ラブマスター先輩

ひなみ

本文

「あの、あなたがラブマスター先輩こと火村愛ひむらめぐみさんですか?」


 声を掛けてきた1年生の女子がキラキラとした目で見てくる。

 え、何それ知らん。何? 待って、ラブマスターって。

 彼女は自分の手を胸元あたりで握り、「憧れー」と言わんばかりのキラッキラ瞳であたしを捉えて離そうとしない。

 いいのかこれ?

 うん。まあ、いいか。


「あーね。確かにそう呼ばれてはいるけども! で、このマスターに何かご用なのかな?」

「やっぱりそうだったんですね。ちょっと聞いて頂きたいことがありまして!」


 出たよ。また悩んでるヤツがきた。

 知ってる、このあと100パー恋愛相談をしてくるんだ。

 最近はこういう先輩、同級生、後輩があとを立たない。


 心当たりがあるとすればあれしかない。

 クラスで何気なくした「恋愛ってのは要するに依存関係だよね」みたいな適当な答えに、いい感じの尾ひれがつきまくってしまった。今のあたしのイメージはもはや尾ひれだけで生きてる魚みたいになってる。

 みんなの中ではあたしは恋愛上級者らしいんだよね。いや待ってよ、そういうの1度も経験ないんですけど。


 とはいえ、今さらカミングアウトするのって恥ずくね……? の気持ちが強くなってしまった結果、言い出せなくてここまで来てしまった。

 ていうかラブマスターって。

 誰が命名したんだか。やめてよマジで。悪くない名前じゃん。


「ラブせん、あざーっした! 教えを胸にこれから一旗あげてきます!」


 今日だけで3人の相談に乗ったつもりでいる。

 あたしの今のバイブルは恋愛小説。これがなかったら今頃大恥をかいてた。

 といっても、本物のマスターからすれば失笑ものだろう。

 それでもなぜかうまくいった報告を次々と聞かされてはいる。うん、案外この世界はちょろいもので出来てるのかもしれない。



「ねえ、今こっち見てなかった?」

 4限が終わって、教科書を片付けてるとまた視線を感じた。


「ちげーし。俺はただ、外の景色を見てただけだし」

 隣の席の小鳥遊たかなしは顔をふいっと逸らす。気のせいなのかもしれないけど、最近どうも見られてるような。


「そう? もしかして悩みとかあるんじゃないの?」

「……そんなもの、あるはずないだろ。それより、火村は他人に構いすぎなんじゃねーの?」


 それな。小鳥遊たかなし、よくわかってんじゃん。


「まあ、あたしはそういう性分なわけ。いいじゃん、ほっといてよ」

「そーですか。ま、余計なお世話だと思うけど、ほどほどにしとけよ」

 そう言って彼は教室から出ていった。



「らぶせんぱいは今日も人気者だねぇ?」

あおい、本当そういうのやめてってー」

「いいじゃないですかぁ。みんな噂してるよぉ? そうやって嫌がるけど、実際満更でもないんでしょぉ?」

「とりあえず、その変な語尾もやめよっか。キャラに全然合ってないしさ」


 昼休み、ワイワイとした学食のテーブル席でいつものようにお昼を食べている。


「本当さ、最近すごい評判になってるじゃない?」

 向かいに座った親友は食べるのも忘れて興奮気味にまくしたてた。


 そう、あたしはこの子にも真実を告げられていない。もちろん理由はさっき言ったとおりで、引っ込みがつかなくなってしまった。

 罪悪感と羞恥心の狭間みたいな、そんなところにいる。

 どうにもいたたまれなくなって、熱々だったはずの伸び始めてるラーメンを食べるように促しておいた。


「ところで、そっちは悩みとかないの? よかったら聞いたげようか?」

「わぁ、出たぁ! もしかして、それも語録の1つなの?」

「目をキラキラさすな。あと語録言うな。そんな事よりも……あるの? ないの?」


 あたしが逆に聞いて欲しいくらいなのはここでは置いておく。

 すまない友よ、卒業までにはかならず。


「うーん……あるといえばあるんだけど」

 葵は前髪をくるくるりと弄りだす。何かを考える時のクセだけど、彼女はまったく気付いてないみたい。

「え、そうなの?」

 その答えは意外だった。彼女はいつも明るくハキハキしてる半面、勉強や運動で特に目立つところはない。それでも性格の良さや素直さは、あたしからすれば羨ましいくらいだし何もかもうまくいってるものと思ってた。


