第4話 血染めの花

 わっちは開けたふすまの前で呆然と立ち尽くした。

 足がすくんでどうしていいのか分からなかったからだ。

 「ニャワワン!ニャーーー!(三郎丸!起きなさい!)」

 おっかさんが三郎丸を起こすためにいつも以上に大きな声で鳴いている。

 わっちは「ハッ!」として三郎丸に駆け寄って激しくゆすった。

 「三郎丸!起きて!火事だ!逃げなきゃ!」

 と怒鳴りながらさらに揺すると、三郎丸はがばっと起き上がった。

 「火事?!」

 「そうだよ!早く逃げよう!」

 わっちが促すと、寝間着のまま裸足で寝所を飛び出した。


 ─が、動けない!


 火は轟々とうねりとなって前に進もうにも熱気で喉が焼けそうになる。

 「どうなってるの…?」

 三郎丸もどうやら動けずにいるらしい。

 「わからない…。」

 わっちもまだ動けない。

 すると、足元でおっかさんがわっちの足にかみついた。

 「おっかさん!なにするの?!」

 と、わっちは我に返る。

 「ニャニャ!にゃニャン!(森へ逃げるわよ!ついてらっしゃい!)」

 おっかさんはわっちの甚兵衛の裾を引っ張った。

 わっちは三郎丸の手を引いて

 「三郎丸!こっち!」

 と、おっかさんの尻尾を目印に走り出した。

 なるべく火が回っていない場所を縫うように進むおっかさん。

 わっちは三郎丸の手を放さずに懸命におっかさんの尻尾を追いかける。

 三郎丸は何も言わずに、手を引かれるままついてきていた─


 が、次の瞬間だった。


 引いていた三郎丸が急に軽くなった。

 わっちは思わず前につんのめりそうになった。

 振り返ると、三郎丸の手はつないだままだったが、三郎丸の体はそこにはなかった。

 「うわぁぁぁぁぁぁぁ!うでがぁぁぁぁぁ!」

 と、三郎丸の声がする方に顔を向けると、切り取られた腕から血が噴き出し悶え苦しむ三郎丸の姿があった。

 「三郎丸ぅぅぅ!」

 わっちが叫びながら三郎丸に近付こうとした時、三郎丸の顔と体が二つに分かれ──

 ──三郎丸の体は崩れ落ちた。

 その光景を見たわっちもへなへなと崩れ落ち頭を垂れる。

 そこへ


 ─ガシャンガシャン─


 と、不思議な音がした。 

 何も考えられずにその音のする方を見上げると、鎧兜を身に纏った武者が血まみれの刀を持っている。

 刀から垂れた血が地面に落ちると、真っ赤な花を咲かせる。

 「血染めの…花…。」

 花から目を離せずにいると鎧武者が

 「小童こわっぱ、悪く思うな。信長様の命令だからな。」

 と、言うと血まみれの刀を振り上げた─

 と、思う。


 ──僕は死ぬの?


 一瞬が一瞬ではないと思うくらい長く感じた。

 ああ、走馬灯ってこういう事なんだなって思っていた矢先。


 ニャーーーーー!


