桜の花束を君に
@himagari
第1話
「おはよう」
そう言って君に話しかけても君が返事を返す事は、二度と無い。
僕はそれを知りつつ君にこうして声を掛ける。
他人から見ればそれはきっとおかしな光景だろう。
『桜!桜の花束を見に行こう!!』
今でも瞼を閉じれば君に出会った日のことを鮮明に思い出す。
一心不乱に花を咲かせたその笑みも。
舞い散る桜によく似た、未来を削る儚さも。
「……起きないと」
瞼をひらけば鳴り出す音色。
かけたアラームの時間に自然と目を覚ますのは長く続けた生活リズムの産物だ。
ギシギシと音を鳴らすベッドで体をを起こし、立ち上がれば目も覚める。
伸びを一つとあくびを一つ。
顔を洗いに部屋を出た。
洗面所の鏡に映る暗い顔。
君がいなくなってから、鏡に映る僕の顔はいつもこうだった。
洗って流せば多少はマシになった顔に追加でため息を一つ。
服を着替えて身形が整えば外に出るには十分だ。
「……行こうか」
僕は彼女を握りしめ、細い鎖の輪に通して外に出る。
押し開いたドアに押しかけるように吹き込む春風。
日の出の前の静けさが僕を包んだ。
道にぽつりぽつりと見える人々は皆うつむき、ケータイを弄りながら早足で歩いている。
そんな人達とは対照的な僕は空を見上げてながら歩き始めた。
『おはよ!なんだよ、元気ないじゃん?』
足を動かす僕の耳に聞こえた君の声。
花を見れば匂いを感じ、水を見れば安らぎを感じる。
五年も君のことだけを見てきた僕が、君を思えば君を感じるのはきっと当然のことだった。
残響に耳を澄ますうちに次第に見ていた景色も薄れ、見えてくるのは君と過ごした日々だけだ。
君の顔も、声も、匂いも、強引に引かれた手の温もりも。
何一つ君を忘れる事はない。
だって、これはまだ今日の僕の悲しみだから。
『悲しい記憶なんて引きずってちゃダメだよ!どこかで区切りをつけなくちゃ、未来はずーっと来ないんだから』
君に聞いた話だと、君は10歳までには死ぬ予定だったらしい。
5歳の時に医者にそう言われたんだってさ。
君の両親も親戚も兄弟も。
君より大人な人達が悲しみ涙に濡れる中、君だけが前を向いて歩いていた。
僕が君に不安と恐怖は無いのかと尋ねた時、君は何でもない事のようにこう言った。
『私に残された時間が短い事はもう怖くないよ。だって私はもう既に、君より随分とたくさん生きたからね』
同い年の僕にそう言う君の言葉が、初めは僕には分からなかった。
だけど君との時間をたくさん過ごして、君の言葉を聞いて、君とのお別れの時には君の考え方が、僕の考え方の指針になっていた。
『昨日と今日に区切りなんてない。眠って忘れた事で区切りをつけたつもりになってるだけ。今日を引きずったままの明日なんてそんなの今日の延長戦でしょ』
強がらない、ありのままの君がそう言って笑っていた。
僕の時間は君を失った時から止まってしまって、ずっと君がいなくなった今日を哀しみ続けている。
君を失って、君の言葉の意味がよく分かった。
『だから明日に移るだけじゃ未来に進んだ事にはならない。どこかで喜びも悲しみも、区切りをつけなくちゃ一つの思い出にならないんだよ。だから私は色んな事に区切りをつけて生きてきた』
そうして幾つもの日々を乗り越えて、沢山の時間を思い出にした君は僕よりずっと多くの人生を生きたのだろう。
君は憂う事なく、悲しむ事なく、腐る事なく歩み続けた。
『だからもう十分なんだ。私の人生は私が納得するのに十分なものになった』
君は強かった。
僕なんかには決して釣り合わない強さがあって、僕にはまだその強さが足りない。
『でも君には感謝してるんだ』
一際強く君の声が響いた。
それはきっと僕の心の中でその言葉が大きな傷を残しているから。
『私が人生に満足できたのは君のおかげだから。君が私の人生の最後のピースになってくれた』
僕は君に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
君の人生の最後が不甲斐ない僕で、足りない僕で、情けない僕で、本当に申し訳なかった。
僕がもっと格好良かったら、賢かったら、面白かったら、君をもっと笑顔にできたかもしれないのに。
それでも君は笑ったんだ。
『だから、私の人生の最後は君にあげる』
そう言って君は最後の瞬間まで僕を隣に居させてくれた。
楽しかったよ。
嬉しかった。
君と居た時間の全てが僕の宝物だ。
「……もう、着いちゃったな」
正直、僕は君を手放したくない。
ずっとそばにいたい。
君を思い出にするくらいなら、僕は君を失った悲しみを引きずって明日を生きていきたい。
だけど、そう思う度に君の言葉が胸に刺さった。
『私が居なくなったあと、ずっと悲しんでちゃダメだよ。少しの間なら許してあげるけど、ずっと泣いてるのはダメだからね』
あの時僕は頷いたんだ。
だから僕は嘘をつかないよ。
「ごめんね、桜の花束は供えられないからさ」
たどり着いた朝焼けが彩る高台の公園。
吹き抜ける朝の春風に全身を揺らされながら僕は街が一望できる展望台に立った。
そこから見える街並みも朝日に照らされ黄金の光が煌めいている。
この街には至る所に桜が咲いていて、特に大通りを横切る川沿いには数キロに渡って桜が並んでいた。
高台から見るその景色はまるで街が一つの花束のようで。
これが僕から君に送る最後の花束。
「ごめんね、ありがとう、ずっと好きだった」
僕は首からペンダントを外して、胸元にあった小さな筒状の装飾の蓋を開けた。
「さよなら」
僕の言葉と共に、吹き抜けた春風が灰を運んで吹き抜けて行く。
見上げた空はもう青く、桜の色で締めくくられる。
そんな思い出が一つ増えた。
桜の花束を君に @himagari
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