第6話 その生徒はお礼をしたいようだった
「では、僕はこれで。失礼しました。」
健一は再度崩れかけたマフラーを結びなおすと謝っている白髪の教諭とあっという間に自分が置かれている現状から解決したというこの状況に理解が追い付いていない女子生徒を背に職員室を出た。健一にはまだやるべきことが残っているからである。
「さてと……」
「あのっ!」
後ろで健一を呼び止める声が聞こえた。まだ何かがあるのかと思った健一は振り向くと先ほどの女子生徒が健一のほうへとやってくる。
「ありがとう………ございました。」
「あ、うん……それは別にいいんだけどね。僕はただ、見たものをいっただけだから。それに、君のほうこそ大変だったと思うよ。冤罪をかけられて気持ちいい人間はどこにもいないから。」
「それは……そうですね。」
「じゃ、僕はこれで。気をつけて帰るんだよ。」
女子生徒に手を挙げてくるりと背を向けた健一に対して女子生徒はちょっとびっくりしたかのように健一の袖をつかもうとした。だが、勢いを殺しきれなかったのかその矛先は健一のマフラーへと両手が動いた。
「うげっ!!」
「きゃぁ!!」
バランスを崩した女子生徒と健一はそのまま倒れた。その衝撃でマフラーの結び目が硬くなり健一の首が閉まる感覚を覚えた。
「ちょ…………バカバカバカ!!!お前!!!苦しい!!」
「あ、ああああああ!!!ごめんなさい。ごめんなさい!!」
何とか手を放してもらった女子生徒は健一に対してずっと謝りっぱなしの状態で、健一もさっきのような擁護をする気はない。
「はぁ……死ぬかと思った。何なの?助けられたふりをして実は殺そうとしてた?」
僕がターゲットなら思う節はかなりある。学校側に何度も迷惑と問題を問いかけたから、ついに痺れを切らした学校側が殺しのプロを雇ったのかもしれない。
「違いますよ!」
「あ、違うんだ。なんだちょっと残念。」
「どうして残念がるんですか!」
それは殺し屋というものに実際に出会ったことがないからである。物語の世界でしか見たことがないから会ってみたいというのは人間の性なのかもしれない。
「あの……改めて先輩、すみませんでした。あの………厚かましいかもしれませんが……この後……予定ありますか?」
「………………………本当に殺しに……」
「もうその話はいいですから!!」
そんなたわいもない話をしながらも健一は思い出していた。
女子生徒、確か名前は
「あ……そうか、今朝の……」
「は、はい……そうです。」
健一が思い出したのは今朝の出来事、バスで隣に座ったあの女子生徒であった。どうしてこうも人というのは巡りあわせがひどいものだろうか。
「悪いけど、この後予定あるんだ。だから、お礼とかほんといいから。」
「そういうわけにはいきません!私にはあなたにお礼をする権利があります。」
この後、予定あるといっても、一向に引くことを知らない小鳥遊に「こんな風だったか?」と思いつつも、健一は右手のポケットに入れたカギを軽く鳴らすと何かを思いついたように左手の指を立てる。
「じゃあ、先に僕の予定を終わらせてからにしよう。この後、理科学研究室に行くんだけど、付き合ってくれるかい?それが終わり次第、君の用件を済ませるとしようか。これでお互いに条件はいいと思うが、どうだろうか。」
その言葉に、小鳥遊は満面の笑みを浮かべ、肯定を示した。
健一と小鳥遊はその足で朝、朝陽が寄ると言っていた理科学研究室へと向かった。
今日の健一としての放課後は最悪である。ただ、有意義に、妹から貸してもらった本を読み終え、暗くなるまでまったりと放課後を過ごしたかっただけなのに、友人の彼女にいちゃもんを着けられる。成績表を取りに行ったら、もめ事を起こしている白髪の教諭と小鳥遊がいる。そして、その小鳥遊にお礼をさせてほしいときた。
今日だけで労力の三分の一を使ったので今日はアツアツのお風呂に入ってふかふかの布団で眠りたいところだ。
「ところで、予定がないって言ったらどうしてた?」
「そうですね………………」
それっきり、小鳥遊は黙り込んでしまった。その様子から察するにノープランだったのだろう。健一はそんな彼女の意図を把握しながらも、あえて黙ることにした。
「しいて言えば、ご飯を奢る程度でしょうか。」
「よかった、まともな回答がやってきたから安心したよ。それ、のった。」
小鳥遊の回答に健一は安堵した。これで、身体で払いますとか言われたらそれはそれで悪くない提案だが、ただの高校生がそんなことをしていいとは思えなく、もしそういわれるならば、速やかにお引き取りを願ったところだった。
理科学研究室についた健一と小鳥遊は、これから起こる面倒ごとを前に軽く息を吐きながらも健一はドアを軽くノックしてから、返事を待たずにスライドさせる。
「邪魔しますよ~」
小鳥遊までしっかり中に入ったのを確認してから健一はドアを閉める。
「邪魔だから出ていけ。」
とまぁ、中からかわいげのない二十代前半の男性教諭の容赦のない声が聞こえた。
教室よりも広い理科学研究室の中にいるのは健一の予想では二人だけ。教諭が授業でよく使うホワイトボードに無数の数式を並べて、時折「ふ~む」とうなっている。入ってきた健一と小鳥遊を見ようともしない。しぶしぶ着たワイシャツの上に白衣がだらしなくかかっているが、それが大人な余裕を感じるようで、どことなくカッコよさを感じる。それでもそれを上回る言動と性格に飽き飽きしているのではいるが……
「僕を呼んだのはあんたでしょうが……」
「おや?なんだなんだ?
「違います。なんかいろいろあって今、隣にいるだけです。」
「………………………………はい。」
健一が入ってすぐに小鳥遊の姿を見た男性教諭はからかうようにして健一を見るが、それが分かっているかのように返答をする。
「つまらんな、とは言ったが、お前のそばにいる女性なんてそんな程度で充分だからな。ああ、そういえば周防から話は聞いたか?」
「いえ、何も。」
「そかそか、んじゃあまぁ、そこ適当に座っていてくれ。今、
「また、先輩は寝ているんですか?」
「僕の知る限り、松原がここにやってくるときは寝るときか僕の珈琲を飲むときくらいしかないけどな。一体、いつからここは喫茶店になったんだ……というかそもそも、三年生は授業もなにもないんだから学校に来る必要もないんだけどな……」
「そうですか。」
健一が途中で買ってきたスポーツドリンクの封を開けると男性教諭は準備室へと向かい、そこで寝ている白衣を着た一人の生徒を起こしに行く。その後ろで小鳥遊がくいっと健一の袖を引っ張る。
「ん?どした?」
「いえ…………………私、
「ああそうか、あの人、一年生は受け持っていないんだったな。大丈夫、あんな感じだけど授業はまともだから。」
「聞こえているぞ~」
加えて地獄耳のような教諭である。名前を
「大体、今の教諭は硬いんだよ。校則ばっか厳しくして生徒の自由を奪って、そのくせ自分たちはちょっと髪を染めたり、化粧をしているんだ。全員が全員、いい子ちゃんで通ると思ったら、大間違いだぞ。」
などと愚痴をこぼしている。生徒目線に寄り添うことが多く、そのせいでほかの教諭からは煙たがられていることもあるが、他の生徒と同様に健一にとっても非常に愉快で面白い教諭であることには間違いない。
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