第3話 その感情に明確なワケがほしかったようだった

「うっす。」


 そんな健一の後ろであくびを噛み殺しながら健一の後を追いかけてきたのは、かの有名なアイドル事務所に在籍していそうなイケメンである。全体的に目がちょっと怖い健一とは対照的に朗らかで常に笑顔が途絶えないらしいが、そこが女性陣にとっての心をわしづかみにしたらしく魅力的という声も多い。

 名前は周防すおう朝陽あさひ。健一と同じく帰宅部ではあるが、抜群の運動神経を持っているので、様々な部活のヘルプに呼ばれたり生徒会に迷惑をかけたりと健一とは真逆なベクトルで多忙な日々を送っている二年生。その風貌から学校から付けられた異名は『問題を持ってくる問題児』である。また、モデルにも勧誘されることはあるが、本人の意向のため断っている。健一とは毎年の身体測定で身長を競う程の仲良しである。今のところは朝陽のほうが二センチ大きい。彼女持ちではあるが、健一をバカにすることはなく悪友といえる。


「はぁ……なんだお前か。」

「なんだよ、人の顔を見ていきなりため息はひどくないか?」

「朝から、お前の笑顔は憂鬱になる。こっちはただでさえこの雪のせいでロードバイクが使えなかったんだ。追い打ちをかけないでくれ。」

「マジか。」

「大マジだ。」


 他愛もない日常会話を繰り広げていると学校の始業一五分前ベルが鳴った。


「あ……そうだ。俺、今日、朝一で先生に呼ばれているんだった。」

「先生って、誰だよ?」

「ハル先生。」

「そか、んじゃあな。」

「ああ。」


 一年から二年に上がるときに違うクラスになった朝陽とは二階の廊下で別れる。


「な、なぁ。周防。」

「ん?」

「姉さんのこと………」

「諦めとけ。」


 まだほとんど何も言っていないのに、朝陽は健一の肩をポンと手を置いた。


「なに慰めてんだよ。」

「健一が早乙女さおとめ以外に感情を動かされるのは親友の俺としては喜ばしいことなんだがな……んで、どの娘だよ。」

「僕は告白するとも、恋愛するとも言ってないぞ。第一、そんな人いないし。」

「ま、そうだよな。そういや、しずくちゃんは元気?」

「やらんぞ。」


 露骨に話を切り替えてきた朝陽にため息をつきながらも健一は答える。


「そうつれないことを言うなよ、お義兄にいさん。」

「お前にお義兄にいさんと呼ばれる筋合いはない。第一、周防には、かわいいかわいい彼女がいるだろ。」

「そういや、そうだったな。」

「今の言葉、彼女が聞いたら怒るぞ。周防の彼女、言葉より手が先に来るタイプだから。」

「なにを今更。っと、俺、そろそろ行くわ。」


 朝陽はそのまま理科学研究室へ、健一は自分の二年二組の教室に入った。すでに登校している生徒は八割以上いるが特に気にすることなく健一は窓際の一番後ろの席に座る。『語螺瀬かたらせ』という名字のおかげで春の席順は大体この場所である。よほど『ア行』に偏ったクラスにならない限り、出席番号は五番から七番あたりにいる。何かと得をすることで多い一番隅の席だが、この信濃高校ではちょっと損といえるだろう。

 なぜなら、教室の設計上、ホワイトボートの四隅が見えにくいのである。現に日直の名前あたりがギリギリ見えない状態にいる。健一は今更ぶつくさ垂れていても仕方がないので鞄から必要なものだけを取り出して脇にかけ、再び本の続きを読み始めた。


「ねぇ。」

「………………………」

「ねぇってば!」


 それからどのくらい経過しただろうか、近くで声がしたので健一は視線を声のした方向に移す。

 椅子の向きを後ろに変えて真正面から不機嫌そうな女子生徒が健一を見ていた。クラスの中心的な存在でもある名前は………


「どちらさんでしょーか?」

小野澤美里おのざわみさとよ!何年一緒のクラスにしているの?いい加減覚えてちょうだい。」

「小野澤さんね。覚えた覚えた。」

「あんたね!!いつもそういって覚える気ないじゃない!」


 小野澤美里おのざわみさと、ぱっちりと開いたその目とツインテールにしてある黒髪、髪留めといして山茶花さざんかを使用しているのがトレードマークである。うっすらとメイクをしたかのように思えるその仕草。男子の中ではかわいいとの評判である。それでいてクラスの学級委員を務めているから非常にやりにくい。


 一言でいえば、『


 なのに、現実というのは非常理で健一とは中学一年からずっと同じクラスになっている。


「それで、そんな小野澤さんが僕に何の用でしょーか。」

「あのさ……語螺瀬。」


 授業開始のチャイムがなり、教科書を持ってきた教諭が教室に入ってきた。

 それに対して慌てて自分の教室に戻る生徒や、自分の机に戻る生徒もいる。それは目の前にいる美里も例外ではない。

 健一は、教諭を指さして美里に優しく声をかける。


「ん、前。」

「あーもー!大事な話があるから放課後!!絶対いてよね!!」


 煮え切らない思いを込めたのかバンと机をたたくと、美里はくるっと背を向けると教科書を取り出していた。


「僕の意見は聞かないのかよ。」


 前の席である美里や教室の誰にも聞こえないようにして健一はそうつぶやき再び山とそこに栄える住宅街の景色とともに静かに見据えた。

 そして、天を仰ぐように映画の完結編を見た後の観客のようにポツリと続ける。


「面倒なことになった……」


 普段なら女子生徒に呼び出されたところで嬉しさがあるようだが健一は全く嬉しさも感じなかった。玉ねぎを冷やしたあとの涙ほどのときめきも感じない。

 第一、悪友の彼女を取る気があるほど語螺瀬健一に男というものは残っていなかったのである。

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