第4話


あの後、鮫島さめじまとは連絡先を交換した。


ブーティ・コールBooty call、愛人、都合の良い女、俺にベタ惚れな有名人…。

鮫島さめじまにはどんなレッテルを貼ってもらっても構わないが、

ついに、私が集まったピースをはめる時が来ていた。



鮫島さめじまと別れたその日、私はまた17時30分より少し前に帰宅した。

急いでシャワーを浴び、体中の砂を落とす。だが私は、鏡に映る自分の顔を見て驚愕した。肌が、焼けている…!朝、少し浜辺にいただけで、首から上が、ほんのりと赤く火照っていた。運動も、外に出ることさえ嫌いな私が、日焼けするほど外に出ていたことを、旦那は怪しむだろう。なんと言い訳をしたら良いか考えているうちに、ガチャリと、また扉が開く音がした。


まどか、ただいま。…。あれ?」

「おかえりなさい!少し待って!今シャワー浴びてるの!!」

私は、シャワー室から声を張り上げる。

だが、まずい。私が毎日朝にしかシャワーを浴びないことを知っている旦那は、これでさ通常とは違うことに気づくかもしれない。

「そっか、ゆっくりでいいよ。今日もお疲れ様。」

「ええ!あなたもお疲れさまだったわね!」


私が素早くシャワー室から出ると、旦那はソファに座って外を眺めていた。

「お待たせ…!お出迎えできなくて、ごめんね。」

「あ、気にしないで。僕こそ、円が今日はシャワー浴びてるなんて思わなかったから、少し待ってから帰ってくればよかったね。まどかも、連絡してくれれば良かったのに。」

「ち、ちょっとお料理してた…。えっと、スーパーの帰りに水溜りの泥が跳ねてしまって、洗濯と、足元の泥を落としたくて。」

「そっか、それは大変だったね…。洗濯は、僕がやっておくから大丈夫だよ。あれ、円少し顔が赤いけど、大丈夫?」

「だ、大丈夫よ!お風呂で少し熱いシャワーを浴びて、顔が火照ってしまったのだと思うわ。」

「なんだか、今日の円はおっちょこちょいだなあ…!」

旦那は、ハハハと笑い、それ以上何も聞こうとしなかった。


一瞬、かなり焦った。だが私のことが大好きな旦那は、変化に気づきはするが決して悪い方向には考えないようだ。それが、信頼できる旦那を持つことの良い点なんだろう。どくどくと脈打つ心臓を抑えるために軽く目を瞑って深呼吸をし、平静を装って旦那の側に座る。旦那はしばらく仕事の連絡か、スマートフォンに顔を落としていたが、私が座ると顔を上げて笑顔になる。


私は今日、旦那に一つ打ち明けることがある。

さっきからずっとそのタイミングを狙っているのだが、旦那は心なしか、今日は何か落ち着きないように見えた。まさか日曜の外出が勘付かれたのでは、とは思い一応尋ねる。


「ねえ、あなた最近、研究のほうは順調?なんだか、元気がないように見えるけど、何かあったの?」


「大丈夫だよ。最近うちの大学の研究資金が来年度に減らされるのではないかと噂が立っていてね。ちょっと気が気ではないんだ。」


「そんなことがあったのね…。あなたが落ち込むのも珍しいから、心配だったわ。でも、あなたはいつもピンチを乗り越えてきたじゃない。私がついているから大丈夫。それと、きっと私が今から話すことを聞いたら気持ちが明るくなるわ!」


「ありがとう、まどか。ほんとうかい?一体、どんなこと?」


「あのね…。」


「うん。」


「子供を、作りましょう。私、決心がついたわ。」


その言葉を聞いた旦那は、あまりの驚きにスマートフォンを落とし、立ち上がった。


「ほ、本当かい!?」


「ええ、本当よ。」


「ああ、とっても嬉しいよ…。円、ずっと悩んでたのに、僕たちのために決断してくれたんだね。」

「もちろんよ。今までこんなに待たせてしまってごめんなさいね。」

「いいんだ。謝らなくたって。ああ、もう僕は落ち込んでなんていられない!生まれてくる子供のためにももっと頑張ろう。」

「元気になってくれたみたいで、よかったわ。」


旦那は、涙を流しながら私を抱きしめた。

その両手が離れる時、私はそれとなく旦那を呼び止めた。


「あ、そういえば、もう1つニュースがあったわ。今度、ハルに紹介したい男性がいるの。」


ハルちゃんに…!?まどかが見つけてきたんじゃ、きっと晴ちゃんにぴったりだろうな。」

旦那は、肝心の私が「いつ」「どこで」「どうやって」その男性と出会ったのかを聞かなかった。脳が興奮状態にあるとき、人の判断能力は鈍る。良いニュースを先に伝えたのはこのためだ。


