1-1-2『Que Sera, Sera』

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 "ワタシ"と言う人格が形成されてが経った。


 結論から言うと、私は所謂、異世界転生を果たしたらしい。

 いや、正確には、九歳の少女に、"ワタシ"と言う、別世界の知識と常識を持ち合わせた人格が混入したと言うべきであろうか?


 何方にせよ、そう言う空想に憧れる市井の人々からすれば垂涎の体験である事は間違いない。


 かく言う私も、よく大学のゼミの論文の締め切り前や連勤の夜勤バイトの終盤ともなるとそう言う現実逃避によく耽っていたものだ。

 妄想する分にはタダである。その点では、現実逃避は人間がストレス社会で精神崩壊を起こさない為に手に入れた叡智と言っても過言では無いのかも知れない。


 しょうもない能書きはさて置き、事の経緯と状況説明を行って行こうと思う。

 まぁ、単純に自分の置かれた状況を客観的に見つめる事によって、事実を反芻する為の手段ではあるのだが……。


 私、叶堂カナドウ紫苑シオンは二十一歳になる、の日本の洛中の某大学の三回生。正しくではあるのだが。


 そして、そんな地方出身の、しがない女子大生だった私は、現在、ヴィクトワール・アドニス・ルクレツィア・ツー・フェルリと言う、無駄に長い名前の九歳の少女の人格と混ざり合って、なんかこう、新たな人格? を形成していた。


 うん。コイツ何言ってるんだ? と思うかも知れないが、私にもよく分からないのである。


 と言うか、そもそも理屈がさっぱりなので説明のしようが無いのだ。

 後一つ、先に忠告しておくが、この人格が混ざり合って、同化して行く感覚は、まぁなんともいえない気持ち悪さを伴う。人格がゲシュタルト崩壊を起こして、何度、気がおかしくなりかけた事か。

 ムンクの『叫び』やダリのよく分からない絵画の中にいる様なそんな感覚。

 さらに言えば、異世界転生したからと言って、直ぐに世界に適応出来るなんて、御都合主義は存在しない。

 あんなものはただのフィクションだ。


 失礼。話が脱線した。

 転生するのはしたが、正直なところ、どんな世界かは未だに不明で、では無いのは確かな場所に転生したと言った所感である。

 まぁそもそもベットの上から見回せる範囲での情報しか今分かんないし。

 なんなら、地球での最後の方の記憶はかなり曖昧である。

 よく、トラックに撥ねられた。とか、ブラック企業で過労死に際して、意識を失った。とか、雷に打たれた。とかの小説を読んで来たが、全く持って正確な記憶がない。


 真冬の星降る寒空の下、今し方、漸く買ったばかりのギターを入れたケースを小脇に、近所のコンビニで肉まんとホットのブラックの缶コーヒーを白い息を吐きながら、堪能していた辺りから記憶が曖昧になっている。

 恐らく、何時ものパターンなら、そのまま、タバコを一服した後に家路に着いたのだろうとは想像出来るのだが、あの日もそうだったかと言われれば、分からないと言う他無い。


 漸く念願かなって手に入れた、あのギター。どうなったのだろうか?


 高かったのになぁ……。


 ……気を取り直して、頭の中を整理すると、最初に述べたと言うのは、朧気に一度目が覚めた様な気がするのだが、余り記憶が定かでは無い為で、

 先程目を醒ました時に、部屋に控えていた年若いメイドさんが顔面蒼白と言った面持ちで心配そうに駆け寄って来たところへ、邂逅一番「此処は何処でしょうか? すいませんが貴女は誰でしょうか?」と言ったばかりに、メイドさんは茫然自失と言った様な呆気に取られた表情を浮かべ、直ぐに大驚失色タイキョウシッショク、声にならない声を発して、出て行ってしまったので、正確には不明である。


 そして、人格融合のゲシュタルト崩壊による吐き気により、自分がヴィクトワールと言う少女だと言う事が朧気に分かって来たところだ。


 正直、それくらいしかまだ理解出来て居ない。

 だって、誰がどう考えても、本当に自分が異世界転生するとは思ってないもの。

 そしてそんな状況を瞬時に受け入れて順応出来る程、ラノベや漫画の様には上手く行かない様だ。


 と、取り敢えず、ワタシの座右の銘である、と言う言葉を自分に言い聞かせる。

 ……うん。ホント、状況に身を任せるしか無い。うん。


 いやいやいや、真面目に意味が分からんのだが!?