「でもな。まだちょっと1人で頑張ってみたいんだよねー」

 葵は照れるように愛嬌たっぷりに微笑んだ。

「そうだよね、葵は頑張りやさんだもん。うん、じゃああたしも陰ながら応援するとしましょうか!」

「メグちーのそういうとこ大好き~! えへへ、わかってくれてありがと! ――そうそう、これは全然関係ない話なんだけどね」

 悩み相談じゃない普通の話ができる時間は、あっという間に過ぎていく。

 スープをたっぷりと吸って完全に伸びきったラーメンを、まずいと笑いながら分け合ってすすった。


***


 ある日。


「火村さん、ちょっと話を聞いて欲しいんだ」

 あたしは一人の男子生徒に声を掛けられた。


「ふ、二見ふたみ君っ……!?」


 彼は「驚きすぎじゃない?」と目を丸くしていた。

 そりゃ驚くわ。片思いをしてる相手が突然現れたら、誰だって間違いなくビビるでしょ。

 なんなら、カバンの中の恋愛小説バイブルに誓ってもいいくらい。いや絶対に見せらんないけど。

 ひとまず咳払いを何度かして調子を整える。


「えっ……と。それでどうしたのかなぁ?」

「クラスの子が、そういう相談をするなら火村さんがいいって言ってたからさ」


 彼までラブマスの件を知ってるなんて。ま、隣のクラスだし当然と言えば当然なのかもしれない。

 よし決めた、ここはビシっと本当の事を言おう。

 それから「本当はあなたの事が好きでした」なんて、なんて!

 言うぞ言うぞ。


「……」

「…………」


 えー、ただいまばっちり目が合っております。

 おかしいな、逸らそうにも逸らせない。

 ていうか二見ふたみ君、眼力がんりき強すぎない?


「うん、あたしに解決できない悩みなんてないしぃ?」

「よかった。僕の悩み事も聞いてもらえると嬉しいんだけど、どうかな」

「大丈夫だよぉ。あ、ちょっとここ騒がしいし……なんなら、場所変えちゃおうかぁ?」


 また嘘を重ねてしまうどうしようもないあたし。

 それでも、彼の話――恋愛系の悩みを聞いてみたいとも思ってしまったのだ。


 ちょうど人もまばらになっていた隣の教室、つまり二見ふたみ君のクラスに移動して向かい合って座る。


「火村さんと同じクラスに石川さんっているよね」

「うん。葵なら、友達だけど……?」

「よく彼女がこっちの教室に来ててね。最初は向こうから声を掛けてきたんだけど、何度か話をしてるうちに段々と気になるようになってさ――」


 ああ、あの照れたような表情はそういう事なんだ。

 葵が頑張ってる相手って二見ふたみ君なんだと思った。

 そして彼の方も惹かれはじめてる。こんなの小説の中だけの話だと思ってた。

 両思いなんて奇跡、存在してたんだ。


 大切な人と好きな人。

 どう考えても二人はお似合いすぎて、あたしの出る幕なんてない事くらいすぐにわかる


「ねえ、二見ふたみ君。葵はすっごくいい子だよ。それは親友のあたしが保証する。こんなところで迷ってる間に、他の誰かに取られちゃうかもしれないよ。君はそれでもいいの? 後悔しない?」