「うふふ、本当にそうだといいわ。早速、ハルには伝えてあるの。来週の土曜日、紹介するつもり。」


「それは楽しみだね…!僕もどんな男性なのか気になるけど、それは後のお楽しみにしておこう。さあ、もう夕飯にしようか。今日は僕が作るよ。」


旦那の言った通り、ハルに紹介する男性について知るのは、後でいい。

まずは、ハルに確実に男性を気に入ってもらうこと―


―それだけが最優先だ。



*

そして、約束の土曜日を迎えた。

待ち合わせ場所は、中目黒駅の改札。まずは、目的の男性と待ち合わせしてから晴が合流し、そこから、ディナーを予約してあるレストランに向かう。

今日、晴はどんな格好をしてくるだろう。


駅で男性を待っていると、見覚えのある姿が改札を抜けてくるのが見える。

白シャツにライダースジャケットを羽織り、ジーンズ姿で現れたその男性は、綺麗にまとめ上げられたオールバックと、胸を張った姿勢が、すでに屈強なアスリートのオーラを放っている。


男性が私を見つけ、こちらに向かって歩いてくる。私は、軽く手を振る。


「こんばんは、鮫島さめじま君。本当によく来てくれたわね。」

面倒くさそうに頭を掻く鮫島さめじまは、改札から吐き出される人の波に参っているように見えた。


「僕、知らないよ。今日の女性が僕の好みじゃなかったら、すぐ帰るからね。」


「それは、まずないと思うわ。」


ハルとの待ち合わせは、5分後に設定してある。私は今か今かと妹を待つ。昨晩、深夜遅くまでどんな服装にしようかと私に相談をしていたハルは、よく眠れたのだろうか?

ヤキモキしていると、待ち合わせの予定時刻になった。

とその瞬間、私と鮫島さめじまの目が、一気に何かに惹きつけられるように、一点をとらえる。


喧騒に包まれ、忙しく歩く人々の足音の中、周りの空気までも華やかに変えてしまうかのように、一歩ずつ大事そうに歩く女性の姿。小さな肩幅に深い橙色のカーディガンをかけた真っ白なワンピースに身を包み、頭にはちょこんとベレー帽を被っている。そして、ショートヘア―パーマをかけてくるんと跳ねる髪が揺れる。