 という声とともにおっかさんが鎧武者の喉元に噛みついた。

 我に返ったわっちは

 「おっかさん!」

 と、叫んだ。

 「いてててて!」

 鎧武者は怯んで数歩下がり、噛まれた首をおさえる。

 「坊や、猫になって山をおりなさい。麓には村があります。そこで私が行くまで待っていなさい。決して人になってはいけませんよ!」

 おっかさんはわっちの前に出て鎧武者に威嚇をする。

 鎧武者は痛みが治まったのか、再び近付いてきた。

 「くそ猫が…!」

 と、刀を握り直しおっかさんに向かってくる。

 おっかさんは

 「人間、これ以上暴れるというのなら…呪うわよ…?」

 と、人の言葉で言った。

 「猫が…喋った?!莫迦バカな!」

 驚きを隠せない鎧武者の目の前で、おっかさんは


 ─ぽん


 と、煙とともに人の姿に変わった。

 腰まである長い髪は三毛猫の名残か三色で、肌は白い。

 「なななな…アヤカシ…?いやバケモノ?!」

 そりゃそうだ。

 猫が突然裸の女になればさらに驚きもする。

 「さぁ坊や、今のうちに行きなさい。私も後から行きますから。」

 と、振り返ってわっちに優しく微笑んむ。

 久しぶりに見た人の姿のおっかさんでありんした。

 金色の目とふくよかな頬、目じりは柔らかく少し垂れていて、鼻は少し低いけどきれいな形をしている。


 ─やっぱりおっかさんは美人だぁ…


 と、見とれているとおっかさんは鎧武者の方に向き直り

 「坊や!いきなさい!」

 と、怒鳴った。

 それと同時に周囲の状況を思い出して、びびって、いつ変わったかもわからないうちに四本足で森に向かって走り出した。


 ─四本足ってどう走ればよかったんだっけ?

 人の姿が長かったから、体が追いつかない。

 炎と鎧武者がそこら中に溢れてどこを抜ければいいのか?

 足元にはたくさんの女や子供が倒れている。

 髭ってどうやって使うんだっけ?

 髭はセンサーって言うけど感覚が鈍くて風を感じない。

 突然なる建物が崩れる音にびびり、血と肉が焼ける匂いで鼻なんてとっくに効かないし、目は煙でほとんど見えない。

 なんでこんなに人が殺されてるの?

 なんで殺されなくちゃいけないの?

 誰が殺したの?

 

 ──イキナサイ


 おっかさんの言葉は

 『行きなさい』なのか?

 『生きなさい』なのか?

 もう何が何だか分からなくなっていた。

 こう言うのを人はきっと『罰が当たった』と言うのだろう。

 僧たちは金に溺れ、女に溺れ、酒に溺れた。

 だから罰が当たったんだ。

 それにしても、一体誰がこんな『罰』を与えたのか?

 人が人に『罰』を与えたのか?

 それとも『神』が?

 こんな酷い仕打ちを『神』はするのか?

 わっちたちに『呪い』をかけるくらいだから、これだけの『罰』を『神』がするのも頷ける─


 等と考えていたけど、思い出すまでもなく『最悪』であったでありんす。

 どこをどう走り抜けたかも分からないが、煙が薄くなった所にぼんやりと『山門』が見えた。


 ─抜けた!!!


 と思った瞬間。

 思わず足が竦んで立ち止まる。

 馬に跨りいかにも『魔王』と思わせる佇まいの武将が、燃え盛る延暦寺を薄笑いを浮かべて眺めていた。

 「信長様、やはり高僧たちはほとんどおりません。いるのは小坊主や修行僧、遊女ばかりです。」

 鎧武者が馬の足元で跪き、『信長』に向かってそう報告している。

 コイツが『織田信長』か!と確信した。

 「まぁ…良い。全て燃し、そして殺せ。堕落した高僧共への見せしめに丁度よかろう。本願寺の連中もこれで少しはおとなしくなるであろう。そして儂はこの犠牲になった者たちの魂によって『魔王』に成り代わり、天下を取ろうぞ!」

 と、高笑いしたかと思うと、わっちの存在に気付き

 「…なんだ?子猫か。」

 と、馬から降りわっちに近付いてきた。

 本能が「ヤバい!」と言っているが体が動かない。

 「ヴヴヴッ…!」

 と、威嚇だけはできた。

 信長はわっちの前まで来ると

 「お前は畜生道に帰る魂。殺す価値もない。儂は三善道にいる者の魂しかいらぬ。『生贄』にもならぬなら無駄な殺生はせぬ。行くが良い。」

 と、言うと、わっちの首根っこを掴み森へと放り投げた。

 「お前も平和に暮らせる国を作ってやるから、楽しみに待っているが良いぞ…。」

 信長は小声でそう言っていたがわっちには聞こえなかった。

 

 


 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る