第2話 暗い戦場

 激しい雨音で目が覚めた。着替える前に部屋のカーテンを開けた。窓に叩き付ける雨で街並みがドロドロに溶けて見える。

 そのおかげで朝食は平穏そのものだった。昨晩の順位について蒸し返されることはなかった。怒鳴るような会話は無駄に疲れる。一日の始まりに相応しくないと決め込んで黙々と食べ進めた。母親だけはちらちらと視線を向けてきて、嫌な雨、と口にしたが聞こえない振りをした。

「ごちそうさまでした」

 空になった食器を重ねて立ち上がる。速やかにシンクに運び、雨が弱まる前にキッチンを出た。

 出掛ける時の「いってきます」は省いた。言っても聞こえはしない。昨晩の仕返しの気持ちが少しあって胸がすっとした。


 雨は降り続けた。先生は雨音に対抗するように声を張り上げて授業を進める。俺は開いた教科書の上に塾の問題集を重ねて解答欄を埋めていく。周りも似たようなもので、その中には同じ塾に通う者の姿もあった。十二位の坂下はこちらの視線に気付いて、ニヤリと口だけで笑った。俺は射殺すつもりで睨み付けた。受験戦争の前哨戦はすでに始まっていた。

 放課後を迎えても雨は止まない。傘は差していたがズボンのすそはグショグショに濡れた。いっそのこと、傘を折り畳んで全身に雨を受けてやろうかと思った。その状態でがむしゃらに走れば爽快感が得られるかもしれない。

「するかよ」

 自分から否定して家路を急ぐ。塾の宿題の量は小学校の比ではなかった。


 同じような日々を繰り返している。窮屈で時に息苦しい。いつも何かに追われていて気が休まらない。

 刺々しい雰囲気の中、塾の授業を終えた。個々が私語に費やす時間を嫌って足早に教室を出ていく。後れを取るわけにはいかないと俺も加わる。ここに友達はいない。全てが敵だった。

 密集した出入口付近、誰かがふざけた調子で、僕ちゃん23位、と叫んだ。ほとんどの者は無関心。靴を履いて迎えの車に乗り込む。

 俺は怒りで震えた。仁王立ちとなって坂下の姿を探す。見つけられないまま取り残された。

「……そうか」

 ささくれた心で靴を履いた。ここは戦場で全てが敵と改めて知った。

 傘を差して雨の中を一人で帰る。辺りはいつもより薄暗く感じられた。吹き付ける風は冷たく、夜はどこかよそよそしい。

 通り掛かった公園に意識が傾く。誰もいないと思いながら足を踏み入れた。弱々しい街灯の光が全体をほのかに照らす。濡れたベンチに厚みのない新聞が置かれていた。一面に野球のことが書かれていた。激しい雨に打たれて所々が破けている。

 ブランコに目を向けた。一対のオブジェのように、そこにあった。座ろうとは思わない。側に立ち、辺りを眺めた。暇を持て余した右手が鎖の部分を掴んで強引に前後に揺らす。

 感覚で五分が過ぎた。頭を撫でるようにして髪を整え、ゆっくりとした歩き方で公園を後にした。帰る最中、テレビで観た天気予報を思い出す。明日は全国的に晴れるらしい。女の子の明るい笑顔が頭に浮かぶ。細かいところは覚えていないが、バカっぽいな、とは思った。

 薄暗い夜にほんの少しだけ、光を見たような気がした。

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