5 再び車を走らせた。女の子はずっと黙っていた。
再び車を走らせた。女の子はずっと黙っていた。
黙っていられると私は危なくなる。不安になる。この子はさっきの私の様子を不審に思ったのかも知れない。ひょっとすると、妻の幻と対話しながら「殺した」などと口走っただろうか? 思い出せない。そうだとすれば、もし妻の行方不明が表沙汰になったら、今夜のことを思い出さないとも限らない。もう私の顔を記憶しているだろう。車の形や、ひょっとしたらナンバーも。フォルクスワーゲン・サンタナなんて、今時、どこにでも走っている車ではない。
やはり殺しておくべきなのだろうか、と私はまた少し考えた。
確かにさっきは少しばかり心の交流のようなものがあったかもしれない。でもそれだけだ。いちばん好きな妻だって殺せたんだから、誰とも知らない少女を殺すのなんてそれよりずっと簡単なはずだ。
車を停め、少女をシートに押さえつけてベルトで絞める。車の中は密室だ。このあたりだとまだ人通りも無い。助けを求めても誰も来ない。革のベルトが細い首に食い込む。死にたいと口では言っていても、殺そうとすれば悲鳴を上げ、涙も流すだろう。顔をゆがめ、身をよじらせて抵抗を試みても、細い腕には何の力も無い。たやすいことだ。体重も妻より軽いだろう。名前も知らない子だ。私との接点は何もない。
ハンドルを握る手に汗がにじむ。私は横目で相手の顔色を見た。
視線に気づいて、少女は顔を上げた。
ほんの微かにだけど、ほほえみを浮かべているように見えた。
速度を落としながら、私は彼女の顔を見つめた。ぎこちなく引きつって、唇の端は震えていたけれど、確かにそれは笑顔だったと思う。
「もうちょっと」と女の子は言った。「ちょっとだけ、トンカチが飛んでくるまで、考えてみる、わたし。もう少し」
私はうなずいた。この子は私をいい人間だと思ってくれているのだ。そう信じよう。そう思えば殺さずに済む。せっかく笑顔を見せてくれたこの子を。
人家が増え、市内の住宅地に入った。雲居台団地の入り口への交差点の信号で止まったとき、女の子が小さな声で言った。
「ここ、左」
「君のうち?」
「帰りたくないけど……」
赤信号をにらみながら、私はもう一度自問する。本当にいいんだな? このまま家に帰してしまっていいんだな? ここで左へ曲がれば、この子の家はもうすぐそこだろう。曲がらずに走り出せばまだ、そのままどこかへ連れ去ることもできる。連れ去れば……。
信号が青に変わった。
女の子は小さくため息をついて「でも、帰んなきゃな」とつぶやいた。
私はハンドルを握り、左に切った。
団地の奥の新開発地区にある白い箱のような一戸建てが、彼女の家だという。五戸分ほど離れた空き地の前に、私は車を止めた。
ドアを開けて、「ありがとう」と少女は言った。
アスファルトに降り、ドアを閉めようとした彼女に、私は声をかけた。
「ねえ、君。夜中にヒッチハイクなんて、二度としちゃいけないよ。危険すぎる。次こそは、ほんとに殺されちゃうよ」
女の子はまたあのぎこちない微笑みを浮かべると、うなずいてドアを閉め、車に背を向けて歩いて行った。暗がりを歩いてゆく細い後姿を見送りながら、これでよかったんだと思った。頸を絞めたりしなくてよかった。あの子は妻とはちがう。私を愛したわけでも愛されたわけでもない。殺されたりしてはかわいそうじゃないか。
細長い影が門に消えると、私は車を動かした。
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