第3話 近づく二人

 星が見える公園で俺はブランコを座って漕いだ。金属が擦れるような甲高い音はしない。妙な振動もなくて吹き付ける風を全身に受けた。夜空を両足で蹴飛ばせそうになったところで動きを止めた。揺れるブランコに乗りながら一方に目をやる。

 女の子が現れた。前回のジャンパーとは違って水色のパーカーを着ていた。被っているフードには動物の耳のような物が付いていた。

 ブランコの揺れを邪魔に思った俺は両足をブレーキにして強引に止めた。

 揺られていない状態で見ても女の子の歩き方は奇妙に思えた。両肘を曲げた状態で軽く上げて適当に左右へ伸ばす。バランスを取るように進んでいる。本人にしか見えない細いラインの上を歩いているようだった。以前にテレビで観たサーカスの綱渡りの女性とよく似ていた。

 俺と目を合わせた女の子は大きく手を振った。

「待った?」

「約束なんかしてないだろ」

 不機嫌に返しても動じない。女の子はにこにこと笑って俺の前に立った。反応した両腕が頭を庇う。

「撫でるなよ。カッコ悪いからな」

「そんなことしないよ。だって今日は悲しそうな顔をしてないし」

 くるりと回って隣のブランコに座る。正面を向いた状態で話し掛けてきた。

「今日もいるんだね」

「この公園は塾の帰り道にあるからな」

「遅くまで勉強するんだね」

 女の子は両足で地面を押すようにして前後に揺れる。

「俺が目指す中高一貫校は難関だからな。その先には大学もある」

「そうなんだ」

「おまえだっていつか受験戦争に巻き込まれる。他人事ではいられなくなるぞ」

「いけるところでいいよ。勉強は嫌いじゃないけど、嫌いになるほどしたくはないかなぁ」

 女の子はブランコに座った姿で後ろに下がる。半ば立った状態になって両足を地面から離した。大きく揺られて気持ち良さそうに目を細めた。

「そんなことでいいのかよ」

「そっちだって、それでいいの?」

「いいに決まっているだろ」

「そうなの? 楽しそうに見えないよ」

 何げない一言で俺は言葉に詰まる。勉強を楽しいと思ったことがないわけではない。成績が上がれば単純に嬉しい。努力が点数になって見えて安心できる。優秀な人間には明るい未来が保障される。どれもそれらしい理由になるが、本当の答えは別にある。

「受験は戦争だからな。ライバルという敵を負かして勝利すると心が躍る」

「よくわからないよ。敵に友達だっているよね」

「友達じゃない。俺にとっては敵だ」

 にやにやと笑う坂下の顔が頭に浮かび、思わず言葉に熱が籠る。

「そんな戦争は悲しいね」

「それが俺達の戦争だ」

「私達はどんな関係なのかな」

 女の子はブランコに乗った状態でこちらを向いた。黒くて艶やかな目に吸い込まれそうになる。強い瞬きをした俺は渋るような声で言った。

「敵ではない」

「それならなに?」

 穏やかな声で求める。俺は思い付いた言葉を出そうとして止めた。はっきりとしない感情を隅に追いやる。

「顔見知りだ」

「えー、なんかぼんやりし過ぎだよ」

「じゃあ、なんだよ」

 その返しに女の子は照れたように笑って頭を下げる。

「お兄ちゃんかな」

「それはやめろ。俺は一人っ子だし、むず痒くなる」

「それなら名前を教えてよ」

「……菅原健一だ」

「わたしははるひめだよ。姫ちゃんと呼んでね」

 話を断ち切るように俺は立ち上がった。

「わかったよ、春」

「ちがーう。姫ちゃんだよ」

 駄々をこねる子供は無視して歩き出す。春姫という釣り合いが取れない高貴な名前には少し笑ってしまった。

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