先凍え死ぬぞ?!」

 と、わっちの首根っこを掴んだ。


 ─あっ…そこ…はっ…! 


 条件反射と言うべきだろう。

 猫は『首根っこ』を掴まれると力が抜けて、抵抗できなくなる。

 わっちの場合、首根っこを掴まれると反射的に『猫』になってしまうんでありんす。


 ─ぽん


 「…えっ?どゆこと?」

 男は硬直している。

 当然っちゃ当然でありんす。

 おっかさんを襲ったあの鎧武者も化け物と言っていた。

 人間は自分の常識から外れている者をバケモノ扱いするものだ。

 ─それにしても…硬直長くないか?気絶した?

 と思った矢先。

 男は首根っこを掴んだまま、わっちを自分の顔の前に運んだ。

 そして…

 「…うわぁ…かわいすぎかよ!」

 と、だらしない顔になったのだけは薄ぼんやりと確認できた。

 「お前…猫掴みって知ってる?」 

 わっちは男の目を見て言う。

 「猫はここを掴まれると大人しくなるんだろ?知ってるぞ!俺は…猫が大好きだ!」

 と、男は顔を近付けてきたので、わっちは思わず

 「キモいわっ!!!」

 と、鼻っ柱を引っ掻いた。

 男は

 「いってぇ!」

 と、言いながら鼻を押さえたから、わっちの首根っこは開放された。

 「だが、そんなツンデレも…キライじゃないぜ!!」

 と、わっちに向かってうぃんくして親指を立てた。

 その顔はあまりにも爽やかでキラキラしてて、別の意味で『ヤバい』と思って

 「だから、キモいわっ!!!!」

 と、わっちは捨て台詞を吐きながその男から逃げ出したんでありんす。


その後まもなく、麓の村に着いた。

 村の入り口にはお地蔵様がいて、その後ろには大きな木が立っていた。

 わっちはお地蔵様の隣でおっかさんを待つことにした。

 おっかさん…必ず来るって言ってたから、絶対に来る。

 おっかさんは約束を破った事はないから。

 わっちはずっと待っていた。

 何日も何日も待った。

 お地蔵様にお供えする為に人間が定期的に現れたが、おっかさんはまだ、来ない。

 それからまた何日も過ぎた。

 だんだん冬が深くなっても、おっかさんはまだ現れなかった。

 現れるのはやっぱりお地蔵様にお供え物をする人間だけだった。

 いつの間にか冬から緩やかに春に季節が変わり、風が暖かくなって来ても、おっかさんはまだ現れなかった。

 それから木々が青々と茂り、畑にはたくさんの野菜が実った。

 暑さが和らぎ稲が頭を垂れ始めても、来るのはお地蔵様にお供え物をする人間だけで、おっかさんはやっぱり現れなかった。


 ─そう、ホントはもうとっくに分かっていたでありんす。

 おっかさんにはもう二度と、会えない、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る