「まだ僕は、できる事をやれてなかったんだね。ありがとう。火村さんに相談して本当によかった」


 自分のクラスに戻ると、教室にはもう誰も残っていなかった。

 むしろ、誰もいなくてよかった。

 周りから音がなくなったみたいに静まり返った空間の中、ぐるぐるとした頭のまま机に突っ伏す。


 何も伝えられないまま終わった。

 不完全燃焼もいいとこだ。後悔したのはあたしの方。

 それでも強がって、気取った例え方をするなら、きっとこれが失恋の味というものなのかもしれない。

 しょっぱい。

 甘くも辛くも苦くもなく、ただただ、しょっぱい。


 今日くらいはいいよね。明日になったらいつもの自分に戻るから。今だけはこの気持ちと向き合っていたい。


***


「メグちー、ちょいちょいちょい!」

「お、葵じゃん。どしたの慌てて?」

「同じクラスに小鳥遊たかなし君っているでしょ。ちょっと無愛想……じゃなくてクールな感じの? あの人が相談事があるんだって言ってたよー!」


 にやにや顔のまま去っていった葵はさておいて。

 放課後人のいなくなった教室で待っていると、小鳥遊たかなしがやってきた。


「まあ座りなよ。で、相談ってなんなの?」

「え、ああ……。うーん、なんと言っていいやら」

 正面の椅子に腰掛けた彼はそわそわしている。


「え、もしかしてないの? じゃあもう帰るけどいい?」

「いや、ある! あるにはあるんだけどな……ああ」


 さっきから、なんだか落ち着かない様子なのだけはわかる。とにかく目が泳ぎすぎてて不審者みたい。

 普通、ここまであちこち彷徨うものかね。


 それから少しの間、無言の時間が過ぎていく。


「あたし、はっきりしない態度の人の話は聞かない事にしてるんだ。それじゃ」

 立ち上がろうとすると、


「ま、待った! それが……とある人の話なんだけどさ!」


 かかった。小鳥遊たかなし一本釣り。

 やっぱり出たよ。悩んでるヤツがいた。

 ここまできたらもう、ラブマス最後まで演じてやろうじゃない。


「いつも誰かの為に一生懸命で、自分の事は二の次で相談乗ってて、とにかく一生懸命な人がいてだな」

「へぇ、そんな子が近くにね?」

「あ、ああ……。昨日、1人で泣いてるとこを偶然見ちゃったんだ。俺、居ても立ってもいられなくて。だからどうにかして、元気付けられないかってさ」


 こいつ、めっちゃ青春してんなー。

 それに比べてあたしはいったい何してんだー?

 そう思うと、悪いけどついついしてしまう。


「そっか。小鳥遊たかなしはその人の事が好きなんだね?」

「好……え!?」

「あれ、違うんだ?」

「そりゃ、もうめちゃくちゃ気になって……て!」

 彼は再びそわそわし始めた。


『いつも誰かの為に一生懸命で、自分の事は二の次で、一生懸命相談に乗ってくれる女子生徒』

 相変わらず目が合わないままだけど、ここであたしは完全に理解してしまった。

 腕組みをしてうんうんと頷く。


 はいはい。

 そういう事ね。

 すべてわかってしまった。


「――おーい火村、話聞いてるか?」


 導き出された答えはこう。

 


「まずはその人に会わせてよ! 話はそれから聞こう!」

 あたしはすっと立ち上がり机を叩いた。

「はぁ!? む、無理に決まってるだろ!」

 小鳥遊も同じように勢いよく立ち上がった。

「は? どうしてダメなの?」

 顔をじーっと覗き込むと、その顔は真っ赤になっていた。

 ちょっとピュアすぎんか? どんだけその子の事好きなのよ。

 背けた顔を追いかけるようにしてついていき、「チラッ、チラーッ」と様子を伺う。


「あの……火村? それ、心臓に悪いからやめて欲しい。じゃなくて、相談はおしまいだ! 帰る!」

 そう叫ぶと彼は慌てた様子で教室から出ていった。


 1人残されて考える。

 やっぱり様子自体おかしいままだったし、もう少し詳しい話を聞いてみる必要がありそう。

 それにあそこまで有力な情報を聞いといて、みすみす見逃すあたしではない。

 何があっても突き止める。

 カバンを背負うとこの場を後にした。


 下校中の生徒の間をぶつかりそうになりながら抜けていく。

 廊下を走るなとの、生徒指導の先生の注意をひらりとかわす。

 今は、それどころじゃないんだから!

 こうなったら現ラブマスの名に懸けて、風にでもなってやろうじゃない。


「たーかーなーしー、まぁーてぇー! いいから、真のらぶ先輩に会わせなさいって!」

「追ってくんなよぉおおおー!?」


 あたしは、逃げていくクラスメイトの姿をひたすら追いかけていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラブマスター先輩 ひなみ @hinami_yut

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る