その女性は、何とも愛らしい。まるで、女神が降臨したようだ。

その女性は―いや私の妹は―今日も可愛い。


そして、妹の存在―それが、私が落とした三つ目の爆弾だった。


「…!?」

鮫島さめじまの目が丸くなり、その場で固まる。

「あ、あれって、海…海野晴うみのはる…さん、だよね?アナウンサーの?え、あれ、もしかし…て…」

鮫島さめじまは恐る恐る私の方を見る。

「紹介してくれる女性って、海野晴うみのはるさんだったの…?」

私は黙ってこくりとうなずく。

「でも、どうして彼女を知って…それに、「海野」って苗字も同じだし…え、まさか海野さんの…妹?」

「そう。ご名答だわ。」

「…!た、確かに苗字は同じだけど、今まで、気づくわけがないよ…!姉妹なのに、顔が全然違うから。」

「よく言われる。でも、れっきとした姉妹よ。それに、私達は双子なの。」

「双子…。」

あまりの衝撃に平静を保つことができない鮫島さめじまのもとに、私達を見つけたハルが近づいてくる。

「お姉ちゃん、それと、鮫島さめじま、さん。こんばんは。今日は、よろしくお願いします。」

鮫島さめじまくん、とにかく、ハルを紹介するわ。改めて、私の妹の海野晴よ。」

鮫島さめじまは、ぎこちなく片手を差し出す。

「こ、こんばんは。鮫島隆也さめじまりゅうや、て言います。こちらこそよろしくお願いします。」

鮫島さめじまは顔を真っ赤にして、ハルの方をほとんど見ることができない。

晴の方もいつになく緊張しているようだったが、すこし立てば、絶対にこの二人は打ち解ける。私は、知っている。


私は、目的の場所がある方向に体を向けた。

「今日はお互いについて知る、最高の機会にしましょう。」


私達3人がレストランに向かって歩き始めた時、私は晴に近づいて、小声で尋ねた。

ハル、髪を切ったのね。見違えたわ。」

「あ、ありがとうお姉ちゃん。今日まで、秘密にしておきたくって。どう、似合ってる?」

「とっても似合ってる。それで…彼はどうかしら?」

「それは…お姉ちゃんって、ほんとにすごいんだね。どうしよう、鮫島さめじまさん、本当に素敵な方だと思う。カッコよくて、さっきから目を見れなくて…。」

予想通りの答え。妹が気に入るのも訳はない。18年間一緒に育ってきた仲なのだ。妹のタイプは熟知している。

「それは良かったわ!お食事の場では、彼になんでも聞くといいわ。彼、話し上手だから。」



エスコートなど、柄でもないことをそつなくやってのけるように見せているのは、カレ達に全て教わったからだ。

初デートは、目的の場所まで徒歩で時間がかかりすぎるのはよくない、お洒落すぎないほうが良い、と学んだ私は、駅から徒歩5分の、3階建ての2階にあるカジュアルなイタリアンレストランを選んだ。そこそこのワインを多く取り揃え、食事も決して悪くないこの場所は、気取った場所を嫌う妹にとっても鮫島さめじまにとってもぴったりだった。

 初対面では顔も見れないくらい緊張していた二人だったが、徐々にワインが進むにつれて、時折笑顔を見せるようになり、お互いの仕事や趣味の話を交わし、最後にはまるで旧知の仲であるかのように意気投合していた。


そして二人は、連絡先を交換し、次会う約束をした。

下り方面に向かう鮫島さめじまは先に別れ、彼の姿が見えなくなった後、私と妹は、顔を見合わせてぷっ、と噴出した。


ハルがバッグを前に持って体を左右に揺らしながら、下向き加減に言う。

「あー、今でも心臓がどきどきしてる。本当に完璧な人だね、夢みたい。それに私、実は昔の鮫島さめじまさんを知っていたの。スケートボードの試合は良く見ていたから。お姉ちゃん、本当にありがとう。私、このまま結婚も考えてみる。」


「アハハ、ハルのタイプはよーく知っているもの。運動も出来て、優しくて完璧でしょ。」

「うん、本当に。ありがとう、お姉ちゃん。」


思った通りだ。

「憧れのお姉ちゃん」から紹介してもらった男性、というだけでも妹の中でバイアスがかかっている。その上であの魅力を突き付けられて、恋に落ちないはずがない。

私は、心の中でガッツポーズをする。全てが上手くいった。

鮫島さめじまに会ったあの日から、ピースは揃っていたのだ。あとは、そのピースを壊さないようにはめるだけ。


あと、もう少し。本当にもう少し。


妹と別れてから、私は小躍りをしながら帰宅し、旦那に「成功だった」と伝えた。

鮫島さめじまからも、連絡が来ていた。


ハルさん、素敵だった。僕、確実に好きになったから。結婚、ちょっと想像できるかも。」


メッセージには、そう書かれていた。

計算通りだ。美貌、気立て、格、アナウンサー。おまけに、有名な画家の妹。全てのレッテルを欲しい物にできるのだから、断る理由などない。



*

それから半年が経った頃―

私のもとに、嬉しいニュースが飛び込んできた。


ハルが、鮫島隆也さめじまりゅうやと婚約した。

それから間もなくして、晴は子を授かった。

不妊治療の末、体外受精を試みての妊娠だった。


嬉しいニュースはそれだけではなかった。

ほとんど時を同じくして、私も妊娠した。

だが私は子宮外妊娠と判断され、初めの子は流産してしまった。

その後病院で、今度は通常通り妊娠していることがわかった。

陽明ようめいは涙を流して喜んだ。

私も喜んだ。




さてと―


全てのピースが、はまったわ。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る