 融合されて来る、"ワタシ"の記憶では無く、"ワタクシ"の朧気な記憶から、所謂、今"ワタシ"がいるこの場所が豪邸の"ワタクシ"の自室と言うのは確かで、ざっと見回したけれど、こんな絢爛豪華な建物、ヨーロッパの紀行番組とかテレビドラマやアニメでしか観たこと無いし、そもそも日本にこんな場所がある訳無い。


 取り敢えず、であるのは"ワタクシ"の記憶からして確かだと思う。


 ウソでしょ………。


 それから如何許りか時間が経った頃、部屋の無駄に荘厳華麗な扉が、大きな音を立てて開いたかと思うと、少しウェーブのかかった、飴色に近い艶のある淡いブロンドの髪を後ろでまとめた花顔柳腰カガンリュウヨウの美女が、血相を変えて入ってくる。


「ヴィル!? ヴィル!! あぁ良かった。気が付いたのね」


 と私の顔を一瞥すると、張り詰めて居た緊張の糸が切れたかの様な、その場へそのままへたり込み、「アルレット様!!!」と周りのメイド達が慌てて女性に駆け寄る。

 女性は顔を覆い、人目も憚らず、ワンワンと大声を出して泣き始めた。


 ……状況が読めない。


 正確には、状況は何と無く分かるけど、この女性とワタクシの関係がまだ靄がかかった様に良く分からない。

 記憶喪失って訳じゃ無いんだろうけど。


「もしかして、お母さんですか?」


 ワタシは、そう少し様子を伺う様にそう尋ねる。


 途端、女性が泣き止む。


「ヴィル……。貴女まさか?」


 女性は絶望に打ちひしがれた様な表情で、そう言葉を紡ぎ出す。


「すいません。貴女がお母さんと言うのは分かっているのですが、なにぶん、現状を一才把握出来て居ないのです。私はヴィクトワール・フェルリで合って居ますよね?」


 私がそう尋ねた瞬間、女性は大きく目を見張り、女性の背後に控えて居た、メイドの一人がが「そんな……」と漏らしながら、卒倒した。


「ああなんてことかしら。記憶が混濁しているのね。ヴィル。貴女は大きな事故に遭ったのよ? ジェームズ!! フィッツシモンズ医師はまだなの!?」


「はい。先程診療所に連絡し、迎えの馬車が向かっております。もう如何許りかすれば到着なさるかと」


 一人の白髪混じりの濃いブラウンの髪の壮年の燕尾服の男性が、女性の言葉に一礼しながら答える。

 恐らくだけど、執事とかかな?

 スゲー。本物の執事だ。


「お母さん。私は如何なったのでしょうか? 自らの状況が理解出来ないのですが?」


 正直な話、ワタシの記憶とワタクシの記憶が混ざり合ってごちゃごちゃで、全然整理が出来ない状況で、このままだと、記憶の融合による気持ち悪さや身体の痛さから、パニックになりかねない。

 麻酔や痛み止めの様なモノが効いているのか、前に目を覚ました時程、身体は痛くない。

 頭は気持ち悪さを除けばこの間より冴えているので、今のうちに状況を理解しておかないと?


「そ、そうね……。ヴィル。良い事? 私がこれから言う事を冷静に聞きなさい」


 そう言って、母上が神妙な顔付きで静かに話し始める。

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